悪役令嬢の定義【2】
髪を切り、靴を磨いた俺がヴェーバー博物館の前に立ったのは昼前だった。
博物館併設のカフェにはテラス席があって、ここで休憩するのも悪くないなと思った。多少風は冷たいが、北部ほどではない。数人の利用者の姿があった。そのなかの一人は入り口から見えやすい場所に陣取って本を広げていた。足を組み、洒落たコートを羽織った長髪は腰を据えて食事と食後のコーヒーを楽しんでい、…る?
「シュタイン?」
訝しげに呟く声が聞こえたわけでもあるまいに、男は顔を上げた。目が合った。
手招きされたのが俺だと言うのはわかる。しかしやれやれという顔をされた意味がわからんのだが?
「はぁ、気合の入り方が間違ってませんか」
「やかましい」
対面に腰かけるよりも先に、挨拶も抜きでため息をつかれた。頭のてっぺんから革靴の先までを眺めたあとにだ。失礼きわまる。反射的に返した俺は悪くない。
「なにがあった。緊急か?」
「緊急と言えば緊急ですね。どうぞ」
懐から取りだされたのは手紙の封筒だった。内心に首をかしげながら受け取り、抜きだした中身はチケットが2枚だ。今から購入しようと思っていたものだ。
「買えませんよ」
こちらの思考を見透かしたようにシュタインが先に口をひらく。
「ダンジョン企画展は毎度人気なんです。今回は一日150組限りの入場にしぼっているそうです。日曜ですし、予約で大半がはけていたんでしょう。今日の分はすでに完売御礼です。チケット売り場に札も出ていますよ?」
(なんだと?)
振りかえったチケット売り場にはたしかに赤く大きく『SOLD-OUT』の看板がかかっていた。購入希望者の列には職員から一人、一人に丁寧な説明が為されているようだった。
「感謝してください。あなたなら下見に訪れると思いまして、待っていました。食事のついでに」
「ついでか」
「育ちはいいもので。首都の休日に軍食堂で食事をすませる方々の気持ちはわかりませんね」
「手っ取り早いだろ。食事のためだけに出かけるのは効率が悪い。…まぁ助かった。礼を言う。ありがとう」
ティーカップを片手、鷹揚に頷くことで感謝を受け取る幼馴染はこういう奴だ。俺も殊勝な気分になって付け加える。
「朝早くから並んだんだろう。すまないな。いくらだ?」
「結構ですよ。激励として受け取ってください」
「悪いものでも食ったのか?」
「カードゲームに負けがこんだ連中に対価として買いに走らせました。僕自身の靴底はいたんでいませんから」
「………」
そうだな。シュタイン・シュミットはこういう奴だったな。取りだそうとした財布をしまう。
予約分も含めて150組ともなれば開場よりも先に並んでいなければ確実とは言えないだろう。寒空のした、チケット確保のため必死になって走り、並び、底冷えする空気に足を踏み鳴らしたであろう官舎の連中を思えば同情もする。
「どうぞ。パンフレットです。あなたのことですから、先に見回ってから隊長を連れてくるつもりだったんでしょう」
「まぁな」
ありがたく受け取る。
「デキる男アピールがうざいです。童貞の初デートでもあるまいし」
「は? 誰でもやるだろ。チケットの購入とパンフレットの入手を事前に行っておけば相手を列に並ばせずに済む。内容をあらかじめ確認しておけば最適な巡廻ルートを案内できるだろうが」
「はぁー…。あなたのそれは、好意を得たいのか、評価を得たいのかがわかりづらいんですよ。添乗員か、学芸員にでも転職するつもりですか。二人で並んで待つのも、迷いながらあちこちを歩くのもデートの醍醐味でしょう。新鮮な驚きを共有すればいいでしょう。二人きりなんですから。他の誰かに迷惑をかけることもなく、存分にもたついていちゃつけばいいんですよ」
「無能をアピールしてどうする。学生のデートじゃあるまいし」
好意? 評価?
(そんなもの)
どちらも欲しいに決まっている。
「ああ…、7歳差を気にしてます? 年上の余裕を見せようとしてます? それぐらいの年齢差ならさほど珍しいことでもないでしょう。児童婚は論外ですが、手順を踏めば問題ないでしょう」
「その手順を踏もうとしているんだ」
児童婚とは18歳未満の結婚を指す。
結婚すれば子を授かるのを所与の前提として。成長を完了してない、つまりは子宮のできあがっていない未成熟な子どもの出産には当然ながらリスクが伴う。精神もそうだ。本人とその親、双方に将来の計画性がない短絡的な行動は問題なのだが、権力による押し付けや、経済的な理由による強制的な結婚はもっと深刻だ。
宗教や法律がそれを認めている国もあるが、平均寿命、進学率の伸びにより、欧州大陸での児童婚はごくごく少数派となりつつある。
支配階級の権力闘争が盛んだった時代は、保護者の許可があれば未成年の婚姻も可能とする例外的な法もあった。散々に利用された悪法だ。
赤ん坊とその父親世代の男との婚姻などばかげている。同年代なら良いというものでもなく、ローティーンのガキ同士を夫婦の寝室に放りこんで同衾を迫るなど、マルクスとしてはおまえら正気かと問いたい。
双方の付添いどもの助力を得ながら初寝を成功させる?
(狂気の沙汰だ)
閨の技巧に対して教鞭を執る前に、まずは性感染症を回避する具体的な方法と性的同意の概念を伝えるべきだろう。
童貞と処女による必死の初夜に、周りの大人がよってたかって無体を強いてやるな。一生モノのトラウマになるだろ。反動で無類の熟女好きになった公爵もいたと言うが…。
ひどい時代があったものだ。
シュタインが論外と評するように、現在の帝国でもそれは共通認識だ。
以前は学園を卒業した大貴族の子らは十八の年に結婚する者が主流だったが、今は半々といったところか。
婚約という契約を結んだ上で、学業なり、就業なり、運営、経営なり。宮廷での地歩を固めるなり。そういった人生の基盤を築いてから婚姻という道を選ぶ若者が増えている。伴い、結婚適齢期の先送り現象がおこっている。そして貴族間にあっても恋愛結婚が増加している。
王子と平民の恋物語が国立歌劇場に堂々公演されるのだ。
生きて、実在する、帝国の第五王子が男爵令嬢との婚約を高らかに叫ぶ自由が許されているのだ。
ならば俺がフリーとなった伯爵令嬢をデートに誘ってなにが悪い。
「もしかして、「ガキにはできないエスコートを見せつけてやる」なんて意気込んでます?」
「ふん。どこぞの王子が隊長をエスコートする姿を見かけたことは一度もないが?」
存在しない経験とは比較しようもない。
それに、こんなことを言ってはいても、隊長を並ばせたら並ばせたでこいつらが煩いのはわかっている。
俺たちにとって、彼女はそれぐらい高嶺の花だった。手の届かない、上等の女で、俺たちの生殺与奪を握る上官だった。
「それはそれは。よかったじゃないですか。奪えますよ。なにしろ向こうから手放してくれましたからね」
「悪役令嬢呼ばわりにな」
「……昨晩の戦勝パーティ、あのあとどうなったと思います?」
うっすらと笑みを浮かべたシュタインがティーカップの取っ手に指をからめた。
「さぁな。中止にはならんだろ。将官クラスが適当な祝辞を述べて場を取り繕って、早めのお開きってところじゃないか?」
「我らが隊長を糾弾に追いだしたフランツ王子は新しい恋人と踊ってお楽しみだったそうですよ」
「踊っ…、いや、破談はまだ成立してないだろ?」
王族と伯爵令嬢の婚姻だ。平民の幼馴染が野原の草花で作った花冠と指輪を贈りあい、「大きくなったらケッコンしよう!」「うん!」という口約束だけで成り立っている婚約ではない。
マルクスとしてはそれはそれで微笑ましいと思うし、誰にも取られたくないなら誰よりも先に申し込むべきだ。行動は正しい。ならば清く美しい約束を、法の力を借りた契約によって固定しておくべきだとも思う。心など誰にも縛れないのだから。
隊長の婚約期間は8年に亘る。破棄にあたっての契約書の作成には時間がかかるだろう。
どこまで譲り合えるか、慰謝料への合意も必要だ。言葉でのやりとり、「破棄します」「承りました」だけで完了するわけがない。今後についてはお互いの弁護士を通しましょうとなる、第一ラウンドが終わっただけだ。
(そこで浮かれてどうするんだ)
百里を行く者は九十を半ばとするものでは?
「人目もはばからず手足を絡め、互いしか見えませんと言わんばかり、熱烈な視線を交わしながらの社交ダンスだったそうです」
「羞恥心はどこに落としてきたんだ」
「拾得物管理所にでも問い合わせればいいのでは? 困惑されるか、鼻で笑われるかは知りませんけど」
「管理所の職員が裏口から宮廷医を呼びに走るんじゃないか?」
先制攻撃に思いのほか効果があったからと満足してどうする。勝利は、目的のために使ってこそ勝利だ。有利な状況にこそ、たたみかけるべきだ。
じつは控え室に王室弁護士団を待機させていて、彼らは出番を待っていましたとでも言われた方が納得できる。ごねることも、縋ることもなく、あっさり退室したアーデルハイトの行動によって行動の機会が逸したのだと言われた方が、まだ。
(見通しが甘すぎるのでは?)
一夜があけても、行動制限どころか緘口令すら発令されていない。
だから俺たちのように不埒な男どもが王家のお膝元、皇都に好きなように動けているのだ。
「まったく、どういう神経をしているんでしょうねぇ。堂々と不貞行為の宣言ですよ。晴れ晴れとした表情だったそうですよ。目撃者には困りませんね?」
想像してみる。
やたらと明るいシャンデリアの下、シャンパングラスを片手、白けた目をした軍の関係者に囲まれながら。
くるくると得意げ、ドレスとタキシードをひらめかせたダンスを踊る令嬢と王子。
……なかなかシュールな光景だ。
口で言っただけの婚約破棄はあたりまえだがまだ成立していないし、そうでなくともパーティから主役を締め出し、追い立てての行動である。
(どういう強心臓をしていればそんな真似が?)
クスリでも決めてやがるのか?
……あるいは、なんらかの勝算があるのか?
一方的な宣戦布告に押し切れるだけの成算が?
こめかみに指を押し当てる。
例えば。悪役令嬢として並べ立てたアーデルハイト少佐の、魔道士部隊に対してあげつらった罪状の裏づけがあるとでも?
「あなたもあなたです」
「……なんだ」
何故か矛先がこちらに向いた。
「なにもデートまで軍服でドレスコードを定めなくてもいいでしょうに」
ああ、昨晩の祝賀パーティでも隊長は軍服だったからな…。彼女を着飾らせたいという気持ちはわかる。しかし。
「持ってないんだ」
「は?」
「他の服を持っていない」
「……今からでも買いに行きますか? あなた、凝った娯楽趣味はないですし、初版本に対する拘りもないですから、カネならあるでしょう。使う機会がないんですから。なんなら僕が貸してあげてもいいです」
珍しい優しさを見せる幼馴染の勘違いにため息をつきそうになる。
「気持ちだけ受け取っておく」
デートに着ていく服を買いに行くお洒落アパレル店に入店するための服を買いに行きたい。
シュタインはそういうおかしなことを言いだした同僚を見るような哀れみの目をしている。過去、実際に口にした奴がいたからだ。一緒にしないでくれ。
そいつはまぁ田舎から出てきて魔道士塔にこもりきり、世間に出たと思えば軍社会。試験運用中の魔道士部隊。ひたすら閉鎖的な空間で生きてきて、生まれて初めての色めいた経験に浮かれるよりも真剣に思い悩んでいた。
ほぼほぼ同じ境遇の俺は自分が好きな服を着ればいいだろうとそう思ったし、言葉にもしたが。
「あなた、どんな服でも自分なら着こなせると思っているでしょう」
とシュミットに突っ込まれて肯いていた。
事実だからだ。
それを聞いて両手に顔を覆って泣きだした同僚は、なんだかんだ言って面倒見の良いシュタインの助言により無事買い物を終えたらしい。お付き合いは順調らしい。よかったな。でも俺は彼女に会ってはいけないらしい。必死さにおかしくなって「余裕のない男はモテないぞ」と軽口を述べたところ、「彼女にだけモテればいい」ので俺には「絶対に紹介しない」とまで断言されてしまった。それどころか、真剣に交際する相手が俺にできた暁には振り回されて苦労するように呪いをかけると宣告された。おいやめろ。因果律の研究を専門にしている奴に言われるとなんか不安になるだろ。まぁ当時の俺にはそんな相手などいなかったし、遅れてやってきた反抗期という名の生意気盛りを極めていたので「やってみろ」と鼻に笑って女受けのいいとびきりの笑顔を返してやったのだが。
それはそれとして。
「俺じゃない。隊長が、だ」
下着まで支給されるのが軍隊だが、俺は季節に合わせた私服も持っている。自分に似合う服は把握している。
だが彼女は違うのだ。
「婚約者の王子からは定期的に服飾装備品が贈られているはずですが?」
「サイズが合っていないそうだ。それに、隊長に、夜会用のドレスを着る機会がいつあるんだ?」
昨晩招待された祝賀の席とても、王子のパートナーとしてではない。軍功を称えられる陸軍少佐としてだ。
添え物のパセリとしてではなく、本人の名で、本人の実力をもってメインディッシュの一皿として招待されている。タリスマンの俺たち全員にとってはサービス残業という名の仕事の一環でもある。飲みにケーションとも言う。軍隊では団体行動とトモダチ作りが推奨される。推奨という名の強制だが、一般的な務め人と違い、軍人に拒否権は基本存在しない。抗命は戦の花だとうそぶく者もいるが、やるなら文字通り命がけだ。戦場の簡易裁判による死刑もあり得る。
戦勝パーティでは美味い酒を飲んで賞賛の言葉を受け取るつもりが、罵倒に横っ面を張り飛ばされた。敵への奇襲じゃあるまいし、フレンドリーファイアをやるつもりならば、内示なり、せめて調整が必要ではないか?
ブレン少尉の言葉ではないが、俺とて詐欺ではないかと文句の一つも言いたくなる。
「…あんのクソ王子…、婚約者のサイズも知らずに既製服を贈ってやがるんですか」
「完全に同意するが、どこに耳があるかわからん。直接的な罵倒を吐く場所には気をつけろ」
チッと舌打ち、いささか乱暴な手付きにソーサーへカップを戻す目付きが据わっている。どうやら育ちの良さとやらは家出中らしい。シュタインは優男風の顔面に反し、中身は短気な一面もある。
「クローゼット内部を占領圧迫する嫌がらせですか」
「義務を果たしているフリなんだろ」
王族が婚約者に時候の贈り物ひとつしていないなど、外聞が悪すぎる。
サイズや用途が合っていないのは興味がないからだ。戦場に送りこんだ婚約者について知ろうとしていないからだ。
この年齢の女の子ならばこのぐらいの体格で、このようなものを好む。そういった一般的な知識を持つ側近等の用意だろう。
「品格維持費はどこに消えているんです」
睨むように目を眇めるシュタインに指摘され、そういえばそんなものもあったなと思い至った。
正式に王族の婚約者となった以上、配偶者ほどでなくとも支給はされているはずだ。未成年のうちは本人ではなくその実家に、アルニム伯爵家の収入となっている可能性が高い。通常は親によって管理され、子の教育費や医療費、社交用の物品諸々に充てられる。しかしアーデルハイトは2年を王宮で暮らし、6年を軍官舎と戦場に過ごした。
使い道がないはずだ。
では誰の懐に。どのような用途で消えているのか。
親が娘の名義で堅実な貯蓄に励んでいる可能性もあるが…。
(期待はできんな)
品格維持費など、伯爵家で不労所得扱いされて消えている気がする。
「さぁな。どこだろうな」
隊長は自身の給料だけで慎ましく暮らしているようだったから忘れていた。
「そちらは僕が担当しますよ。出入りの商人ルートなら伝手があります。…ところで、マルクス。あなた、なぜ隊長のクローゼットの中身を知っているんです? 家人の了承を得ずに室内へ入るのは、窃盗はもちろん、盗撮や盗聴同様の犯罪ですよ?」
「さも自然に人を変質者呼ばわりするな」
軍官舎の、しかも女子寮への不法侵入など身体的にも社会的にも自殺行為。
腹がへったからパンを盗んだ、カネが欲しかったから財布を奪った。そういうのは理解できる。しかし幼女が可愛かったから乱暴した。それは理解できない。俺にとって、隊長のクローゼットを暴くのはそういう後者の行為だ。
誓ってそんな真似はせん。
「本人から聞いたんだ。隊長がオスカーに服はどこで買うのかと訊いていたからな」
「それを盗み聞いたと言うのでは?」
「俺の横で二人が会話を始めたんだ。書類仕事の合間、期日と睡魔と戦いながらだ」
「……彼女、綺麗系が似合いますけど、本人の好みが可愛い系ならそちらに合わせるべきだとも思います。雪豹の毛皮を加工したコートはロング丈、ミニ丈ともに女性人気が高いです。寒いので、暖かくして欲しいです。お洒落は我慢だという方もいますが、僕は隊長にこれ以上我慢して欲しくないです」
「奇遇だな。俺もだ」
「ブティックの情報も仕入れておきます。今日はお揃いの隊服で楽しんで来てください。どうせ、今夜には皇都を発つんでしょう?」
「ああ。包囲される前に根回しは済ませておく」
「……あなたのそれは用心深さなのか、臆病さなのか、どう判断すべきなのか、毎度迷いますよ。さよならはしたくない。さよならはしかたがない。そんなだから、僕らの誰もが手を出せない。あなたが隊長をさらって逃げると言えば、副長たちは喜んで手を貸したでしょうに」
「そうだな。諦めるしかないと思っていたな。昨晩までは」
「隊長、あなたのこと、礼儀正しく職務と上官に忠実な番犬だと信じてますよ?」
「そうふるまってきたからなぁ」
「だったらもう少し我慢なさい。手順を踏んでください。魔女の番犬と呼ばれたあなたです。何年待ったのかは知りませんし、知りたくありませんけど、あともう少しの『マテ』が出来ないような駄犬じゃないでしょう」
「期待してくれていいぞ」
(確約はできないがな)
暗にそう告げてテーブルのオーダー表を手に取った。
「ごちそうさまです」
「ああ。チケット、助かった」
ひらひらと手を振るシュタインに礼を言い残して席を立った。
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