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悪役令嬢は世界を救うのか


 小気味の良い音をたて。掌に受けとめたのは馴染んだレザーチョーカーだ。けれど同時。アーデルハイトが立っている胸壁。マルクスが着地点と見定めていた場所にドラゴンが突入した。

 攻撃の意図ではなく。とうの獣も予定外だったと思われる。爆風に下から押しあげられながら、上昇ではなく下降しようと身を捩った結果だ。巨体がのたうつ。シールドごと砦に激突し墜落。

 当然の帰結として。


(崩れる)

  

 トッ。

 軍靴のつま先に揺れる足元を蹴って離脱。マルクスは、と振り返ったアーデルハイトの視線の先に。器用にも防御膜をはった状態で空気のステージを作り、土砂を避けて距離をとり、着地を目指している。

 土砂と言っても一つ一つが頭部よりも大きな岩の塊が混じっている。ぶつかれば致命傷。埋まれば墓穴。

 ただ、ブルードラゴンの墓標となるには砦は力不足だったようだ。粉塵のなか、鎌首をもたげた青い鱗が姿を現す。

 大きな口がひらいた。

 牙の一本がアーデルハイトの脚くらいある。

 カアァァァアア!

 魔力の収束。

 

 アッ、ここで撃つのか。


 あまりにも有名な攻撃。

 ドラゴンブレスが来る。

 しかも。

(私じゃない)


 マルクスを狙っている。


 爆裂術式をまとった魔石の弓矢がドラゴンの横っ面に着弾。シュタイン中尉が放ったものだ。周囲の砦ごと、シールドを破壊する。けれど止められない。双眸に憤怒を浮かべたドラゴンの皮膚には傷一つない。撃たれる。いまだ空中のマルクスには避けられない。

 一瞬の既視感。フラッシュバック。教官はグリフォンに喰われた。今。また。幻獣がここにいて。私は、また。失おうとしている。

 ─── 背中が熱い。もっと正確に言うならば、左肩が。

 魔道刃の形に似ていて、もっと根源的なもの。固定化した魔力の塊を振り下ろす。輝く光が伸びて刃となる。

 ドラゴンが地を蹴った。羽ばたいた。重力。あるいは反重力による加速。再生したシールドに刃が掠った。それだけだ。アーデルハイトの刃は瓦礫ごと大地を裂いただけ。逃げられた。ブレスはこちらを向いた。

 エア・ギア。小さなステップに空気を蹴って大きく方向転化。落下のスピードを加算し、避けきった。

 互い、懐に隠し持っていた最強の剣をふるって致命傷を与えるには至らない。

 最初に戻る。

 つまり私は地に立っていて、ドラゴンは悠々空を舞っている。円形のシールドをまとい、頭上に滞空している。

 と、見せかけ。私の周りには頼もしい仲間がいる。アルテミスの弓矢、そして地上からの弓矢からの挟撃を警戒し、ドラゴンが飛ぶ高度が下がっている。 

 マルクスが放った次弾の矢がドラゴンに迫り、シールドを貫通。魔力そのものは吸収された。だが至近距離での爆風が巨体を揺るがす。魔道士部隊タリスマンにとって爆裂術式は必修項目。強化術式、観測術式を得意とする准尉たちにも、これだけは条件反射に撃てるほど反復学習させている。理由は単純明快だ。必要だから。敵を殴りつける、暴力そのものの術式だから。

 次。打ち上げられた弓矢にはキメラが間に入った。空母に迫る魚雷をその身をもって受ける護衛艦のごとく。ブルードラゴンの周りにはキメラの黒い翼が群がる。

(…そろそろかしら)

 シールドが、再生してこない。

 断言は危険だが。魔道士で言うところの魔力切れだ。地道に削り続けた甲斐がある。マルクスたちの加勢が入ったことで、天秤は一気にこちらへと傾いた。

 右手に持ったままだった軍用チョーカーを装備する。

 威力があるぶん、装填に時間がかかるのがコンパウンドクロスボウの難点だ。四人とも、撃ち終えれば素早く場所を移動。キメラたちをふりはらいながら、攻撃を続行。

 コスパ度外視に魔石の大盤振る舞いだ。明日の破産を恐れるよりも、今日の食事を優先する。日が暮れれば手がつけられなくなるから。

 それでもドラゴンはこの場を離れようとはしない。現時点、王宮には瘴気をうみだすゲートがある。視線は一点、私だけを見ている。…気のせいかもしれないが。気のせい、だと思いたいのだが。


『待っていろ』


 呼びかけられた。話しかけられた。幻聴ではない。はっきりとした意志の目が私を見ている。


『解放してやる』

 

 誰を。

 ナニを?

 どこから?


 どうやら幻獣種は六何ろっかの原則をご存じないようだ。

 ひとり、あるいは一匹に宣言。返事など必要とせず、蒼くきらめく翼を伸ばし、大気を吸う。

 

 吸収している。随獣を。

 喰らっている。瘴気を。


「キィ、キィ」

 キメラたちがブルードラゴンに集まってゆく。逃げない。逃げることをしない。王の血肉となることをむしろ喜んでいる。私を食べて?と言わんばかり。自らを皿にのせ、我先にと差しだしている。なげうってゆく。

 

 空気が波打った。強い風が吹く。不安定になった大気に雨雲が姿を見せる。ドラゴンが飛ぶ。より多くの瘴気を求め、ゲートへ向かって羽ばたく。

 ─── 誘導された、とも気づかずに。

 

 アーデルハイトは時計塔の尖塔部に降り立った。

 見下ろした中庭。瘴気をふきあげる黒い海の周りにはまだ数人の騎士たちがいた。ぽつ、ぽつと降りはじめた水滴が地面と隊服に染みを作る。

 胸ポケットから取り出したのはパーティ会場より拝借してきたデザートナイフの数振り。雷の術式を施し、風の術式によってコントロール。チョーカー魔石による精密制御。ナイフは重力の助力によってまっすぐ下降。

 ヒュカッ。

 ドッ、ドドッ!

 刃渡り、と呼ぶにもおこがましいような、まるい刃がゲートの描かれた大地に垂直、突き刺さる。

 雨足が強まった。頭上にあるのは積乱雲ではない。けれど十分だ。体表が、濡れていれば上出来。


「雹と竜巻の破壊、暴風雨と稲妻の力を和らげたまえ。冷酷な雷鳴と大いなる風を妨げたまえ。嵐の精霊と大気の力を鎮めたまえ」


 クリスチャン・エラの頃より受け継がれた落雷避けの聖句だ。己の役目を果たさんと剣を振りつづける騎士たちのために祈り、唱え、アーデルハイトは雷撃を放った。

 放電、閃光、稲光いなびかり。雷神のつちが振り下ろされる。地面に突き刺さった導雷針がわりのナイフに向かって。


 アーデルハイトの左腕から放たれた先駆放電が、大地側から迎えるように伸びる先行放電と結合する。輝きは光速。雷鳴は音速。百万分の一秒でピークを迎え、百万分の80秒ほどで終息する超高速の刃。

 電圧1億ボルトの抱擁がブルードラゴンを捉えた。

 放電路の大気温は3万度近くに跳ね上がる。急速な空気の膨張によって生じた衝撃波は音速を超えて鱗を貫く。筋肉が硬直し、体躯を濡らす水分が瞬時に沸騰する。起こるのは水蒸気爆発だ。体内では内臓が破裂、脳と心臓が深刻なダメージを受ける。

 幼少期より。アーデルハイトが得意としたのは雷撃の一閃だった。

 呻き声ひとつあげられず。動きをとめたドラゴンはゆっくりと落ちてゆく。光りを失った目はそれでもアーデルハイトを見ていた。きっと、首なしの魔馬、デュラハンが仲間を求めたように。不利な状況を認識していながら逃げず、留まり、青い魔石に囚われた同胞を解放しようとした。アーデルハイトの肉を食い破ろうと牙をむきながら、きこえる声は奇妙に友好的だった。苛立ちながら、弾む気持ちがあった。

 まるで故郷の友達に会ったようだった。アーデルハイトが昨年、アルニムにすれ違った友人にどうやって話しかけようかと悩んで、結局なにも言えなかったように。


 すまない、とは。アーデルハイトは言わない。

 誰に、なぜ謝ればいいのかも正直わからない。


 さみしいという気持ちはわかる。ただ、目の前の存在がここにいてはいけないものであることはもっと強く、はっきりと。わかるのだ。ざりざりと肌を削る感覚は切迫感にも似ている。

 モーリッツ、ペーター、ミヒャエルの三人はきっと頷く。力強く同意する。彼らの村は魔獣によって壊滅している。派遣された騎士団が生き残りとなった彼らを保護したのは襲撃から二週間が経ってからだ。それまでの間。彼らは三人きりだった。ほとんど何も食べていなかった。笑いもせず、泣きもしていなかった。誰が言ったのか。『弔ってやらなければ』。棒と板切れ、そして素手に墓を掘り続けていた。大切なものを。大切なひと、を。一つずつ。一切れずつ。拾って集め。比較的小奇麗なテーブルクロスとベッドシーツに並べていたと聞いた。

 無残な亡骸の前で。二度と帰らない故郷の前で。三人は魔獣への復讐と駆逐を誓いあった。


 右手に左肩へとふれる。左右の肩甲骨下に埋まっているという赤と青の魔石をアーデルハイト自身が直接目にしたことはない。目覚めたときにはすべてが終わっていて、始まっていた。


「……おやすみ。よい夢を」

 母が。そして乳母がくれた言葉を。手向けの花のように投げた。

 ドラゴンが救おうとしたのは同胞だ。アーデルハイトではないとわかっていても。幻獣が見せた献身はリッターに似ていた。

 どぷんっ。


 鮮やかな青の鱗を持った幻獣がゲートに沈む。瘴気のなかへと。

 巨体による墜落だ。爆発のような衝撃を覚悟し、地に伏せた騎士たちの前で。ブルードラゴンは底なし沼に沈むように姿を消した。

 立っているのは、…いるのは?

 二度見した。


 裾の長いドレス。雨のなか、ふわりと広がったあるはずのないもの。


「王妃様」


 呟いていた。

(どうしてここに?)

 考える前に身体が動いた。尖塔を蹴っていた。王妃様のもとへ。早く、安全な場所へうつっていただかなければ。ドラゴンを排除したとはいえ、キメラたちは残っている。王を失った以上、無力化は時間の問題とはいえ。瘴気は消えていない。つまり。とても危険なのだ。

「アーデルハイト」

 駆け寄ろうとした足をとめたのはそこがゲートの上だったから。ではない。

「…ドクター…」

 声をかけてきたのは軍医ではない。ミュラーの騎士、ビッテンフェルト医師でもなかった。

 かつてアーデルハイトがおじいちゃん先生と呼んだ医師だ。王妃様の横に立っていたスーツの男は貴族の誰かではなく。もちろん護衛でもなかった。

 すぐに気づかなかったのは、ずいぶんと面変りをしていたからだ。一言で言えば年をとった。髪の色は真っ白になっていた。痩せて顔つきが変わっていた。雰囲気もそうだ。几帳面で、神経質な印象はがらりと変わり、聖者みたいな笑みを浮かべていた。リボルバー拳銃を構えた。隣の、王妃様に向かって。

「久しぶりだな」

「お久しぶりです」

 これが自分に向けられたものであればアーデルハイトは躊躇なく踏みこんでいた。けれど銃口は王妃様の胴体から拳二つも離れていない。動く的に当てるためにはよほど訓練しなければ難しいが、この近距離。王妃様は声もなく震えている。青い顔に涙ぐんでいる。このまま動かないで欲しい。標的の行動不能を目的とするならば手足を撃つ。被弾面積が広く、もっとも動かない胴体の中央を狙うのは必中を期すため。それによって相手が死んでもいいと考えているからだ。

 ちらりと目をやった近衛たちも動けないようだ。なにしろ素人故の恐ろしさで、ドクターの指はすでに引きトリガーにかかっている。

 …つい最近見た型だ。

 ヴェーバー博物館のダンジョン展に飾られていた六連発のハンドガン。構造は簡便かつ頑丈。発砲の反動で弾倉を回転させ、ハンマーを自動でコックさせるオートマチック・リボルバー。説明文はまだ覚えている。ただしあちらは錆びついて、回転式弾倉シリンダーが回らないどころか薬室チャンバーに火薬を詰めることもできない状態だった。

 目の前の銃身は銀色でも赤茶色でもなく。淡い桜色をしている。

 素材はヒヒイロカネかもしれない。

 ウーツ鋼どころではない。より希少で、金剛石以上に高価な鉱物。金を積めば手に入るというシロモノでもない。ダンジョンで稀に発見される、未だ実戦に使用可能なカタナの原材料。

 製造元を考えるのはアーデルハイトの仕事ではなかったけれども。資金があって、技術があって、コストパフォーマンス度外視にリボルバー拳銃なんてものを作れるところと言われれば、真っ先に教会が浮かぶ。共和国、天使真教総本山の地下には欧州大陸最大の地下ダンジョンが存在する。五重いつえの魔道被膜加工を標準とできるような工房を囲いこんでいる。

 すごくお金持ちの個人好事家が興味本位で作らせ、魔石の研究を行う科学者の手に握らせたと想定するよりもよほど現実的だ。発射は可能であると仮定しよう。

 刺激しないように、そっと両手をあげる。手袋に包まれた手のひらを見せる。

「ああ…おまえはほんとうに賢い」

 どろりと濁った目にドクターが笑う。

「奇跡は発現したぞ。わたしは正しかった」

「ドクター。引き金から指を離し、銃口を、おろしてください」

 できるかぎりわかりやすく、丁寧に言ったつもりだ。王族に対する狼藉。逃げられない、なんて。言われるまでもなくわかっているだろう。だが聞いちゃいない。聞く耳は持っていない。アーデルハイトはいったん口をつぐんだ。

「下がれ。剣を捨てろ。撃たれたいのか」

 飛びかかるため、じりじりと近づいている近衛兵らを、わずかに首をふることで制する。光る銃口に撃鉄はすでに持ち上がっている。盾となって王妃様との間に飛び込むにも間に合わないだろう。唇を引き結んだ近衛たちがテロリストの要求に従う。

「アーデルハイト。裏切り者め。だがその愚かさもわたしは許そう」

 ドクターの瞳はブルードラゴンを飲みこんだ瘴気の黒炎に向けられた。

「アーデルハイト。おまえは前だ。進め。教えられただろう? 立派な指揮官は、部下の先頭に立つんだ」

 ゲートと呼ばれる魔法陣に足を踏み入れる。まだ外郭部。けれど私の足首に絡む瘴気と、瘴気に沈む靴底を見たドクターが笑みの形に目を眇める。

「目的はなんですか」

 問いかけに、口角がさらに吊りあがった。

「わたしはデウス・エクス・マキナとなる」

 そして一転。声をはりあげ叫ぶ。

「天よ! 天よ! 我を見よ!」

 芝居がかった仕草だが、指先は引き金にかかったまま。

「わたしは天使を再現させたのだ!」

 

 ……エッ? 天使。天使様?


「さぁ、アーデルハイト。奇跡の力を示したまえ!」

「………」


 自意識過剰かもしれないが。

(天使様?)

 それはまさか、もしかして私のことですか?

 

 反復による確認作業を行う。

「奇跡のチカラ、とは?」

「魔獣をうちたおし、瘴気を祓いたまえ。世界を救うのだ」

(世界を救う?)

 疑問系に納得した。とうに終わった片翼の天使再臨計画。白衣の研究者はそんな、六年前の夢の続きを見ようとしている。目は開いているけれど、実際のところはこの世のなにも映してはいない。都合のよいところだけを切って、貼って。つくりあげた幻想に浸っている。

 どうやら私がたったひとりでドラゴンを仕留めたのだと誤解しているようだ。

 前線。遠征先に。違法薬物を摂取した兵士たちと同じ、夢見る瞳をしている。

(なんと答えるべきかしら)

 研究所の彼らが思い描いていた奇跡は覚えている。夢と希望、光りに満ちた物語。今となっては笑い話だと思う。だって私は夢をみない。

「ドクター。人間の背中に羽根は生えないし、目からビームは出ません」

「……なんだと?」

「亡くなった方を生き返らせることはできません」

 白衣を脱ぎ、今はスーツを着用した研究者の顔色が変わった。

「アーデルハイト。おまえまで奇跡を否定するのか」

「否定はしません。ただ、現実不可能であるからこそ、奇跡なのではないでしょうか」

 教官が私を庇って重傷を負ったとき。私の目覚まし時計は鳴った。やっと。ようやく。騒々しくも一年ぶりの音を鳴らした。血と、緑の臭いに引き戻された。さぁ行け、起きる時間だと。なにかが背中を蹴飛ばした。あれはきっと奇跡だ。でも、奇跡の力を持ってしても。

(私は教官を助けることはできなかった)

 東西南北、どんな場所へ遠征に赴いたとしても。私にできることはたかが知れていて、それでも最良を選んできた。

 真摯に、真面目に。アーデルハイトは答えた。

「指を組んで祈っても、空から糧秣は降ってきません。敵の胴と首は離れてくれません。それらの結果には物理的な労力が必要です。私はもうそれを知っています」

「……っ」

 認めることは恐ろしいだろう。それは研究者としての人生を否定するも同然だった。

「魔獣をうちたおし、瘴気をはらう。ドクター。それは奇跡ではありません。戦略であり、戦術であり、作戦の次元によって、人類がなすべきことです。勝利は、神秘主義や祈りによってもたらされるものではありません」

「アーデルハイト」

 眉間に力をいれた先生に名を呼ばれた。懐かしいな、と感じた。だから最後まで言い切った。

「ドクター。信じてください。我々は魔獣に勝利します。大型だろうが、幻獣だろうが。人類は魔獣に屈しません」

「っでは、…なぜ、なぜ、わたしは…!」

 続く言葉は飲みこまれた。

 銃を持つのとは反対側の手に自らの胸をわしづかんだ。


 あの日、研究の中止、撤退が決定し、わたしに奇跡を縋った日。目を血走らせたドクターは、荒い息遣いに私へと手を伸ばしていた。

 私の背には羽根の形の痣が現れた。だから期待をしてしまったのだ。

 ずるずると実験を続け、……とうとう孫さえも犠牲にした。手にかけた。皇都衛兵隊が辿った先生の娘からは、居場所がわかれば教えて欲しいと乞われたそうだ。この手で殺してやりたいから、と。


 言葉は届くだろうか。アーデルハイトの背に幻獣の石を埋めこんだ医師は迷う素振りを見せた。けれどぐっと唇を引き結んだ。暗い目だ。たちのぼる瘴気はあまりに濃密だった。正気を失わせる劇物だった。銃口はわずか上向いた。呟く。

「しょせんは裏切り者か」

 誰にとっての裏切りなのか。

 向けられた銃口にアーデルハイトが小首を傾げた瞬間。おじいちゃん先生の右腕は構えていた拳銃ごと吹き飛んだ。魔道士部隊タリスマン装備の片手クロスボウから放たれた矢の一撃。正確無比に肘下を射抜いた。シュタイン中尉だ。暴発の危険を鑑み、術式は付与されていない。よく状況を見ている。間をおかず、認識阻害を脱ぎ捨てたマルクスが飛びだしてくる。

 王妃様を背に、着弾の衝撃によろめいた初老の男性を容赦なく蹴り飛ばし、地面へと転がす。

「かっ、確保! 確保だ!」

「取り押さえろ!」

 騎士たちも入り混じった捕り物となる。


 会話に、私がしていたのは時間稼ぎだった。

 心強い仲間たちが周囲にいて、各自に飛び道具を手にしていることはわかっていたのだ。突出した私に合わせてくれた。ならば人質となった王妃様を危険にさらすよりもよりリスクの低い共同作業を選ぶ。


 負傷し、うつ伏せに押さえつけられ、抵抗しない相手に対し、いささか乱暴な近衛たちの手付きが白い髪色の頭を持ち上げた。片膝をついてしゃがみ、のぞきこんだマルクスの表情は、私からは見えない。ただ、声はひどく低かった。ああ、怒っているのだな、とわかった。

「ドクトル・プランク。天使様が現存するのであれば、祟り殺してくださいと言わんばかりの実験を行っておきながら、救いを求めるのはいかがでしょう?」

「っは、はは、ははははっ!」 

 鬼気迫る哄笑。二人の会話を拾う前に。

「アデル」

 横手から声をかけられた。

「王妃陛下。ここは危険です。早く離れましょう」

 よろけるように立ち上がった王妃様を騎士の一人があわてて支える。

「フランツがさらわれたのじゃ」

 涙に濡れた、悲痛な声だった。

「助けてたもれ」

 手が伸ばされた。近づいた。抱きとめようとした。返答は出てこなかった。


 王妃の手にはリボルバーがあった。


 タンッ。

 

 撃たれた。発砲音はびっくりするほど軽かったのに、アーデルハイトが展開した防御膜を易々と貫いた。




いいねやブックマークなど、評価や反応が嬉しいです。書く気力になります。もっとください(真顔)。

こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、本当にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
本当にこの王妃様はロクなことしないな。息子や自分を守る最強の盾を自ら機能不全にして何考えてるんだろう? 何も考えてないんだろうな、とは思えてしまうが。 アーデルハイトが無事でありますように…
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