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誰がための牙と呼ぶのか【6】 

 

 もっとも内側、最後に残ったカトラリーを両手、やわらかく握る。

「アデルは、この後、どうするつもりなのじゃ? このまま軍人をつづけてもらうことはできないのかえ?」

「当面はそのつもりです。今後については、これから二人で考えます」

 百点満点の回答だ。一人で完結させて一人でいなくなってくれるなと、釘を刺しておいた甲斐があった。

「では、フランツは戦場に出ずともよいのじゃな?」

 弾んだ王妃の声に、牛肉へとナイフをいれていた右手の動きがとまる。

「…………?」

 どういう意味だ?

 フルコース料理がスタートしてからこちら、会話に参加してきた俺でも意味がわからない。前後がつながらない。

「いいえ。そうはなりません。婚約を解消した以上、王子殿下の兵役は王子殿下自身の責務となります」

 アーデルハイトの様子を見る限り、王妃の発言内容はこれが初めてではないらしい。

「王妃陛下。何度も言うようですが、アルニム伯爵令嬢とフランツ殿下はすでに無関係です。アルニム伯爵令嬢の軍歴をフランツ殿下の兵役期間に書き換えることはもはや叶わぬのですよ」

 フリードリヒが補完した。

 思わず目を見開いていた。

 おい。おい…、婚約者のスカートに隠れた王子。

(まさか)

 今度は元・婚約者のスカートに隠れる王子になるつもりなのか!?

 喉をついて飛びだしそうになったツッコミは辛うじて飲みこんだ。

 どういう理屈だ。どこをどうこねくりまわしたら、そんな、チョコレートにアイスクリーム、生クリームが添えられたパンケーキにかけられたメイプルシロップの海へと飛びこむような思考ができるんだ? アクロバティック飛行にもほどがある。せめて滑走路に着陸しろ。王妃の頭には融けて崩れたグラブジャムンでも詰まってやがるのか?

(どうしてそうなる)

 たしかにオスカー曹長は婚約破棄を見世物にした王子サイドに新しい嫁は難しい予測していたが…。新しい婚約者である男爵令嬢の退路を断ったつもりではないかと懸念していたが…。その程度は折込済みだろう。どいつもこいつも頭がついているのだ。全員の頭に甘いスポンジ菓子が詰まっているとは考えられない。考えたくない。実際の行動を起こすまえに熟考しているだろう。

 隊長の後釜に座るピーアとかいう泥棒猫自身、衆人環視のなか、あれほどのマウントをとってきたのだ。隊長以上の成果を求められるのは当然至極。今までのように第三線での従軍治療で茶を濁すなど今後は不可能。感情を抜きにすれば、機動力を持った治療師は重宝する。共に突撃し、その場で治療を施し、次の、さらなる煉獄へ駆け走る。戦場作法ぐらいは心得ているだろうし、…いやなら逃げればいい。逃げ切れるかどうかは知らん。俺が王子で、追っ手ならば絶対に逃がさないが、そのまえにスパイ疑惑に牢獄へご招待される可能性もある。そうなれば逆に、女を連れて帝国の追っ手を振りきる必要がある。あるいは司法取引に女の無罪を勝ち取るか。

 王族の名誉を問題とするならば、男爵令嬢に瑕疵がなくとも婚約者の、配偶者のスカートに隠れることはもうできない。王子なのだ。そうでなくとも男なのだ。惚れた女を戦場で危険にさらしたいとは考えはすまい。

 いくらポンコツでも、まさか王子自身は王妃の妄言に同意していないだろうと対角線上へ視線を投げる。答え合わせは予想を蹴飛ばした。尊大なものだった。

「まったく、役立たずなことだ」

「……アァ?」

 低い声がでた。とうとう抑えきれなかった。フリードリヒが顔を上げた。制止をよこす素振りはない。やりますかな?の意味合いだろう。微笑んでいる。

 アーデルハイトはちらりとした視線をよこした。にこりと笑い返せば、納得顔に気泡の浮かぶシャンパングラスをかたむける。さすがに成人したての若人にこの重さの赤ワインはまだ早い。渋みと酸味が強く、アルコール度数も高い。血のように濃い深紅が注がれたのは大人たちだけだ。ルールはまだ、ここにある。

 取り繕う必要は感じないが、拳に代わって言葉に殴り合う会場だ。規定された概念に則り、試合を始めよう。笑顔は兜。仕草は鎧。語る言ノ葉が刃となる。

「第五王子殿下。役立たずとは、誰のことでしょうか」

「役目も果たさず、対価だけを奪っていくんだ。役立たず以外になんと呼べばいい? ごうつくばりか? …ああ、婚約破棄早々に新しい男を咥えこんだ恥知らずか?」

「これ。フランツ」

 なにが『これ』だ。王妃はそれで叱っているつもりか?

 精神に武装を施しておいてよかった。殴られるとわかっていれば身構えられる。それでも脳内シナプスが焼ききれそうだ。

「すまない。何度も言い聞かせたのだが。…理解させたと、思って、いたのだが。すまない…っ。本当に、申し訳ない」

 フェルディナント王子はナイフもフォークも置いて指を組んでいる。懺悔のように目を伏せ、テーブルに肘をついている。知るか。

「第五王子殿下は婚約者を挿げ替える。結婚の契約は履行しない。慰謝料は出し渋る。けれど引き続き王子殿下に代わっての義務は遂行しろと命じられる。今一度ご確認いたします。お間違いの箇所はございませんか?」

「よく吠える犬だ」

「さて、どちらが役立たずで恥知らずなのでしょうか。真実の愛を選んだ王子様? あるいはノブレス・オブリージュをまっとうした悪役令嬢? より大多数の人々に尋ねてみますか」

 並びたてた事実の、新聞社へのリークを仄めかす。なにしろ俺たちに情報漏えいの疑惑すらぶつけてきた王子なのだから。

「っこの。黙れ、犬風情が」

「下がれよ、『元』婚約者」


 魔力に軽い威圧を混ぜた。戦闘用の魔石を持たずとも、この程度は可能だ。俺の言い様に反発しかけたフランツ王子が怯み、喉が鳴る。


「マイヤー子爵」

 ええ、まぁ。残念ながら。フェルディナント殿下。

(懇願にはまだ早い)


魔女の犬(ヘルハウンド)とは、良く呼ばれましたね」

 肉を食う。せいぜい行儀良く。マナーを守れと躾けられたとおり。

 夜に潜み、魔獣を喰らう魔物。悪女の猟剣。悪役令嬢の犬。牙をむき、獲物の肉を喰いちぎるヘルハウンド。

 面と向かい。俺とアーデルハイトがそろっている場で。俺を彼女の狗と呼んだのはフランツ王子が二人目だ。

 記念すべき一人目、ローレンツ大佐はクスリをキめて、谷底へとジャンプ。涙をこぼしながら愉快に笑って。

 おぞましく、おそろしい、イヌに追い立てられるまま奈落に落ちた。慈悲のように垂れさがった天使の衣の裾をつかむことはできなかった。

「そうなのか」

「ええ。言うまでもないと思っていました」

 食事の手をとめ、驚いた顔に振り返ったのはアーデルハイトだった。ここが何処だか、誰と対面しているのか、忘れたわけではなかったのだろう。俺の返事に、背を伸ばし、わざわざ言い直してきた。

「そうなのですね」

 生真面目さに、見つめあう俺の口角があがったのは無意識だ。恋人同士のささやかな交感を無粋にも遮ったのはフランツ王子だった。

「はっ、飼い主も貴官を犬と認めたぞ。よかったな」

「私の犬が私を好きで、とても嬉しいです」

 極彩色のブラックジョーク。

 ─── だが、まぁ。

(その程度で?)

 自身の方がよほど非常識なことを語っているのだと言う自覚のない王子は、婚約者であった悪役令嬢の返答が気に入らなかったのだろう。馬鹿にされたのだと感じたのだろう。

「っアーデルハイト! 貴様のそういうところが、俺はっ…!」

 荒々しくも席を立ちかけたフランツ王子の手には最中柄もなかえのナイフがある。持ち手の部分がふくらんでいるが、中は空洞だ。見た目の重厚さに反し重量は軽くなっている。

 魔道士の手にあればそれは魔道刃を纏わせるに足る武器でもあった。王族であればみな、大小あれども魔力素養を持っている。制御のための訓練を受けている。


 ─── ふるってみろ。

 歯の一本や二本は即座にへし折ってやる。乳歯ではなく永久歯だろうがかまうものか。

 うっかり偶然を装い、アバラの数本は粉砕してやる。

(心優しい婚約者が治してくれればいいな?)


「第五王子殿下は自ら話し合いのテーブルを降りられると? 二度とないであろう、貴重な交渉の機会を自ら捨てると仰る? ええ。こちらはそれでもかまいませんよ」

「口をつぐめ。マイヤー子爵」

 肩で息をする若い王子の目はぎらついている。


 ナイフとフォークを手にしたまま、食事の姿勢を崩さぬまま、首をかしげてみせる。

 代わって口を開いたのはフリードリヒだった。答えるのは兄である第二王子だ。

「フォルクヴァルツ家から軍部への公式な謝罪発表はいつになりますか」

「来週には、必ず」

「遅いですな?」

「フランツの婚約破棄に王宮官吏の労力が割かれている。考慮して欲しい」

 疲れきった声だった。喘ぐように配慮を求める。それでも落ち着いているのは、この場にいるのが現役の戦闘魔道士だからだ。しかも三対一。血迷ったフランツ王子が誰に刃を振りかざそうが、瞬時に制圧されると知っているからだ。

「して欲しいことばかりですな」

 哀れみをこめた視線にフェルディナント王子を見下ろしたもう一人の兄、第四王子にフランツ王子の牙は向けられた。

「フリードリヒ兄上。俺が戦場にでると言っているんですよ」

「フランツ殿下。義務を果たすことを誇ってはいけません。兵役は帝国民として遵守すべき法令なのです。ノブレス・オブリージュの行い以前の問題です」

「この俺が、やってやると言っているんです」

「ああ…、理不尽だと感じていらっしゃる。まるで予想外の、望外の大役を任されたわらべのようですねぇ、フランツ殿下」

 フリードリヒの目付き、声が粘つくものに変わる。冷ややかでありながら、老獪の深みが加わる。

「“やってやる?” 結構。大変、結構。最前線にて、どうぞご存分に。ご自身の力をふるってください。兄として忠告はしましょう。殿下。よいですか。他者に感謝を求めてはなりません。これは義務なのですから」

「……っ」

 金貸しを前にサインの心意気を語ったフランツ王子は暴利をふんだくられたような顔つきだ。笑わせてくれる。勘違いも甚だしい。

 なんだ。己が戦場にでることがそれほど大層なことだと考えていたのか。万雷の拍手をもって称えられる偉業とでも考えていたのか?

 よく見ろ。ノブレス・オブリージュの呪いに縛られ、21年の人生半分近くを戦場で過ごしてきた兄を前に、なにをいきってやがる。

「破談にあたり、アーデルハイト令嬢が求めたのは魔道士部隊への謝罪のみですが…、別れた相手にいつまでも庇われているわけにもいきますまい。汚名をはらすためには、殿下自身が誰よりも勇敢に戦うべきですな」

「わ、かっている」

 第五王子が鬱屈したものを抱えているのは俺にもわかる。ヒソヒソと囁かれる、婚約者のスカートに隠れた王子という形容詞。

(俺なら死にたくなるな)

 そして死ぬぐらいなら殺す。敵を。魔獣を。泥にまみれて。血に濡れながら。戦えばいい。手の届くところに答えはある。

 アーデルハイトを高慢だと罵りながら、かさにきる程度の実力はあるとフランツ王子は理解している。ただし認めたくはないのだろう。

「二年間の兵役をまっとうしてください。約束は、規律は、守らねばならぬものです」

 今度こそ、という言葉は誰の胸にも飲みこまれた。

 力なく椅子へと座りこんだフランツ王子は惨めだ。無残だ。誇りを取り戻すためには、弁舌ではなく実力をもって行動しなければならない。

「やってみれば、案外慣れるものですよ」

 フリードリヒの言葉に顎を引いたフランツ王子がうなずいたのかどうかはわからない。

 食器とカトラリーが触れあうかすかな音が室内を満たしかけた、瞬間に。


「そっ、そうじゃ! フランツはそなたら魔道士部隊に入ればよい!」

 名案を思いついたとばかり、声を張りあげたのは王妃だった。


「「……………」」

  

 どうしてそうなる。

 本日二度目の感想だった。


「無理です」

 沈黙した俺やフリードリヒをよそに。アーデルハイト・アルニム少佐は言葉を尽くしている。魔道士部隊隊長は推薦による新規隊員をすっぱりお断りしている。

何故なにゆえじゃ」

「私の一撃に沈むようでは初陣を生きぬけません」


「っだ、あれは、……あれは、貴様が卑怯にも不意をうったからだろうが!?」

「向かい合っての戦闘開始の合図に、不意をうたれるようではいけません」

 フランツ王子の横槍を刃にさばきながら。


「アデルが守ってくれればよいのじゃ!」

「王妃様。魔道士部隊タリスマンのおもな職務は魔獣の殲滅です。要人警護ではありません」 

 王妃からの爆裂術式は魔道障壁の如く弾く。


 ……これが三日間だぞ?

 そういう問題じゃねぇんだよ、おまえらはもう黙れ?とヘッドロックをかまして物理的に口を閉じさせるような援軍は現れず。孤立無援のなかに戦い続けたのだ。


 ……隊長は、本当にがんばった……。


 アーデルハイトの苦労を思えば不覚にも涙がにじみそうになる。こんなやりとりをいつまでも続けていては気が狂う。道化たちに道化芝居ファルスの自覚がないのだからたまらない。


 なるほど、ブルクハルト様の言うとおり、王妃様は自己肯定感を高めるのがお上手だ。大切なことだ。ほどよい自尊心は周囲にも安心感を与えるもの。だが幼児が抱く万能感を、地位も権威も持ちながら十八にもなった男が抱き続けている。面倒くさいことこの上ない。

「フランツの所属を決めるのはアデルではないのかえ?」

「軍人の配置を決めるのは軍令部です。たしかに破談の場の軍務尚書閣下は私の意を汲むとのお約束をくださいましたが…過大な評価です。王妃様。私自身、軍のすべてを経験したわけではありません。新人でこそありませんが、若輩者の身です。労わりをこめた社交辞令として受け取るべきかと存じます」

 鉄面皮の閣下とて、これらを見て早急な手立てが必要だと判断したのだろう。

「アデル、軍務尚書がそなたを気遣っているのは事実なのじゃ。そなたが願いでてくれればフランツは安全な場所で2年を過ごせるのじゃ」

「母上。やめてください。俺は護国のための剣をとると宣言しました。雄々しく勇敢に戦う以上、身をおくべきは最前線以外ありません」

「っふは。…ああ、失礼。どうぞ、続けてください」

「フリードリヒ。続けてどうする」

 卑俗な喜劇だ。それを演じているのが高貴な王族であると言うあたりに皮肉なおかしみを感じているのだろう。笑いの沸点が低いフリードリヒが軽薄な笑い声をあげる。含み笑う、青い血。フィルディナント王子など、もはや息すら殺して俯いている。

「ではなおさら、魔道士部隊でよいではないか!?」

 大声を張りあげた王妃は息子を心配している。そう、それで、─── それがどうした?

 アーデルハイトの右手をテーブルの下にとる。指を絡めて重ね、握る。



グラブジャムン=世界一甘いお菓子。パンがなければお菓子を食べればいいじゃない。


評価やブックマーク、いいねの反応が本当に嬉しいです。書く気力になります。是非もっとください。こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。


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