ハイドアンド・シーク【5】
誤字脱字のご報告ありがとうございました!
今夜のために、ピーアはエステサロンに磨きをかけてきた。ボディ、フェイシャルの贅沢フルコース代金は王子持ち。他人のカネで食べる焼肉が美味いのと同じように、男のカネで通うエステは最高だった。効果を引き上げるための努力はもちろん行う。ヨガに血行促進、ランニングのダイエットに励んだ結果の集大成である容姿には引け目を感じる部位など一つもない。仕上げとしてプロの手によるナチュラルメイク。ヘアメイク。オレンジブラウンの髪はかつてないほどキューティクルだった。
等身大の姿見の前、これが…わたし…?などと驚く必要はない。ドレス裾を軽く持ちあげてのターン。自分の身体が自分の理想に近づくのは楽しい。小柄なくせに、出るところは出ていて引っこむところは引っこんでいるメリハリのきいたボディは満足のゆくもの。努力に対する結果が目に見えるのは誇らしい。
生まれ持った容姿だけで勝負ができるのは子どものうちだけだ。あとは努力と根性と財力の勝負である。異性に選ばれるためには衣装選びのセンスと化粧の技術も求められるだろう。『お洒落は我慢』との至言を吐いた者もいた。とはいえピーアは選ぶ側だ。獲物を。攻略対象を。狩る立場なのだ。
だからこそ。
フィッティングルームより進みでた男爵令嬢ピーア・ベッカーはフランツ王子の前で気恥ずかしそうに微笑んだ。
ピーアだけを見つめてうっとりとした表情、賛辞をよこす王子を見れば成功はあきらかだった。
まずは第一段階をクリア。
淡い色合いのドレスは皇都で今話題のデザイナーがフルオーダー作成したシロモノだ。ピーアをイメージして作られたそれは上半身のラインにぴたりと張り付き、下品ではない程度にスタイルの良さを主張する。ハートをモチーフにした飾りのついたヒールに身長を嵩増しする。愛らしいが…ピーアはピンヒールをはいて全力疾走のできる優秀なスパイである。跪く男の硬い太腿を踏みつけて高笑い、ご希望通りの女王様だって演じてやれる『かしこ』で演技派な工作員である。
これらの装備品は男爵家が一朝一夕に手に入れられるものではない。金銭の問題のみならず、権力による優先順位的にもだ。地方の、力のない家ではとうてい不可能。ただでさえ新年の、そして凱旋する遠征団の戦勝祝賀パーティに備えた注文が増えている時期。誰から贈られたかは一目瞭然。ペンダントは以前に贈られた、魔石をあしらったもの。ドレスに合う新たな装飾品をとの申し出は断った。もう充分です、と謙虚に慎ましく。トータルファッションは大切だが、魔道士にとってそれ以上に大事なのは身に馴染んだ魔石だ。それに、戦闘用に流用できるとは思えないほど華美な装飾も成されている。金に飽かせた繊細な加工はドレスとの相性も悪くない。学園だけではなく、北方遠征にも持参した。
学徒動員による強制参加だと言うのに、いつまでも不満と愚痴を吐き続けるフランツ王子の前でペンダントに口付け。お守りにしますと告げ、危険な戦場へ。…まぁ盛り上がったのだろう。フランツ王子の頭のなかでは。出発前のベッドでも大変情熱的だった。
せっかくなので、しばしお別れとなるだろう豪華な食事、清潔で温かい寝床、甘い賛美の言葉は堪能しておいた。もう一度味わいたいと思えばこそ、なにがなんでも生き延びてやるという力になるのだから。
北方ではたしかに苦労があった。けれど前線にでる予定もなし。あれほどの状況下でも、学生に対する考慮は最大限にされていた。血迷った怪我人がピーアたちの宿泊所に忍びこんできたことはあった。優しく励ましながら治療してくれたピーアの学友を襲いに来たのだ。身体強化の術式を自身に施したピーアが蹴りだした。潜入中だ。任務中だ。だがさすがに婦女暴行は見過ごせない。
恋しちゃった、じゃねぇんだよ。一緒に逃げよう、じゃねぇんだよ。医療用キットでも見ながら一人でマスかいてろや。あぁん?
という罵りを、幾重ものオブラートに包んで伝えた。女をバカにするのもいい加減にしろ。癒し手は自慰の道具じゃない。恐怖と不満の捌け口じゃない。
襲われた令嬢はピーアに縋って泣いた。抱きしめてやった。ピーアだって初めて男に襲われたときは恐ろしかった。当時の仲間が助けてくれたけれども。えぐえぐと喉をつまらせた学友はショックで口もきけなくなり、皇都の実家へと戻された。お嬢様だ。お姫様だ。それはわかる。そしてピーアの勤務日程はさらに厳しくなった。……何も言うまい。黙って勤務表を折りたたみ、にこやかな笑みを浮かべて治療を続けるピーアは周囲から高い評価を得ていた。
また、十六歳の学生を襲ったそいつはちゃんと処罰された。未遂だ、心神耗弱だのといった減刑はなかった。のみならず、軍部はピーアたち女学生の部屋には内側からかかる鍵を取りつけてくれたし、見回りの強化も約束してくれた。人間が人間であるためのルールが適用され、機能していたのだから帝国軍のモラルと規律はたいしたものだ。感心した。慰労として誘われた軍部の人間との食事会には礼を言って、称賛をおくった。ピーアの評価はうなぎのぼりだった。
そういう一部の、自分にとって都合のよい部分だけを切り取った声に押され、フランツ王子は公的な戦勝祝賀のパーティへ。ピーアの手をとって参加するという行動にでた。ほとんど名ばかり、判を押すだけとはいえ、主催者である。ゴリ押しだってなんのその。
フランツ王子のエスコートを受けて、ピーアは離宮の会場内へと足を踏みいれる。できればマッピングも行いたいところだが、さすがに今夜は目の前の任務に集中する。共和国の議員、政府高官、制服組の軍人ら公的に招かれた人間以外にも、数人の工作員が招待客のなかに紛れこんでいる。彼らの位置取りを横目に確認するさなか。
離れた場所に一人で立っていた王子の婚約者、戦勝祝賀パーティの主役であるアーデルハイト・アルニム少佐がこちらに気づき目を見開くのがわかった。
素知らぬふりを装った。
これで第二段階もクリアだ。
婚約者を奪った泥棒猫ピーア・ベッカーとしての役割はほぼ終わったと言っても過言ではなかった。
欲を言えば人脈を広げて情報交換へと進みたいが、婚約者のいる男に堂々としなだれかかる女に声をかけてくる人間はそうそういない。遊び相手を探すような、衿の緩んだパーティならばあるかもしれないが、戦勝祝いを名目にした外交の場だ。誰も彼もキッチリとした礼装を崩してはいない。大人しく壁の花に徹しようと、視線を動かす。
目に入ったのは今夜の標的、アーデルハイト・アルニム。二度見した。
彼女が着用しているのはあたりまえだが礼装用の軍服だった。飾りと言えば魔石とタッセル程度。光りを弾くのは無骨な勲章たち。軍人としての栄誉を纏ってはいるが、愛嬌、そして愛玩の要素はどこにも見当たらぬ姿。それを頼もしいと見るか。フランツ王子のように舌打ちまじり、可愛げがないと見るか。
まさしく帝国陸軍の誇りとしてそこにいた。
誰も話しかけられずにいるのは、ちらちらとピーアやフランツ王子をうかがう視線のためだろう。婚約者とのご関係は最近、いかがです?なんて声をかけられる猛者がいないせいだろう。
だから独りで立っている。
昨年の天覧試合のときと変わらずに。
ゾクリと背筋が震えるような氷塊を飲みこんだ。
だって変わっていない。
彼女は成長していない。
十八歳の彼女はまるで十三、四そこらの小娘に見える。人形のように見える。ガラス玉のような目をしている。
なにひとつ変わっていない。
昨年から。その、前から。この年の女が。人間が。こうまで姿を変えない、なんてことがあるのか?
どうして誰も、指摘しない。この異常を。
とうに終わったはずの『片翼の天使再臨計画』の文字が脳裏にちらつく。まさか。本当に?
明るさと温度に満ちた空間に、ピーアが一人寒気を感じている。…いや、いや。そんな筈はない。よく見ろ。肩や腰のラインに丸みがでている。ような気もする。きっと手足も、身長も。少しは伸びているはずだ。軍服のせいだ。表情に乏しいだけだ。同じに見えるだけだと自身に言い聞かせる。
けれど姉も、他のみんなも。実験のあとは表情がなくなった。感情に薄くなった。確かにそこにいるのに、気配が希薄になった。器はそこにあっても、中身をゴソリと喰われていた。魔石に。魔石のなかのナニカに。
アルニム少佐。きっと彼女は、彼女に埋めこまれた幻獣の魔石に。
赤は有翼の獅子。青は伝説。事実かどうかもわからない。ただの言い伝え。それを、ひとは龍と呼ぶ。
多額の金銭と引き替え、二つの魔石は七年前の国境線を跨いだ。なにより早急な器が必要だったから。
詰めていた息を吐く。闘技場で見たアルニム少佐の姿を思い浮かべることに成功する。実験体となった誰も彼も彼女のような獰猛な笑みは浮かべなかった。暴力的なまでに迸った魔力。小気味の良い動作の一つ一つに。ピーアは魅せられた。
だから違う。実験は失敗したのだ。生き延びた、以外の結果はすべて期待外れだったはずなのだ。北方遠征では部下を気遣いつつも任務へと戻って行った。アルニム少佐は礼儀正しく勤勉な帝国軍人でしかなかった。
気持ちを切り替える。
王子とピーアの非常識を嗜める雰囲気はあるものの。周囲からは好奇に満ちた視線が集まっている。『ピーア・ベッカー』を投げだすわけにはいかない。
……大丈夫だ。
なんだかんだ言ったところで、実際に起こっているのはただの浮気だ。想定外はあるにしろ。
若い男が好みの女の色香に血迷ったところで、周囲の人間ができるのは眉をひそめ、ヒソヒソと陰口をたたくのがせいぜい。
それとて浮気させた女が悪いだの、正妻はどんと構えておけばいいだの。それぐらい大目に見てやれない女の心が狭いと言わんばかり。したり顔に口を差しはさんでくるだけだ。やりきってみせる。王子妃はさすがに無理だが、円満なお別れを演じてみせよう。
……そんなふうに考えていた時期がわたしにもあった。
「悪役令嬢アーデルハイト・アルニム! 貴様の罪は明らかだ!」
始まった断罪劇はフランツ王子が脚本、監督、主演を担当していた。本人とその取巻きたち以外誰にも知らされずに敢行された。うんうんと肯く生徒会のメンバーがピーアの逃げ道をふさいでいた。こんなときだけ男同士の友情を発揮しなくていい。ピーアは壁の花でいるつもりだったが、前へ、王子の側へと促がされておかしいとは思っていた。アルニム少佐の姿に動揺していた。失態だった。
甘くみていたことは認めよう。なにしろ今夜の、戦勝祝賀パーティの舞台に上がるまで、王子の婚約者殿からは抗議の声ひとつ寄越されなかった。あまりにも容易く、第五王子の恋人という椅子に座ることができた。手を伸ばせば届く距離にはヴィンテージワインも冷やされていたのだ。
舐めていたつもりはなかったが。
下町の酒場のように、寝取った、寝取られたの喧嘩沙汰に割れたエール瓶片手の野郎どもが殴り合うようなことは起こらないだろう。
フライパン片手の女たちが髪を振り乱し、爪をたてて罵り合うようなことは起こらないだろう。そう考えていた。
もっと酷いことが起こった。現実は予想の斜め上を棒高跳びしてきた。なんなら着地に四回転ルッツを決めてきた。
「王族の目が届かぬのを良いことに、辺境地での部下への専横な振る舞い、上官を上官とも思わぬ侮辱! さらには軍需品を横領し、敵前逃亡、敵国への情報漏えいによって利敵行為を行った!」
王子が並べ立てる悪役令嬢の所業。追記するなら、そのほとんどはピーアがやったことだ。
ピーア本人ではなく、ピーアが属する陣営がやったことだが。
王国を経由して運びこまれた麻薬は遠征団を蝕みつつあったし、軍需品を横領する機会を輜重隊に与えたのはだった。学生たちの離脱は敵前逃亡と言えなくもない。ピーアだって機会があれば積極的に行うつもりだった。断固死守命令に従って死ぬのはまっぴらだった。それを成せるのは死んだ英雄だけだ。あるいは運よく死ななかったがために、次も同じことをしろと求められる気の毒な英雄だ。
敵国への情報漏えい?
共和国のスパイをこんなところへ連れて来ているフランツ王子が胸を張って言える台詞ではない。皮肉どころではない。なんとも巨大なブーメランである。内心にダラダラと汗をかいているピーアを置き去り。王子は宣言した。
「第五王子フランツ・フォン・フォルクヴァルツの名において貴様との婚約を破棄する!」
っっぉおおおおおい!王子ぃいいいい!!
脳内には叫びっぱなしだった。王子。後ろ。後ろだ。後ろを見ろ。
「貴様のような悪女の顔など二度と見たくもない!」
違う。アルニム少佐の顔じゃない。彼女の後ろを見るんだ。
なんなら周囲、全周を見ろ。彼らの白けた視線を感じろ。
そしてわたしたちを包囲するように散った歴戦の魔道士部隊の動きに気づけ。
「貴様は悪役令嬢の自覚がないのか!?」
もういい加減にしろ。
フィクションとノンフィクションを混同させるのはやめろ。おまえの年はいくつなんだ。
青筋も立つ。気が遠くなりかけるが、倒れている場合ではない。微笑むのはさらに至難の技だったがピーアはやり遂げた。なにしろピーアは気づいていた。これが舞台の真似事だと。フランツ王子はたった今、主人公を演じているのだ。
『ハートに火をつけて』にも似たような場面があった。ビシッと人差し指を突きつける仕草は舞台男優がやっていた。フランツ王子はこれを真似ている。しかし読書が嫌いな王子様は小説見返しの注意書きまでは読んでいないに違いない。
『この物語はフィクションです。登場する人物や団体、名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。』
……常々なぜこんな当たり前のことを書くのかとピーアが不思議に思っていた一文だったが。理解した。こういう連中がいるからだ。
「ピーア」
振り返ったフランツ王子が力強くも請け負う。
「もう大丈夫だ」
主人公のように、勇者のように、王子のように。
悪役令嬢の不正を暴く勇敢な自分に酔いながら。
フランツ・フォン・フォルクヴァルツが微笑み、こちらへと手を差し伸べてくる。
……何一つ大丈夫じゃないんだが?
逃げたい。逃げられない。ならばもう乗るしかない。このビッグウェーブに。やれる。わたしならやれる。わたしはデキる諜報員だ。
はぁはぁと荒くなりそうな息を押し殺した。呆然としつつも理路整然とした反論を吐いていたアルニム少佐を、フランツ王子に合わせ最高に高慢なゲス顔に見下してやった。やってしまった。しかし少なくとも彼らの婚約は破棄される、確実に。ならば目的を達したと言えなくも…。
混乱する頭に計算したところで。
「お待ちください」
一人の男が進み出た。
アルニム少佐と同じ礼服。魔道士部隊の一員。あのときの副官だと気づくには数秒かかった。
「失礼します。王子殿下。マルクス・ミュラー大尉であります」
名乗りをあげられ、はじめて気づいた。
ダンスホールのシャンデリアにきらめく特徴的なプラチナブロンドは、治療所に担ぎこまれたとき赤黒く汚れていたからだ。やつれ、薄汚れた姿からは気づかなかった。今もまた前髪が両眼を覆い隠してはいるが…端麗な容姿であることはわかる。
似ている。
いや、似ているなんてものじゃない。
ピーアの目の前に立ち塞がった男は共和国の天敵。最強伯と呼ばれたマーロウ・ミュラーの生き写しだった。
いいねやブックマークなど、評価や反応が本当に嬉しいです。書く気力になります。もっとください(真顔)。こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。




