アンノウン・マザーグース【2】
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革靴を鳴らし、大股、足早にアルニム伯が近づく。そして。
「アーデルハイト! これはどういうことだ!」
……いきなり怒鳴りつけやがった。
(こんな場所で)
ばかな男だ。想定以上だ。よほど焦っているらしい。
(呆れるな)
どいつもこいつも。
しかも伯爵は娘の二の腕をとろうと無遠慮、手を伸ばしてくる。俺がその手首をつかんだことで動きが止まる。
「こんにちは。アルニム伯爵」
夕の挨拶をするには早い時間帯だろう。指に力をこめる。骨ばった壮年の手首が、ギチときしむ。
「淑女に乱暴はいけませんよ」
ゆっくりと振り返ったアーデルハイトは静かな目に父親の姿を見上げ、つかまれた手とは反対側に持っていた手紙へと視線を移す。封が切られていることを確認する。
「お父様。ゲーム中です。他の方の迷惑となります。お静かに願います」
反射に怒鳴りつけようとしたアルニム伯は同じテーブルに着く紳士たちからの好奇、あるいは非難じみた視線をそこで初めて意識したらしい。声を落とし、言い訳らしきものを取り繕う。
「お、おまえが来いと言ったんだろうが」
「殿下との婚約破棄成立を、新たな婚約を報告申し上げました。こちら、マルクス大尉、マイヤー子爵です」
「はじめまして。では、ありませんが」
まぁ覚えてはいないだろう。2週間前の祝勝会に一瞥しただけの男など。娘の部下の一人として認識しているかどうかも怪しい。直接挨拶したことのあるオスカー副長にすら、興味を持たなかった父親だ。形だけであっても、離れて暮らす娘の近況を尋ねるところだろうに。
座ったまま、肩を割りいれるように身を乗りだす。にこやか、握手のように手首を握る。
「改めまして、アルニム伯爵。ご紹介にあがりましたマルクス・ミュラー・マイヤーです。このたびアーデルハイト令嬢と婚約の運びとなりました。こちらからご挨拶にうかがうべきところ、このような場所にまで足を運んでいただき恐縮です」
まったくもって恐縮していない口調に、手を緩めることはない。
「っ離せ。子爵風情が。私は認めていない。アーデルハイト、来い。帰るぞ」
小首をかしげたのは娘そのひとだった。
「どこへですか?」
「アルニム伯爵領に決まっているだろう! どれだけの苦情が私の元へ届いていると思っている! それもこれもおまえが義務を放りだして遊び呆けているからだ!」
「驚いたな…。常日頃より軍務に励む真面目な軍人を捕まえて、ずいぶんな言い草だね」
穏やかな声音がかかる。五人掛けのブラックジャックテーブル左端に座ったブルクハルト・ブラートフィッシュからだ。
「部外者が口を、」
差し挟むな、とでも言いかけたのか。
さすがにブルクハルト様のご尊顔はご存知らしい。ブラートフィッシュ家の次男坊だと気づいたらしい。上司の上司の上司の息子だ。アルニム伯爵の口はそれ以上の言葉を発することなくぽかんと開く。
なお、呼んでない。俺もアーデルハイト嬢も呼んではいないし、なんなら連絡もしていない。
ブルクハルト様は何故かカジノ・バーデンのバーにカクテルを召し上がっていらっしゃった。
先回りしたのだろう。深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。見学させて欲しいと言われれば拒否も難しかった。
デートですが、邪魔ですが?と言いたかったが、こらえた。婚約者の“友人”に対するアーデルハイト令嬢の挨拶は完璧だった。後回しにされること、部外者に追いやられていることにすら慣れているのだ、と感じた。親しげに話しかけられ、交友関係の輪の中へ招き入れられたことを素直に喜んでいた。
アーデルハイト嬢のドレス、装飾品を上から下までしげしげと眺めたブルクハルト様はにこり微笑まれた。
「念の入ったマーキングぶりだね」
やかましいと言い返せないのがつらいところだ。
「はい。愛らしいことです」
そして隊長。あなたは誰が愛らしいと仰るのか。
「僕のことは財布だと思ってくれればいいからね」
「大きなお財布ですね」
(それはあまりにも不敬が過ぎるのでは?)
貴族ジョークか。これがそうか?
子爵位を継いだばかりの俺にわかるはずもなく。
相槌に迷う会話を上司にふられると困るが、婚約者からふられるともっと困るということは今日知った。侯爵家、伯爵家二人のやり取りに一人ひっそりと冷や汗をかいていたわけだ。独特のペースを貫くスタイルが彼らは非常に良く似ている。
そしてカジノ・バーデンが侯爵家の身内を入店拒否などするはずもなく。ブルクハルト自身もまた、亡くなった妻の爵位を継いでおり。
ここに至る。
怯んだアルニム伯へと畳みかける。
「我々に御用があるのはどうやら伯爵のようですね」
「ええ。お父様。おかけください。ここまで来たということは勝負に乗ったということでしょう」
「アルニム伯爵。君も席につきなさい」
「しかし閣下、これは我が家の問題で、」
「君はずいぶんと娘さんに甘えているようだね。いつまでも他人の時間を奪うものではないよ」
中断されたゲーム盤を前に、ブルクハルト様がわずか眉をしかめる。ハッとなったカジノディーラーがテーブルに片手を広げる。
「賭けてください」
プレイス・ユア・ベットの合図。
「チップがまだ、用意できておらず」
「換えてきたまえ」
呆れたように。強者の傲慢を持ってブルクハルトが命じる。
……自分の役目を奪われたようで正直面白くはないが。
握っていた手首をぱっと離してやる。
「オレンジチップ1枚分から始めます。手紙にてお伝えしたとおり、どちらがより増やせるかの勝負です。俺に勝てば伯爵領の魔獣退治に力をお貸ししましょう」
正々堂々の宣言だ。
「ああ、賭け金もお貸しする必要がありますか?」
そして嫌味ったらしく煽る。すでに勝負は始まっているのだから。
「っ、すぐに戻ってくる!」
腕を取り戻したアルニム伯はこちらを射殺さんばかりの目付きに睨んで足早、交換所へと向かった。プレイ中のテーブルではプレイヤー以外、チップ交換ができないからだ。いかさま防止の観点から、ディーラーへ直接依頼することもできない。
カジノチップは色によって金額が分かれている。一目でわかりやすいように。白から始まり、オレンジが最高額だ。防犯対策、そして現金を賭けるという心理的負担を軽減するために、また計算がしやすいという運営上の理由から、高純度の粘土だけで造られたカラフルなもの。
VIPルームを使用するハイローラーでもない限り、なかなかお目にかかることもないオレンジ色のチップ1枚は民間での婚約破棄、離婚において有責者側が支払う慰謝料相場よりも高い。黒色の5枚分であり、黄色の25枚分。ピンク色の50枚分。リターンの成果において勝利を目指す以上、あまり細かくする必要はなかった。
カジノでのブラックジャックとは、客であるプレイヤーと胴元であるカジノディーラーが対戦するものであって、プレイヤーとプレイヤーが直接対決するわけではないのだ。ディーラーが複数のプレイヤーと同時に対戦しているのだ。
1ラウンドが終了し、時計を確認する。アクシデントを含めても40分超。当然だが、どのディーラーにも癖がある。スピーディな展開は俺好みだ。好感が持てる。だらだらとした遊戯などやるつもりもない。
勝負はこのテーブルに決めた。
ピンクのチップを黄に交換依頼する動作に宣言すれば、アーデルハイトを挟んで右隣の男は呼吸を整えなおした。俺の左隣の紳士はブルクハルトからの目配せがよこされるまえに自主的に席を立った。
黒が3枚、黄が10枚のチップを手に戻ったアルニム伯爵は吸いこまれるようにマルクスとブルクハルトの間、空いた椅子へと座った。空席かどうかをディーラーに尋ねることもしない。ただブルクハルトにのみ「失礼」と声をかけながらだ。
五人掛けのブラックジャックテーブルは満員御礼。横目、マルクス、アルニム伯の両名がテーブルに重ねられた互いの持ち金を目視確認する。マルクスの手元にあるのは黒が2枚、黄が15枚。勝負条件が明確である以上、誰しも似たような手法をとる。互い、白に赤、緑、茶、ピンクまでのチップがない以上、ハイレートでの短期決戦を目論んでいるとわかる。
ディーラーの手によってカードがシャッフル。ディスカードラックから取り出された前回と同じものだ。『絞り』と呼ばれるめくる動作にカードが折れ曲がりやすく、傷や折れ目がつきやすいバカラと違い、ブラックジャックではカードを使い捨てず、何度か使いまわす。クリスチャン・エラの時代にはシャッフルマシンという便利なシロモノもあったらしいが、現状はひとの手によるしかない。
代わり、カウンティング対策としてカジノ・バーデンでのブラックジャックには8デッキが使用される。
「アーデルハイト。私が勝てばおまえは今夜にでも領地へ発ってもらうぞ」
怒りを押し殺したような声だ。並の女ならば父親からの恫喝に震えあがっていることだろう。
「俺が勝った場合は第五王子殿下との破談確認書にサインをいただきます」
勝負条件を確認した俺に、アルニム伯は何故おまえが口をはさむという驚き顔をさらす。こちらが驚く。
むしろ何故。俺がここに座っていると思うんだ。
婚約者の盾になるために決まっているだろうが。
華麗な手さばきにすべてのシャッフルを終えたデッキはカードの底がディーラー側となるように寝かされる。寝かせたデッキの上にカットカードが置かれるまでを片手に行う。不正防止のためだ。手をクロスさせたりはしない。たった一枚でもカードの中身が見えてしまってはいけない。慣れたものだ。左端のブルクハルトが一度目のカットカードを差しこむ。引き寄せたディーラーがデッキを2分割、前後を入れ替える。二度目のカットカードはディーラー自身が再挿入する。デッキ底から約4分の1の場所へ。
オーソドックスな準備を終えたデッキはカードシューへと格納。ローラーによって固定され、バーンカードが行われる。カードシューから一枚が取り出され、使用済みとされるディスカードラックに入れられる動作のことだ。
流れるようなプロの手際に見惚れていたアーデルハイトが口を開く。
「私はカジノは初めてですから。婚約者であるマルクス大尉が代わって勝負をしてくれることになりました」
「カードゲーム程度、嗜みだろうに。…まぁいい。マイヤー子爵。私が勝てば娘と貴官が我が領内の魔獣を殲滅するんだろうな」
「アルニム伯。魔獣の殲滅が可能であれば誰も苦労はしません。寝食を惜しんで領内を駈けずりまわった令嬢にすら不可能だったのですよ?」
戦意高揚のための演説ならばともかく。実現不可能な夢物語を提示した賭けはできない。誰が相手であろうが、マルクスはそこまで不誠実にはなれない。
「な、約束が違う!」
「いいえ? そちらの騎士団よりはよほどマシな仕事ができると自負しております」
能力が違う。錬度が違う。そして勝利条件が違う。
俺たちが魔獣殲滅に力を貸すと言うなら、民間で最高峰の傭兵団をレンタルする以上の価値があると自負している。
たくさん読んでくださってありがとうございます。