悪役令嬢と円卓会議【3】
ミヒャエルが部隊の待機所扉を開いたのは昼の軍食堂が閉まったあとだった。
粘ったものの。今日も今日とて、なんの成果も得られなかった。ターゲットから情報を引き出すことができなかった。
この報告はつらい。責められこそしないが、自分が無能であることを証明しているように感じてしまうからだ。ヒューミントとしての任務のため、ミヒャエルには午後からの警ら当番が免除されている。同期であるモーリッツやペーターは夜番もこなしていると言うのに。
一足先に少尉へと昇進したブレンに至っては皇都のど真ん中に幻獣種を単騎撃破だ。華々しい活躍ぶりである。まぁそのあと営倉送りになっていたあたりが彼らしくもあったが…。
「ただいま戻りました」
日曜日にも関わらず。当番のフリードリヒ小隊長だけではなく、マルクス副官が席に着いていた。キメラが出現する皇都での警ら活動に加え、戦後処理に増えた書類仕事のためだ。昨日は珍しく定時にあがり、婚約したばかりの隊長とカジノへデートに出かけていた。夜にはご家族との挨拶もすませてきたと聞いている。
今日くらい休んでくれればいいのに、と。思うのは働きすぎによる副官の体調不良への心配ではなくもっと利己的な理由からだった。
有益な、誇らしい報告ができるならばミヒャエルだって同席は望むところなのだけれども。
叱られることがわかっていて主人に呼びだされる犬のような摺り足に上官らの席へ近づく。
コートを脱ぐまえに。直立不動、目を見て報告を行うのはフリードリヒ中尉に対してだ。ミヒャエル准尉にフィッシャー伍長への接触を命じてきた直属の上司だからだ。
「同じテーブルに食事をすることはできました。何度か話しかけましたが、なにも引き出せませんでした」
それも、じつのところは二言、三言の会話だ。いくつかの会話パターンは考えていたが、現実の軍食堂では「同席いいですか」から「悪役令嬢をご存知ですか」までの空隙を埋めることができなかった。
マルクス副官に対しては自ら話しかけてきたと言うが…、無愛想というわけなかったが…。
前回の反省会時にミヒャエルは気がついた。自分が、『はい』か『いいえ』だけで事足りるようなクローズドクエスチョンしか投げかけていないことに。
ミヒャエルは同性同年代のなかでは社交的な部類だが、それはあくまでも16歳の少年としての括りだった。だからこそ意気込んでいた。前のめりが過ぎた。さぞやおしゃべりな男だったと思われていることだろう。どこぞのスパイのように隙をちらつかせ、相手から誘わせるような上級者には程遠いのである。
反省会に同席していたオスカー曹長のわかりやすい教示によれば。
恋人に、キスしてもいいかと尋ねることができてはじめて半人前。
恥ずかしがる彼女の髪に、こめかみに、頬に口付けながら。どこにならキスしてもいい?と尋ねることができてようやく一人前。
そうして突き崩した彼女相手、どんなふうにされるのが一番気持ちいいかと尋ねることができてようやく熟練の称号が貰えるらしい。
もっとも身近で、かつ緊張感のある恋人相手、口説き方を練習するならそんなところだそうだ。練習ができて、しかも恋人とは仲良くなれる。いいコト尽くしだろ?とか片目を瞑られても。
まずは舞台設定。意図する質問ができる環境を整えるところからと言われても。
戦慄しかない。
質問スキルの難易度が高すぎませんか。
ムリです。
そもそも恋人なんていたことがありません。
様々な弱音を吐いてしまいたかったが。今後の成長も考え、諜報部門の習熟も希望したのは己だった。早まった。いやしかし。これほど手馴れた上官らより、比較的安全な状態で直接の手ほどきを受けられる状況は幸運なのか?
そのぶん、彼らがこちらへ要求するレベルも高い。
マルクス大尉なんかカオだけで老若男女を暗がりへ引っ張ってこれそうだし…。とは、口には出さないミヒャエルの本音である。ちょっと衿を緩めて小首をかしげ、アルコールのグラスを揺らし、口角を上げた笑顔を見せればいい。鮮やかなグリーンアイズに流し目をくれてやればいい。アルコールなどまだ一滴も飲んでもいないのにぽうっとのぼせあがり、ふらふらと副官の隣に座りたがる人間に不足はしないはずだ。
恐ろしいことに、席取りゲームさえ始まってしまうだろう。なんなら笑わなくても釣れてしまう。生真面目そうな外見に反した乱雑な仕草に長い足を投げだし、スタイルのよさを魅せつけながら組む。それだけで。視線の一つすら寄越されなくとも。座る男の横顔に。自分に自信のある男女ほど釣れてしまう。…そうなのだ。この美貌のまえでは男も女も関係ないのだ。絡みたくなってしまうのだ。たとえそれが粋がって調子にノっている生意気な若いモンを躾てやる!的な理由にもならない理由であったとしてもだ。
マルクス副官ってなんか色気があるよな、とはモーリッツの台詞だ。
そうだね、知ってる。
苦笑に濁しはしたが。
男相手の場合、わりと容赦なく鳩尾を蹴られて追い払われていた現場に遭遇したことがある。マルクス大尉がシュタイン中尉と二人で飲んでいたときだ。夜も開いているお店が酒場しかなかったから、僕はテイクアウトの食料品の買出しに立ち寄っただけだ。飲酒はしていない。お酒の力って怖いとしみじみ実感した出来事だ。
僕らタリスマンがタリスマンの部隊で固まっているときはさすがにちょっかいをかけてくる人間はいない。真理の天秤の肩章は魔道士の証し。しかもオスカー曹長のような、見た目から強者の貫禄をまとう年配者もいる。しかし単騎だろうが軍服をまとう姿に露出などほぼないはずなのに。なぜ果敢にも無謀にも彼らはマルクス大尉に絡みにゆくのか。
まるで花に誘われる蝶のよう、と表現したのはペーターだ。え?火に飛びこむ蛾じゃない?と表現したのはブレンだった。…彼は慣用句にすら炎を好む。徹底している。
天使さまを守る清廉な騎士のような容貌をして、中身は悪魔も鼻白むマルクス・ミュラーを知らないひとたちは幸せだ。彼は麻薬に溺れて支離滅裂な命令を発し、部隊を危機に陥れた中佐を魔狼に襲わせて平然としている悪魔のような大尉ですよ、と教えてあげたい。
そんな男の上官であり、このたびめでたく婚約者の運びとなった我らがアーデルハイト隊長も隊長だ。つい先月、剣に灰色熊を刺し貫いた至近距離、トドメに雷撃でローストしていた。
近い。この距離で。
強い。なんて度胸。
剣戟の合間。感嘆符に代わって白い息を吐いた。
だから隊長はグリーンアイズの流し目を喰らっても平然としていられるのか? 下心が隠し味のたんぽぽコーヒーを差し出されても泰然とした礼に受け取れるのか? とにかくすごくお似合いだと思う。自分は気をつけようと思う。
きれいなバラには棘があるように。
悪魔はきっと天使よりも美しいのだろう。だからひとは何千年を経ても悪魔を撲滅できない。
モーリッツがダメなところはこれらを声にだして本人に言ってしまうところだ。ペーターがムリなのは、僕とモーリッツ以外とはそもそもほとんど口をきかないからだ。村が魔獣に襲われた日からずっとそうだ。だから僕は間諜としての業務に手を挙げて立候補した。魔道術式の威力においてモーリッツに、魔道術式と白兵戦術の併用においてペーターに。追いつけない。そして本物の天才ブレン・ブラートフィッシュが操る炎を魅せつけられたからこそ。
僕が、僕としてできることを少しでも増やしたかった。
「お借りしたこちらで揺さぶってはみましたが、軽くかわされました」
手にしていた茶の紙袋をフリードリヒに返却する。
中身は小説本だ。レトリックの文字に書かれたタイトルは『ハートに火をつけて』。
食堂机に置かれたそれにフィッシャー伍長はちらりと目をやり、「恋愛小説にご興味が?」とくる。……とりあえず。興味がないわけでは、ないな。と思った。天気のよい休日など、ベッドのシーツカバーを官舎の洗濯室に洗いながら、手をつないで歩く恋人がいたら楽しいだろうなと考える程度だが。
うまい切り返しは浮かばなかった。仕方がないので、素直に答えた。柔らかく微笑まれ、肯かれた。今日の収穫はそれぐらいだ。
フリードリヒ小隊長は寛容な笑顔をみせた。
「ご苦労様でした。まずは親しくなることですよ。ひとは、何度も見るもの、ふれるにものに好意と親近感を持つものです」
単純接触効果。僕たちは繰り返し接触する対象に好意的な印象を持つ。印象の形成には接触頻度が関係してくるのだ。恋人との関係を絡めたオスカー副長の例えも的外れというわけではない。
「そして秘密を抱えることに耐えられない。親しくなった相手には、必ず何かをこぼします。秘密保持の訓練を受けた情報局の人間ですらそうです。言葉のみが語るのではありません。外見から始まり、仕草や視線は様々なことを伝えてくれます」
「はい…」
相手の意図を読み取り、汲み取る訓練ということか。ミヒャエルは自身の適応能力が低いとは考えていないが、交渉事は場数が勝負でもある。
ファウスト・フィッシャー。歴史編纂室所属の伍長。21歳。第三官舎住まい。2週間をかけて、わかっているのはこれぐらいである。
魔道士部隊が憲兵隊でも兼務していれば違うのだろうが、現時点では各自のコミュニケーション能力が頼りだった。つまり半数以上が戦力にならない。コミュニケーション達者な上官らがミヒャエルを“使える”頭数に育成しようとするのも納得というもの。
共に報告を聞いていたマルクス大尉がそこで初めて口を開いた。
「ミヒャエル准尉。フィッシャー伍長は戦勝会よりも前に『悪役令嬢』の警告をよこしてきた。だが敵対者とは限らない」
「友好者ということですか?」
「親しくなりたいのであれば、これ幸いと向こうから距離を詰めてきただろう」
納得が胸におちる。
つまり僕は囮だったわけだ。同時進行している作戦から切り離すことで相手方に奪われるかもしれない情報を絞り、ターゲットに接触をさせた。そして反応を確かめた。
「同じ組織の制服を着ている者同士です。歓心を得ようとする相手から近づいてきたのなら、周囲の目を気にする必要もなく動いたはずです」
「第五王子が隊長を悪役令嬢と弾劾する行動を事前につかんでいたのではないかと疑っていたんだがな」
「僕たちにとって『悪役令嬢』の言葉は初耳でした。ですが、皇都ではそうでない人間の方が多かったということですか?」
顔を見合わせた副官と小隊長がそれぞれの表情に笑う。うつむいた僕の目には入らない。感心したような評価の色を読み取ることができない。
「芝居と本。意外と認知度が高かったことはもうわかった」
「……手を引けということでしょうか」
「いえ、ミヒャエル准尉」
片手を上げたマルクスがフリードリヒを制止する。ミヒャエルに命じる。
「准尉。頭を上げろ。貴官の同意なく。貴官へ劣等感を与えることは誰にもできない」
「は……」
そろそろと顎を持ち上げる。真摯なグリーンアイズがびっくりするほど澄んでいる。
「引っかかるところがあるのか」
声にも、言葉にも侮りはなかった。蔑みも憐れみもない。貴族となった目の前の上官は変わらずミヒャエルの意見を聞いてくれる。
「……周囲の誰も、伍長のことを知りません。食べ物の好みも、好きな本のジャンルも。親しいひとを作らないようにしているのか、作れないのかはわかりません。ただ、たぶん、…たぶん、なんですけど…。彼、教会出身者かもしれません。教会の、孤児院です。食事前のお祈りが…たぶん。僕らと同じでした。指の組み方と順番が…ほんの少し他と違ってて。あの、でも癖と言われればそれだけの違いかもしれなくて…」
ピーア・ベッカー男爵令嬢は共和国の間諜であった疑いが濃厚。
そして共和国には天使真教の本拠地がある。
けれども。
「僕らも教会の関係者ではあるんですが…」
ミリャエルら三人は生まれた村が全滅したあと、教会が運営する孤児院へ引き取られている。そこで魔道士としての才能を見出され、教育を受けている。ならば共和国の関係者か? 違う。
けれどミヒャエルが持つ根拠を持ってフィッシャー伍長を疑うというのはミヒャエル自身を疑ってくれと願いでるようなものだった。
「よし。納得するまでやってみろ」
さらりと許可は降りた。
「い、いいんですか」
「もとより手を引けと命じるつもりはなかった」
音を立てるような勢いにフリードリヒへと顔を向ける。
「はい。経歴も気になります。あの若さで、…ああ、私と同い年ではあるのですが、目立った功績もなく後方勤務に伍長の階級です。軍学校に籍もありませんでした。後方勤務が悪いわけではありませんし、暗号解読や魔力探知など、特殊な業務についているなどの事情から表立った評価がされていないだけかもしれません。たんなる情実人事であればよいのですよ。縁故採用者はどこにでもいます。伍長程度に目くじらを立てて抗議するのは我々の仕事ではありません。ただ支援者がいる可能性はあります」
21歳のフリードリヒ中尉はにこやかだった。
マルクス大尉と同様、実績に裏打ちされた自信に満ちている。