ハイドアンド・シーク【3】
保健体育程度のつもりですが、R15がお仕事をしているような気がします。どうかご注意ください。
医務室に運ばれたフランツ王子は荒れていた。手当たり次第にものを投げつけて、側近のみならず教師や学園医にも暴言を撒き散らしていた。誰もが手に負えなかったからこそ、癒し手であるピーアが近づくことができた。
他人の、しかも女の目というのは自尊心の高い男にとって強い抑止力を持っている。格好をつけたいのだ。人払いされた医務室は、結局のところ、生贄にピーアを選んだのだと教えてくれる。二人きり。床上げもしていない男には近づいてはいけません、なんて注意は下町に生きる女であれば十にならずとも知っている。
そっとベッドの端に腰をおろした。
「殿下。殿下のよいところを、私はすべて見ています」
優しく手をとり、魔力を流しこむ。いかにもご利益や有難味がありそうな光のエフェクト付きにだ。赤子だったピーアと姉と母親が逃げこんだ教会は清く正しく、美しく。だからこそ貧乏だった。自身の価値の吊り上げ方を教えてくれたのは共和国の本部から派遣されていた神父だった。
温かさは細胞の活性化によるもの。だが傷ついた心と身体にはさぞや染みたのだろう。
感極まった表情の王子から伸ばされた腕は震えていた。寄せられた唇をピーアは受け入れた。罪悪感や後ろめたさは閨事にはスパイスだ。とは言えなかなか手が早い。戦闘後の昂ぶりもあるのだろう。しかし脇が甘いこと。
男の太腿をきわどく撫でさすり、恥らいつつ「さわっても…?」なんてねだる処女が童貞の妄想の外にいるか?
……皆無ではないかもしれない。そういうものだ、と教えられて嫁ぐ十代の貴族もいるだろう。
「わたし、こんなのはじめてで…」
真っ赤な大嘘である。
舌遣い、腰遣いにこれほど果敢でこなれた女がそうそう初体験であってたまるか。
信じるフランツ王子もどうか。
「ピーア…!」
ハートをわしづかみされました、と言わんばかりに名を呼ばれた。抱きしめられた。
王子は女に夢を見すぎているのか。馬鹿にしているのか。
学園には保健体育の授業もあるが、男女の教室は別だった。しかしカリキュラム程度は把握している。おそらくは王室の歪んだ性教育の賜物。奉仕を受けることを当然としている。
あるいは母親から甘やかされ、妄執を受けている第五王子だからか。避妊具すら使おうとはしなかった。王族の血を引く婚外子が呼びこむ波乱や、性病の危険ぐらいは教えてやった方がよいだろうに。持ちこんでもよかったが、ピーアのポケットから差しだしたのではどんな純情を装ったところで狙っていたのがバレバレである。医務室の引き出しから取り出したところで、何故場所を知っていると聞かれれば言い訳に困る。さすがに騙せない。
どう言い繕っても清純派のピーア・ベッカー男爵令嬢として相応しくない行動だ。
だから下腹にはあらかじめ避妊の術式を刻んでおいた。王子の前ではさも今思いついたと言わんばかりに起動させておく。
己であればこれらに対処し、上手く流してやれるけれども。
他の婦女子であれば。庇ってやれよ、助けてやれよと周りの連中に思うところもある。
貴族の義務だなんだと言ったところで、愛を信じたいお年頃だ。ごきげんよう、なんて挨拶を交わすお姫様たちだ。
ピーアはいい。ハニートラップを仕掛けた側だ。誑しこんだ側だ。むしろ成功といえる。実際、その後のフランツ王子はピーアのご機嫌をとるようになっていた。格段にやりやすくなったのは魔石のついたペンダントを贈られてからだ。学園内に私物の戦闘用魔石は持ち込み禁止だが、秘密の恋人からの贈り物をなるべく身につけておきたいという乙女心を前面にだしておく。
治癒が専門とはいえ、ピーアもまた魔道士である。
治癒が専科と言うことは、身体強化においての第一人者でもあった。
武器を持たないことが身を守ることもあるが、訓練を積んだ魔道士にとって魔石はライナスの毛布だ。
また『フランツ王子に呼ばれて』の名目に校内を動きやすくもなった。あちこちに密会しているのも事実である。十代の性欲を舐めてはいけない。上品を装ってはいても、中身は健全な男子である。わかりやすい下心と熱視線。半年も過ぎれば噂は真実として周囲に語られるようになる。王子も王子で、周りからの諫言に一度は離れようとしたらしい。連絡が遮断された時期もあった。学園内の協力者となった学生たちの力を借りて接触した。気まずそうな王子が心のない謝罪を吐いた。いいえ、と頭を横にふって答えた。
「連絡ができないほどお忙しかったのでしょう? わたしなどでは想像もできない様々な義務があることは存じております。ただ…心配でした」
フランツ王子の袖口をきゅっと握る。そこで上目遣い。見つめ合う。責めず、詰らず。心配だったという言い回しが重要なのだ。
「あ、あぁ…ピーア…っ」
王子を守るという使命感にわたしからの連絡を握りつぶし、王子の行動を妨害したまっとうな側近はこれで外された。
結局のところ、外圧だけで落ちる城はないということなのだろう。残った騎士候補、文官候補たちのみならず、教師までもが王子からの不興を買うことを恐れ、面倒ごとを避けた結果だ。
学園の王子様は共和国が差し向けたハニートラップの甘い牙に陥落した。
天覧試合ではいくつかの予想外はあったにしろ。ピーアは同時、学園内でのアーデルハイト・アルニム伯爵令嬢の評価を下げることに成功している。
あんな乱暴な方だったなんて…。
第五王子殿下がおかわいそう…。
そういう形だ。
まぁ誘導したのは自分なので異論はないのだが。
こうも素直に信じられると肩透かしもよいところ。平和呆けが過ぎる。あれが乱暴なら、死ななきゃ安い軍隊は地獄だ。そう考えて、しかし。それも当然かと思い直した。
呆れたことに、この学園に通う誰も彼も、自身がアルニム少佐と同じ現場に立つなどと考えてはいないのだ。進軍の是非を問う意見の食い違いから怒鳴り、怒鳴り返し、なんなら襟首を握って殴り合い、上官からの叱責には『転びました!』と元気良く叫んで答える環境というものを想像していない。
他ならぬ王族、衿を正すべき立場の人間が率先して兵役逃れを行っている。男たちは清潔で安全な後方の椅子を温めて2年間の兵役を終えるだろうし、魔力を持つ女たちは親が準備した診断書─── 身体が弱く、兵役にはとうてい耐えられない─── を提出し、血生臭さとは無縁の生活を送るだろう。
ならばすべては他人事だ。観劇の感想を述べるように、読書会後の意見交換のように、整然としたテーブルに思うままを語るだけ。
後方支援によって流布された『真実の愛』というコンセプトは十代の文学少女のハートを射抜くには充分なアイテムだった。
着火されすぎた、とも言える。
学園祭では他薦によってベストカップル賞を受賞。
日陰の女を演じるつもりだったピーアには予想外。
目立ちすぎた。並行される天使様の再臨計画にも支障がでるほどに。
そんななか長引く北方遠征の不穏な状況がちらほらと聞こえ始める。
勅令によって学徒動員が発令。王立学園、魔道士塔は言うに及ばず。
治癒師の能力を持つピーア・ベッカーは強制参加が決まっている。前線寄りの配置にフランツ王子が抗議。おまいう。
「わたしは大丈夫ですから」
健気に微笑み、装備を整え、第三線の医療用陣地へ。
そこそこには働いた。酷使された学友たちが次々と倒れ、脱落するなか。懸命な治療を施す、フリは行う。文明の利器、医療用キットを駆使しながらだ。魔力は無限ではない。治癒の術式は術者自身に重い後遺症となって残ることがある。限界を超えて行使するからだ。目の前に傷つき、苦しむ人間を救おうと、ひとは懸命な努力を行う。
しかしピーアは自己犠牲の精神に富む聖人ではなかったので、まずは自分を守った。廊下に膝を抱えるだけの休息とはいえ、ちゃんと睡眠時間を確保したし、隙を見て食事はなるべくあたたかいものを腹にいれた。
魔道士の多い帝国だからかもしれないが…、通常の医療行為を行えばよいものを、彼らはまずは癒し手を呼ぼうとする。魔力を使おうとする。その姿勢に問題がある。医療従事者に治癒師の割合が高いことも拍車をかけているのかもしれない。医療技術が進歩しつつある昨今、癒し手の役割は後退している。それこそ最前線の部隊に同行させ、致命傷の一撃から救い守ることが華々しい活躍と呼べる程度には。
まぁ指摘してやる義務はないのだが、同じ治癒師たちが献身の美辞麗句に使い潰されていくのを見るのはなかなか辛い。手を抜け、と助言できる状況でもない。医療拠点とされた病院は、ピーアが足を踏み入れた時点で野戦病院と化していた。後退してきた軍人たちであふれかえっていた。なにがしかの功績が必要となれば使おうと、癒し手の取り扱い方は要改善項目として心に縫いつけるに留めた。
雪が降る11月の曇天。マルクス・ミュラー大尉が担ぎこまれたとき、病院の医療指揮にあたっていたのは軍属のチャプレンだった。
ぐるぐるに巻きつけられた毛布をほどけば、現れるのは血塗れの包帯とシャツ。頭も打っているらしい。外傷性脳障害による意識障害を評価するGCSによってGCS8と判断。トリアージに最優先されたのは、側に立ったアルニム少佐の殺気だった気配だけが理由ではない。
後送された新たな傷病者たちで廊下までがいっぱいになる中。湯の張られたバケツを抱え、小走りに走るピーアにも「早くしろ!」「助けてくれ!」「痛い、痛い」の怒鳴り声、懇願、すすり泣きが届く。心を殺して自分を守る。できることは限られている。ピーア・ベッカーは聖人でも聖女でもないのだから。
ドアもない治療室を振り返った。部下の手を握るアルニム少佐の姿は、天覧試合で見た彼女とはまったく違っていた。打ちのめされているようだった。けれど立ち上がる。
「部下を頼みます」
名残惜しさを振り切るように。医師へと告げる。
いつの間にやら現れた男たちは彼女と同じ軍服姿で、同じ肩章をつけていた。魔道士部隊、タリスマン。場を憚ってだろう、小声での会話。
「少しは休めたか」
「はい。隊長…、隊長も、」
指揮官の顔になった彼女はこちらに気づき、軽く頭を下げた。
「お世話になりました。よろしくお願いします」
顔に散った血の汚れさえ拭うこともなく。底光りする瞳には力強さがある。
「戻るぞ」
ピーアに、彼女の副官に背を向けた。出口へとつま先を向けた彼女に、付き従う人間が一人、二人と増えていく。戦場へ。前線へ。負傷者の輸送のために軍馬を駆った彼らに、ふたたび地獄へ舞い戻れと命じる。
「繁殖の暇を与えるな。目を逸らした隙に増え続ける。奴らは我々の後方を食い荒らす害獣だと心得ろ」
「はっ!」
規律正しい了承の声があがる。
……駆けてゆくのだろう。このまま。あのまま。彼女が言う、目を逸らした時間を取り戻すために。
早死にしそうな子だ。
ノブレス・オブリージュの具現者と言えば耳ざわりはよいが…。
マルクス・ミュラーの名札がかかったベッドに近づく。ため息を一つ。治癒の術式展開。ここに来て初めて。ピーアは全力の魔力を注ぎこんだ。
戦況の悪化に各所がようやく重い腰を上げたのは翌月のことだ。医療従事者も増員が決定。入れ替わり、学徒たちの帰還が決定する。戦闘魔道士や歩兵としての学生たちには出番がないまま。
学園から派遣された癒し手として最後まで残って働いたのはピーアだけだった。しぶとく、図太く、やりきった。諜報員としてもだ。帝国軍の医療体系やら戦闘教義、技術ツリーそのほか諸々を抜き取ることに成功している。よい仕事をしたという自画自賛とともに学園へと復帰。ヒロインとして迎え入れられた。
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