アンノウン・マザーグース【3】
暗に、自身の領地経営にケチをつけられたと感じたのだろうアルニム伯が忌々しげ顔を歪める。それでも自制し、怒鳴りつけることをこらえているのはブラートフィッシュ侯爵家の手前もあるのだろう。面白そうなことが始まりそうだとテーブル後方に円をかいた周りのギャンブル仲間たちへの見栄もあるのだろう。
「それとも娘に頭を下げて乞うてみますか?」
「なに?」
本心から何を言われているのかわからないという表情だ。想像もしていなかった提案だったようだ。
「なぜ私が、」
「お困りなのでしょう。領地からの突き上げを食らっているのでしょう。安全管理を疎かにしてきたツケが噴出している。そして娘に頼る以外の解決策は思い浮かばない。…いや、そもそも考えるつもりがない」
嫌悪感を覚えるレベルの無能さだ。
「きさ、っ貴官、口が過ぎるぞ」
「俺の口が過ぎるなら、あなたの口は怠慢でしょう。“私が悪かった。どんな条件でも飲むからどうか領地に足を運んで魔獣を打ち倒し、我々を救ってください、アーデルハイト様”とでもお願いする立場なのでは?」
「若造が…っ。貴様、アーデルハイトの部下だろう。私はまだ貴様を認めてはいない」
娘の部下風情がなぜ自身に逆らうのか。そう言いたいのだろう。従順であるはずの娘を誑かした男だと思われているのかもしれない。
肘をついたブルクハルトはうっすらと微笑んだ。
「マイヤー子爵とアルニム伯爵令嬢の婚約証明書はすでに貴族院へと提出されているよ。アルニム伯爵、君に認めてもらう必要はないんじゃないかな」
「はい。フェルディナント殿下からも祝福のお言葉を賜りました」
アーデルハイトが告げた王族の名に、アルニム伯の肩が揺れる。動揺に目が泳いでいる。声のない、周囲のどよめき。感嘆符。他でもない悪役令嬢本人からの露呈は、水を向けたのがブラートフィッシュ侯爵家の者であるという後押しによって周知の事実となる。
「ならば何故、破談確認書が必要だ。勝手に話を進めておいて、……フランツ殿下からの引きとめがあったんだな!?」
カッと目を見開き、喜色満面に振り返ったアルニム伯爵に尋ねたい。
その短い沈黙の間に、どこがどう繋がったらそんな結論が飛び出てきたんだ?
「いいえ。王妃様からの要望です」
あまりにも斜め上への展開に、俺が段階だった説明を求めるよりも早く。アーデルハイトがカットカードの如く否定を差しこんだ。
チップの交換に応じていたディーラーすらも手を止めていた。
そうだな。ダンスも踊っていないのに、この伯爵フロアを沸かせ過ぎじゃないか?
「母親のように慕っていた王妃陛下の願いを、可能な限り叶えてあげたいというのがアーデルハイト嬢の希望です。アルニム伯爵にとっても、損はないお話でしょう」
だからここへ来た。足を運んだ。この男とて、恋に舞い上がった第五王子が今さら婚約破棄の撤回に動くとめでたいことを本心から期待しているわけではあるまい。
(いないよな?)
少し心配にもなったが強行する。
頑固親父さながら、どこの馬の骨とも知れん男に娘はやれん!と立ち塞がる父親であればマルクスは苦笑に済ませてやった。穏便に、対話による歩み寄りを試みてやっただろう。マイヤー子爵の名に婚姻の申込書は送っている。昨日のうちに。アルニム伯のもとへ。ギュンター執事によれば、中身も見ずに暖炉の火にくべられたらしいけれども。
この場を設けた自身のやり口が、娘を持つ父親にとって逆鱗にもふれるべき不誠実な手法であることは理解している。それなりの家格をもった貴族から見れば駆け落ちどころか人攫いにも似た行為。
アルニム伯爵が父親としてアーデルハイトを育てていたのなら。慈しんでいたのなら。無能でも、怠け者でもよかった。協力し、支え、援助することも吝かではなかった。義兄となるアルバン・アルニムに後援を持ちかけたようにだ。有害となるのなら仕方がない。親切に、礼儀正しく、決定権を奪って飼い殺してさしあげよう。変わることも成長することも、期待はしないし、押し付けるつもりはない。
けれどアルニム伯が不機嫌な理由は、賢く可憐で親孝行な娘を奪っていく男に対するもの、ではなかった。
ただ、思い通りに動かない娘に向けられた焦りの裏返しだった。
すべての準備を終えたディーラーが両手を広げて促がす。
「プレイス・ユア・ベット」
賭けてくださいとベットを促す。
正面にディーラーが立ち、半円となった部分に数名のプレイヤーが着席してゲームが進行するのがブラックジャックだ。
応え、ベッティングエリアに黄色のチップを一枚。押し進め、参加を表明する。
─── 婚約破棄のパーティの夜。そしてつい先ほどの再会に。
アルニム伯は一度たりともアーデルハイトを気遣う台詞を吐かなかった。
静かに目を眇める。
この男は娘を労ろうとしない。無事で良かったの一言すらかけようとしない。思いやろうとしない。男は感謝の言葉吐くのが苦手だという前提以前の問題だ。気遣おうとしない。なんなら知ろうともしていない。
初対面のオスカー曹長に妹の仕事ぶりを尋ねていたアルバンとは対照的だ。
(従順なだけの淑女が俺をイヌ扱いするものかよ)
危機感が仕事を思い出したか。この期に及び、躊躇を見せたアルニム伯の背を言葉に蹴飛ばしてやる。
「どうしてそこまで第五王子殿下に拘るのでしょうか。父親であれば、娘のために憤慨し、抗議の声をあげるような破棄を突きつけられてなお、伏して殿下の庇護が必要ですか? まるで婚約を破棄されてはまずいような、個人的な事情があるのかと勘繰ってしまいますね?」
不正を仄めかした。
心当たりはあるだろう。
そして。
「さぁ、」
煽りは充分だろう。
「プレイス・ユア・ベット?」
薄く笑み。あえてカジノディーラーを真似、最終確認を行う。
「……っ」
アルニム伯は乱暴な手付きにベッティングエリアへと黄色のチップを1枚乗せた。
婚約者と父親が張り合う野郎どもの意地など何処吹く風に、アーデルハイトは緑のチップ1枚。ブラックジャックテーブルでの最低賭け金額を賭ける。
左端の侯爵家次男に続き、右端、ミュラーの騎士もそれぞれチップをベッティングエリアへと。
「ベット終了時間です」
お喋りの時間もまた、終了したことをディーラーが知らせる。
社交場と聞いて身構えていたが。実際のところ、プレイ中にべらべらと語る人間はあまりいなかったからだ。それ以上に耳を傾ける人間がいない、ということも大きい。大のおとなたちが、そろいもそろってカードに、ダイスに、ルーレットに。ギラギラとした熱気を隠しもせずかじりついている。
それぞれの手元へと、2枚ずつカードが配られる。
プレイヤーのカードはすべて表向き。
ディーラーのカードは1枚が表を向いて、もう1枚は伏せられている。
俺の手持ちのカードは6と7。合計13。
表向きとなったディーラーのカードは5。この場合、ディーラー側が伏せているもう一枚のカードがなんであれ、必ず17以下となる。つまり次のカードをヒットしなければならない。
テーブルと水平、手のひらを下に向けて左右に振る。スタンドを宣言。
ブラックジャックにおけるカジノディーラーには、じつのところ選択権などない。強いも弱いもない。本日テーブルに出たばかりの新人だろうが、バーデンに10年を勤めたベテランであろうが同じことだ。手際の差はあるだろうが。16以下であればカードを引く。17を超えればカードを引いてはならない。それだけだ。そこに運の要素を見出すロマンチストはきっと、この会場にもいるだろう。おそらくは多数。
しかしマルクスがこのテーブルを選んだのは目の前のディーラーが幸運の女神と無縁そうだなんて春の陽だまりのような理由からではない。
美しく、なめらかなカード捌きを見つめるアーデルハイトが楽しそうだった。そして計算が速く、所作がきびきびとしていて、接客の態度に不満がなかった。以上である。
ヒットを宣言し、次のカードを引くプレイヤーが居なくなれば、伏せられていたカードがオープン。8が登場。合計13。次のカードはQ。絵札は10と数えるため、合計23となる。21を超えることをバストと呼ぶ。
バストによりディーラーの負けが確定し、5人のプレイヤー全員に掛け金が倍となって返ってくる。
ブラックジャックはディーラーと各プレイヤーとの一対一の勝負なのだ。プレイヤー同士が競っているわけではない。
そこに、俺はオレンジチップ一枚分の賭け金を、どちらがより増やせるかの勝負を上乗せしたまでだ。
次のカードは3と5。合計8。
しかもディーラーの手元で表を向いたカードは7だ。
トン、トン。人差し指にテーブルを叩いてヒットを宣言。
2、続いてK。合計20。
プレイヤーは21を超えない限り何回でもヒットすることができる。
ディーラーは自分の手が17を超えるまで何回でもカードを引かなくてはならない。そして17を超えればその後は追加のカードを引くことができなくなる。
伏せられていたディーラーのカードは10。合計が17に達したため、それ以上のカードを引くことができない。
黄色チップが2枚になって返ってくる。
ブラックジャックの基本戦略において重要なのは10と絵札だ。これらのカードを引く確率は13分の4、つまり32.5%にも及ぶ。
それはデッキ数に関係なく同様の確率であり、プレイヤーもディーラーも同じ条件である。以上から、ディーラーの手元に伏せられたカードは常に10か絵札であると想定したストラテジーチャートが一般的だ。
すべては確率論における仮定であるが、正直弾幕だって似たようなものだ。こちらは数撃ちゃ当たるの世界を突き詰めたもの。最終防護射撃と呼ばれるのは並んだ魔道士による爆裂術式の連射だ。歩兵部隊が防御において敵の突撃を破砕するための戦術である。名前の「最終」から想像できるように、防御の最終手段でもある。この戦法を持ってしても魔獣の突撃が止められなかった場合、泥沼の白兵戦が幕を開ける。兵士の生存率は急降下する。
今この場がそれよりも平和な場所であることはたしかだ。血の代わりに流れているのはカネだ。人によっては命よりも大切だとのたまうそれが、瀉血を強いられている。
確率は必ず収束する。長い目で見れば胴元であるカジノ側が必ず儲ける仕組みとなっているのだから。
3回戦は9と9。合計18。
当然ながらスタンドを選択。待機した俺に対し、ディーラーは合計19。
半円形のブラックジャックテーブル、ビリジアン色の基盤上、ベッティングエリア枠から黄色チップが回収されていく。
にやっと笑ってこちらを見やったアルニム伯の表情がまた腹がたつ。
伯爵がカジノに出入りしていたのはアルニム領の畜産物を売り込むためと言うが…「無駄な敵ばかりを作っていました!」と言われても俺は驚かない。
Aと5が配られる。
机を軽く叩いてヒットの合図。
Aを11と読めば16だが、1と読めば6だ。
ディーラーのアップカードが7である以上、ヒット以外の選択肢はない。伏せられたカードが10、絵柄であった場合には17となるからだ。そうでなかった場合はディーラーがカードを追加し、17以上の数字とする可能性が高い。16では勝てない。
追加されたカードは4。合計20。
黄色チップが2枚となって返ってくる。
確率はしょせん確率だ。基本戦略とて確実ではないが、道標とすることはできる。暗闇のダンジョンで光るランタンのようなもの。そしてさらに踏みこんだ地図を手にするのがカウンティングだ。
ゲームには必ずルールが存在する。逆に言えば、ルールがなければゲームとして成立していないわけだ。そしてルールに則った必勝法など研究され、対策され尽くしているのも事実。
『カジノ・バーデンのブラックジャックにおいてサレンダー、インシュアランス等のローカルルール、ハウスルールは考えないものとする』でよろしくお願いします。降参も保険もナシの方向で。乗ったらもう、上がるか、堕ちるかしかないヤツです。
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