誰がための牙と呼ぶのか【2】
翌朝は起床ラッパの時間前にベッドから足を下ろした。この世で二番目に不愉快な音で叩き起こされる前に起きる。
一番目はなにか? 顔を見合わせた軍人どもは声をそろえるだろう。非常呼集ラッパだと。
士官食堂に朝食を済ませ、身支度を調える。普段どおりの時間に登営、軍令部に顔をだし、待機所にて二時間弱ほど書類仕事を片付ける。アーデルハイト隊長とフリードリヒ小隊長が王宮に詰めている分、副官である俺と副長であるオスカー曹長で可能な負担は分担しておく。なるべく片付けておく。連絡係として居残りのシュタイン中尉に声をかけて魔道士部隊の待機所をあとにする。
本日開催、側妃様主催のティーパーティーに招かれたのは俺ひとりだ。
息子であるフリードリヒ大尉の友人、魔道士部隊の同僚たちを招いての食事会は、準備時間が足りないこと、皇都に緊張感が高まっている状態では不適切と判断され規模を縮小、茶会となった。食事会は延期となった。俺としては王宮に呼んでくれるだけでもありがたい。食事会だろうが茶会だろうがどちらでも良い。なんなら口実だけで、着替えのスペースを貸してくだされば充分だ。
もとより参加可能な隊員は数人だった。これ幸いと他の面子は休日出勤の警ら任務に自己推薦の嵐だった。側妃様に不満があるわけでない。フリードリヒに対して含みがあるわけではない。互いに敬意を抱く同僚に友人として思っていると言われて喜ばないはずがない。
だが。魔道士なんて社会不適合者にとって友人の母主催、かつ王宮での茶会参加は難易度ルナティックの任務である。できればご遠慮したいが本音だろう。まずは一緒に図書館でも。トモダチづきあいはその辺りから始めるべきだ。興味のある分野が重なれば互いに熱い討論を交わす。得意とする選科の話題になったとたん饒舌になるのが魔道士の悪癖なのだ。
(フリードリヒが不在の分、現場へ出ずっぱりのオスカーも安堵していたようだしな)
あー残念だ、残念だと言葉だけは言いながら、喜色を浮かべた副長の態度はまことに正直だった。
帝国陸軍に所属する魔道士の俊英を選りすぐった精鋭がタリスマンである。しかし生まれてはじめて友達のおうちにお呼ばれしましたが、なにを着て行けばいいですか? なにを手土産にすればいいですか? 注意点はありますか?
社会人としてのスキルはそういうレベルの男たちの集まりでもあった。ブレン少尉が戸惑っていたのも、よく聞いてみれば爵位の問題ではなく友達の家に行ったことがないという理由だった。
生活の拠点を転々としていた頃はともかく。ミュラー領に腰を落ち着けてからはシュタインや同年代の子どもたちともよく遊び、魔馬の交配事業書を片手、その親年代を訪ねていたマルクスからすれば比喩かジョークかと皮肉に笑いかけ、…おなかが痛くなるので仕事をしていたいです、と真面目に手をあげて訴えた同僚の姿に怯まざるを得ない。
「…そこまで?」
「そこまでです」
「小隊長が悪いわけではないんです」
「じゃあなにが悪いんだ?」
アーデルハイトが絡んでいなければ、マルクスはコネや伝手をつくるチャンスと受け取っただろう。
「…王宮?」
「…王族?」
部下の尉官たちがそれぞれの角度に首をかしげる。
第五王子の一件でタリスマンにとっての王宮、王族の印象はストップ安値を更新し、現在も底値をさ迷っている。マルクスにとってもそうだ。
離宮での祝賀パーティ上で上演された婚約破棄劇場は、対人スキルの低い魔道士にとって魔王城の公開処刑も同然だった。知り合いでもなんでもない令嬢が受けた仕打ちだったなら、目を背け、俯き、耳をふさいでやり過ごそうとしただろう。だが悪役令嬢と罵倒され、侮辱に打たれたのはアーデルハイト・アルニム。我らが尊敬すべき隊長殿。共感性羞恥心を覚えた者もいる。それ以上に、部隊への攻撃と受け取った。怯んではいられない。
あっ、ハイ、ご注文は戦争ですね!
それでは反撃を開始します!
まぁこうなる。
むべなるかな。
剣を提げていれば即座に抜いていた。第五王子の眉間を狙ってボウガンを構えていた。なにしろ10ヶ月もの長期にわたり、精神に武装を続けていたのだ。創痍未癒。先頭に立って突撃を命じゲートを粉砕、遅滞を持って溢れた敵を縦深に防御、勢いを削り、痩せ細らせ、滅殺し続けた指揮官が奇襲を受けたのだ。善悪を超えて何度も死線を跨いだ身体は勝手に動く。土地や数字のように、心は『ここからここまで』という線引きが難しい。その気持ちはわかる。
フリードリヒ小隊長が悪いわけではないのだと強調する彼らを代表して王宮の魔宴に挑む勇者マルクスにはむしろ尊敬の視線が集まっていた。
呆れ半分に呟く。
「厄介者ばかりを集めたのが仇になったな」
「…自覚がないというのは恐ろしいですね」
「あぁ?」
シュタインの言葉は辛辣だった。
魔道士部隊、タリスマン。
第五王子の婚約者であったアーデルハイトを隊長として。お守役を配置しつつ、第四王子を並べる。頭でっかちの社会不適合者、侯爵家の放火魔、復讐に燃える孤児といったワケありどもを継ぎ足し、寸胴鍋にぐつぐつと時間をかけて煮込み、起こった化学反応は誰にとっても予想外だったに違いない。
「…そうか」
(俺もか)
ハッと閃く。庶出とはいえ、俺もミュラー伯爵家の息子だ。しかも家出中の放蕩息子。
だから監視役であり、護衛役であるシュタインと所属が離れることがなかったのか。手を回したのが父本人なのか忖度した周囲なのかはわからないけれども。
「頑張ってください!」
「応援してます!」
「こちらは任せてくださいね!」
「おまえら…。おまえたちも、少しは儀典に慣れておけ」
今後の皇都では機会も増えるだろうと苦言を呈しかけたが。
「伯爵令嬢を娶れるひとはやっぱり違いますね!」
「……そうか?」
そんな一言に心が浮つき、ふふんと胸を張ってしまう。
やりとりを眺めていたモーリッツが口をはさむ。
「はい。俺、今までのマルクス大尉も好きでしたけど好きじゃなかったんで。今のマルクス大尉の方がずっといいと思います」
(……どういう意味だ?)
俺は俺自身が親しみやすい上官だとは考えていないが、軍隊における最大の悪徳、無能の体現者であるつもりはない。
まだ身体のできあがっていない赤毛の少年兵に他意はないらしく、キラキラした目に見上げられた。
「そうですねぇ…。僕もそう思いますよ」
同意したシュタインの隣でペーターも頷いていた。もはや新人とも呼びがたい三人組の最後のひとり、ミヒャエルはまだ戻っていない。歴史編纂室職員への接触を命じたあとの進捗は芳しくないようだ。手法を変えるべきか。経験を積ませることを第一とすべきか? 悩ましいが、まずは隊長の帰還だ。
「行ってくる」
「はい。武運を祈ります!」
敬礼に見送られた俺の耳には、モーリッツの感嘆符は届かなかった。
「悪巧みするマルクス大尉ってスゲーいきいきしてますね!」
「あれは浮かれてるんですよ。まぁ指摘すると悪い笑顔に尻を蹴飛ばされますから、本人の前では言わないでおきましょうね」
シュタインの忠告に、うんうんと肯き合うタリスマンの姿は目に入らなかった。
だから仲が良さそうで結構だ、なんて感想を俺がこぼす必要もなかったわけだ。
軍帽に軍服、軍用コートに軍手袋をまとい、王宮の受付に氏名を名乗る。魔道士部隊の同僚として、親しい友人としての招待だ。遅滞なく奥へと通され、侍女の案内を受けてフリードリヒと落ち合う。オフホワイトで統一された、温かな部室内へと通される。
友人の母は想像以上に若かった。そこだけは純粋に驚いた。これから家庭教師の授業だという一姫様とはご挨拶だけを交わした。つばめのようにスカートの裾を翻した彼女は、駆け足に近いスピードでその場をあとにしていた。
「失礼。どうも、照れているようですな」
「マルクス大尉があんまり格好よくてびっくりしたんでしょうね」
「光栄です」
兄の顔をしたフリードリヒと、ふふっと優しく微笑む側妃様に促がされるままテーブル席へと移動。香り高い茶葉と、タワーになった茶菓子に迎えられる。伝統的なティースタイル。彩りに溢れた甘味は隊長が好みそうだ。
ユーモアを交えた歓談に、うっかり時間を超過。昼食を勧められたところで、茶を膝にこぼすアクシデントが発生する。予定通りに。
客室に通されたマルクス・ミュラー大尉は、たまたま持参していた私服に着替え、マルクス・マイヤー子爵に変身だ。
側妃様がご用意くださったメイドたちには、髪のセットだけを頼んだ。生粋の貴族とは違い、マルクスには他人に服を着せられることに抵抗感があったし、今後はアーデルハイト以外の女に身体をさわらせるのは極力避けようと考えている。
さすがの王宮務め、プロ意識の高いメイドたちには失礼かもしれないが、己の容姿は自覚している。鏡をのぞきこむたび、魔性と呼ばれた父と同じ姿がそこにはあるのだ。
濃紺のモーニングコート、白のウィングカラーシャツへは青紫のアスコットタイを合わせた。昼間の時間帯では最も格式の高い礼装だ。王宮に招かれた客人として相応しいクラシカルな装い。むろん、一からフルオーダーする時間はなかった。父から贈られたものだ。昨日、閉庁間際の貴族院にすべりこんだミュラー伯爵領からの伝令兵はマルクス・ミュラーを次期伯爵と指名し、マイヤー子爵と任命するマーロウ・ミュラー直筆の書面を提出した。そして軍令部に詰めていた俺のもとに報告と同時、礼服の一式を持ちこんだ。しかも、近日ミュラー辺境伯自身が皇都に出てくるとの伝言つきだ。陸軍とミュラー騎士団との合同訓練の打ち合わせを名目にするらしい。
ラペルピンに差した銀のチェーンブローチ、袖のカフスにはミュラー領の家紋が刻まれている。中央に交差する三本の剣を、豊かに実った小麦の穂が丸く囲んでいる。
あえて色味を落とすことでアッシュ系のプラチナブロンドを引きたて、新緑の瞳を際立たせる。
「……なんと言いますか……」
「なんだ」
「同じ男から見ても、怖気が走るほどの色気ですな」
「よく言われる」
少し離れた場所に腕を組んでいたフリードリヒが感心したように言葉を投げてくる。
「『役者みたいな色男』だろ?」
「オスカー曹長ですな。たしかに。シュタイン中尉も言っていましたよ。見慣れたはずの横顔なのに、顔を洗っているときや、食事の席、そういう日常で見かける顔面に、たまにびくっとすると。わかります。つやつや元気なときはもちろんですが、長い遠征などでやつれたときなど、むしろ男ぶりがあがるのは不思議ですな」
「ああ。アーデルハイト隊長も褒めてくださった」
「よかったではないですか」
「『顔がつよい』とな」
「……顔面偏差値の高さを表しているのでしょうか……? まぁ強いのは良いことですよ」
「良いも悪いもどっちでもいい。問題は好みかどうかだ。好意があるのかどうかだ。褒め言葉なのかどうかすらわからんのだが」
「隊長はひとの皮をあまり見ておりません。識別のための手段としているだけでしょう。我々が犬猫を判別するのと同じですよ」
「フリードリヒ。その言い方は、……大尉、あまり好ましくないのでは?」
周囲の目もある。その言い方は好かん。と言いかけ、遠まわしに咎める。ここはタリスマンの待機所ではない。
「失礼しました」
腕をほどいたフリードリヒ・フォン・フォルクヴァルツが軽く頭を下げた目礼に詫びをよこす。うなずいて受け入れる。
「それでは、ご案内いたします。我が家自慢の硝子庭園です」
昼食の準備をお待ちいただく間に、と。打ち合わせどおりに。
王族のプライベートエリアが有する温室の庭園へと足を踏み入れる。
フリードリヒとは入り口に別れた。第四王子自ら見張りを買ってでてくれた以上、無粋な乱入者が現れる可能性は低い。
厳寒の二月にはありえない花々の彩りが広がる順路をまっすぐに歩いて、開けた場所へ。
あたたかな空間だ。
光りが広がって、花の香気が満ち溢れている。水が流れる音と、鳥の声だけが響く。
ベンチに一人座って、ぼんやりと花を眺めている黒髪の少女を見つけた。
「こんにちは。アーデルハイト令嬢」
「……こんにちは」
ぼんやりしていても彼女の背筋は伸びていたし、唇はしっかりと閉じられていた。
けれど紅茶の色をした瞳に緊張感はなく、アーデルハイトの身を包むのは見慣れないドレスだった。たっぷりとしたレースに精緻を凝らした刺繍。美しい宝石のついた髪飾りが動きに合わせて揺れる様子は伯爵令嬢にふさわしかった。
眩しく眺める。さすがに、王宮へ招いておいて衣服も与えないなんてことはなかったようだ。安堵もする。食事と安全な部屋は与えらていると聞いてはいたけれども。
2週間も経っていないのに、まるで数ヶ月ぶりに会ったような気分だ。
「奇遇ですね」
「そうですね」
俺にとってはお膳立てした舞台だが、アーデルハイトにとっては不意打ちも同然だ。
ピィッと一声鳴いた青い羽根の鳥が飛び立つ。そちらを見るふりに、彼女の精神が驚きから持ちなおすのを待つ。
不審さを表情に出さず、ゆっくりと首をかしげたアーデルハイトは、目の前に立ち、動きをとめた俺を見上げる。
「非常事態でしょうか」
「いいえ」
「では、なにか、御用ですか」
「はい。お迎えに参りました」
「緊急では、なく?」
「あなたに会いたくて、こんなところまで追ってきた犬をどうか褒めてください」
ぱちりと瞬く淑女の瞳に映った俺は軍服ではなく、まるで貴族の男のようだ。自ら喉をさしだし、首輪を乞う姿を自嘲する段階はとうに終わっている。
「やっと、ここまで、追いつきました」
熱をはらんだ息を吐く。片膝をついて跪く。胸ポケットからリングケースを取りだし、蓋を開けて捧げる。
「アーデルハイト令嬢。俺と、結婚してください」
「はい」
二度目だ。あんまりだったプロポーズのやり直し、だと言うのに俺の心臓はやはりはち切れそうに脈打っていた。
即諾に、ぐわんと胸が、頭が揺さぶられた。ケースを差しだした手に、手を重ねられた。
「はい。喜んで」
もったいぶりもせず。駆け引きもなく。隊長が、アーデルハイトが笑う。脳が痺れるような声だった。繋ぎ目のない魔石でつくられた婚約指輪が彼女の右薬指を飾る。剣だこのできた細い指先を握って、のぼせるような気分になったのは俺の方だ。満足、高揚、心酔。
「…隊長。いずれは心も預けていただけるものと期待します」
不思議そうな顔をして、でもアーデルハイトからの答えはなかった。可愛らしくて、小憎らしく。甘い香りがした。伸ばされた手が俺の頬を撫でた。
「迎えに来てくれて、ありがとう」
首にまわされた二本の腕が俺を引き寄せた。抱き返した。約束を交わした。間近の息遣い。あたたかく、細い体に目が眩む。今はそれで充分だった。
手を繋いで出口まで戻れば、品行方正な第四王子は少し慌てた素振りに煙草を皮製携帯灰皿に揉み消した。
「お早いですな」
「ふん。合理主義者が二人そろえばそうなるんだろ?」
辺境領へ出発する前のあてこすりを持ちだしてやれば、フリードリヒもまた納得したようだ。
「殿下も煙草を吸われるのですね」
「嗜む程度ですが」
アーデルハイトはそちらの方が気になったらしい。
「私が隠れて煙草を吸っておりますと、気づいた誰も近づいてはこないのですよ」
じつは、と内緒話のように打ち明けられた女王様は下僕への労わりを述べる。
「見張り任務、ご苦労様でした」
「お役にたててなによりです」
しかしフリードリヒとしてはアーデルハイトに喫煙の姿を見せるつもりはなかったらしい。狼狽したのはそのためだろう。この格好付けめとも思うが、同じ言葉を返されてもたまらないので黙っておく。
「ご婚約、おめでとうございます」
アーデルハイトの薬指に、俺が贈った魔石の指輪が輝いているのを確認しての祝辞はありがたく受け取っておく。二人で礼を言っておく。
「では、参りましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
婚約破棄の同意書に、本日当人たちは署名済みだ。ならば俺は役目を終えた彼女とともに王宮を出ればそれでよかった。
だが王妃様は保護者であるアルニム伯爵を出せとお求めで、フランツ王子は悪役令嬢は早く退場しろと言いつつ慰謝料に納得がいっていない。だからここまで長引いている。
軍令部から選りすぐられて派遣された法務官が手こずったのは、敵が法ではなく、感情によって動いているからだ。国家理性を相手取ることに慣れた人間に、離婚訴訟を専門とするような弁護士と同様の能力を求めてはならない。畑違いという言葉がこれほどしっくりくる事例も少ないだろう。
(まさか直接対決の機会が与えられるとは)
決戦主義を旨とする国家の狗として、誉れとすべきか?
アーデルハイト・アルニムという名の悪役令嬢の猟犬として牙をむく好機を喜ぶべきか?
どちらにせよ全力を尽くすだけだ。そして、戦場に合わせた戦い方は重要だ。適者生存の概念のように。最適者こそが勝利を味わうことができるのだから。
左手の親指をなかにいれて、軽く拳を握る。肘を曲げて、脇を開いたエスコートのポーズをとれば、小首をかしげるように笑った彼女の右手が俺の左腕に添えられた。レディの心得もばっちりですよ言わんばかり。得意げな隊長は大変かわいらしかった。
やっとここまで来ました。悪い男に捕まった自覚のない悪役令嬢が大好物です。
ブックマークや評価、いいねなど、とても嬉しいです。書く気力になります。もっと下さい(真顔)。ここまで読んでくださってありがとうございます。