表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

33/106

誰がための牙と呼ぶのか【1】


 当初の想定よりもよほど有意義に終わったアルニム令息との会談を終えて軍令部の待機所に戻る。まずは積み重なった書類仕事を片付ける。急ぎのものからだ。

 本来2週間の長期休暇に入るはずだった俺たち魔道士部隊タリスマンの机上に何故こんなにも書類が積み上げられているのか?

 決まっている。

 本来そういった戦後の残務処理を行う上位の人間が軒並み天使の手をとっていたからだ。撤退時には散り散りになっていた生残者たちの合流と回収も行われた。彼らの大半は軍病院へ直行だ。しかたがないとは理解している。だが納得できるかどうかは別問題だった。

 なにしろ。

(北方戦線に利用した天幕の遺失被害状況を俺たちに申し立ててくるのもどうなんだ?)

 めくった紙束の文字にため息をつきそうになる。

(土嚢の作成が間に合わない?)

 歩兵の訓練代わりに土を掘らせろ、やらせておけと言いたいところだが。カチカチに凍った北方の地面は人力のシャベルに対しあまりに強固である。

 軍も組織だ。誰かが穴を埋めて、状況をまとめ、書いた書類を事務方へと提出する必要があった。そうして始めて人員が動かせるようになる。

 それらの仕事を行える士官尉官が他にいないのだ。失ったものは大きい。些末事と切り捨てられはしない。華々しい戦闘だけが任務ではない。臨時予算で揉めるのもわかるが、現地で働く兵だって己の領分を守って頑張っている。


 その現場監督官を呼びだして軟禁し、愚にもつかない茶会に付き合わせる?


 ただでさえ渋滞した業務をさらに滞らせようとはどういう目論みかと問いたい。誰の得になるんだ。第五王子は俺たちタリスマンの戦闘行動を利敵行為と罵倒したが、ならばおまえたちがしていることはなんだという話しだ。


 腹のなかに不平不満を吐きながらペンを動かしていれば、オスカー副長と交代したフリードリヒ小隊長が戻る。第一小隊が第二小隊から警ら任務を引き継ぐ。

 本日の仕事を終えた隊員たちは解散させるが、小隊長であるフリードリヒは残った。明日の登城後の手筈を整える作戦を、シュタインを交えて練っておくためだ。とは言えやるべきことはそう多くない。


 隊長に接触する。婚約破棄の書類へサインを行う。そして隊長を解放する。以上だ。


 これ以上の遅滞防御を許すつもりはない。王妃の時間稼ぎに付き合う義務はない。それが俺たちの共通認識だった。

 俺の机には魔石でつくられた指輪がある。プロポーズ用だ。数年前から用意していたものだ。つい10日前までは隊長の結婚祝いとして差しだすつもりだったもの。今日、加工を頼んだ宝石店に寄って受け取ってきた。

 先日のデートでは持参しようかとも迷ったが…、はじめてのデートに指輪を贈ってくる男はどうだろう。

「倒れそうなほど重いです」

「やかましい」

「思い留まったのは正解ですよ」

 神妙な表情に警告をよこすシュタインの軽口には反射で答える。

 ビロードに覆われたリングケースへと、フリードリヒが視線を流す。

「そちらは例の、特定討伐対象の、…紅猿こうえんでしたか?」

「ああ。討伐褒賞の魔石で作った」

「狂気の沙汰ですよね」

「やかましい」

 付き合いの長さぶん、遠慮のない幼馴染には同じ言葉を返しておいた。

 特定討伐対象【紅猿】。そいつは顔と尻が赤く、そう名付けられていた。知能が高く、狡猾だった。人間の言葉を理解していた。狒々と呼ばれる幻獣種でこそなかったが、猿としては大型で、隊長とさほどかわらない身長があった。食うためではなく玩ぶために人を、町や村を襲っていた。組織立った討伐部隊からは逃れ、単独や少人数の人間、あるいは戦闘能力の低い者を選んで襲っていた。

 マルクスが対峙した当時、そいつは随獣のように小型の猿獣を引き連れていた。食い散らかされた村に、泣く赤子をボールのように投げて遊んでいた。祭りでもあったのか、慎ましく飾り立てられた広場に、大きなスープの鍋をかきまわしながらだ。御伽噺に登場する魔女の如きおぞましい所業。

 知能の高さに悟性が伴わない幼児が、本能が要求するがままを行動すればこうなる。

 そういう地獄絵図が広がっていた。

 特定討伐対象とは、欧州大陸における政府間組織加盟国全土で指定されている魔獣を指す。人類にとっての脅威とみなされ、ナンバリングを受けている。もれなく重複なく番号を与え、魔獣の識別を容易にするという目的のためだ。

 不意の遭遇戦ではなかった。シュタインをバディとして偵察行動をとっていたマルクスを、紅猿は侮った。人間風に言うなら、調子にのっていたのかもしれない。火すらも恐れない魔獣だ。酒も口にしていたのかもしれない。誰も自分を止められないという事実に酔っていた。

 そうしてたった二人だと逃げずなめてかかり、返討ちにあった。

 いつもと違うと気づいたときにはもう遅い。猿の魔獣は歴戦の魔道士が仕掛けた檻のなかだった。弱く、脆く、遅いはずの人間の強襲に対応できなかった。彼らの隊服が魔道士のそれであることに最期まで気づかなかった。

 シュタインが放つ爆裂術式による足止め。取巻きたちへの牽制。身体強化を施されたマルクスが飛ぶように地を蹴って距離を詰める。魔道刃の牙に喉笛を喰いちぎられたのは紅猿のほうだった。


(運がよかったのだろうな)

 

 マルクスとしてはそう考えている。

 軍服をまとった集団が近づいていれば紅猿はすぐに逃げ出していただろう。今までそうやってきたように、目視できる距離まで近づかせることはなかったはずだ。残された遊び場に拳を握った人間たちが、魔獣への復讐を誓うだけ。


 集落へと先行したのはマルクスとシュタインの二人だった。魔獣退治を専門とする魔道士だった。臨戦態勢時の遭遇。フル装備での全兵装使用許可済み(オールウェポンズフリー)。守るものはなく、救うべき対象はおらず、周りの被害を考える必要がなかった。

 ボールのように玩ばれていた赤子は、猿たちが俺たちの姿を目にしたとたん、土壁へと叩きつけられていた。

 問答無用の宣戦布告。血と肉の飛沫によって開戦の火蓋はきられた。接敵と同時、戦闘態勢への移行。張りつめた空気を猿たちの奇声が引き裂く。俺たちは躊躇なく、遅滞なく、一撃に首を狙った。


 ……特定討伐対象を討ち取れた理由ならそんなところだ。こちらは紅猿が相手だとは知らず、部隊を分散し、現地到着後の哨戒活動を始めたところだった。

 魔道士の有用性を証明した俺とシュタインには軍令部より昇格と昇給が与えられた。

 そして特定討伐対象を屠った褒賞が別途に与えられた。


 指輪に加工された魔石がそれだ。


 通常、軍としての戦闘行為における鹵獲品の権利は軍部に属する。人間の武器ならば拾ったそのまま使用もするが、自分の懐にしまったり、横流しの行為は当然ながらルール違反だ。魔獣の遺骸もそうだ。研究、調査を行って分析し、自軍の兵器の改良や開発を行うこともあるし、民間に売り払って金銭に変えることもある。そうして装備を充実させるわけだ。

 だが特定討伐対象にナンバリングされた魔獣については違う。国際法において、退治した個人の所有が認められている。だから頑張って討伐してね!と訴えたいのだろうが…己の力量を見誤れば、即時に殺されれば最良。紅猿のような個体に遭遇すれば「殺してくれ」と泣き叫びながら安らかな死を乞い願う羽目になるだろう。

 軍人が、部隊として討伐していたならば、所属する組織に権利を譲ることも多い。

 今回は明確に俺とシュタインの二人が討ち取り、それを魔道士部隊タリスマンとして、部隊長であるアーデルハイトが報告したこと。

 そして事前の調査不足によって特定討伐対象が帝国内に侵入していたことを見落とし、現地に赴く部隊へと伝達できなかった失態が影響した。

 軍部が武勲を買い取った形だ。情報部の失敗の尻拭いであり、内緒にしてね、お口にチャックを約束してね?という口止めの意味合いでもあるだろう。

 解剖の結果、紅猿は前頭葉が異常に発達していたとかなんとか。喉の構造さえクリアすれば、会話も可能だったかもしれないらしい。

(ぞっとしない話しだ)

 褒賞と同時に与えられた事後報告書はその程度のものだった。

 魔道士には魔石を与えておけばよいという判断はあながち間違いではない。有りすぎて困るだなんて幸福な経験ができる魔道士は稀であると断言できる。しかし当時の俺としては原石を貰うより、わかりやすい金銭や休暇の方が、と思わなくもなかった。なにしろ石では真っ二つに割って二等分ともいかない。だが。

「マルクス大尉の目のいろだな」

 無骨なケースに鎮座する魔石を覗きこんだアーデルハイト隊長が、何気なくそう言った。


 見下ろした緑の魔石はエメラルドのようで、パライバトルマリンのようで。つまりは俺の瞳の色だ。

 ……他隊員たちの生ぬるい視線に促がされ、魔石を受け取った。報奨金はシュタインが受け取った。


 しかしあまりにも俺の取り分が多すぎる。シュタインになにか他に欲しい物はないかと尋ねた。魔石を加工してくれる宝石店を紹介された。贈り物にすればいいと仄めかされた。

 贈るから贈り物だ。誰に、ってそれはつまり。

(婚約者のいる女にか)

 奪え、とけしかける無言の圧力。自嘲に笑い、……そして俺は暴挙に出た。

 シュタインが狂気の沙汰と称するそれ。


 魔石を、指輪の形にかせたのだ。

   

 目を疑うよりも。誰がこんな馬鹿な真似をと製作者の正気を疑うシロモノだ。台座の上に石を飾るのではない。大きなダイヤモンドをドーナツ型に加工する!と宣言する職人がいれば、殴ってでも止めようとするのは正常な行動である。


 当時の俺はそれぐらい煮詰まっていた。帝国の王子と結婚すれば、隊長の身の回りには高級品が溢れかえることだろう。

 そんななかでも捨てられず、むしろ選ばれる贈り物とはなにか?

 手元にある指輪が答えだった。


 どうして男は馬鹿になるのだろう。


「恋に狂うとは恐ろしいな」

 しみじみと述懐し、リングケースのビロードをそっと撫でる。

 アーデルハイト隊長にかかわるとき。ほんの時折ではあるのだが…己の知能指数が急降下している自覚はある。


 幸か不幸か。紅猿討伐の褒賞だった魔石には充分な大きさがあった。そしてシュタインの伝手に加工を依頼した職人には技量があった。

 冬季遠征に出る前には完成の報も届いていた。先延ばしにしていた受け取りに向かえば、やり遂げた感あふれる工房の連中に迎えられた。加工賃は払い終わっていたが、残りの、一年近い預かり賃を支払って店を出た。俺が魔道士部隊の一員として魔獣のスタンピートに対峙していたと知る職人の親父は受け取れないと言っていたが、押し付けた。魔獣のせいではない。受け取りに来れなかったのは、俺に勇気がなかったせいだ。プロポーズに贈ると決意表明を述べれば、スタンディングオベーションに見送られた。

 箸が転がってもおかしい年頃の女性でもあるまいし、髭面のおっさんどもが何故こうもひとの恋愛話に食いつくのだ?

「ははは。大尉。もう一度申し上げます。恋に狂うとは言葉が重複しておりますよ。恋とはすでに狂気なのですから」

「……なるほど」

 今度は深く納得した。

 第五王子も案外本気なのかもしれない。

 愚かとわかっていても。利益を度外視。地位も名誉も捨てて、スパイかもしれない男爵令嬢への恋をとったわけだ。

 まぁ方法はいただけないが。許すつもりもないし、その必要性も感じはしないが。理解ぐらいはできる。俺なら本格的な捕縛を受ける前に女を連れて国外への逃亡を図る。罪状がはっきりするまでは王族の威光が使えるだろう。女が祖国へ帰りたいと願うなら寝返るし、陰謀から足抜けしたいと言うなら秘密を知るすべてを真っ平らに飲み干して彼女の平穏を守ればいい。僥倖として国家内乱罪に抵触しておらず、無能な結婚詐欺師、あるいは有能な悪役令嬢であったのならば、話はもっと簡単だ。この国で惚れた女を娶ることも可能だろう。

 ただし。俺は第五王子ではない。

 逃げようとする第五王子に立ち塞がる側の男だ。

「余裕のない男は嫌われますよ」

「そうか」

 シュタインの台詞はいつだったか俺自身が放ったブーメランでもある。

 ついでに言えばそう言ってからかった奴は、真剣に交際する相手ができた暁には振り回されて苦労するよう俺に呪いをかけると宣言していた。うちの部隊の古参兵だったが、結婚を機に同郷だった彼女の領地の騎士団へと引き抜かれて行った。

 たまに手紙が届く。二人目が産まれるらしい。独身者がひしめく魔道士部隊にノロケを寄越す命知らずぶりなので、きっと、おそらく、あちらでも元気にやっていけることだろう。もろ手を挙げて大歓迎された婿殿である。いつかは俺もと二匹目のドジョウを狙う魔道士は多いが、美人で、かわいくて、料理がうまくて、しかも実家が金持ち。そういう女が自分に惚れてくれる可能性は低いとまずは現実を直視すべきだ。

 とはいえ因果律の研究を専門としている奴は、時折、予言めいたことをヌかすから厄介だ。

 単なる因果応報とは考えないことにする。

「フリードリヒ大尉。貴官はどうだ?」

「どう、とは? どのような意味でしょうか」

「俺に言うべきことはないか?」

「……隊長との婚約、ゆくゆくは婚姻の勧められました。兄からです。むろん、断りました。王族側からの一方的な破棄である以上、今後は隊長本人の意思を尊重すべきだと主張してまいりました」

 早々に手をあげて、推定無罪を訴える第四王子の姿は堂々たるものだった。

 舌打ちしそうになる。やはり、という気持ちが強い。

「ブラートフィッシュ侯爵家の次男坊にも声をかけてやがったがな」

 この素早さならば、打診したのは一人や二人ではあるまい。そうそう都合よく独身の高位貴族が適齢期まで独り身でいるとは限らない。王家にとって都合のいい連中を宛がいたいのだろうし、片手の数を超えるとは思わないが…。

 次の相手を見繕ってやったのだから勘弁しろとでも?

 まさか感謝しろと言うつもりはあるまいな?

 どちらにしろ、押し付けがましいことこの上ない。

「隊長に新たな婚約を勧めるのは、フランツ殿下ではなく王妃様を諦めさせるための手段に過ぎません」

「それはまた、救いのない話ですねぇ」

「救うつもりなどもとよりない。天使にでも加護を祈っておけ。婚約破棄の手続きは進んでいるんだな?」

「はい。軍務尚書閣下の口ぞえもありました。軍令部から派遣された法務官が協力的なのはもちろん、王族側の弁護士、公証人にも国王の意は含められております。明日には署名、婚約の解消が成立するでしょう」

「平和裏に成立するならそれでいい」

 俺の迎えが無駄足になるというならその方がいい。和平交渉、講和条約の締結が粛々と行われるのであれば、それに越したことはないのだ。暴力は時として最善の、最速の解決策足り得るからこそ、ひとの理性は言葉を尽くすことを選択するのだから。

「茶会の席にてお待ちください」

「ああ。頼む」

 指輪と、着替えの一式が詰まったトランクをフリードリヒに託す。

 王族たちが住まうプライベートエリアへ入る前には護衛騎士たちによるボディチェックが待っている。側妃様から正式に招かれた俺に対しては形式的なものになるだろうが、魔道士が魔石を所持している事実は余計な詮索を招きかねない。いちゃもんを付けられかねない。アーデルハイトたちの足を引っ張る真似はしたくなかった。

「お預かりします。…ブレン少尉の様子はいかがです?」

「官舎に直帰させた。疲れていたようだからな、休むのも仕事だと言い含めた」

「残念です。次回の食事会にはまた新たに招待状を用意しましょう。大尉がこっぴどく叱ったと聞き及んだのですが?」

 そのせいでは?という揶揄の響きに肩をすくめる。叱るなら裏で、一人の時に、だ。家族の前での叱責など本来すべきではない。しかも末っ子に甘い侯爵家の兄弟の目の前。余計な恨みを買う可能性もあったが。

「仕方がない。「待て、今すぐ止まれ」レベルのことをやらかしているからな」

「放火は死罪ですが、王族の暗殺もまた死罪ですからな」

「不意に、密かに襲うのが暗殺だ。社会的な影響を狙っての行為だ。あんな行き当たりばったりの計画を暗殺と呼ぶのは職業暗殺者に失礼だぞ?」

 古来より、王の殺害はすべての文化圏で存在した。暴君の暗殺が正当化されるかどうかの答えはまだ出ていないけれども。

 万年筆をくるくると回しながら、シュタインがため息をつく。

「政治的な根拠もありませんしねぇ…」

「やるなら軍事的マンハントでしょう」

「ぼんくら王子にそこまでの価値があるとでも?」

 違いないと頷きあった共犯者たちが悠然と各々の行動を開始した。



10月の定例人事異動での転勤がなかったことに安堵しつつ。

いいねやブックマークなど、評価や反応が本当に嬉しいです。書く気力になります。もっとください(真顔)。こんなにたくさんの小説がアップされる中で読んでくださり、ありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ