グリーンアイドモンスター
誤字の指摘ありがとうございました。【適用】ボタンで自動変更される…?と恐る恐る押してみましたが、どうも違ったみたいでした。編集画面で訂正してきました。素で【カラトリー】だと信じてました。また教えて下さると助かります。
4時間は眠ったのか。
ベッドに横になったまま手を伸ばして枕元の置時計をつかみ、時間を確認する。鳴る寸前の目覚まし機能を止める。明るいけれども暖かさには乏しい冬の朝日に起き上がる。
夜中に書き上げた抗議文を見直し、手直しを加えてから封緘する。
普段の登庁時間に合わせ、身嗜みを調える。官舎に与えられた私室で髭を剃り終えた顔を洗面台の三面鏡に眺める。右の半分、左の半分。横から。正面から。燦々とした光りのもとで何度も角度を変えて確かめる。
なにしろ午後からはデートだ。身支度にも力も入る。
客観的に見て、俺の容姿は悪くない。と言うか、良い。マルクス・ミュラーは控えめに言って美形である。そんじょそこらの男が言ったのなら自意識過剰を鼻に笑われるのだろうが、事実である。
完璧な左右対称の容貌。小顔の上に配置された目、鼻、口のバランスは神がかっている。すらりとした高身長は平均値の180を超え、190センチに迫る。おまけに八頭身。そこから伸びる手足は長く、たまたま目についた店で買った吊るしの既製服ですら着こなしを褒められる。
体格もまた、申し分がない部類に入るだろう。軍ではもっと大柄な人間もいるが、ガッチガチのムッキムキという人種は万人にとっての『美しさ』基準からは外れてしまう。軍服に身を包めばたいていの男は三割増しで精悍に見えるものだが、俺は脱いでも自信がある。重くならない程度の筋肉に全身が覆われ、腹は六つに割れている。
魔道士は近接戦闘が苦手だというセオリーに反し、俺は肉弾戦も得意なのだ。術式を起動するよりも蹴った方が早いと判断することもしばしば。下半身の持久力、回復力にも問題はない。商売女相手からの賞賛は三割程度を差し引くとしても、演技ではなく「素敵」だそうだ。技巧もそう悪くはないだろう。
我ながらすごいと思うのは、あれだけ不衛生な環境に長く置かれていても、町に戻り風呂に入り、十分な食事と睡眠をとるだけで、肌が健康的ななめらかさを取り戻すところだ。そこで買った女からは「なんなの、もう!」と頬をつままれた。女としての自信をなくすとか言われても、俺だって知らん。なんなんだ、一体。そう返したいところだ。面倒なので黙っておくけれども。素っ気ないやり取りに怒りだした女も、俺の顔を眺めて勝手に機嫌を直している。
頭のてっぺんからつま先まで。特に目を惹くのは髪色だと老若男女が口をそろえる。まぁ知っている。アッシュ系のプラチナブロンドは辺境どころか首都でも珍しい色合いだ。癖がなく、伸ばせばまっすぐに流れる。戦勝を言祝ぐ夜会に合わせ散髪も済ませていた。清潔感は大切だ。後ろ髪は短く襟足を揃えてある。前髪は額の真ん中で分けられ、目に掛かっている。
洗顔に濡れたブロンドをかきあげれば、現れるのは緑の瞳だ。
「……」
もう一回切っておこう。
意地は通すつもりだったが、隠れて泣く準備はできていた。もたらされるであろう悲報、華燭の典の報告に備えるべく、前髪はわざと切らなかった。隠す物はもう必要ない。
鏡の中から見返してくる新緑の色は母親譲りだ。
そして、それ以外のすべてが美貌で知られた父親の若かりし頃に瓜二つだった。
血の怖さを丸めてこめて形にした容貌を、まざまざ見せつけられる。
マルクスの父親は王立学園を卒業し、かつて首都の騎士団に所属していた。だからその頃の父の知人に会う機会もある。そしてそのたび、ひどく驚いた顔をされる。口に出して言葉にもされる。あまりにそっくりだからだそうだ。
年をとらない奴だと思ってはいたが…、だの、若返ったかと思った…、だの。好き勝手を言ってくれる。
瀟洒で、明るく闊達。ユーモアにも溢れ、飄々とした雰囲気を漂わせた父には肩を組むような友人が多かった。マルクスにとって厄介なのは、厄介だったのは、そいつらが現在それなりの地位を築いているからだ。
父が騎士団に所属していた当時はまだ隣国との小競り合いもあった。人と人との殺し合いがあった。重い剣に弧を描き、止まることのない流れるような体術。ひとの喉を切り裂き、腹を抉る剣戟には目が離せないような華があったそうだ。黙っていれば少女めいた美貌なのに、下ネタのジョークにもケラケラと笑ってついてくる、皮肉めいた言い回しさえ独特の魅力があったと言われても。
はぁそうですか、以外の返答ができない。いくら酒が入ったとはいえ、今は王宮務めのお偉いさんに「君のお父さんと軍馬を並べていた頃が一番幸せだった…」とか、重い。重すぎる。「少年のような笑顔も、悪い企み顔もかわいかった」とか、そんな情報は知りたくなかった。
つまり父は首都の騎士団でお山の大将をやっていたらしい。想像したくはないが、純情な男女が集った王立学園で、そして騎士団で初恋キラーの腕前を遺憾なく発揮していたようだ。
剣の腕が立つのは勿論知っていたが…。まぁ、兵の扱い方からして騎士団連中相手の指揮官も問題なくこなしていそうだな、とも納得するのだが…。
父親の少年期から青年期における武勇伝を聞かされるのは年若いマルクスには辛すぎた。恋バナはもっと不要だ。おっさん連中が頬を染めてきゃっきゃするんじゃない。セピア色の思い出はセピアのまま、綺麗に飾っておいてくれ。封印を開こうとしないでくれ。そう乞いたいが、軍隊の序列としても、貴族の序列としても、一兵卒が上を無視するわけにはいかない。
敷居の高い、お高い食事処におごられて酒を飲めるのはありがたかったが、たいていは始まる前からすでに腹はいっぱいだった。
しかしいつでも食えるように訓練されるのが軍人というもの。
三度目に構築しなおした防衛線が破られたという報告が飛び込んできた北方での朝にもそうしたように。隊長の婚約が破棄された翌日である今朝も。食堂に黙って朝食を済ませる。
ただし身を包むのはアイロンのかかったシャツだった。糊がきいていて、洗い立ての石鹸の香りがする。
温かな食事。歯磨き、手洗いの消耗品について制限がないという事実に思うところはあるけれど、遠征に対する補給戦の脆弱さは今ここで声をあげたところで仕方がないことだ。これでもマシになった方なのだから。
軍帽をかぶって顔を出した軍令部では昨晩の強引な退出について責められることはなかった。
すれ違う同僚たちからはむしろ同情めいた視線が寄越されていた。
「その…、大変だったな」
遠慮がちに声をかけられ。
「王子サマにも困ったもんだ」
やれやれと頭をふって肩を叩かれる。
「なにか力になれることがあったら声をかけてくれ」
書類を抱えた事務方からは励まされた。
「ああ。まったくだ。ありがとう」
苦笑に答えを返せば、それぞれ共犯者じみた表情が返る。
それは、抗議文を受け取った上司の上司も同様だった。
「善処する」
「はっ。ありがとうございます」
敬礼に言葉通りの感謝をのせて退室する。
型どおりの受け答えではあったけれども、あながち社交辞令というだけでもないだろう。次いで通信部にて電報文を依頼すれば、素早く快く受け入れられた。
直属の上司であるアーデルハイトを飛び越えての謁見希望にも係わらず、待ち時間なく、准将閣下の執務室ドアが開いたのだ。
マルクスは午前一杯は待つつもりだった。あるいは閣下に本日の空き時間はないと人伝に断られる、最悪は受け取りを拒否される可能性も考えていた。
言葉にこそされてはいないが、気持ちはわかるという意思表示だ。もっとも、それだけで軍令部が動くと考えるのは安易が過ぎるだろう。
単なる伯爵令嬢の婚約破棄騒動ではない。第五王子の弾劾は、陸軍少佐による軍需品の横領や横流し、隣国との密通を軍令部は見逃しているという指摘だ。癒着でなければ無能と罵られたにも等しい。その深刻さを理解してくれる上司でなによりだ。おそらくは新設の兵科である魔道士を軽く扱っているわけではないと対外的に示す意図もあるだろう。ならば王室との摩擦よりも、魔道士部隊を守る方向に軍令部は舵を切らざるを得ない。
現時点、魔道士部隊を部隊として運用できるノウハウを持った指揮官はアーデルハイトと、その副官であるマルクスしかいない。アーデルハイトは戦術論を論文にまとめて提出しているが、マニュアルがあれば出来るという芸当でもない。
言うは易し行うは難しの典型だろうと思うが、オスカー副長に言わせれば「そもそも発想が戦争狂のそれ」らしい。
(そうだな)
感覚的な部分を言葉にして、さらに理解を求めるのは魔道士ならずとも難しいからな。
個々として強力な魔道士はいる。多くはないが、近衛にも、騎士隊にも、辺境防衛隊にも在席している。そのなかには俺や隊長、タリスマンに所属する連中以上の力量を持つ魔道士も当然ながら存在する。ただそれは、あくまでも個人としての戦闘能力だ。
魔道士として優れているという事実と、兵士として優れているという事実は必ずしも一致しない。
まずは集団行動ができるかどうかだ。周りを見ながら戦うことができるか? 他人に合わせることができるか?
魔道士の大半は孤独な研究職だ。辞書よりも重たいものを持つ機会が少なく、日頃は走ることも稀なのである。脚に軍馬を操りながら爆裂術式をぽんぽん連発するような、攻撃に極振りしたステータスを持つタリスマンの面子がむしろ異常な部類だ。
マルクスの体感としては魔道士という人種は個人主義者が多い。集団行動の時点ですでに適性が危ぶまれる。階級付きとはいえ、タリスマンの全員が互いを苗字ではなく名前呼びするのは各員に親近感を持たせるためだ。他人ではなく。守るべき友人、同胞であるという意識を共有するために。隊長であるアーデルハイトが提唱し始まったことだ。
子どものオトモダチごっこと嗤われたこともあった。俺自身、内心ではそう考えていた。だが結果論として俺たちには有効だった。
誰だって今の自分を変えられたくはない。けれど誰の理解も不要と言い切れるほど孤高を愛する人間は少数だ。個々の研究に打ち込んだ魔道士塔ともまた違う。寝食を共にし、名前を呼び合う親しい同僚は仲間となり。砂に水が染みこむように友人となった。
部隊が部隊として規律運用されるためには相応の訓練と時間が必要だ。兵士が精鋭兵となるためには三つのものが要求される。訓練から始まり、実戦を経験し、勝利すること。繰り返すことで新兵は歴戦の兵となるのだから。
他国に先駆け、ここまで育てあげた魔道士部隊を軍令部はおいそれと手放そうとはしないだろう。
帰還後、タリスマンの再編にあたっては基幹隊員の一部が引き抜かれる可能性が示唆されていた。けれどそれは教導員としてだ。魔道士部隊の増設のためだ。
そしてそれは、アーデルハイトが婚姻により退職したあとの話しだ。
だって彼女は、俺を指揮官に育てようとしていた。
あくまでも次席の立場にしがみつき、居座ろうとする俺に対し、判断を求める機会が増えていた。
自分がいなくなったあとのための引継ぎ。機会を与えてくれたことに感謝すべきなのに、俺は、どうしても喜べなかった。
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