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ハイドアンド・シーク【2】

「なので私は運命の女神を殴りつけて、未来をぶんどってくることにしました」

 不屈の戦乙女ワルキューレが婚約者の隣。辺境伯と宰相を前に将来の展望を語っていた頃。

 ピーア・ベッカー男爵令嬢は嘆息をティー・ロワイヤルのカップを傾けることで飲みこんだ。


 ……しくった。


 心はそれに尽きる。表には出さず、クッと歯噛みする。

 

 帝国の威信がかけられた豪奢な迎賓館。内部の貴賓室。刺繍入りのテーブルクロス上から夕食のメインは下げられていた。今は優雅な食後のティータイムである。テーブルには甘い菓子が所狭しと並ぶ。

「ごめんなさい。皆さんで食べてくださるかしら。嬉しいのだけれど…とても食べきれないわ」

 監視を兼ねているのだろう侍女に伝えて下げてもらう。

 ティーロワイヤルに注がれたブランデー瓶だけは置いていってくれと頼みたいところだ。香り付けのためではなく、ティーカップに直接注いで欲しい。なんなら手酌に注ぎたい。もういっそラッパ飲みに自棄酒をしたい。もちろん無理だ。

 18歳の女学生、ピーア・ベッカー男爵令嬢はそんな真似をしない。

「ありがとう。フランツ殿下にもお礼を伝えておいてくださる?」

 軟禁状態となっている第五王子への伝言を頼んだ際の空気の強張り具合を見れば、この名札と仮面もそろそろお役御免だろう。


 彼らはピーア・ベッカーへの疑念を隠さなくなった。


 部屋の内部に王室近衛師団の騎士が配置されるのも時間の問題だ。護衛のためではない。逃亡防止と内通者のあぶり出しのためだ。遠ざかっていく足音と気配を感じながら、音をたてずに茶をすする。ミルクも砂糖も不要。体型維持のため摂取カロリーは計算している。

 ピーアが計算外だったのは第五王子のアホさ加減である。


 見誤った、と言ってしまうのはプロとして悔しい。

 

 しかし普通は思わない。やろうとは考えない。

 勝った!戻った!よくやった!パーティの席上。

 まっさき勲章を与えられる英雄に人差し指を突きつけ、悪役令嬢などとは叫ばない。


 ピーアの役柄としては乗るしかない。アホ王子に合わせるしかない場面ではあったが…。


 遠い目にたそがれる。

 まさかここまでコンプレックスをこじらせていたとは!

 四年をかけてピーアが築き上げた地歩も人脈もこれでご破算だ。あとはもう逃亡の経路とタイミングだけが問題だ。



 ピーア・ベッカーは共和国に本拠地を置く天使真教から派遣された諜報員だった。年齢も二つサバをよんでおり、今年20歳になる。教会が斡旋する養子縁組にベッカー男爵家の養女として帝国に入りこんだ当時、すでに16歳だった。ベッカー男爵夫妻は熱心な天使真教の信者だった。1年をかけて準備を整え、童顔と小柄な体躯を武器に本来15歳の少年少女が集められる王立学園へと入学した。

 本国からの命令は対魔獣戦闘において頭一つ分を抜けつつある帝国の足を引っ張ること。ずいぶんと曖昧だが、埋伏の毒となることを期待されている以上、少しでも国の中枢に近づく必要があった。

 きたるべきいつかのために。数十年に渡って根を下ろすための布石として。

 ピーアはおおむね上手くやっていた。

 王立学園の生徒は彼女にとって羊の群れも同然であり、好意の狩場でもあった。女には共感を示し、男は自尊心をくすぐる。誰にも親切に、明るく、礼儀正しく。委員活動や学園祭などのイベントには積極的に参加を表明。そしてたまに隙を見せる。知らないことを知らないと正直に答え、間違う。ひとは、自分が知っていて相手が知らないことがあれば教えたくなるものだ。ましてや間違い、勘違いしている姿を見せつけられれば、訂正したくなる。この衝動を抑えられる十代はなかなかいない。それでいて下町のおばちゃん連中ほどの勢いもない。制御可能な程度。貧乏な男爵令嬢という設定だ。贈り物や物理的な利益で引っ張ってくるわけにもいかない。事実、ベッカー男爵領は裕福とは言いがたかった。話術のみの力でピーアは学園に居場所を作り上げ、伯爵令嬢をリーダーとした中堅グループに入った。

 

 第五王子を誘惑するのはピーアにとって難しくなかった。娼婦とその娘として教会に保護されて以降、10数年にわたって諜報員としての教育を受けてきたのだ。十五の年には任務のために身体も売った。おまけにフランツ・フォン・フォルクヴァルツは女慣れをしていなかった。紳士淑女のヒナたちがひしめきあった学園だ。れっきとした婚約者がいて、しかもその伯爵令嬢は王子の代わりに血生臭い戦場で戦っている。そんな男をあえて口説こうとする令嬢はいなかった。道義にもとる。明るい日差しに満ちた学園では、プライドで飯が食えると芯から信じている人間が大半なのだから。

 捻りハチマキに机へ向かい、学力を上げた。正攻法はいつだって有効だ。幼年学校ほどではなくとも、学生の二歳差による能力差は大きい。親によって衣食住が保証されている甘っちょろい坊ちゃん嬢ちゃんとはそもそも必死さが違う。スキンケアのフェイスパックを行いながら、予習復習の繰り返し。学力の向上と同様、可愛いは作れる。つまり努力が必要なのだ。「でも私は貴女みたいに綺麗じゃないから…」などと絡んできた面倒くさい同級生には正しい洗顔方法、美容体操、そして朝のランニングを勧めて共に行った。さらに毎週の安息日に学園内の礼拝堂へと足を運ぶ信心深い頑張り屋さんとしての評価を固め、チャプレンの推薦を受けて生徒会に入った。


 ピーアは上司からガッツを評価されるタイプの諜報員だった。


 命令を受けた以上、ガンガン行く。生徒会室にこっそりワインを飲んでいた王子とその取巻き連中に混ざり、酔ったふりにフランツ王子へとしなだれかかった。

「ごめんなさい。わたし、お酒弱いから…」

 真っ赤な大嘘である。

 酔いつぶされて逆に情報を引き出されるような醜態を演じるわけにはいかない。己の限界を知る程度には嗜んでいる。いや、嗜むなんてものではなく。ピーアは控えめに言って酒豪だった。


 まずは潤んだ上目遣いとさりげないボディタッチに意識させておく。王道の手法。王子自ら取巻きを振り切り、こちらに声をかけてくるようになればハニートラップの沼に片脚を突っこんでいる。ピーアは武闘派ではなく、暗殺や破壊工作も行わない。いかなる武器も持たない。昼日中、トランクケース片手。防御力はゼロの、ただただ愛らしいワンピースという戦闘服を身にまとい、仮想敵国の首都へ潜入する。全メディアから情報を抽出し、友軍との連絡役をこなしもするが、専門は色仕掛け。王子の攻略を命じられた以上、他の諜報員との接触は最小限に控える。

 ピーアは外交官や駐在武官、教区に派遣された神父のような合法的な存在ではなく、非合法の諜報員だった。仲間たちからのサポートを受けてはいるが、身分が公になればタダではすまない。五番目とはいえ、王族相手のハニートラップとは思い切ったことだ。ただし命令をよこしたのは本国ではなく、教会だった。ならばすべてに優先される指令。

「いつも気にかけてくださってありがとうございます」

 学園に君臨する王子様の内面を褒めて、尊敬していると伝え、貴方の力になりたいとの言葉はストレートに。どこまでも男に都合のよい健気な女を演じる。期間限定だからだ。卒業までの火遊び、ならばいくらでも甘く無責任な言葉が吐ける。その先の未来を見据えた関係を築く必要すらない。

「早く会いたくて、急いで来ちゃいました」

 堅物の科学者相手だろうが、妻子のある議員相手だろうが同じことだった。初めての手順ではない。暗号解読のためのキーを抜き取り、偽の情報をばらまいたのと同じ。

「今度は、いつお会いできますか?」

 すべては天使様のために。大司教様のために。そして教会に住む兄弟姉妹たちのために。地上の栄光を手にする本国のために。ついでにわたし自身の幸せのために。せいぜい長生きして、年金を受け取りながら、豊かな老後を迎えたいと願い、祈る。行動する。


 すぐには身体を許さず、一回だけの言葉に価値を吊り上げる。十六歳の王子様など掌に転がすようなもの。あんまり容易いものだから、逆に罠を疑いかけたほどだ。婚約者との不仲を煽れと命じられたが、すでにそんな必要もなく、彼らはハナから不仲だった。少なくとも互い、すすんで接点を持とうとはしていなかった。王子に至っては婚約者が皇都に不在の時期をわざと狙い、茶会の招待状を送っていた。自分は誘ったけれども相手が来ませんでしたという対外的なポーズだったようだ。それが周囲からどのように見えるかは考えていないに違いない。婚約者が所属し、率いる魔道士部隊の活躍がこれほど喧伝されている皇都では意味のない悪あがきである。

 ピーアにとっても、より重要なのは王子の婚約者であるアーデルハイト・アルニム少佐。そして魔道士部隊タリスマン。彼らが持つ魔道士の、魔道士による、魔道士のための魔獣殲滅の戦術教義ドクトリンだった。

 電撃戦をはじめとした戦術のノウハウだけでもよいが、部隊ごと引き抜ければ花丸満点。そういう意図だろうと考えていたが…。

 違った。呆れることに、上層部はまだ【片翼の天使再臨計画】を諦めていなかったらしい。教会は、実働者として計画を推進してきた医師らの囲い込みに成功したらしい。

 やれやれだ。面倒ごとを自ら買いに行ってどうする。天使様は天国にいる。我々を見守ってくださっている。無垢な赤子だろうが、慟哭に祈りを捧げる男女だろうが、死の淵に涙を流すご老人だろうとも。誰も助けない。ただ眺めている。平等に、公平に。それだけで充分だろうに。


 苛立った気分に、いいワインの飲み方も知らない学生連中から一本をちょろまかして部屋に飲んだ。むちゃくちゃ美味かった。その日は急遽チートデイにして秘蔵のチーズとクラッカーも開けた。


 …いやほんとこれ、学生が飲むレベルじゃないでしょ…?


 食後の日課、ヨガのポーズをとりながらふと気づいた。保管方法もなっちゃいない。と言うか生徒会室にワインセラーがないのは当然だし、そんじょそこらの安酒のようにぱかぱか開けるようなボトルラベルではない。

 連絡員として学園に入りこんでいるチャプレンから入手ルートを探ってもらった。

 ついでに生徒会長席の下一段目に仕舞いこまれた赤ワインを二本ほど確保しておいた。連中、べろべろに酔っている間は記憶も曖昧なようなので。1カップ1ライヒマルクで買えるような安酒同然の飲み方をされるぐらいならわたしが味わって飲む。製造年月日は25年前。この年代にあって量より質、生活必需品ではなくあえて嗜好品に全力を注ぎこんだ職人の心意気、クオリティの高さに敬意を示そう。

 庶民であれば口にすることはおろか、お目にかかることも稀なランクのワインである。


 王子とその取巻きたちは婚約者の品格維持費に手をつけていた。


 ちょ、おま、…人の心がないんか?

 スパイのわたしが言う台詞ではないが…。国を守るため、後方に住まうわたしたちの生活を守るため。前線に立つ婚約者の予算に手をつけて、未成年がワインの購入とくれば眉をひそめる。

 怪我をして入院したときいたのなら見舞いに行って、花なり、胃にやさしい食べ物の一つも贈ってやれよと言いたくなる。

 いざとなったらこれをネタに脅迫しようと考えている自身が善良であるなどとは間違っても思わないが。


 安心して陥れることにした。


 学園で行われる天覧試合にアルニム少佐を呼び寄せた。トーナメントを勝ち抜いたフランツ王子の目に付くように配置してもらった。帝国でも国教である教会のバックアップは大きい。もちろんピーア・ベッカーも良いお仕事をした。前日まで散々煽っておいたのだ。フランツ殿下が一番だと。本気をだせば令嬢など一ひねりなのに、とは直接形にしたわけではないが。毒を吹きこんでおいた。これを信じるのだから驚きだ。学園の授業で優秀であることは殺し合いに優れていることとイコールではない。精鋭部隊を率いる現役の戦闘魔道士相手のタイマン勝負である。ピーアであればそもそも闘技場リングへは上がらない。仮病なり、急用を使う。フランツ殿下の後ろへ隠れるのもよいだろう。灰色熊を単身に圧倒する人間へと挑む無謀は業務範疇に含まれていない。勝つ必要もないが、負け方が問題だ。


 しかし魔道士の隊服に身を包んで現れたアルニム少佐は…伯爵令嬢は想像していた何倍も可愛らしいひとだった。華奢で、幼い姿をしていた。

 これは、もしや、お飾りの…? 形ばかり隊長職に祭り上げられて、都合よく遣いつぶされているのでは、と心配になった。

 勝敗はどちらでも良いのだ。二人の間に決定的な亀裂を打ち込むことが目的だ。だができれば令嬢には勝って欲しい。アーデルハイト・アルニムがいかに傲慢な魔女であるかを学園の生徒と教師たちに見せつけた上で、負けて傷心のフランツ殿下を心優しい男爵令嬢が慰めるというストーリーが最も望ましかったからだ。


 ─── 結論から言おう。いらない心配だった。


 従軍経験ありの神父が、心底呆れたように太鼓判を押してくれていたとおりだった。

「甘やかされた坊ちゃんが【彼女】に勝てるとでも?」 


 風のない冬の青空のした。解放された魔力は膨大であり、圧倒的だった。白く輝いていた。それでもまだ、アーデルハイト・アルニムの全力ではない。

 物理的な風を伴い、最前列に声援を飛ばそうとしていたピーアの前髪をふわりと跳ね上げた。…あくまでも、優しく。闘技場外への被害について、軍人である彼女は配慮していたようだ。

 だからピーアは声を張りあげることができた。

「フランツ様がんばって!」

 必死を装い。叫ぶことができた。自分に危害が及ぶことはないと理解したからだ。ピーアの声を皮切りに、周囲はフランツ王子への声援に満ちる。

 華々しい魔力戦を想定し。なんなら口上を述べようとしたのだろうフランツ王子は一瞬で距離で詰めた婚約者に対応できなかった。

 開始の合図とともに右足にのみ筋力強化の術式を集中したアルニム少佐が踏みこみ。


 ゴ、づんッ!


 ……攻撃が掌底打ちであったのは慈悲か、否か。

 ステゴロとは。命までをとらないための喧嘩の手法である。


 ごろんごろんごろんっ。

 すばらしく間抜けに吹っ飛んだフランツ王子は闘技場の端まで転がって止まった。ピーアの目の前だ。

「フランツ様ぁっ!」

 ここぞとばかりに親しさを匂わせておく。家族でも婚約者でもない王族を名前呼びだ。眉をひそめる人間はいるだろうが、逼迫した状況に混乱していたと言えばそこそこ筋は通る。


 アルニム少佐が笑ったように見えた。

 うっすらとした笑み。その、獰猛さときたら!


 うっわ痺れる。恐怖と畏敬の絶妙なブレンド。

 そこへ降りかかる冷酷な声がまた。場を、人を掌握するやり方を心得ている。

「フランツ殿下。次がつかえております。余興にこれ以上時間を使う必要はございません。お立ちください。どうぞ、お早く」

 闘技場にいくつも設置された音声拡大コンデンサーマイクの術式によって彼女の言葉は広がった。深く落ち着いた声音。勝ち誇るでもない。一撃をいれた興奮もない。内容が脳に染み渡るまでの沈黙に包まれた世界は光りに満ち満ちている。

 伸ばされる右手。掌を上に向けて。ゆっくりとした動きの手招き。

 ハリーハリーハリー!

 そう言わんばかり。小首を傾げた動きは熟練の死神のようであり、無垢な虎豹のようでもある。人間の都合などどこまでも置き去り。

 

 脳内に鳴り響くレッドアラートにか。あるいはテクニカルノックアウトの判断にか。審判によって試合終了の笛が大きく吹き鳴らされた。


 ピーア・ベッカーとアーデルハイト・アルニムの一方的な対面はこのようなもの。

 たいへん正直に申し上げれば、アルニム少佐はピーアの好みだった。フランツ王子よりも、よほど。



いいねやブックマークなど、評価や反応が本当に嬉しいです。書く気力になります。もっとください(真顔)。こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。

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