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ビターチョコレートデコレーション【1】


 軽く食事をとり、次に向かったのは花屋だ。ヴェーバー博物館の通りにある。チケット入手の前に依頼していた花束の受け取りのためだ。

 冬の白薔薇を中心に作ってもらった。誤算だったのは、想像以上に見栄えがよく、可憐な花束になっていたことだ。

「軍人さん、ハンサムだからサービスしといたよ。奥さんにかい? 恋人にかい? 頑張んなー!」

「どうも」

 明るい激励を苦笑混じりに受け取る。なるほど、どこにも職人と呼ばれる者はいて、熟練の技を惜しげもなく披露してくれるものだ。感心が半分、そんな花束を抱えているという気恥ずかしさが半分。職業柄、花屋の親父は白い薔薇の花言葉も知っているのだろう。

(俺が照れてどうする)

 まだ渡してもいないどころか、目的地に辿り着いてもいない。

 一抱えもある花束にピンクのリボンラッピングを指定したのは俺だ。

 自身の容姿は自覚している。今は軍帽もかぶっていないから、短くそろえたプラチナブロンドの髪も隠れてはいない。真っ黒い軍服に淡い色合いの花。目立つだろうが、見せつけることは目的の一つだ。


 これで官舎女子寮に向かえばどうなるか?


 明日にはきっと、好き勝手な憶測を呼ぶ騒々しい噂となるだろう。


 なにしろ職務中のマルクス・ミュラー大尉は真面目で勤勉で、誠実な男だ。そうふるまってきた。事実として女に花を贈ることも、自宅へ迎えに行くことも初めてだ。なんなら自分からデートに誘ったこともそうだった。

 だから堂々と胸を張って、アーデルハイトの呼びだしを頼む。

 受付にて荷物を受けとっていた、住人であろう女性がぽかんと口をあけてこちらを見ていた。都合のよいことに、軍令部で見知った顔だ。できれば存分に言いふらして欲しい。そんな願いをこめて、ニコリと笑いかけておいた。少し気恥ずかしそうな色を浮かべるところがポイントだ。黄色い悲鳴は横手から上がったが、隣の女性軍人がすぐさま同僚の口をふさいで声を抑えてくれた。なかなかの判断力と行動力だ。

 軍服に下りてきたアーデルハイトは時間通り、準備して待っていてくれたのだろう。俺が約束の五分前に到着して、三分と待っていない。

「こんにちは」

「こんにちは。アーデルハイト嬢。お迎えにあがりました。今日はお時間をいただき、ありがとうございます。どうぞ。プレゼントです。受け取っていただけますか?」

 挨拶を交わしつつも、視線は手元に向かっていたアーデルハイトに花束を差しだす。最適な魅せる角度を意識しながらだ。俺自身は口角を上げ、目尻を下げながらだ。

 周りの視線がビシバシと刺さる。

「ありがとうございます」

 ここで受け取らないという選択肢はない。アーデルハイトが肘を伸ばした。その手。

(華奢でスレンダーな身体に白い手袋がよくお似合いです)

 近づいた身体に全身がムズムズして、危うく失言をかますところだった。駄目だ。俺が浮かれている。だってデート。デートだぞ、おい。ついつい眉間に力が入ってしまう。

 両腕を広げて大きく深呼吸したいところだが、今、この場でそれをやれば不審者の所業。

 華奢。スレンダー。白手袋。似合っている。単語それぞれはおかしくない気もするが、繋げるとどうしてか変態の台詞になる。手袋フェチの汚名を被るかもしれない。手袋そのものよりも、袖の合間にチラリ、わずかとのぞく手首の絶対領域感がたまらない。

 駄目だ。やに下がりそうだ。頬肉の内側を噛んでこらえる。

 初デートでかっとばしてどうする。いきなり口説き始めてどうする。七つも年下相手にがっついてどうする。

 彼女の外見年齢を考えろ。

(余裕を見せなければ)

 うっすらとした笑みを浮かべながら、紅茶色の瞳をのぞきこむ。

 慎重な仕草で花弁に触れたアーデルハイトが小首をかしげた。黒の軍服に細身のコート、胸で白い色合いの花が揺れる。


 たちのぼる薔薇の香気が色づき、マルクスの鼻腔をくすぐった。ぼうっと見惚れるような気分に問う。


「……どうしました」

「いえ…。花をいただいたのは初めてです。ありがとうございます。部屋に活けてまいります。お待ちいただけますか」

「はい。任務とは違って急ぎませんので、慌てなくていいですよ」

 時間厳守が身に染みついた上官には、少々茶化した言い方が効果的だったようだ。雰囲気が柔らかくなった。

 花を傷つけないようにそっと抱えて階段を上ってゆく。

 後ろ姿を見送った俺は受付に会釈し、指し示される前に応接室の簡易椅子へと移動した。立ったまま待っていてもいいのだが、急がなくても良いと言った手前もある。大人しく腰を下ろす。

 内心とは裏腹、手順に慣れているのは、副官としてここに隊長を呼びに来たのが今日が初めてではないからだ。

 デートという行動でのお迎えこそ初めてとはいえ、世の中の男女が百回デートするよりも任務に互いを知っているのが俺と隊長だ。

 打ちのめされ、追い詰められた時にこそ、人の本性は抉り出される。余裕があれば人は人に優しくなれる。余裕のないときにも他者への敬意を持ちえるかどうかだ。

 限界を超えた戦闘継続時間、敵と仲間の血肉を浴びる状態にあって、限りなく合理的であろうとするのがアーデルハイトだ。夜闇に炎が重なれば、歴戦の兵士であっても時にたやすく正気を失う。獣の鳴き声に囲まれ、発狂しそうな戦況にあって理不尽な怒声をあげ部下に当り散らすことを自重しようとできる。自らを律する精神力は十代とは思えぬ胆力の下支えがあってこそ。戦場に取り残された新任の准尉を救うために天馬の如く軍馬を駆り、同胞らを鼓舞する戦女神のような女であることをマルクスは知っている。

 ……だがそれは職務での係わり合いだ。

 男女の仲ともなればまた違う関係を築く必要があるだろう。

 いつもの軍服を着用、けれど今日は花束を持参した。仕事ではないぞ、と周りに見せつけた。少し小奇麗にしている程度では駄目だ。目で見てはっきりとわかる特別な違いを認識させなければならない。

 そしてアーデルハイト本人にも俺を異性として意識させたいのだ。

「お待たせしました」

 軽い足音に彼女が階段を降りてくる。

「いいえ。ちっとも」

 演技でもなくまなじりが下がった。

 だってもう、アーデルハイトはいなくならない。王宮の奥深くに仕舞われてしまうことはなくなった。

 彼女がマルクスの前から消え失せる制限時間はなくなったのだから。

 

 しかし行動は迅速に。拙速は巧遅に勝る。

 

 エスコートに手を差し伸べることは我慢した。破棄を言い渡されたとはいえ、書類上の婚約関係はまだ続いている。

 誰かがアーデルハイトの不貞を責めるようなことがあってはならない。世の中には善意の第三者を装った立ち位置からの言いがかりを、鼻をふくらませ、唾をまき散らしながら並び立てる人間もいるのだ。

 おまえがそれを言うのか、どのツラで。

 マルクスが警戒するのは、そういうツッコミを我慢せざるを得ない相手たちだ。

 たとえばそう、第五王子のような人間だ。

 次の婚約者だと宣言する愛人を自身は侍らせておきながら、アーデルハイトの浮気を疑うかもしれない。むしろ自分がやることは自分以外も当然やるだろうと考える可能性が非常に高い。悪党ほど悪党を知ると言う。悪事を働いた自覚のない人間ならば、自分だけはそれを責めても良いという、摩訶不思議な所感を持つ。

 それを思えば、互い、制服の着用は正解だったかもしれない。俺という男の側には下心があるが、デートの誘いを、彼女自身は部下からの気遣いだと解釈した。忠誠心からの気晴らしの提案とも受け取れる。なんなら友情と言い換えてもいい。

 困難を共に戦い抜いた戦友としての連帯感はたしかにマルクスの胸にもある。軍広報にも載りそうな理想の上下関係だ。誰に文句を言われる謂われもない。

 ダンジョン企画展の垂れ幕が下がったヴェーバー博物館に足を踏み入れてからこちら、窺うような視線は何度も感じている。見せつけているのだから当然だ。しかし話しかけてくる奴はいない。

(まぁそうだろう)

 手をつないだり、腕を組むような真似はしていないが、隊長と副官とも言いがたい距離感。互いの肩がふれそうな位置に一つしかないパンフレットをのぞきこむ二人がいれば、俺ならまず話しかけない。自ら馬に蹴られに行ってどうする。

 周囲の入場客には軍服率が妙に高い。そういえばこの博物館には軍人優遇が適用されていた。制服を着用していれば入場料が安くなるのだ。花より団子の若い年代には有難い制度だ。絵画や壷のような格調高い芸術に興味はなくとも、ダンジョンから発掘された武具を取り扱う今回の企画は別だ。

 人気を集めているのは銃のコーナーだった。

 なんと酸化していない、鈍く黒光りする鉄がそこにはあった。プレートには『ボルトアクションライフル』の名が刻まれている。

 展示ケースのなか、温度、湿度、明度に加え、わずかなりの魔力にも触れないよう厳重に管理されている。

 弾をこめれば撃てる良好な保存状態というから驚きだ。アーデルハイトも紅茶の瞳を輝かせながら魅入っている。

「撃ってみたいな」

「同感です」

 愛らしい唇からホウと感嘆符をもらす可愛らしいおねだりだが、内容は獰猛な獅子の魔獣も怯むソレだ。ライフルでの攻撃は単純な破壊力で術式を刻んだボウガンに劣り、飛距離と貫通力で弓矢に勝る。そして一丁の銃と一発の銃弾で魔道士部隊タリスマンの年間隊費程度は軽く吹っ飛ぶ。

 コストパフォーマンスを考慮すればとても手が出せる代物ではない。拾った石でも投げた方がまだマシだ。小銃に愛好家は多い。しかしライフルに歴史的な価値と軍事的ロマンチシズムはあっても、実用性はない。

 俺たちの世界で鉄はそれほどに希少なのだ。原子番号26の元素はもはや死に絶えたにも等しかった。


 記号にしてFe、鉄はかつて世界の地殻の約5%を占めていたという。安価であり、当時の技術をもってすれば加工しやすく入手も容易な金属元素であったらしい。前世紀、クリスチャン・エラの一時期には「鉄は国家なり」と呼称されたこともある。極東の国では「産業の米」と例えられていたらしい。

 かつての人類文明は鉄とともに発達し、終焉を迎えたときに鉄もまた運命を共にした。単純であるがゆえに安定し強固であったはずの原子核は赤錆にまみれ、分解された。


 鉄は水に濡れると錆びる。正確に言えばイオン化という現象が発生しているのだが、専門性の高い学問に入っていくため、マルクスの知識としてはそこまでだ。

 防ぐには塗装、鍍金の加工処理が必要だ。これらが魔道士塔のテキストに記載されているのは、鉄は魔力に濡れても錆びるからだ。同様に、瘴気にも弱い。

 不思議なことに、純度が高ければ高いほど、鉄は錆びるのが早い。そして分解までの過程が恐ろしいスピードに進む。

 再現はむろん何度も試みられた。銃剣や大砲の武器だけではない。大型の建造物や社会インフラに金属は必要不可欠だった。

 だができない。完成品はここにあるのに、技術が足りない。そして替えとなる原材料がない。

「だ、か、ら! 口伝はやめろとあれほど…!」

 頭をかきむしり、嘆いた技術省職員の気持ちはわからんでもないが、何百年どころか何千年前の過去の技術が残っている方がむしろ凄い。人類はじゅうぶんに頑張っている。

 前世紀の遺物はダンジョンと呼ばれる地下の迷路より発掘される。一攫千金も夢ではないが、取り扱いには注意が必要だ。わずかなりとも鉄を含むものは地上の空気に触れれば一瞬で錆びてしまうし、人の手が直接ふれても駄目だ。俺たちはみな、多少なりとも魔力を身にまとっている。強さや種類に差こそあれ、生まれたばかりの赤ん坊とて同じことだ。


 悪魔の書物。マンハッタン計画書を持って呼びだされた魔の軍勢によって瘴気が地上へと振り撒かれ、衰退した人類は地下へともぐった。憐れんだ天使がラッパを鳴らし、人類に祝福を与えた。穢れた地上でも生きていけるようにと己の片翼を魔力に変えて人間たちへ与えた。

 天使真教の聖典にはそうある。片翼の天使がその象徴だ。逆に、中央に丸があって、そこから三枚の花弁が広がる様が描かれたものが悪魔のマークだ。近づいてはいけないことは幼子でも知っている。


 鉄の代用品として選ばれた鉱物資源は魔道伝導率の高いウーツ鋼だった。ただし大量生産には程遠く、加工には専門の工廠と職人が必要だった。個人の技量が要求されるのだ。量産化の道のりは長い。

 だからこそ俺たちのような魔道士に活躍の舞台が用意されたのだろう。


 銃器の陳列区域を抜けたアーデルハイトの足取りは軽く、ダンジョン展を見てみたいと言っていたのも社交辞令ではなく本心だったようだ。安堵しながら、レーダーのコーナーへ向かう。あまねく天空から降り注いだ、目には見えない雷によって破壊されたという遺物だ。

 パッと見には武器だとわからないものは軍人連中にはあまり人気がないのか、ぱたりと客足が途切れている。それをいいことに、解説文へと真剣に目を走らせているアーデルハイトから二歩を下がり、その様子をしみじみと眺める。

 黒髪は高い位置で一つに括られ、文字を追って上下する彼女の頭の動きに合わせて揺れている。細い首があらわになり、身長の高いマルクスからは後れ毛のかかったうなじが見えた。

 昨晩のような礼服ではない、漆黒の軍服をまとった少女の容貌は人形のようでなんとも倒錯的だった。実戦に耐えうる人間だとはとても信じられないが、事実、彼女はとても有能な上司だった。

 プロパガンダの広告塔のような容姿で、すべての属性の術式を起動、発動させることができる。成長が鈍化している原因は魔力の使いすぎではないのかと危ぶんだ軍医もいた。すぐに転属させられたが、幼少期にこれほど多種類、高出力の魔力が要求される例は稀だ。

 けれどアーデルハイトは辛いとは言わない。

 言わないから大丈夫なんてことはないのだと、マルクスは理解している。理解しようと務めている。この国が、この国の王族が、ひとりの少女を生贄として戦場に置き去りにしたことも含めて。

 手を差しのべる準備はできていたけれど、アーデルハイトが助けを求めることはなかった。

 日常においての彼女は温順な気質らしく、淡々と日々を過ごしていた。色を変える紅茶のような瞳には年齢以上の奥行きがあったが、表情そのものが動くことは少なく、そこがまた人形のような一面を強調していた。おかしい。昨晩だって。8年にわたる努力を踏み潰されて。怒り狂うことも嘆くこともなく、こんなにもあっさりと受け入れることも。

「…マルクス大尉。疲れましたか?」

 気づけば振りかえったアーデルハイトが近づいていた。

「すみません。私ばかりが楽しんでいて」

「いいえ。俺も楽しいですよ」

 これは尊敬なのか。同情なのか。はたまた憧憬なのか?

 昨日の朝までのマルクスであれば即答はできなかった。言葉を濁して向き合うことから逃げていただろう。

 だってどうせ人のものになる女だ。そう思って、言い聞かせて、斜に構えていた。

「本当に…、楽しいです。アーデルハイト嬢。あなたが俺といっしょにいてくれて、とても嬉しいです」

「そうですか」

 不意とわきあがった俺の情感を感じ取る能力を彼女は持っていない。礼儀正しさと冷酷さは両立が可能だ。情緒は戦場より帰還せず。

「ええ。ありがとうございます」

 捨てられてくれて。

 誰のものにもならないでいてくれて。


(あなたの不幸が俺は嬉しい)


「……次へまいりましょうか」

「はい。ナイフのコーナーが見たいです」

「今回は東のダンジョンで発掘されたばかりのカタナもあるそうですよ」

「楽しみです」


いいねやブックマークなど、評価や反応が本当に嬉しいです。書く気力になります。もっとください(真顔)。画面の向こうで、書いている人間がガッツポーズを決めます。

こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。

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