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悪役令嬢は魔法少女の上位互換ではない【7】


 昼はアーデルハイトを誘って軍食堂へ。 

 夜には父も同席しての会食となった。シャワーを浴びて身支度を整えなおす時間を確保できたのは幸いだった。シュタインたちにはあとで差し入れの一つも持って行かなければならないだろうと考えながら、袖のカフスボタンと揃いのラペルピン位置を姿見に確認する。

 ミュラー伯爵が宿泊するホテル内部のレストラン。二回目と同じ店なのは警備上の理由からだ。初回のような善意のご友人による同席はなし。用意されているのは三人分の席だ。

 俺とアーデルハイトが並んで座り、その前にマーロウが着席する。

 成人したばかりの淑女レディに合わせ、食前酒はノンアルコールカクテルとなる。

 流れとして、話題は魔馬についてとなった。

「素晴らしい馬をありがとうございます」

 挨拶ののち、まずは礼を述べたアーデルハイトの姿に、父もまんざらではないのはわかる。

「息子が君のためにと選りすぐった軍馬だ。喜んでもらえれば俺も嬉しい」

 アミューズはなし、前菜から入るコース料理は略式だ。とは言え別途デセールコースを選択している。アーデルハイトの好みに合わせ、デザートは三品目におよぶ華やかさだった。

「魔馬との交配事業は兄の提案だったんです」


 “魔獣の馬を、従来のウマ科ウマ属に分類される家畜としての馬とかけあわせる”


 茶飲み話としては以前からあったものだ。公的な、ミュラー伯爵家の事業として真面目な議会のテーブルに計画案をはじめて乗せたのがマクシミリアンだった。

 そして当初は気の利いたジョークとして扱われた。

 ゲートとは違い、魔獣の目撃証言が乏しいわけでもない。南方辺境領の国境沿いは魔獣の博物図鑑でもあった。不干渉地帯である黒の森からは明らか、常軌を逸した姿の馬、のようなモノが現れていた。翼があったり、脚が八つあったり。燃える尾を持つものもいた。魔馬と一纏ひとまとめに呼ばれてはいるものの…。


 そもそも馬という括りでいいのか? だが首と頭は長く、長い四肢を持っている。

 角があるぞ? と首をかしげつつ、各脚とも第3指を残し他の指が退化している。

 馬だろ。

 馬だな?

 たぶんな?

 すべての特徴は俺たちがよく知るウマという生物に酷似していた。

 ならば奴らも、広く大きな心で見ればウマと呼べるのではないか?


 交配云々の前に、そんな所からのスタートだったからだ。

 馬の文字がゲシュタルト崩壊しそう…そんな名言だか迷言だかを吐いた者もいたくらいだ。


 遠眼鏡を手に距離をとって観察しつつ悩む人間たちを余所目よそめ、対象の近くで草を食むミュラーの馬たちは逃げようとしなかった。つまり同属とみなしているのだ。

 馬とは、先天的に逃げることに優れた草食動物だ。危険を察知すれば素早く反応し、長い脚に駆けはじめる。襲歩のスピードで疾走する彼らの脚の動きは速すぎて人間の目では追うことができない。身体強化に動体視力を底上げし、はじめて理解が可能となる。スピードにのった競争用クォーターホースたちは比較的容易に時速90キロを超えてくる。

 クリスチャン・エラには地を埋め尽くしたという鉄の車は、構造上四つの車輪を持っていたと言う。同じく時速90キロで稼動する回転の動きを目で追えるかと言われればやはり不可能だったに違いない。

 また、馬は群れで生活する。群れにはリーダーとしての馬がいて、縄張り争いも当然ながら勃発する。

 近づく魔馬に対し、なんなら喧嘩を売りに行く奴すらいた。おうおう兄ちゃん、ここが誰のショバだと思ってんだ?そういうアレだ。人間や狼、熊などに対して馬はこんな態度はとらない。

 一回りも巨大な魔馬たちも、牧場の馬たちを傷つけようとはしなかった。好奇心をもって近づいているように見えた。鼻息荒くつっかかってくる親子ほども体格の違う軍馬たちの扱いに困りながら、ちょっかいをかけることを止められずにいるようだった。


 魔馬たちは、いつも一頭で行動していた。


「ハニートラップを思いついたのは父です」

 目の前に飯を食っている男だ。目を伏せ『寂しいんだろう』、そう言って。同じ口に、『そこに付けこむ隙がある』と笑う男だ。

「ハニー、トラップ、ですか」

 紅茶色の瞳がゆっくりと瞬く。

「はい。捕獲や捕縛は困難であったため、罠をはることにしました」

「うちには別嬪が多くてな。無視できる男はいないのさ」

 片目をつぶって肩をすくめたマーロウにアーデルハイトの唇が持ちあがる。ふふっと息だけの笑い。っあー…可愛いな。こんな娘に手招きされれば、そりゃあ魔馬だろうがなんだろうがふらふらと引っかかってもしょうがない。

 アーデルハイトの素直な反応が嬉しくて、俺の口のすべりは俄然よくなった。


 当時のマルクスには理解不能だったし、成否についてはなおさら半信半疑だったが。今ならわかる。

「ミュラーでも自慢の美人を十頭、栗毛くりげ栃栗毛とりくりげ鹿毛かげ黒鹿毛くろかげ青鹿毛あおかげ青毛あおげ芦毛あしげ月毛つきげ薄墨毛うすみずげ白毛しろげに用意させました」

 栄養状態がよく、人懐っこく、馬格のよいものたちを、分裂した群れのなかから厳選した。

「念入りなブラッシングに毛並みを整え、嫌がらない者には花も飾らせました。魔馬たちの知能は相当に高いとわかっていましたので」

 興味深く聞き入っているアーデルハイトのヘイゼルがきらきらと輝いている。

 カジノにディーラーのカード捌きを見つめていた時のようだ。

 不意打ちとなったドクター・ビッテンフェルトとの面談。健康診断以降、アーデルハイトの態度にはどこか壁があった。素っ気ないともまた違う。以前の、…初めてのデート前。彼女の犬に笑顔を見せてくれた前の。アーデルハイト・アルニム少佐に戻っている。

 年上の部下。格上の婚約者。そういう相手に対する、模範的態度だ。

 今のアーデルハイトの肩を抱き寄せてキスができるかと言えば無理だ。隙がない。

「馬が好む草原地帯の水場、我々が身を隠して観察できる場所を選び、待ち伏せました。一ヶ月も経てば、雄の魔馬が周りをうろつくようになりました」

 しかし近づいてこない。

 むしろ通常種の雄だけの群れの方がよほど積極的だった。どこで嗅ぎつけたものやら、熱心なアプローチを始めていた。餌場の距離をとらせる方法は効果が見られず、柵を作ることになった。マルクスらの目的とは相違するが、生物としては正しい行動である。


 ねぇねぇ、キュートなの、セクシーなの、どっちが好きなの?とばかり。彼女たち十頭は大胆にも草原にくつろぎ、座っているものもいた。よほどリラックスした状態でなければ、馬は脚を曲げない。尻を地に着けたりはしない。

 賢い娘たちである。己の役目を理解でもしているかのようにふるまっていたのは、厩番たちの熱心な毛づくろいになにかを感じ取っていたのか。

 つまりはお膳立てされたハーレムである。


 それなのに。八本も脚がありながら、後ずさるとは何事か?

「チェリーかよ」

 マルクスの横で遠眼鏡を構えていた騎士は舌打ちをこぼした。

「うちの娘たちのなにが不満だってんだ?」

 馬番のルッツは憤っていた。

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないよ」

 俺の答えは古くからのことわざだ。

 だが奴らは水辺に連れて行くことすら難しかった。自らの足で近づいてくるのを待つしかなかった。

 泥と草を被り、腹ばい、地に伏して隠れながらだ。シュタインも誘ったが、汚れることを嫌う幼馴染は頭を横にふった。おまえ正気か?という目付きにこちらを見ていた。まぁ仕方がない。当時はまだ賛同者も少なかった試みだ。ハニートラップの実験とて、マーロウの口添えがなければ予算や人員を手配することも難しかった。しかし爪のなかに土が入ることすら嫌がっていたシュタインも、魔塔、軍隊という集団生活を経てずいぶんと変わった。今なら付き合ってくれるだろう。ぶつくさと文句を言いながら。


 十代の前半だったマルクスは、軍馬を駆って魔馬たちを追いかけもした。追いつけなかった。稚気に富んだ個体など、面白がっているのか、遊んでいるつもりなのか、わざとこちらを煽ってもきた。ブヒヒンと鼻を鳴らし、スキップでもしているような、羽根でも生えているような足取りで、…いや、実際翼を持っている天馬だった。

 複数で囲んで一斉に追いつめ、輪を作った投げ縄に首を狙える位置まで近づいた。飛んで逃げられた。文字通り。飛びやがった。あればわざとだ。なにしろギリギリまでこちらを引きつけた上での行動だった。完全に遊ばれていた。楽しんでやがった。

 あんな華奢な羽根で。馬体を浮かせるか?

 飛翔ではなく滑走としての役目を担うと考えていた。まさか自ら羽ばたき、飛行までできるとは思わない。同時に。幻獣種ファンタズマであることも判明したわけだ。瘴気をとりこんでの変容ではない。進化論は馬に翼を与えない。別種の生き物だ。

 翼を持つ個体は白銀の体毛を持ったものと、黄金の体毛を持ったものが確認された。識別として前者はペガサス、後者はクリュサオルと名付けられた。

 そうして幻獣のくせに女のまえではキョドって挙動不審になる悪童のような馬たちとの攻防は三ヶ月あまりも続いた。暖かな風が頬をかすめるようになった。春の繁殖期が近づき始めた頃。


 頭のない馬が現れた。


 真昼間。なだらかな緑の草原にポツリ。黒くて赤い。輪郭の揺らぐ姿。あまりの違和感にゾワリとした。突然だ。目を離したわけでもないのに、見張っていたはずなのに、気づけばソイツはそこにいた。

 人間が美女たちを独占していることが気にいらなかったのか、柵を蹴破る騒ぎを起こした牡馬ぼばたちに俺たちが意識を移していたのは一瞬だった。

 高いいななきに、牝馬ひんばたちが慌てて立ち上がっていた。耳を後ろに伏せ、大きく目を見開いている。地面を蹴り始めるのは警戒の証しだ。

 地上最速であるチーターは3秒、たった数歩でトップスピードに達するが、馬は走り始めてから全速力まで数秒以上、十数秒がかかるスロースターター。それでも俺たち人間と比較すれば十分以上に速い。ソイツは違った。動きに冠絶していた。風に乗るように一息で加速した。柵を飛び越え、一瞬に距離をつめた。俺たちが馬という生物に抱く動線をたやすく超えてきた。恐るべき運動性能。おまけに闘争意欲も高い。

 雌に群がろうとする雄たちを体当たりに追い払った。馬の後ろ蹴りは強い。ウーツ鋼の兜すらひしゃげる。人間の頭部などスイカのようなものだ。

 馬に関わる人間すべてにまず教えることは『後ろに立つな』、折りあるごとに伝えるべき警告だった。

 無礼な雄たちを薙ぎ払い、雌たちから引き離した首なし馬はそっと一頭の栗毛に寄り添った。興奮していたはずの栗毛は落ち着きを取り戻し、ゆったりとした動きに首を首へとすりよせた。


 ……どういうことだ?


 認知が追いつかない。

 間抜けのようにぽかんと口を開いて見つめるだけだった俺をよそに。

「アイリス…? お、まえいつのまに…、ぉ、俺は初耳だぞ!?」

 厩舎の責任者が喘ぐように慌てふためく。ハッとしたようにこちらを振り向く。

「うちの娘はそんなふしだらじゃありません!」

「うん。問題はそこじゃない」

 ピンチを救った雄の登場に、アイリス嬢は一目で恋に堕ちたのか。あるいは頭部のない紳士は以前より好ましく思っていた淑女が他の男に奪われるかもしれないと危機感を抱いて颯爽と現れでもしたのか?

 互いの言葉を解せぬ俺たちには想像するしかない。

 魔馬は居ついた。いや、厩舎には入らない。だが。

「すごく亭主面してやがるんです…!」

 厩舎の掃除を手伝う俺の傍ら、独身の厩番が愚痴った通り、頭のない馬は波打つ草原、アイリス嬢の隣に当然のような風体で居座っていた。

 結果だけを語るのであれば、俺たちは目的を達したわけだ。

 どうしてだか両手をあげて喝采をあげる気分にはならなかったにしろ。


 相棒の首なし騎士がいませんよ、と言われながらもソイツはデュラハンと名付けられた。馬鎧ばがい、バーディングとしてのクリニエールを纏っていたこともある。

 呼び名に、まぁいいだろう、と頭らしき場所を振って受け入れたデュラハンは食事の姿を俺たちに見せなかった。どれだけ上等の飼葉かいばを用意しても、草を食べている所を見たことはなかった。肉を食べる姿を見せることもなかった。そもそも口がないのだから当然かもしれない。

 角砂糖を差しだしながら、どこから食べるのかと興味津々に見守る人間たちに、鼻を鳴らした。厳密には鼻もないのだが、何故だか馬鹿にされたことははっきりわかった。

 ひとに触られることは嫌がった。けれど人間を襲うこともなかった。そして夜になると姿を消した。いつの間にか。どうやってか消える。そういう夜は、アイリスが鳴くから俺たちが気づくことができた。毛布を被った俺とマクシミリアンが見張っていても。夜の向こう側に姿を消す。領民に被害がでれば処理するつもりだった。魔獣は食うためにひとを襲う。それではひとによって造られた幻想の獣は?


 幻獣種とはなんぞや?

 その答えを俺たちはまだ、手にしていない。

 

 …首がないことを除けば。デュラハンはいい夫だった。大きな腹の妻に、どこからか手に入れた林檎を貢いでいた。賢く、器用なことに、首を保護するためのプレートアーマー、クリニエールにはさんで持ち帰っていた。馬の妊娠期間は11ヶ月に及ぶ。その間、種馬となってくれることを期待していた人間たちをよそに、デュラハンが他の牝馬に目を向けることはなかった。馬としては規格外に愛情深い個体だった。

 まるで、人間のように。

 しかしギャンブルや女遊びのように。これがなければいい奴なのに、とは。これがあるからダメなヤツなのだ。頭部のない馬である。

 望んだことでありながら、俺たちは心配していた。複数の獣医師による臨床下に意見は割れた。産まれたのは少し、…いや、かなり。大きな仔ではあった。これ以上は母体に負担がかかりすぎると出産を早めた判断に間違いはなく。むしろ遅すぎた。産後に弱ったアイリスは一月ひとつきを持たずに亡くなった。馬は、自分の足で立てなくなれば終わりなのだ。周囲にはどうすることもできない。最期まで共に、励ますようだったデュラハンは、妻の死を見届けて消えた。

 緑の草原に、また独り。名のように、亡霊のように。ぽつんと立っていた姿が最後の目撃証言だった。

 生まれた子馬は燃えるような赤い毛をしていた。赤兎馬セキトバと名付けられ、マーロウ・ミュラーの愛馬となった。


事業は中止とはならなかった。規模を拡大し、継続された。生まれた仔は容赦のない汗馬。放蕩息子。なれど出来物。それも、規格外に強く大きく、天馬の如き脚を持っていた。悪魔が知恵を授けたとも言われるほどの知性。赤兎馬が背に乗せることを許したのはマーロウひとり。

 アイリスの最期に落ちこんだマクシミリアンは撤退すらも口にしたが、もはや周りが許さなかった。

 我こそは、の自信を持つ騎士たちが領主と同じ魔馬を望む。止められる流れではなかった。


「デュラハン以降は、様々な魔馬が姿を現すようになりました。赤兎馬の存在も大きかったのだと思います。交配が進み、血脈を繋ぎ、ミュラーでは現在魔馬との混血は千頭近い数がいます」

 ハーレム、種馬等の言葉はぼかし、アイリスの最期は口にしなかった。アーデルハイトを侮っているわけではない。恋人との食事は彼女にとって楽しくあって欲しいからだ。若い女性相手、避けるべき話題というだけでなく。

 今は『死』という単語からなるべく遠ざけておきたいというのは俺のわがままだ。

 若い少尉が地獄からの帰還後に吐いた真理のように。ひとなどあちこちでたくさん死んでいる。書き損じた紙が破られるように。価値も尊厳もなくあっさりと。隣に笑って「また明日」と言葉を交わした男が翌朝には冷たくなっているように。

 …じつのところ、天使様は俺たち人間のことを憎んでいるんじゃないかと思うことすらある。だから死の灰、瘴気に覆われたこの大地にひとを解き放ったのではないかと。

 きっと俺は、敬遠な信徒には永遠になれない。観劇のように眺めているだけの無能に跪こうという気持ちはどこからも湧いてこない。

 アイリスはいい馬だった。幻獣種すら惚れるほどに。つがいから寄せられる過剰な愛情に黒い眼を不思議そうに瞬かせながら、仲睦まじく過ごしていた。

 むろん、俺たちも無策ではない。苦い教訓をもとに、いくつもの改善策は試みている。けれども。

「幻獣種に、ひとを襲うものとそうではないものがいるのは何故でしょうか?」

「造られた目的が違うのではないかと。俺はそう考えています」

 アーデルハイトは予想外の方向に興味を持ったようだ。

「戦うために。ひとを、乗せるために?」

「純粋な戦闘能力のみを追求するならば、武器が馬の形をしている必要はありません。肉食動物に教われた場合、馬ができる防御行動は逃げることだけです。彼らは角も牙も持っていません」

「走って逃げられるのであれば、たいしたものです。常に周囲を把握し、変化や異常に敏感であることはすばらしい資質です」

「……そのとおりだ」

 マーロウがニヤリと笑う。

 馬は、走るスピードだけが優れているのではない。記憶力や対応力にも秀でているのだ。どのタイミングで、どの方角に逃げるのかも重要であるように、どの時点で相手が諦めたと判断し、走ることをやめるのか。群れにそれらの指示を行うのか? 判断力に経験値がものを言う。

 走って逃げる、というのは言葉で言うほど単純ではない。

「ええ。ですが、強さとしての性能を求め、同じ大きさならば、動物がモデルである必要もないでしょう。筋肉量をイコールでパワーと仮定し、バランスや自重、呼吸を考慮しないならば、むしろ昆虫の方がより脅威ではないかと。人間と同じサイズのスズメバチに一撃離脱戦法をとられれば対処は難しいでしょう」

「高温の毒ガス能力を持つ昆虫もいましたね…。たしかに、アウトレンジ戦法による優位性を覆すのは容易ではありません」

 こくりと頷くアーデルハイトは大真面目だ。

 だが体格が10倍になれば体重は1000倍になることを考えれば、現実的ではない想定だった。

「令嬢。昆虫が巨大化したところで自重につぶれるだけだ。心配しなくていい」

 種明かしは父の方が早かった。内心に舌打ちながら、にこやかな相槌をうつ。


 …だがペガサスやグリフォンの、体格に比してあまりに貧弱な翼。絵に描いたように美しく整えられた理不尽な造型。奴らは自重、あるいは重力をなんらかの方法で制御している。


 俺の卒論は魔獣の進化に関するものだった。軍籍に名を連ねてからは、兵器開発担当部署へも積極的に顔を出している。歴史編纂室の一般閲覧が可能な本はできるかぎり読み進めている。だから魔道士としても、そこらの軍人職よりも詳しい自負はある。

 なにしろ幻獣種ファンタズマが御伽噺であると信じている人間だっているのだ。少し大きな猫を、犬を、恐怖に見間違っただけ。瘴気に姿を変えた魔獣を大袈裟に言っているだけ。そういう誤解だ。

 世界大戦と呼ばれるいくさは、三度目までは記録されている。天使真理教聖地の巨大図書館にそれは保管されている。個人の命や健康、自由と多様性がもっとも尊いとされた時代だった。人間が武器を握って戦うのではなく、創りだされた人造物同士が争い…人類史は一度、途切れている。

 戦争に幻獣を投入した人間はたいそう遊び心にあふれた者たちだったのかもしれない。ロマンチシズムの持ち合わせが少ない俺としては当時の魔馬の役割は戦うことでもひとを乗せることですらなく。荷運び用だったのではないかと考えているが。

「ビッテンフェルトの診察はどうだい?」

「魔力の波動が見たいとのことでした。全属性の術式をお見せしました」

「無理はさせていないかい? あいつも悪い男ではないんだがな。少しばかり無愛想で、説明も面倒くさがるタチだからな。毒を持った魔獣に噛まれた同僚の腕を即座、無言に斬りおとしたこともあるぐらいでな。さすがに俺も、先に声をかけろと叱った。返事はしれっと『手遅れになります』、だ。事実ではあるんだが…あんまり躊躇がなかったからな。だから令嬢、嫌だと思ったら、痛いことをされたら、すぐにマルクスに言うんだぞ?」

 腕を斬りおとされてからか?

(主治医を変えた方がよくないか?)

 頬を引き攣る。ノンアルコールの飲み物にむせるところだった。

「おそれいります。私の個人的な事情にまで配慮をありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「迷惑などありませんよ」

 すかさず口をはさむ。

「どうか俺の手を離さないでくださいね」

 にこっと笑いかけた。凪いだ瞳をしたアーデルハイトは静かに頷いた。


乗馬服にはロマンがあると思います。騎乗した状態からの敬礼も。

夏休みの宿題提出期限が9月2日(月)始業式ではなく登校日8月23日(金)であったことが判明し、親子でひぃこら言いながら頑張ってました。週末は爆睡しました…。これほど更新が遅れていましたのに、読んでくださってありがとうございます。

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