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悪役令嬢と円卓会議【1】


「ただいま戻りました」

 シュタインが開けた魔道士部隊待機所ドアの内側には、温石によって暖められた空気と、当直であるオスカー副長が待っていた。

「おう。ご苦労さん。首尾は?」

「誰にきいているんです? 上々ですよ」

「ははっ。そりゃそうだ。寒かったろ。コーヒー飲むか?」

「ありがとうございます。いただきます」

 魔道士仕様の軍用コートを脱いで壁にかける。現れるのはミュラー騎士団の隊服だ。ちらりと目をやった壁時計は日付を超えていた。超過勤務もよいところだが、しょうがない。自ら望んだダブルワークなのだ。

「色男は何を着せても似合うねぇ」

 湯気の立つミリタリーマグを手渡されながら茶化され、肩をすくめる。分厚い手袋をしていたとはいえ、この時期の、底冷えするような寒さを防ぐまでには至らない。実用一辺倒の無骨なマグカップを握って指先を暖める。自分の椅子に座り、ようやく強張った身体から力が抜ける。乾燥した喉にブラックコーヒーを流しこむ。

「それで? 騎士団の手応えはどんな感じだ?」

 腹の底から温まる感覚に、ほう、と一息。

「……悪くないです。こちらの指示には不服を見せずに従いますし、手際はむしろ良いですね。初めての顔合わせで、初めての皇都にここまで動けるなら文句はありません。さすがです。余計なことも聞いてきませんし、マルクスが爵位を継ぐのは規定路線と受け取っているフシもあります」

「ほー」

 選りすぐってきたという証かもしれない。

「これから他所よその伯爵家のセカンドハウスへ赴いて強盗しますと言っても誰も反対しないんですよ…。初対面の若造が命じているんですよ? やっておいてなんですけれど、それもどうなんでしょうね。作戦行動以外の、動機に関しては質問すらありませんでした。教育が行き届いているようです」

「どんな特殊な訓練積ませてんだよ…。新しい領主様とその右腕に自分たちの有能さを知って貰いたいってところか? 怪我人は?」

「いません。強いて言えばカジノで引き渡された時点のアルニム伯爵が鼻血を出していましたが…それだけです」


 ああアイツやったな、という顔に頷き合う。

 手足もアバラも折れていないならば、マルクスは我慢した方だろう。


「騎士たちにはあらかじめ、家人に傷はつけるなと言い含めておきました。アルニム伯爵の無駄な抵抗に暴力をちらつかせはしましたが、それだけです」

 まごまごとした牛歩戦術に時間を稼ごうとするアルニム伯爵の寝室をヤクザキックに蹴破ったり、壁を殴りつけはしたが直接手をくだしてはいない。

 伯爵当人とて『負けたのだから仕方がない』と心の内には納得しているのだ。

 警ら隊や貴族院に異議を申し立てたところで、『でも賭けたんでしょう?』と言われるのがオチである。

 罠に、カタにはめた方法を咎め、騒ぎそうな王妃たちが口を出してきたところで彼らが要求したことだ。『署名された同意書を手にするべく行動しました』の一言に黙らせられるだろう。

 現場の創意工夫による能動的行動を良しとする、あの二人にゴーサインを出した時点でこうなることは火を見るよりも明らかだった。承認されたのだから、やる。目的を達するために実行する。軍令ではないが、王族から直々のご下命である。たいていのことはゴリ押しができる。中央から遠く離れた雪原に駆け回った軍用犬にとっては命令の拡大解釈もお手のモノ。

 血判用の血が皇都に降らなかったのは幸いだ。流血沙汰はなるべく避けるように、という第二王子の釘刺しはまことに的確だった。

「嬢ちゃんの教育には良くなさそうだがなぁ」

「この上なく頼もしく馴染みそうですけどね。領主様のお墨付きですよ。…ああ、ブレン少尉も連れて行くことになりそうです。アーデルハイト隊長もそのつもりらしいです。マルクスが転職を誘ったそうですが、事実ですか?」

「あ、あー…。まぁな。誘った、ような、そうでもないような…? 軍じゃなく、嬢ちゃん個人に忠誠を誓えるか訊いてたな」

「本人はすっかりその気ですよ。隊長にも副官自らスカウトしてくれたって喜んで報告してましたし。…可愛げがないわけじゃないですけど、性癖が尖りすぎてて扱い辛いんですよね…」

 能力はある。魔力素養に限っては大魔道士クラス。しかし。


 夜闇、己が点した業火に向かって両手を広げて高笑い、スラックスの前に天幕を張っている変態がブレン・ブラートフィッシュという少尉だった。


 うわ…と遠巻き、引き気味だったミヒャエルたち新兵三人の戸惑う表情は燃え上がる赤い炎に照らされていて、シュタインは今でも鮮明に思い出せる。

 遅刻をしない、制服は着崩さない、進捗報告を行うといった軍律が守れるようになっただけでも頑張っていると褒めてやるべきなのか。

 魔道士の人格者?なにそれ知らない見たことないよ?と誰もが首をかしげるのが研究室の社会不適合者どもである。仕方がないと諦めるべきだ。

 部隊の隊長も副官も、戦闘魔道士として有能であるが、人格者かと問われればシュタインだって行儀良く口をつぐむ。万人より好意を持たれるような薄味の人間かと問われれば首をふるしかない。横にだ。魔獣の血をかぶって浮かべる好戦的な笑みには評価と好悪が別れるに違いない。

 シュタインやタリスマンの面子としては『それでこそ』という感嘆、あるいは信頼しかないのだが。性格を形成するための時間、アーデルハイト、マルクス両名の幼少期を思えば致し方のない一面もあるだろう。そして今なお十八歳と二十五歳だ。円熟には程遠く。棘を隠し、かどを丸めるための年齢の深みとはまだまだ無縁。成長の余地とも言える。


「マルクスと嬢ちゃんには素直に従うだろ?」

 そう口にして眼鏡を耳にかけているオスカー曹長ぐらいか。

 シュタインが模範的好漢にかろうじて推薦できそうなのは。


「曹長にも懐いていますよ。むしろあなたがた三人以外の言葉は馬耳東風です。フリードリヒ中尉が直属の上司であることは理解しているようです。…魔道士部隊タリスマンで引き取れませんか?」

「皇都で次に火災を起こせば良くて懲戒解雇だ。自治権を認められたミュラー領の方がまだフォローがきくだろ。二人で面倒を見てやる方がマシだろう。あれだ、子育ての練習とでも思えばいいさ」

「ちょっと…やめてください」

「あん?」

「マルクスを煽るのを、ですよ」

「俺は制止している側だと思うがなぁ…。おまえさんの方がよほど煽ってやがったろ?」

 書類をめくる手をとめたオスカー副長が嫌な笑みを浮かべる。ことあるごと、奪ってやれとけしかけていたこちらを見透かすように。

「……その言い方もです。アァン?なんてヤクザ者の返事の仕方をマルクスが覚えたのはオスカー曹長が、」

「なんだ。二人の結婚が現実味を帯びて怖気づいたってところか? 逃げ回っていた坊ちゃんがとうとう腹をくくった。爵位を継ぐ、どころか奪いに行く勢いだ。本当にこれでよかったのかなんて弱腰になる暇もありゃしねぇな」

「………」

 そのとおりだ。

 10年前。いつかそのうちと遠く描いた未来は今、ここに、始まっている。

「シュタイン。おまえさん、嬢ちゃんにも情がわいたんだろ」

 否定はできない。シュタインはもはやマルクスの幸せだけを考えることができない。

「領主様の右腕になる覚悟はなかったか?」

 今後のマルクスがマーロウと比較されるように。シュタインの前にはシュルツ執政官という尊敬すべき傑物が、乗り越えるべき壁となって立ち塞がるだろう。むろん、師事と支持。二つの約束を取りつけられればこの上なく頼もしい味方となるだろう。マルクスが家門会議に十年の不在を超えた理解と賛同を勝ち取ってきたように。

 幼馴染の覚悟を促がす己にこそ覚悟がなかった。出遅れた。だがまだ、周回遅れではない。シュタインがまとう制服はミュラー騎士団のものだ。マルクスに引っ張られてのこととは言え、身体は動いて、状況に適応しようとしている。培った時間は無駄ではない。

「道が一本しかないのなら、そこを歩いて行ける程度の勇気と甲斐性は持ち合わせているつもりですよ」

 言われっぱなしも悔しくて、軽く睨みつける。

「そうかい」

 若いっていいねぇと言わんばかりの余裕顔にささやかな反撃を試みる。婚約破棄を突きつけられた夜からの不満を吐く。

 シュタインがマルクスの幼馴染であるように、アーデルハイトの保護者はオスカーだった。

「隊長はもう少し被害者ぶってもいいと思うんですよね」

「悲劇のヒロインぶるのは受け身の攻撃とも言うからな」

 同情を勝ち取り、周囲を味方につけ、相手の罪悪感を刺す。せんを制す。そういう攻撃方法だ。

「それができりゃあ、隊長は今頃王子サマの婚約者として王宮にふんぞりかえっていられただろうさ」

「それはもう、僕らの隊長じゃないですね」

 言葉の通じぬ獣相手の戦い方しか知らない。それがアーデルハイトだった。

 まだ十八歳。生きるために、生き抜くために必要なものだけを選んで学習してきた真面目な少女にはまだまだ経験が必要だ。秩序ある、ひとの世界で暮らす経験が。

「歯がゆいだろ? でも可愛いだろ?」

 オスカー曹長は、まるでアーデルハイトの父親であるかのような笑みを浮かべる。

 腹から子を産む女とは違い。男は思い込みで父親になるという実証例。

 冷める前にと、コーヒーカップ縁に口をつける。

「アホ王子にアーデルハイト隊長はもったいないです」

「ははっ。まったくだ。で? 自分ちの次期領主様には相応しいって?」

「おや…。地位に名誉に財産。容姿に性能。愛なら叩き売れるほどですよ。マルクスに、他に、なにが足りないと?」


「余裕」


 ……たしかに!

 ぐうの音も出ない指摘である。

「そちらは出世払いでお願いします」

 本人に代わり、無断、空手形をきっておく。


 シュタインの幼馴染はアーデルハイト隊長を前にしたときだけ、怜悧な頭脳に愛の歌をオルゴール調、エンドレスリピート演奏しているフシがある。賛美歌の如く。祝福の鐘を鳴らし、ラッパを吹き鳴らす天使の幻を見ているフシがある。

 同じ釜の飯を食う友人として十数年を過ごしても、知らなかった一面はあるものだ。

 婚約者の椅子に陣取り、やっと落ち着くかと思えば、片想いを益々こじらせ、悪化している様子もうかがえる。今朝の軍食堂ではパンを頬張るアーデルハイト隊長真向かいに座り、『今すぐ持って帰りたい』という目に見つめていた。朝っぱらからやめて欲しい。民間の学校近くでやらかしていれば、女子生徒につきまとう不審者として通報されていてもおかしくない。もう少し余裕を持って欲しい。

 たいていの女が見惚れる顔と体格をしているのだ。理系の完ぺき主義者という面倒くさい性格はしているけれども。肩書き、財産だって悪くない。身内の欲目を抜きにしても、婚活のバトルフィールドに名乗りを上げれば間違いなく強者の側だろう。


 もっと上手く。賢く立ち回ればよいものを。


 幼馴染はそれができない。アーデルハイトにだけ。

 副官殿は、隊長殿にだけ、それができない。

 らしくもなく。高嶺の花を見上げるだけだった。

 

 ……たしかに歯がゆい。

 そしてお節介とわかっていても、なんとかしてやりたいという気持ちになってくるから不思議なものだ。

「まぁ結局はアーデルハイト隊長の気持ち次第ですけどね」

 マルクスが身を固めれば、シュタインとて自分のことも考えられるようになるだろう。

「なんだ、おまえさん意外とこっちの機微には疎いクチか? 隊長はとっくに副官に夢中だよ」


 ……は?


「ど、どのあたりがです?」

 ちょっと本気でわからない。

 まさか犬呼ばわりがそうか?

 悪女のイヌと呼ばれたマルクスが嫌がらなかったから好意を持ったというのは、シュタインのような常識人には理解不能の始まり方だ。


「珍しくはしゃいでるだろ。花ァもらって喜んで、花瓶まで買ってきてるんだ。整理整頓の基本は物を持たないことだって言う嬢ちゃんが仕事帰り、いそいそと買い物だぞ? 酒保に花瓶はないからな、リュディガー少尉にちゃんとした雑貨店へ案内させた。バラの花だってどうしたら長持ちさせられるか調べてたんだぜ。マルクスが戻るまで咲いていて欲しかったんだとよ」


 ……は?


「あれ、そんなに喜んでいたんですか?」

「はじめてもらった花束だとよ。この世にバラの花束を贈る男が実在したのかって驚いてたぜ。まぁいつもの無表情じゃあわかりづらいだろうが。軍人てのは寡黙で仏頂面だって教えこまれての軍隊暮らしだからな」

 シュタインも驚いた。アーデルハイト隊長が、オスカー曹長にはそういった話をするのか、という事実にもだ。

「婚約者と食べる飯が美味いなら幸せなこったろ? それに、爪をたてる猫よりも尻尾をふる犬が可愛いってのは自然な感想だ。マルクスの野郎はツラも強い」

「ああ…『強い』はそういう意味ですか」

 シュタインの懸念をよそに、オスカーはうそぶく。

「マルクスのおかしな言動の方が目をひいてるだけだ。ありゃあどっちも舞いあがってる」

「そうは見えませんけど?」

「誘われればホイホイ付いていくだろうな…。連れ込み宿でも、野郎官舎の私室でも」

「そうは見えませんけど!?」

「だろうな。でも嬢ちゃんはおまえらが思うほどには考えちゃいない。はじめて戦場に出た十二の年から、機微や情緒はほぼ成長していない。見た目どおりの年齢だと考えておけばいい。成人はしたけどな、嬢ちゃんはまだ色気よりも食い気だ。恋人よりもダチが欲しいお年頃だ。何年も片思いをこじらせた二十五の男の悶々とした下心に思いを馳せろなんて乞われてもそりゃあ無理だ」

「ちゃんと教育してください」

 新婦が妊婦という事態は、平民ならともかく、伯爵家では今後のためにならない。

「だからおまえもマルクスを止めろ。アホ王子の二の舞は避けろ。手順を踏んで、正々堂々求婚するんだ。いいか、おまえらの魔道士塔時代の武勇伝はこっちの耳にも入ってるからな」

「わかっています。マルクスだってさすがにそこは弁えてますよ」

 手のひらを向けて両手をあげる。あの頃のマルクスの素行を知っているのなら、父親として警戒するのは当然だった。

「ようやく互いの親への挨拶をすませたところです。段階をおって進めていきますよ」

 婚約挨拶に会ったばかりのアルニム伯爵邸へ乗りこみ、寝室金庫の診療簿カルテを奪った所業を遠い棚に放り投げて断言する。今後の関係改善は不可能に近いだろうが、マルクスはすでにアーデルハイトの父親を見切っている。

 交渉の相手にアーデルハイトの兄を選び、ミュラー伯爵家としてアルバンがアルニム家の当主となる援助を約束している。好意を得るための努力は不要と見做している。ならばシュタインも同様だった。

「嬢ちゃんは腕っ節に自信があるぶん、隙もある。隙ってのは色気だ。くらっとこない保証はない。おまけに襲われたところで踵落としに雷撃で振り払えると考えてやがるからな」

「気持ちはわかりますが…制圧できない人数に囲まれるとか、飲食物によからぬものを盛られる危険もあるでしょうに」

「そのあたりはマルクスが対処してきたからな。十二の頃はまだよかったんだ。男だ女だの前にガキだったからな」

 マルクスと共に隊長天幕を守ってきた男が言うと説得力があった。シュタインとて、襲撃かと剣を手に飛び出せば同じ帝国軍の制服を着た男たちに遭遇したことはある。証拠隠滅のために燻り、残った火の後始末に、フリードリヒと煙草を吸いながら時間を待ったこともある。

 しょせん共犯者だ。冬季遠征から加わった16歳の三人組とブレン少尉だけがまだ知らない。

「求愛に羽根を広げる孔雀の前で首をかしげたあと、平気でエサをついばむ雀みたいなものですよね」

「寝そべったオオカミの上によじのぼって、遊べ構えつって肉球にぺしぺししてる仔猫ちゃんだろ」

 今朝見たばかりの光景を思い出せば、懐よりいそいそと猫じゃらしを取り出し、全力に遊び構い倒す幼馴染の姿は想像しやすかった。


 …健全な方向だと思いたい。

 シュタインだって成人した男女の真剣交際に口をはさみたいわけではない。

 だが帝国の貴族社会は純潔を重視する。結婚式までの最短ルートを考えたとき、辞表を出すタイミングはそこそこ重要だ。

 まずは抱えている案件を早急に片付けなければと思って浮かんだのが泥棒猫だったのは、前述の会話があったせいだろう。



第十波らしいコロナとインフルエンザが周囲に猛威をふるっています。一人出勤できたかと思えばまた次の一人が倒れてゆく十日間…!

始業時間前の外線電話に出るのが怖かったです。

皆さんもどうかお体ご自愛ください。


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