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悪役令嬢はハッピーエンドを迎え撃つ【2】


 王妃様、フランツ殿下との昼食会~フェルディナント殿下を添えて~はマルクスの独壇場といってよかった。氷剣のような弁舌の冴え。じつは口の悪いところのあるフリードリヒ小隊長すら苦笑に一歩を譲っている。

 婚約者となったマルクスによる再度の事実確認。

「第五王子殿下は婚約者を挿げ替える。結婚の契約は履行しない。慰謝料は出し渋る。けれど引き続き王子殿下に代わっての兵役の義務は遂行しろと命じられる。今一度ご確認いたします。お間違いの箇所はございませんか?」

 要約、整理整頓され、並べられたカードは酷いものだった。この手札で勝とうとするのは無謀だ。


(いくらなんでもこれにうなずく人間はいないのでは…?)


 フランツ殿下からの返答は一言。

「よく吠える犬だ」

 

 …犬でも嫌がるのではないでしょうか…?

 

「さて。どちらが役立たずで恥知らずなのでしょうか。真実の愛を選んだ王子様? あるいはノブレス・オブリージュをまっとうした悪役令嬢? より大多数の人々に尋ねてみますか」

「っこの。黙れ、犬風情が」

「下がれよ、『元』婚約者」

 職務上では副官でもある男が珍しく乱暴な言葉遣いを見せる。口調だけは完全に抑制されたソレだけれども。魔力による威圧。軽いのものだ。ギリギリ不敬ではないラインを見極めてくるマルクスが理性を手放しているわけではない。


 私が軍人を続けてもフランツ殿下の兵役にはもうなんの関係もない。それを王妃様に理解していただくには時間がかかった。

 フランツ殿下を魔道士部隊タリスマンに入隊させることも不可能だ。

 行き先が明日をも知れぬ戦場なのだから、知人や友人、家族という先任者のいる部隊へ配属されることで本人は心強さや安心感を覚えるに違いない。

 しかしタリスマンが配置されるのは常に最前線なのだ。筋肉がみっしり詰まった重く硬い毛袋の軍勢とグーパンチに殴りあう場所なのだ。昨年の手合わせから鑑みる殿下の能力では、たぶん生き抜けない。若く健康で、運動と栄養たっぷりに育てられた肉体。理論武装済みの魔力素養という戦闘能力だけなら一級品だ。本人の自信も、まわりから即戦力を期待されるのもわかる。けれど油断の悪癖がある。しかもそれを指摘されると怒りだす。

 なにより重要なのは、殿下がこちらの制止をききそうにないことだ。傭兵や冒険者のような個人事業主を目指すわけでもないのに、『駄目です』『やってはいけません』という上官からの『命令』を公然と無視しそうなところだ。

 私に対する暴言は国王陛下や王妃陛下方が嗜めてくださっていた。それでも聞き入れなかった。攻勢にしろ防御戦にしろ、隊長である私に『やれ』と命じられたフランツ王子が遅滞なくそれを行うかを問われれば不安を覚える。『撃ち方、やめ』の停止も危うい。なんなら時間厳守の集合さえもだ。茶会など段取りからしておかしかったが、平気で遅刻し、悪びれたところがない。軍属でなくとも遅刻、土壇場でのキャンセルは社会的な信用を失わせる行為だ。致命的ですらある。軍務尚書閣下ですら、破談合議の席に青筋をたてていらした。

 帝国民で、帝国軍人であるアーデルハイトから見ても最上位者からの命令がきけないのであれば、規律が守られるとはとうてい信じられない。そんな爆弾を自らの部隊へ招き入れるわけにはいかない。婚約破棄のためにただでさえ迷惑をかけた大切な部下たちを危険にさらすわけにはいかない。

 殿下が自信を持つ個人の武勇はもちろん大切だが、総合戦闘力が求められる軍隊では周りを見ずに勝手に動く駒は弾かれる。

 生き抜けない、というのはつまり排除されるだろうなぁという予感でもある。前面の敵にか。後方の味方にか。未来は誰にもわからない。けれど『待て』『伏せ』、からの『襲え』の号令を待つ軍用犬の群れに、きゃんきゃんと吠えて突撃する躾けのなっていない愛玩犬が放りこまれれば?

 それは同じ洗礼を浴びたアーデルハイトにもわかる。アーデルハイトには教官がいた。第五王子には護衛もつかない。

 王族を守りながら戦えと命じられるのであればまだ良い。けれどその場合は護衛を最優先とし、そもそも前線に出てはいけない。徒歩かちと騎馬に殿下の周囲をかこって部隊を配置しても、拳の隙間があればなにが飛んでくるかわからない。自分が死ぬと考えていなくても、たやすく、呆気なく、一瞬に命が散るのが戦場だ。


 問い。爆裂術式と肉弾戦が飛び交う横で、ハイハイする赤ん坊の行き先を整備するように危険物を取り除けるか?

 答え。無理です。


 考えるまでもありませんでした。

 

 テーブルの下に手をとられた。えっと声をあげなかったのは驚きすぎたからだ。マルクスの指が右手の薬指を撫でた。くれたばかりの指輪が飾る場所。温かい手のひらに、指が冷えていたことへ気づかされる。繰りかえされる会話はそうと知らず、私の気力をくしけずっていたようだ。

 マルクスの手は、子どもの頃、一人で食事をしていた私の足元から鼻先を伸ばし、薄茶色の身体をこすりつけ、ここにいるよ、と教えてくれた愛犬の優しさに似ていた。涙の味がするパンを飲みこんで、彼の頭を撫でて返したことを覚えている。なぜあんなにも悲しかったのかは上手く思い出せないのに。


 …そうだ。一人で考えなくてもいい。抱えこまなくてもいい。

 頼もしい仲間が隣にいる。ふっと肩が軽くなった。


 右を見て、マルクス大尉。

 左を見て、フリードリヒ大尉。

 二人の部下は首を横にふった。

 安心して断りの口上を述べる。


「このたびは弊隊への入隊希望の申し出をいただき、ありがとうございます。副官、小隊長も交えて慎重に検討しました結果、誠に残念ながら今回は採用を見合わせていただくことになりました。ご期待に沿えず申し訳ございませんが、何卒なにとぞご了承いただきますようお願い申し上げます」

「アーデルハイト…ぉ!」

 不満を訴えるフランツ王子に、マルクス、フリードリヒからの追撃がかかる。

「第五王子殿下。何度も申し上げるようですが、私の婚約者を名前で呼ぶのはお控えください」

「殿下。言われたことは一度で覚えねば。実戦ではメモをとる暇はございません」

「アデル。じゃが…」

「第五王子殿下の、より一層のご活躍を心よりお祈り申し上げます」

 王妃様のご希望はなるべく叶えてさしあげたいが、軍務や部隊に関しては私が一人で決めるわけにはいかないことだ。

 なんとか納得していただきたい。

 そして私の部隊への謝罪はいただきたい。

 情がないと叱られても、ここだけは譲れない。

 勲章も休暇も、名誉ごと取り上げられたのは部隊単位だ。悪役令嬢の共犯者として疑われた彼らの方がよほど可哀想だ。

 慰謝料目録の土地面積や立地などよりもよほど重要だ。軍務尚書閣下にもガンとして訴えた。退く気はなかった。

 フォルクヴァルツ家から軍部への謝罪発表は来週になるらしい。受け入れた。確約をくださったのはフェルディナント殿下だった。…この呼び方も改めるべきだな、と気を引き締める。将来の義妹へ向けられたご好意だったのだから。

 そして婚約者だった王子は私への疑いを捨ててはいない。軍需品を横領したとか、他国へ情報を流したとか、上司を殺害したとか、そういうのだ。ならばそんな危険人物が今ここに大手を振って歩いているのがおかしいだろうに。

 やっていないことを証明するのは、やったことを証明するよりずっと難しい。

 軍務尚書閣下たちが証言してくれて本当によかった。真面目に仕事をするのはとても大切だ。

 今後はフランツ殿下ではなく第五王子殿下とお呼びするべきだろう。少なくとも、私の部下として配属されない限りは。王子は最前線に兵役をまっとうすると宣言した。今後は、職務において互い、全力を尽くす間柄となる。

 満足げな息を吐いたのはマルクスだった。本物の豆を挽いた香りのよいコーヒーを飲み干し、受け皿へと戻しながらだ。

 私の婚約者だ。形は整った。まだ実感はない。でも何故か、いつか、二人で飲んだたんぽぽコーヒーの味が舌に蘇った。

 好戦的な笑みを浮かべる男。有能さ、勇猛さはすでに充分知っている。私の為に唸り声をあげ、私の為に牙をむく。不意に頭を撫でてやりたくなった。けれども。


「ようこそ。第五王子殿下。我々の庭へ。戦場へ。弱肉強食の生存競争へ。歓迎しますよ、心から」


 私もまた、殿下の入隊を断れてよかったと心から思った。なんなら安堵した。間違えなかったことはわかった。

 失敗はしなかったはずだが、首の後ろをチリリと焦がすような感覚がしばらく消えなくて落ち着かない。殺気を向けられた覚えもなければ、殺意を放つような相手はいなかったはずのなのに?

 退室し、マルクスと別れ、着替えのための部屋へ案内されながら。首の後ろを何度が撫でた。気づいたフリードリヒが上品な笑顔を浮かべた。

「お気になさらず。マルクス大尉が浮かれておりますのは、後方腕組み彼氏面から堂々婚約者を名乗れたのがよほど嬉しかったのだと思います」

 …こうほう、うでくみ、かれしづら…?

(スラングかしら?)

 あまり聞いたことのない言葉が第四王子の口から飛びだしてくる。内心に首をかしげる。こちらの王子様は市井に馴染みすぎだと思う。母君とお会いするのは初めてだったが、とても親切な方だった。マルクスのことも褒めてくださった。でも爆イケってなにかな? ビジュがいい、よりも格上の褒め言葉らしかった。嬉しくなって自慢の婚約者ですと胸を張った。言ってから気が早かったかしらと後ろを振り返った。よくできました、花丸ですと言わんばかりのマルクスがうなずいていたので正解だろう。今後は横槍が入らないよう周囲に見せつけていこうというのが婚約者となった彼からの提案でもあった。


 父から破談同意書にサインを貰ってくるという新しい課題を抱えることとなったが、一仕事を終えた満足感とともに軍服へと着替え、軍令部へ帰還する。待機所に出迎えてくれたのはシュタイン中尉とブレン少尉だった。気持ちを切り替える。すぐにわかった。

「人なんかあちこちでたくさん死んでるじゃないですか」


 アッ、これあかん奴だ。


「そうだな。ブレン少尉。少し、落ち着いて、お話をしよう」

「? はい!」

 

 目が合ったのに、合っていない。ブレン少尉の真紅の瞳孔が縦に引き絞られ、小刻みに揺れている。体内に魔力が荒れている。それはブレン・ブラートフィッシュの精神状態そのものだ。

 王立学園への危険物持込、そして幻獣種への遭遇接敵戦はともかく。任務でもないのにひとを殺しちゃいけません、殺そうとする行動を起こしてはいけません、というお説教をするつもりだった。やめた。医局のカウンセリング室へ直行した。

 カモミールとラベンダーのブレンドハーブティー。マーブルチョコクッキー。医師を交え、お茶菓子をつまみながらの三者面談。食欲不振と睡眠障害の症状が顕著。心的外傷後ストレス障害が濃厚との診断を受ける。

 ブレンが言うには、シリアルバーの食感がイヤだったらしい。しかし他に食べるものがない。無理やり詰めこむ。吐く。という悪循環から食欲自体が減退。

 夜は夜で、交代制の夜警当番がある。夜討ち、朝駆けの襲撃。悲鳴じみた、「敵襲ぅー!」の怒鳴り声に起こされる。小刻みな睡眠時間に上手く眠れなくなる。起きているときに目の前で食い殺された仲間の夢を、浅い眠りの合間に見る。それが、部隊の誰かの姿になる。隊長である私だったり。副官であるマルクスだったり。オスカー副長、フリードリヒ小隊長、シュタイン中尉…。そして自分だ。落ちた首に、首のないカラダを見上げている。飛び起きる。

 慢性的な頭痛、耳鳴り、倦怠感。ときおり襲うのは吐き気と目眩。

 やんわりと、休職も視野に入れるべきだという軍医からの勧めもあった。本人から猛反対された。

「たしかに、苦しくは、あるんですが、…たのしい苦しさって言うか…」

「うん」

 急かすことなく、彼の言葉を待つ。

「俺、こんなにたくさん炎をつかったことがなくて…誰にも咎められなくて…しかも褒められて…。魔力切れを起こして倒れても、ドキドキして…なんかもう胸がいっぱいで…」

 任務を達成した充足感ということだろうか。

「火が、燃えるんです。赤くなって。大きくなって。たくさん。ひろがって、燃えて、燃え上がって…みんなのこと、食い破った毛玉も燃やして……俺の思うままに……火が、炎が…っ。最高でした!」

「うん?」

 大変よろしい笑顔だ。

 (かたき)はとってやるということかな。新任の准尉に心配される古参たちではないと思うが…。むしろ聞けば拳骨を食らわせそう。

 ハーブティーのカップをかたむけた。語尾のクエスチョンマークは誰にも気づかれなかったようだ。ちょっと意味がわからない。同じ帝国語を話しているはずなのに不思議だな。けれどそれこそがシェルショックの症状である証左なのかもしれない。

「辞めたくないです。俺はこれからも魔道士として活躍していきたいです。火炎系最高の魔道士になります!」

 ブレンの前に、戦闘魔道士という職業選択があったのは幸いだ。

 あとこれは個人の資質の問題なので、「これだから魔道士は」という目で私を見るのはやめていただきたいです、ドクター。


評価や反応が本当に嬉しいです。もっとください。書く気力になります。でもどうして一日は24時間

しかないんでしょうね…?忍び寄る年末進行に残業して睡眠時間を逆算したら、パソコンに向かう残り時間が絶望的なことになります。

こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。

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