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悪役令嬢の定義【1】


 冬の空はカラリと晴れ渡っていた。雲はうすく、日差しは明るいが風は冷たい。

 外へ出ようとしたところで呼び止められた。

「マルクス大尉」

「フリードリヒ大尉」

「ああ、よかった。間に合いましたな」

 片手をあげて挨拶をよこす同僚に足をとめる。

「お時間は?」

「まだ大丈夫だ」

 促がし、屋内へと戻る。休憩所に向かう。喫煙所と併用の談話スペースだ。人影はまばらだったが、個室を使う。

「なにかわかったか」

 革張りのソファへ腰を下ろすとほぼ同時に切りだす。

「マルクス大尉はワーグナー国立歌劇場で上演中の演目をご存知ですか」

「俺がご存知だと本気で思うか?」

 そんな高尚なご趣味はない。管弦音楽に浸る時間があるなら新聞か魔道書を読む。いっそ寝ているほうが体力の回復という意味で有意義だ。

「失礼しました。じつは今、首都で話題となっております劇団があります。地方巡業を重ね、年末より国立歌劇場で公演の運びとなりました」

 年末年始は劇場にとってもかき入れ時だ。ここに名前だけで客を引っ張れる大手ではなく初公演の劇団を持って来るのは冒険的な試みだ。だが健全な競争と適切な新陳代謝が行われなくなった業界に未来はない。挑戦が成功したのは喜ばしいことだろう。

「大出世だな。次回作は劇団自身の立身出世物語を演じてもいいかもな」

「ええ。タイトルは『ハートに火をつけて』。掲げたテーマは『真実の愛』だそうです。王立学園に通う貧しい平民の娘が王子と恋に落ち、身分差を乗りこえて成就させる卒業までの騒動を演じたものです」

「典型的なシンデレラストーリーか。まぁ大衆受けしそうな話だ」

 周囲からの無理解、搾取および伴う貧困など、成功に至るまでの障害や苦労が多ければ多いほど、最終的なハッピーエンドにおけるカタルシスは大きくなる。ましてや演劇において恋愛は普遍的なテーマだ。好きだ嫌いだで引っ張り、数時間のが持つのだから大したものだ。

「こちら、台本が小説に書き上げられて一般に流通しているものです。どうぞ。それで、第二の主役とも言えるのが悪役令嬢なのですが」

「悪役令嬢?」

 紙袋を受け取りながら問い返す。


 それはごくごく最近耳にした名称だ。

 なんなら昨晩。なんなら指を突きつけ叫ばれる茶番劇を間近に見せつけられていた。


(…待てよ)

 俺は、その前にも耳にしていたはずだ。言葉に、音にされた悪役令嬢と言う言葉を耳にしていたはずだ。

 今年度の流行語大賞にもノミネートという壮大に無駄な情報を得たのは数日前だ。首都に戻ったその日の昼食席だった。予備知識と言えるほどに補完できなかったのは、軍官舎の図書室に広げた辞書には載っていなかったからだ。


「恋敵の役割ですな。邪魔者は恋愛においてのスパイスです」

「あ、ああ」

 気がそれていた。紙袋の中身を取り出し、活版印刷された本を開く。

「制止や困難は胸の炎を大きく燃え上がらせます。ストーリーにメリハリもつくのでしょう。劇中の『悪役令嬢』は婚約者の浮気相手に嫌がらせを行い、愛しの王子様から婚約破棄と国外追放を言い渡されるのです」

「量刑不当では?」

 なんだその下着泥棒でタマを潰されるようないい加減な刑罰は。

「王子とやらも、別れてから次にいけばよかっただろうに」

「婚約者は婚約者としてキープしつつ、市井の珍味も試してみたいというつまみ食いの感覚だったのかもしれません」

「挙句、深みにハマって、事態が制御不能になってから放り出すのか。己の調整能力を過信しすぎだろ」

 一人でもかしましい女二人をあしらえる器かどうか、自己に対する客観性を持つべきだ。

「実利と想念。どちらも手放しがたかったのでしょうなぁ。それに、世の中には自分をめぐって争う異性の姿を見て心が満たされるという難儀な性癖の者もおりますから」

 フリードリヒは苦笑するが。

 すっぱりきっぱり別れ話もできない、優柔不断な婚約者の不貞が騒動の原因であるならば、二股男の緩い下半身こそが諸悪の根源ではなかろうか。

「『悪役令嬢』はハートではなく校舎に火でも点けようとしたのか?」

 恋しい男にもう一度会いたいという一念で街に火を放った極東のグローサーズ・セブンという女の物語は悲恋として描かれているが、被害が甚大すぎて同情できない。放火は大罪である。理由の如何に係わらず犯人は死罪である。炎は無差別にひとの命を、汗水をたらして積み上げた財産を容赦なく奪っていくからだ。

 帝国での建築物は木材が中心なので、当然ながら燃えやすくもある。

「憎い恋敵の暗殺を計画したとの告発を受けていましたな」

「ああ…、卒業後か。宮廷闘争の物語なのか」

 邪魔者には退場いただく。敗北者には毒杯を。そういうことだな。

「学園物です」

 ちょっと意味がわからない。

「俺が知っている学園モノとはだいぶ方向性が違うんだが」

「私が通ったのは学園ではなく軍学校ですのでそこはなんとも。ただ王族だからといって裁判権はありませんし、自国民の国外追放なぞ帝国法では存在しません。領民が領主の持ち物であった時代ならともかく、このご時勢、棄民政策なんぞを堂々宣言すれば暴動が起こるのでは? ドラゴンが登場する御伽噺のような、あくまでもフィクションという認識でしょう」

「国外追放になるような犯罪者を受け入れる国があるとも思えんしな」

 犯罪者を国境沿いに捨てて、行け、戻って来れば殺すと脅すような所業がバレれば「てめぇの国の不始末はてめぇでつけろや、こっちをゴミ箱にすんじゃねぇよ」という意味合いを幾重にもオブラートに包んだ警告が周辺国外務省から呼び出された駐在大使の胃を痛めつけるだろう。

「治安の悪化よりも外貨稼ぎに重きを置くような自由地区ならありえるかもしれませんよ」

「そんな無法地帯に学生の、貴族の女を放りこむか?」

 死ぬだろう。猫を水に沈めるように。きっと、この上なく惨たらしく踏み躙られながら。

 働いたこともない未成年の箱入り娘がたった一人放りだされて。迫る悪意に抗う力があるとも思えない。

「実質的には死刑なのでしょう。追放という詭弁に、王子の慈悲深さ、娘の心優しさとやらを演出したつもりなのでは?」

「人としての尊厳を壊される前に、一思い、痛みなく殺してやるのが慈悲と優しさだろうよ」

「死ねばそれまでです。生き延びれば国家転覆を企むような、尋常ならざる復讐者に成長できる余地もありましょう。ええ、やるなら下手な手心など加えるべきではありませんな。理不尽に嬲った相手が再起せぬよう根をすり潰しておかねば。……もっとも、うちの隊長ならばテロリストを集めた監獄に身一つで放りこまれても、看守ごとまとめて制圧して君臨する女王様なので問題はないかと」

「問題しかない」


 おまえのその、隊長に対する盲目的な女王様信仰は一体なんなんだ。

 なんで後半の物騒を、それまでの冷笑から反転した笑顔に語った?


 無益で無駄な問いは飲みこんで、手元の本に視線を落とす。

「第五王子は演劇のように『真実の愛』に目がくらんだと思うか?」

 存外に重厚な描写で書かれた文章のページをめくる。

「どうでしょうな。昔から見通しの甘いところはありましたが。なにしろ私の知るフランツ殿下は騎士団の訓練場で接待を受けて「僕つよい」と胸をそらしている愛らしい御子でしたからなぁ」

「すでに問題の片鱗が現れているじゃないか」

「根が素直なのでしょう。褒め言葉を褒め言葉として受け取るためには相手に対する信頼が必要です。幼児であれば、疑わないという在り様が身を守ることもあります。信じるしかないので信じるという見切りは必要です。なにもかもを疑って生きるのは不可能ですし、疲れます。あとは年齢を重ねることで自身や物事を第三者として見る力が育てばよろしかったのですが…」

 言葉を濁す気持ちはわかる。昨晩の様子を見る限り、あの王子、自分が周りからどんな目で見られているかに気づいていなかったからな。感情のコントロールも下手くそだ。おまけに段取りも悪いとくればいくら血筋がよくても、…いや、だからこその厄介者になる。

 失敗や問題にぶつかったとき、よりスムーズに困難を解決する、あるいはダメージコントロールを試みようとした場合、俯瞰に物事を見る力は必ず必要だ。根拠や数字による裏づけもなく「たぶん大丈夫」なんて楽観が過ぎてもいけないし、つまづいた事実からも目を逸らし、「自分の手には負えない」「どうせうまくいかない」という悲観が過ぎてもいけない。主観に基づく思い込みで対処を行うのは危険だ。そういう事実を認知する能力には個人差があるけれど、大抵の人間は二桁の年齢になる頃から急激に伸びてゆく。あるいは環境が成長を迫る。


 十で王宮に召し上げられたアーデルハイトという名の少女のように。

 十三で軍学校に飛びこんだ目の前の第四王子のように。


「おまえはどうだったんだ?」

「現実の戦場送りが間近に迫る王子に手加減を加えるほど悪辣な騎士はおりませなんだ」

「いい奴らだ。感謝しておけ」

 己の力量を教えてやることが幼い王子に対し唯一できること。彼が生き残るために。戦い抜くために。叱責や非難を恐れず訓練を施す行為こそ誠実であり、奴ら騎士としての忠義の示し方だったのだろう。

「ええ。そうしております」

 そう言って優雅に微笑む第四王子が渦中の魔道士部隊に所属していることが軍令部での問題を複雑化させている。取り扱い方に苦慮を呼びこんでいる。

 帝国では第一王子がすでに立太子されており、よほど大きな過失でもない限り次代の国王となることは確実だった。腹違いの第二王子、第三王子は長兄を支持、補佐している。第四王子であるフリードリヒは自身で言うように王位継承権を早々と手放している。第五王子フランツは第一王子と父母を同じくする弟ではあるが…、いまさら何を目的とした婚約破棄なのかがわからない。

 たまさかの可能性として王座を狙うにしても王太子の基盤は磐石だ。政争をふっかける意図があるとしても、どの王子に対してだ?

 上昇志向を持ちながら伯爵令嬢を捨てて男爵令嬢を娶るのもおかしいが、誤射でもなく味方を後ろから撃つのは人間としてもっとおかしい。

 アーデルハイトを切り捨てるというのは、第五王子が第一王子に対して持っていた軍令部でのアドバンテージを捨てると同義だ。

「まさか本当に恋に狂ったとも思えんが、」

「ははは。大尉。恋に狂うとは言葉が重複しております。恋とはすでに狂気なのですから」

「……それも芝居の台詞か?」

「太古の詩人が残した言葉のようですな。中盤に登場しますよ」

「ハッ。悪役令嬢にかけられた言葉ではないだろう」

「悪役令嬢にかけられた言葉ですよ。だから婚約者の不貞を認めろ、とね」

「おまえ、これを全部読んだのか」

 思わず顔を上げる。呆れるよりも先に感心してしまった。

「はい。ここに来る前に。…マルクス大尉は結末を先に読む派ですかな?」

「今この状況下で恋愛小説を楽しむ必要があるとでも?」

 最後からページをめくる俺をフリードリヒが興味深そうに眺めているのはわかる。俺は法例関係書と同様、推理小説を最終章から読むことに躊躇はないのだが、そうでない人間がいることも知っている。

「ダイナミックなネタバレをかましたのはおまえだろ?」

 予定調和といえ、悪役令嬢の末路をまずは語ったフリードリヒが肩をすくめる。そうして欲しいと願う人間に手間を省くのは正しい。

 推理小説を人に貸す際、「犯人は執事だよ」とまったくの善意に伝えながら手渡すブレン少尉とは違う。かわいそうに、ミヒャエルの顔は引きつっていた。貴族特有の言い回し、格調高い文章が読みたいと言う主旨があっても小説は小説として楽しみたかっただろうに。

 手にした本は悪役令嬢が婚約破棄と国外追放を言い渡されるクライマックスを終え、そのあとの描写はじつにあっさりとしている。


 娘と王子は結婚し、いついつまでも幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。


 そんなものだ。追放された悪役令嬢が無残な死を遂げるのか。あるいは再起を図るのか? そういったことには一切ふれられていない。

 飾り文字に『Light My Fire(ハートに火をつけて)』と描かれた表紙を閉じ、フリードリヒへと返す。

「もうよろしいのですか?」

「ああ。知りたいところは知れた」

 枝葉の装飾はどうでもいい。大した意味があるとも思えないし、今は時間もない。それよりも。

「第五王子が隊長を悪役令嬢呼びする前に、俺にその名称を伝えた人間がいる」

「……お知り合いですかな」

「陸軍省食堂の昼によく会う歴史編纂室の知人だ。階級は伍長。ファミリーネームはフィッシャー。ファーストネームはわからん。向こうから話しかけてきた」

「どのようなお話を?」

「他愛のない世間話だった。俺自身、悪役令嬢の単語で今、思い出したくらいだ」

「ふむ…。警告や忠告ではなかったと?」

「そうだな。たまに会って本の話をするくらいだったからな。…かなり若い。十代ではないと思うが、俺よりも若いと思う。位階持ち特有の鼻につく感じはなかったが、食事のマナーは洗練されていた。平民出の軍人ならば努力はたいしたものだ」

「その年で、後方勤務の伍長は珍しいですな」

「ああ。魔道士塔の関係者かもしれん」

「わかりました。接触を試みます」

「若いのにやらせろ。そうだな…、ミヒャエル。あいつが適任だろう。ヒューミントの真似事もそろそろ経験しておくべきだ。おまえは王宮側の動きを探ることに注力してもらいたい。…なんだ、不服か」

 直属部下の扱いに口を出したことへ、なにか一言あるのかと水を向ける。

「いえ…。なんと言いますか…、25歳の貴方が16歳のミヒャエルを「若いの」と呼ぶことに少々違和感がありまして」

「兵科自体が若いんだ。おまえだって二十を超えたばかりだろ。魔道士部隊の結成にあたっては、オスカーのようなベテランが一人でも配置されたことを喜ぶべきだな」

「無事21歳になりましたよ。それと、その感謝は副長本人に直接言ってさしあげれば喜ぶと思います」

「ふん。酒を奢らされるだけだろ」

 軽口を叩きながら立ち上がる。

 今度こそ、軍令部の建物をあとにした。


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