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誰がための牙と呼ぶのか【7】


 彼女の薬指を飾る指輪の輪郭を撫でる。

 アーデルハイトがふりむく。


 右を見て。

「マルクス大尉」

 笑みを浮かべた俺は首を横にふった。


 左を見て。

「フリードリヒ大尉」

 眉根を下げた困り顔だが。口角を上げ、苦笑を形作ったフリードリヒは首をふった。横に。 

 

 タリスマン隊長、アーデルハイト・アルニム少佐は王妃へと向き直った。


「このたびは弊隊への入隊希望の申し出をいただき、ありがとうございます。副官、小隊長も交えて慎重に検討しました結果、誠に残念ながら今回は採用を見合わせていただくことになりました。ご期待に沿えず申し訳ございませんが、何卒なにとぞご了承いただきますようお願い申し上げます」

「アーデルハイト…ぉ!」

 受けてもいない、どころか申しこんでもいない採用試験の不採用通知を受け取るはめになったフランツ王子がうめく。怨嗟のように彼女の名を呼ぶ。

(ふん)

 文句なら親に言え。本人の承諾も得ずに推薦状をねじこんだ母親は貴様の横に座っているだろうが。

「第五王子殿下。何度も申し上げるようですが、私の婚約者を名前で呼ぶのはお控えください」

「殿下。言われたことは一度で覚えねば。実戦ではメモをとる暇はございません」

 だから訓練があるのだ。教官や古参兵どもが青筋をたてて新兵の尻を蹴り飛ばし、脊椎反射に対応ができるよう身体に覚えさせるのだ。

 フランツ王子からはギッとした目付きに睨まれたが。だからそれは母親に向けるべきものだろうに。ステーキの脂によくすべる口を閉じさせるべきだろうに。

「アデル。じゃが…」

「第五王子殿下の、より一層のご活躍を心よりお祈り申し上げます」

 形式的でもなく。王妃の瞳を見つめ。芯から、心から祈るように告げる。

 ……ここまでくれば席上の誰にだってわかる。アーデルハイトが親しみを感じているのは、愛情を持っているのは婚約者であったフランツ王子ではなく王妃の側だ。

 

 メインディッシュの皿が下げられるとともに、サラダが登場する。

 中央が窪んだ白い丸皿の外周には色とりどりの生野菜が並ぶ。

 ナイフとフォークで小さくまとめ、フォークに刺したえんどう豆を真ん中のドレッシングにからめて口に運ぶ。

 生野菜の分際で、腹がたつほど美味い。もちろん今までの料理もそうだ。贅と工夫を凝らしたもてなしの心意気。料理人たちの腕は確かだし、プロの熱意をもって仕事に取り組んでいることはわかる。

 

「フランツが可哀想だとは思わないのかえ?」


(この雑音がなければな?)


「自ら選んだ道を歩ける王子殿下は幸いでしょう」

「八年間も婚約者だったのじゃ。そなたに情はないのかえ?」

「年に一度。多い年でも三度しかお会いしておりません。王妃様にお呼びいただく機会の方が多かったくらいです。情、…情ですか…」

 困っている。そうだろうな。というか、年に一度しか会ってないのか。八年もの時間があってこの王子は一体何をしていたんだ?

 ……サイズ違いのドレスを贈ってくるぐらいだ。推して知るべし。

「最前線など危険すぎる。のう、フランツは優秀な魔道士なのじゃ。学園でも学科、実技に主席の成績を修めておる。春には卒業生代表として挨拶を、」

「母上」

 いつまでも続きそうな身内自慢に待ったをかけたのはフランツ王子本人だった。気難しい表情を装ってはいるが、満更でもなさそうだ。俺としては心底呆れるしかない。

 魔道士。優秀な、魔道士?

「第五王子殿下は魔道士部隊われわれに恨まれていないおつもりなのですか」

「だから推薦ができるのでしょう」

 なんの抑揚もなく、フリードリヒが付け加えた。

 守ってもらえると、本気で信じている。

 ……まぁ、現実問題として。タリスマンにフランツ・フォン・フォルクヴァルツが配属された場合は守らねばならないだろう。なにしろ真実事故や魔獣との戦闘に非業の死を遂げていたとしても、誰も信じない。俺たちが、アーデルハイトが、王子を始末したのだと考える。表立って疑惑の声を張りあげる者はいないかもしれないが、復讐の刃を疑う者は少なくないはずだ。

 なぜなら真っ先、疑惑の声とやらに俺たちの横っ面を引っ叩いたのはフランツ王子だからだ。普通の人間は考える。殴り返される自分というものを想像する。

 目を見開いたのは王妃ただひとりだった。

(なるほど)

 これが、あれか。フリードリヒの言う王妃の悪癖、みんなに愛されるかわいいフランツ君幻想か。認知の歪みが恐ろしいな。

 フランツ王子本人には、さすがに自覚があるようだ。ただし悪いとは思っていないのだろう。自身の正義を信じているのだろう。己が正しいと信じられるのは幸せなことだが、地獄への道は善意で舗装されている。正義を語る口は腹八分目で過剰なほど。天ノ国へと至れる道は善行によって敷き詰められている。


「アーデルハイト令嬢。そなた、…そなたらは、こなたを恨んでおるのかえ」

「むしろ何故、怒っていないとお考えなのでしょうか」

 王妃、伯爵令嬢の二人は顔を見合わせ、互いに不思議そうだった。


「先日の祝賀会は北方戦線の遠征作戦従事者を招いてのパーティでした。名誉を受けると信じて列席した我々魔道士部隊タリスマン12名を壇上に弾劾、侮辱したのは第五王子殿下ですが?」

「しかも不貞の恋人を侍らせてまで…。ふざけていると受け取られても致し方ありますまい。新しい婚約者に舞い上がる気持ちも理解できますが、まずは破談の成立からでしょう。どちらの女性に対しても不誠実極まりない。披露目ならば別席を設けていただかなくては。何故、婚約破棄と同時に新たな婚約者を紹介しようと思ったのですかな? 何故、慶事の会場に悪役令嬢への告発として軍法会議の案件を連ねる必要があったのですかな?」

 俺とフリードリヒからの指摘には、不機嫌さを隠しきれない王子が答える。

「時間をおけば証拠隠滅をはかる、と、考えたからだ。第一、不正を行った者が称賛されるなどあってはならない。一刻も早く、みなの目を覚まさせるべきだと判断したのだ。魔道士部隊タリスマンではなく、アーデルハイトに対してだ。ピーアの一件は、……勇み足だった。それは認めよう」

「個人として、第五王子殿下が挙げ連ねたような犯罪行為が可能であると?」

「悪役令嬢とはまったくもって有能ですな。孤立した部隊を率いながら、部下である我々に気付かせることもなく、かような大罪を行えるのですから」

「事実無根ではあるまい。フランツとて調査は行っておる。誰しも間違いはある。誤解されるような行動をとっておるのじゃ。叱責や失敗を恐れず指摘した者の勇気こそ称賛されるべきじゃろう」

「私の部隊への謝罪はいただけるお約束です」

「謝っただろう?」

 いつ。どこで。誰が。どのように?

 副官として、隊長に代わり答える。

寡聞かぶんにして存じません」

(寝言は寝てほざけ)

 退くな。下がるな。どうでもいいと放り出すな。話が通じないと諦めるな。

 自らを鼓舞する。部隊にかけられた汚名を返上し、アーデルハイトの名誉を挽回するという目的のために。

 

 目をやったフェルディナントの合図にサラダが終了。

 テーブル上が一新される。

 ここからがフロマージュ、デザートだ。会話を楽しむための時間のスタートだ。

 仕切りなおし、新たなワインボトルの封が切られる。ワゴンに数種のチーズが登場。銀色のトレーに乗せられ、提供される。

 

 ワイングラスを揺らしたフェルディナント王子は疲労の色が濃い。この茶番を一刻も早く終わらせ、楽になりたいのだろう。義母と弟の発言にはふれず本題に入る。

「謝罪については、王室から帝国陸軍の軍令部宛てに行う」

「遺憾の意の表明というところでしょうか」

 木で鼻をくくるような俺の問いにはゆっくりと頭をふる。横にだ。彼も、また。

「一個人、一部隊に対し、著しく客観性を欠いた、衆目に誤解を与える発言があったことを認める。迷惑をかけたことに対し、謝罪する。また今後このようなことがないよう、再発防止を徹底するという内容だ」

「素晴らしい」

「ぜひ実践していただきたいものですな」

「兄上」

「結構です。受け入れさせていただきます」

 被害者であるアーデルハイトがうなずき、謝罪の受諾を明示すれば、フランツ王子の横槍はもはや意味をなさない。

「フランツはどうなるのじゃ?」

 素朴にして原点、もっとも知りたいであろう疑問を王妃陛下が吐く。応えたのはフェルディナント王子だ。

「約定通り、兵役をまっとうさせます。本人の希望通り、前線に出します。王家からの護衛はつきません」

 第二王子もまた、腹を決めたらしい。ようやくに。

 ワイングラスを手に取り、ひとり心に乾杯ツォムヴォールを呟く。

「当然です。母上。ご心配ならさず。王子として、立派にノブレス・オブリージュの務めを果たしてみせます」

「フランツ…!」

 ……兵役は爵位を持たないすべての平民にも課せられる帝国民の義務なのだが?

 今度は恋人ではなく母親との喜劇が始まるらしい。白けた気分にチーズを頬張り、ワインを飲む。


 なにがどう当然なんだ。今のやりとりのどこに安心要素がある?

 この王子、まさか自分に問題解決能力があるつもりなのか。それ以前に、状況把握の機能に深刻な疑義があるのでは?

 

 10日と少し前の夜に抱いた疑念がまたしても浮かぶ。しかし今度は想定内だ。むしろ期待通り、期待以上。


 今後の意気込みを意気揚々語る王子と、うっすらとした涙さえ浮かべ、誇らしげに頷く王妃の前には、負けず甘い甘いアントルメが饗される。

 摂政だった王子のために作られたというチョコレートケーキ、プリンツレゲンテントルテ。さくりとしたビスケット生地にマーマレードやアプリコットジャム、バタークリームのレイヤーが七層に重ねられ、ビターチョコレートにコーティングされた伝統的なスイーツだ。加え、苺とラズベリーソースのデコレーション。

 並べられたデザートナイフ、デザートフォークを手にとる。軍隊流に言うなら『甘いはうまい、からいは痛い』だ。アーデルハイトの雰囲気も華やいでいる。

「母上。俺ももう子どもではありません。食事や着替えに留意など不要です」

 背景音楽と化した親子の会話に危うく吹きだすところだった。乳母日傘おんばひがさの王族ジョークかと顔をあげる。さりげなく周囲を見渡す。

 綺麗なすまし顔を維持しているアーデルハイト、フリードリヒはさすがだ。

 朝目が覚めれば顔を洗う湯が用意され、夜は清潔にベッドメイキングされた寝具が迎えてくれる生活しか知らぬ坊ちゃんが言うだけのことはある。王宮にも、王立学園にも、呼べば現れるメイドがいて、外に出れば護衛の騎士が付き従う第五王子はおそらく、ほつれ一つ、シワ一つない状態に整備され、室内のクローゼットに吊るされた制服をまとうことを着替えと呼んでいる。食堂に準備されたビュッフェのランチをトレーに選び、テーブルへと、そして口へと運ぶ行為を食事と考えている。糸と針を手にボタンをつけたことはないだろう。飯盒はんごうの火を炭に熾したことはないだろう。

 プロパガンダの新聞記事にもてはやされる崇高な前線しか知らぬ学生にはありがちなことだ。好都合なことだ。

 眉間にシワを寄せたフェルディナントは下品にならない程度にだろう、最速にデザートをかきこんでいる。続いたフルーツを味わう素振りはない。

 目を細める。 

 フランツ王子の入隊はおそらくは春以降。卒業後になるだろう。忖度が成されないということは事前の訓練期間もない。実用に足る、すべての命綱は断ち切られた。

(ああ、まったく)

 地位も。名誉も。己を守り、嵩上げするすべてを剥ぎ取られた王子サマが軍に放りこまれる日が楽しみだ。

 


 ─── 王族の兵役が、そこらの一兵卒と同じ扱いだったとでも?


 言葉ではなく。マイヤー子爵の視線がフェルディナントに問う。怖気が走る、グリーンアイドモンスターの微笑。


 断言できる。違う。第二王子として従軍したフェルディナントには王家からの護衛がついた。華々しい戦果をあげさせるために王室近衛師団が動いた。十重二十重に取り囲んだ魔獣とフェルディナントが対面したとき。魔獣はすでに虫の息だった。万が一にも彼を傷つけないように取り押さえられていた。

「さぁ、殿下」

 と傍らの騎士に促がされ、腰の剣を抜いた。振り下ろした。魔道刃をまとわせた剣は青白く光っていたが、フェルディナントの魔力は弱い。技量自体も未熟。首の急所を狙った剣を二度、三度を振りおろしてなお、断ち切ることができなかった。断末魔に向けられる魔獣の牙。それがとても恐ろしかったという記憶しかない。汗に全身を濡らしながら、ようやっと止めを刺すことができた。

 そして叫ばれる喝采。

「王子殿下が魔獣を仕留められた!」

 肩で息をしながら、全身が冷えていた。肉と骨の硬い感触が、いつまでも手のひらに残っていた。


 王族の、高位貴族の兵役なんぞ実態はそんなもの。後方の椅子を温めるだけの者もいる。生きるか死ぬかの命のやり取りを数年にわたって続けているフリードリヒがむしろ異常なのだ。不安定な政情を鎮めるため。王家はこんなにもみなさんのことを考えていますよと民衆への人気取りのために差しだされた第四王子。ノブレス・オブリージュの御旗みはたのもとに。

 そしてそれを、マイヤー子爵、マルクス・ミュラーは知っている。

 獰猛な牙を隠して笑いながら。突きつける。最終通告。

「では、そのように。軍務尚書閣下にも伝えます」

「……ああ」

 フランツはどうなる。

 フェルディナントは知りたくなかった。

 この先が明るいはずがない。生殺与奪を握られた自覚が弟たちにないことが恐ろしい。だがもう会話に疲れた。父は、兄は、とうに諦めていた。好きにしろと投げだしていた。王族の言動は常に監視されている。享受する権益に見合う自制心は必要で、弟はもう成人した。兵役は18歳から28歳までの間に修めねばならない義務だった。フェルディナントに可能だったのは時期の見送り、先延ばしだけだ。口にだすことすらできず、それすらもが潰えた。



 フィナーレを飾るのはカフェ・ブティフール。香り高いコーヒーには焼き菓子を添えて。


「ようこそ。第五王子殿下。我々の庭へ。戦場へ。弱肉強食の生存競争へ。歓迎しますよ、心から」

 こればかりはマルクスの本心で、卑俗に唇をめくる。犬歯を見せる、悪辣な笑い。

 甘ったれたクソガキが生き残れるかどうかは天使様のご機嫌一つにかかっている。


 地を這う俺たちは人智を尽くすとしよう。


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