バケモノダンスフロア【3】
脅しともとれる物騒な言葉はともかく。こればかりは外見に相応しく。えへんと胸を張ったアーデルハイトの誇らしげな表情は爽快だった。
後れがちな食事の手に、次のコース料理提供のタイミングを見計らう給仕たちを傍らに侍らし。唖然と呆然を頬の内側に噛み殺した男たちの姿はなかなか見物だった。
苦笑にグラスを傾ける。
(気持ちはわかる)
ハイローラールームでの彼女の勝負を見届けたときの俺と同じだ。
今日で一番緊張した。自分のゲームよりもスリリングだった。つまり興奮した。これこそが多くの人間を魅了する賭博の魔力だと言われれば納得もできた。
俺の隊長は天才か?
婚約破棄の場面からこちら、庇うことを優先するあまり彼女の自立心を阻んでいた自分を反省する。
魔道士部隊が結成されたとき。部隊長がわずか12歳の少女、第五王子の婚約者だと聞かされたとき。
俺もまた、なんの疑問もなく、彼女をお飾りの隊長と認識していた。
実質的な部隊の指揮官は俺になるだろうとも。補佐にオスカー、シュタインがつくのだろうとも。
とんでもない勘違いだった。自意識過剰にもほどがあった。
彼女がただの子どもではないことは直ぐにわかった。下半身のない死体横、地べたに座りこみ、血と涙のあとが残る丸い頬。泥に汚れた軍服姿。折れた乳歯を吐きだした少女は野戦指揮官として完璧であることを求められて望まれ、軍事教育を施された子どもだった。
マルクスの認識としては二度目の対面。アーデルハイト・アルニム中尉はこの年の少女としては不気味なほど表情がなかった。反面、芯があり、よく通る声をしていた。短いセンテンスに最後まではっきりと言い切る。そして沈黙を恐れない。
指揮官として、これは案外重要な資質だ。兵士には、聞き誤ったり、誤認や誤解しようもなく明確な命令が必要なのだ。混乱する戦場を貫く声の持ち主は重宝される。
抑制された言動の持ち合わせにも不足はなかった。おろおろとした素振り、無意味に手を上げたり下ろしたりの仕草に何かをやっているフリをする新兵もいるが、彼女は部隊結成の顔合わせにも落ち着いていた。へりくだることも、逆に、居丈高な様子も見せなかった。親しみを感じるような話題をふったり、こちらの機嫌をとったりはしない。緊張しているのかとも考えていたけれども。あとから考えればわかった。『隊長』とはそうであるべきだからだ。自身の能力に対し疑義を持つ部下に対する適切な対応だった。舐められるくらいならば譲歩の必要もない。媚びれば歪む。軍人にとっては戦場での行動こそが価値を持つ。
そう、教えられて、訓練されてきたからだ。素直な子どもでもあったのだろう。才能にも恵まれた。そのうえに努力を積み重ねた。
肩まで伸ばされた黒髪。紅茶色の瞳。幼げな容姿を表情が裏切る。魔道士の軍服に包まれた肢体は、一挙手一投足において鷹揚ですらあった。
主観においては隣に並ぶオスカー副長の“半分”しかないような小さなナリで。
操り人形の道化めいた滑稽さが持つ、恐ろしさ。奇異で、異様な、珍妙さ。
なんだこいつ。と感じた当時の自分を、マルクスは否定しない。
もちろん不満を表情にだしたりはしなかった。
敬礼は、真面目で勤勉なマルクス・ミュラー准尉として行った。
挨拶は初対面のそれだった。グリフォンとの遭遇戦に撤退するさなか、駆けつけた魔道士が俺たちだったと隊長は気づいていなかった。声をかけてハンカチを差しだした俺はともかく、他の三人はフードを被って遠巻きだった。面倒ごとの気配を感じ取っていた俺は沈黙を選んだし、俺がそうであるならば、よくできた副長であるオスカーも、幼馴染であるシュタインも従う。四人のうち三人がすることであれば、まだ15歳であったフリードリヒ准尉も当然倣う。
若い、どころか。幼い上官が、使えて、しかも存外話しもわかる上司だと理解するまでには一度の戦闘とその後のささやかな酒宴で充分だった。
ためらいつつ。アルニム伯爵令嬢、と。呼びかけたのは父だ。
「君はうちの息子との結婚生活について、その、どのように、…希望などあるかな?」
「仲良く暮らしていきたいです」
俺もそう思う。
末永く。仲良く一緒に暮らして生きたい。
「ああ、うん。そうだね。それは大事なことだね」
微苦笑に口を噤んだミュラー伯爵に代わって言葉を継いだのはカペル公爵だ。
「ところで、令嬢。他人の僕だから聞くんだけど、君の年齢は18歳で合っているかな?」
おい。まさか嫌味か。
宰相閣下の言い様に目を眇める。
具体的に。一から十までも明確にと。求められるがまま。カジノ・バーデンでのやり取りを。そして意図した目的、行動について明晰な受け答えを続けてきたアーデルハイトからの稚拙な要望をはぐらかされたと感じたか?
「はい。18年前のアルニム伯爵領に生まれています」
顔を見合わせる父と宰相はあまりにも失礼だ。アーデルハイトは彼らの部下ではない。
「お二人とも」
それこそ成人したばかり、婚約したばかりの少女なのだ。漠然とした希望だっていいだろう。好きなものを選んでいいよ、とショーウィンドゥに並べられたケーキを前に困惑して。やっと手を伸ばし始めたところなのだ。自分で選ぶことを始めたのだ。
十の歳より閉じこめられて。戦場だけが居場所だった少女に今後の生活や家族計画について具体的なイメージがなくたって仕方ないだろう。家計や育児。夫婦生活には必須のそれだって部隊の予算を管理していたのは副長だったし、新人の育成について計画を立てるのは俺の役割だった。隊長の仕事はそれらに承認を与えることだ。隊員に仕事を割り振り、他部署との折衝を行い、責任をとることだ。
今夜の彼女が夫婦の寝室ベッドの大きさについて想像しているとはいくら俺でも期待していない。それならそれで大歓迎だが、俺が彼女を乞うように、彼女が俺と等号で結ばれるような熱量の好意を持っていると思いこめるほどめでたい頭はしていない。すべてはこれからだ。
(仲良く暮らす)
なんとも可愛らしい望みだ。
俺の希望とも合致している。
絶対多数の婚約者、そして大半の夫婦がまず最初に望むことだ。よい関係をつくりたい。共に生きて、生きて、生き抜いて。走りきったあと。互い、最後に吐きだす呼吸が幸せなものであるように。ハッピーなエンドを迎えたい。生死を問わず、俺は彼女の物語の最終ページに登場する男でありたい。
(なにが問題だ)
たしかに、そのためには現実の階段をいくつも上る必要があるだろう。問題を一つずつ解決していく必要があるだろう。二人の間に限っても、必ず発生する意見や価値観の食い違いに対して話し合い、互いに妥協と歩み寄りを行う必要だってあるだろう。
けれど軍人としての俸給だけで慎ましく暮らしてきたアーデルハイトに、いきなり伯爵夫人としての会計管理を求めるのは性急が過ぎる。アルバンからも釘を刺されている。そこは俺たち二人で学習していけば良い。シュルツ執政官から協力の言質は取りつけている。家門会議に同席した主だった文官たちは、少なくとも敵にはまわらない。
騎士団についてはあまり心配していない。馴染めるかどうか? 誰に言っている。俺の隊長だぞ? アーデルハイトアルニムだぞ? 素人は黙っていろと冷笑を浮かべるしかない。強さこそ偉大さ。それがミュラー騎士団だ。唯一の懸念があるとすれば父の対応だが…逆に言えば、マーロウ・ミュラーさえ押さえておけば彼らは犬にだって跪く。
第五王子を相手どった婚前契約書には離婚の際の条件や、契約違反に対するペナルティの合意についても盛りこまれていた。伯爵令嬢サイドにかなり不利であったそれは十七項目にもおよび、双方の親が締結したものだ。王家と伯爵家が交わしたものだ。つまり原本は二通ある。一通はアルニム伯爵領に。そして一通は王室にあって、婚約破棄談義の場に登場している。厳重な鍵のかかった金庫から、王族に名を連ねるフリードリヒが目にすることのできる場所へ。第四王子からの速やかな報告は俺の元に届いている。
10歳のアーデルハイトが署名し、魔力による捺印を行った婚前契約書とは。
生きて地獄を戦いつづけるか。
死んで天ノ国へと召されるか。
終身雇用の契約書とも言える。
選択肢を与えているだけ優しいと言わんばかり。生物としておかしい内容だった。彼女の兄であるアルバンでなくとも憤りを感じるはずだ。妹を持つフリードリヒに言わせれば、国家間の同盟締結のための婚姻としても到底受けいれられる内容ではないとのこと。
アルニム伯爵がサインしたのは身売りの契約書も同然だった。医療行為と強弁さえすれば、あらゆる人体実験が可能だった。遺体となったあとにすら尊厳はなく、冒涜的ですらあった。冷たくなったアーデルハイトの肉体は献体として差しだされる。彼女がアルニム領に眠る母親の隣に帰ることはできない。医学の発展のために。帝国の未来に貢献したいという本人の希望、尊いノブレス・オブリージュの精神にのっとり、骨や血肉の一片までもが使い潰されることになる。
(魔石の回収のためか?)
反吐がでるような話だ。
思い通りにできる。それこそが。公爵家、侯爵家のご令嬢方をさしおいて。王妃最愛の息子、第五王子の婚約者にパッとしない伯爵家出身の令嬢が選ばれた最も大きな理由だ。
元気で、聡明で、少々お転婆な優しい少女が頭のイカれた研究者たちに『器』として見初められた原因だ。
まさか今度もそれを、彼女自身に作れと迫るつもりか? 婚前契約書に条件を提示しろとでも?
「このようなナリです。ご心配はごもっともです。三つや四つは若く見られます」
「…………」
(っああ…)
そっちかァ!!
肩が揺れた。
正真正銘の年齢確認。
まっとうな酒場で、アーデルハイトにエール瓶を売るまっとうな店員はいない。お父さんかお母さんと一緒にきてね?と優しく断られる。そういうことだ。
牽制に口を開きかけた俺は、生ぬるい笑みを浮かべた伯爵と公爵に吐きだしかけた暴言を動揺と共にのみこんだ。…わかる。俺ですら、彼女にアルコールはまだ早いと思う。飲酒は案外危険な行為なので。けれど結婚はしたい。恐ろしくどうしようもないことに。優しく丁寧に。礼儀正しく敬意を持って。最大限彼女の意思を尊重しつつ、夫婦の寝室では合意のうえで無体を働きたいのが本音だ。
こんな子ども相手に?と二人の紳士が疑義を呈すのは正しい大人のありようだった。冷や汗をかきそうだ。けれど話せばわかったはずだ。アーデルハイトが外貌どおりの中身ではないとわかったはずだ。
「外見など些末な問題です」
かろうじて十四程度に見える少女相手、本気で求婚する二十五の男を些末事と切り捨てても良いのかどうかはともかくとして。
犯罪では?と首をかしげる俺の良心には蓋をしておく。
「あなたが俺と共にしてくれる未来以上に重要はことはありません」
こればかりは本心だった。親の前だろうがかまうものか。かき口説く言葉は想定以上の真摯さがこもった。けれど『婚約者』なのだ。光芒を放つ肩書きは、どんな勲章と引き換えにしたって惜しくはない。名誉や名声に繋がる勲ならば何度だって戦場に奪いとってくる自信がある。
軍服にどれほどの栄冠を重ねようが奪うことのできない、奪うための努力すら許されない相手がアーデルハイトだった。
今や過去形だ。下心の恋慕を隠さず、堂々と口説いてもよい。彼女のために全力を尽くすことができる。婚約者の特権だ。素晴らしい。ガラにもなく甘酸っぱい気分になった。
「ありがとうございます。皇都に戻ってからの2週間で2センチも背が伸びました。成長の余地はあります。軍歴は6年です。訓練生時代を含めれば8年に及びます。ミュラー騎士団にあってはまだまだ未熟な若輩者ですが、一日も早く業務に慣れるよう尽力してまいります」
返るのは謙虚でありながら奮然たる決意表明だ。
いそいそとデザートスプーンを手に取るアーデルハイトの言葉に。
「そ、うです、か」
首を捻ったのは俺だけではなかった。
違和感を感じたのは俺だけではなかったようだ。
「そうですね。二人で協力して、……」
なにかおかしいな?
質問の意図が汲まれていないのでは?
静かな目配せを交わす父と宰相はそんな表情だった。
俺も思い切った。
(恥をかこうがかまうものか)
事実確認は大切だ。そして疑問点の提示は重要だ。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥である。
じわり、じわりと浸食し、今や胸にうずまく居心地の悪さを解決することが先決だと判断する。
「あの。隊長、いえ、アーデルハイト嬢。俺と結婚するんですよね?」
「はい」
魔石の在庫表に確認の署名を求めたときのような相槌。
「俺と夫婦になるんですよ」
「はい」
明日の天気は快晴、洗濯日和ですとでも言われたかのような手応え。
まるで行灯に釣鐘。
「……マルクス君は令嬢が自分のことを愛しているかどうか、不安になっているんじゃないかな」
次の言葉を見つけることのできない俺に代わりカペル宰相が口をはさむ。悔しいことに、力添えは的確だった。
「マリッジブルーということですか。ご教示ありがとうございます」
膝に手を置いたアーデルハイトが肩ごとこちらを振りかえる。
「マルクス大尉。大好きです。あなたが私を好きになってくれてとても嬉しいです」
「……俺もです」
かろうじて笑みを浮かべることはできた。清潔で温かみのあるテーブルクロスへとさりげなく視線を落としながらであっても。
ここまでくれば俺にも理解できた。
誤解がある。あるいは錯誤。アーデルハイトと俺の認識には隔たりがあった。それも、ひどく鋭利で、深刻なものだ。
アーデルハイトが俺の気持ちを疑っているわけではない。俺が彼女を好きであることは知っている。知っている、だけだ。飼い犬からの愛情を疑う飼い主はいないのだから。
マルクスは愚鈍とは言いがたい気質の持ち主だったため、他者からの指摘を受ける前に気づいた。アーデルハイトとの温度差とでも言うべき背馳に気づいた。
ようやくに。
そして唐突に。
夢をみないと語った彼女にどうして引っ掛かりを覚えたのかも。
夢は、夢だ。眠る間に、あたかも現実の経験であるかのように感じる心象であり、幻覚。その日いちにちの記憶を整理するための大切な時間。
そして将来の願望を、夢と呼ぶこともある。
ならば誰かに心から愛され、望まれて幸せな結婚をする。幼い少女が憧れるような、定型のそれを夢と呼ぶことだってあるだろう。
彼女は言った。
『私は夢を見ないので』
それは、PTSDを発症したブレン少尉を苦しめる悪夢を指してのことだったのかもしれない。
同時に。綿菓子のように甘く。優しい期待、妄想。そんなものを見ることはないのだと教えてくれていたのかもしれない。
過酷な環境下。目を閉じれば暗闇に沈む。剣を捨て、立ち上がることを諦めてしまえばすべてが終わる。涙が凍傷になる北の大地は生物としての甘えを許さなかった。弱いモノから喰われていく。ならば火杭のような現実を掴むしかない。
自らの立ち位置を勘違いしたことはないのだと、アーデルハイトは暗に告げていたのかもしれない。
魔道士部隊々長を侮る魔道中尉ふたりからの嘲りを受けて、彼女は俺に告げた。
『期待どおり。ミュラー騎士団でも、実力を示してみせる』
誰からの期待だ。俺の期待か。アーデルハイトは自分になにが期待されていると考えたのか。考えているのか。
告白に次いで。俺がミュラー伯爵を継いで来ると言ったためか。領地への利益誘導。貴族にとって結婚は政略だ。愛だってあった方がいいけれど、最優先されるべき課題ではない。他の誰にもわからない二人だけの価値を、想念を優先したいならば、押し通すだけの実力が必要だ。潰されないためには、互いに。
屋台のジェラートを彼女とブレンに奢ったシュタインが言った『婚約祝いとして』はもちろん冗談だ。けれどアーデルハイトは信じたと言う。マルクではなく、補助単位であるペニヒで買える、子どもがお手伝いに貯めた小遣いを握りしめてやってくるような道端の店で買ったものを。きっと、心から喜んだのだ。
だって、まるで友達みたいじゃないか。部下は友達じゃないと言いながら、本当は。婚約者であった王子から贈られるようなサイズの合わない形だけのドレスなんかよりも、ずっと嬉しかったのだ。みんなで一緒に、の食事に誘われたこともなかった少女にとっては。
ささやかなものだ。小さなものだ。共にミュラー領へ向かうブレン少尉もいた。同僚からの、転職、あるいは転勤の祝いと言われれば納得もしたのだろう。して、しまったのだろう。
今夜もそうだ。
カジノ・バーデンのブラックジャックテーブルに。食事のためのレストランテーブルに。着いた彼女は語った。
騎士団での待遇、素晴らしい福利厚生の一言を。
頭を抱えたくなった。
(…いや)
これまでが上手くいきすぎていたのだ。彼女の情緒が壊滅状態であることを俺は、知っていたのに。
告白に対し即座、色好い返事がかえってきたことにすっかり舞い上がってしまっていた。
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