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悪役令嬢は半鐘を鳴らす【5】


 さらりと乾いた声に爆弾を投げこんだのはブルクハルトだった。きょとんと首をかしげたのはブレンだった。

「真実の愛が枯渇するの早すぎない?」

「王妃様が、だよ」

「フランツ殿下は別意見なの?」

「まぁ熱病から冷めるのはもう少し先じゃないかな。挽回できると考えているようだし。むしろ未来への希望に満ち溢れているようだし…。失ったものに気づくのは取り返しがつかなくなってからだろうね。そちらの副官の描く型にはめられてからじゃないかな」

 流し目に同意を求めてくる『カタにはめる』の言葉は、従来の意味である定型化、形式化とは違って受けとめるべきだ。正しく美しい発音の帝国語を話す高位貴族には好まれない言い回しとはいえ。

(兵役中にでも覚えたのか?)

 一部の界隈では、罠にかけてがんじがらめにする、特定のゲマインシャフトにおけるルールを守らせる、あるいはそのルールに基づいた処罰を与えるという意味合いを含むことがある。


 今の今まで様子を見守っていた副長が薄笑いに喧嘩を買った。

「これはこれは…、まるで見てきたように仰いますな」

 信憑性の有無についての問題提起とも受け取れるが、浮かべる笑みがいかにも物騒だ。四十を超えてなお最前線に留まり続けている体躯は筋骨隆々、白兵戦の技量において円熟期を迎えて久しい。そんなオスカー副長と、胸ポケットから取りだした認識阻害の魔石加工品を起動させたマルクスの二人に挟まれて、ブルクハルトはゆるく頭をふった。否定とも、肯定ともとれる曖昧な動き。彼らを安心させるためにだ。敵意はないのだと、納得させるためにだ。

 ブルクハルトは現状のシチュエーションに心当たりがあった。軍服を身にまとった令嬢によからぬ嫌がらせをしかけた二人組の末路を己への警告とする。

「アルニム伯爵令嬢には軍令部から派遣された法務官が同席している。大丈夫、知識不足や揚げ足取りにつけこまれて不利な約束事を結ぶような事態にはならないはずだ」

「そいつぁ有難いことですがねぇ。ブルクハルト様はちっとばかりうちの内部事情に詳しすぎませんかね?」

 威圧を受けても、ブルクハルトの穏やかな表情は変わらない。この程度で動揺を表に出すようでは侯爵家の男はやっていられない。

「ブレンの釈放を頼みに行こうと思ったんだ。タリスマンのアルニム少佐への面会を申しでた軍部に留守だと言われてね、…調べさせた。あとはまぁ、議会での軍事予算増強案承認に待ったをかけているのがうちの家だからね」

 その伝手だと事も無げに答える。

 オスカーの言う『うち』とは帝国陸軍であり、ブルクハルトの言う『うち』とはブラートフィッシュ侯爵家のことだ。

「兄さんが言ってた圧力って予算案のこと?」

「ああ。冬季遠征が長引いたぶん、軍費が逼迫しているというのはわかるのだけれど…だからと言って無条件で臨時予算が組めると思われるのもね。まずは自らを律する姿勢を見せるべきだと思わないかい?」

「お偉いさん方のパワーゲームに付き合うところまでは業務の範疇に含まれておりませんや。ひとの仕事を奪ってまで働きたいと願うほどのボランティア精神にも生憎持ち合わせがないもので」

 手のひらを上に、オスカーが右腕を広げる。

 魔獣のスタンピート自体は天災だが、輜重隊による軍需品の横領、違法薬物の蔓延は人災だった。ヒト、モノ、カネを無駄に食いつぶした責任を取る者が必要だ。

 そしてそれはもちろん、魔道士部隊タリスマンではない。

「軍事をとるのか、生活をとるのかと領民からの突き上げを食らっている議員もいるからね」

 副長の眉がしかめられたのを見て取り、代わってマルクスが答える。

 着飾った貴族様の都合は無視できても、市井に生きる隣ご近所方の窮状を見捨てられないのがオスカー・オーマン曹長という優良な軍人だった。

「都市部ではそうでしょうね。ですが、軍事は生活に含まれるのでは?」

 マルクスからすれば、遠足のバナナはお八つに含まれるのかと問うぐらい無意味な決断を迫る選択だ。むしろ有害な分断と対立を呼び覚ましかねない。

「我々がみな、天使の羽根にくるまれて生活しているとでも? 素晴らしいメルヘンです。あなたは天使様に守られているのよと、幼子のベッドに読み聞かせでもしてやればよいでしょう」

 温かなベッドから離れ、優しく頭を撫でた手に武器を握ったマルクスら軍人にはけして許されない夢想だ。

 戦わねば、生活が奪われるのだから。

「軍費の増大を憂うお気持ちはわかります。ない袖はふれません。そこには駆け引きもあるでしょう。しかし、認めざるを得ないでしょうに」

「ああまったく。…君は正しいよ。マルクス大尉。求められているのはコストパフォーマンスの向上だ。ただし、魔獣の脅威に直面していない人間にとっては、軍事費に臨時予算を割くぐらいなら遅れている街道の整備を、学校校舎の竣工を急いで欲しいというのも本音なんだ」

「軍人は戦うことが仕事です。自らの義務を果たした兵士に予算編成の役割までを担わせようとするのは超過勤務では?」

「大尉、君、政治家になるつもりはないかな。外務省でもやっていけそうだ。なんなら侯爵家の名に推薦状も書こう」

「ありがとうございます。さしたる興味はありませんが、今後は無関係ではいられないでしょうね。先日、ミュラー辺境領の家を継ぐことが決まりました」

 導火線に点火済みの爆弾を投げ返してやる。一拍の間を置いて。

「………っふ、は、あは。あははは。大尉、副官。マルクス君、きみ、ほんとうに、王子相手、戦争をふっかけるつもりなんだね?」

 ブラートフィッシュ侯爵家の次男坊は笑うのだ。

 そうとも。俺はただの一兵卒。ただの魔道士だ。大陸でも有数、大国の王子相手、受けて立つなど大言壮語もよいところ。


 そう、それで、─── それが?


 胸に手をやり、宣誓しよう。

「ふっかけられました。宣戦布告を受けたのですから」

 欲しがりません、勝つまでは?

(まさか)

 欲しがりましょう、死ぬまでは!


「……安く買って高く売りつける。商人の才覚もあるのかな。正直、今の時点で充分オーバーキルだよ。君たちの陣営には、アルニム伯爵令嬢本人がいる。北方戦線の英雄、不屈の戦乙女ワルキューレがね。王立学園を除けば、ほとんどの人間が君たち魔道士部隊タリスマンの戦果を支持するだろう」

「喧嘩を売るなら。戦争をするなら。強力な味方がいるに越したことはないでしょう。勇気と無謀を取り違えるように、スポーツと殺し合いを勘違いした挙句、棍棒一本に魔王に挑むが如き誤謬を犯すつもりはありません。俺は、俺にできることを理解しているつもりです」

「だから親の七光りを借りると?」

「なにか、問題が?」

(まさかプライドの問題か?)

 身内など、最初に引きこむべき味方であり、情に誘いをかけるべき仲間だろう。

 10年間。便りの一つを送りもせず。父親からの負い目に胡坐をかいていたとしても。一度は故郷を捨てて生きるつもりだったとしても。

(恥を知れと?)

 結構。俺は恥知らずになろう。

 母を囲い殺した粉屋ミュラーを継いでやる、と。十代の頃ならば厚顔にも放言できたかもしれない。無知な恥知らずになれたかもしれない。

 義母兄の死から2年を傍観しても、次の伯爵は現れなかった。父に引導を渡し、奪ってくれる者どころか。我こそはと剣を掲げる者すら現れてはくれなかった。

 勝手にしろと目を背けていても、彼らはそこに居て、生きていて、時計の針は誰の前にも公平だった。

 そろそろ向き合う時間だ。

 家を出た以上、俺は一人で生きていくつもりだった。自分の力で手に入れたものだけでやっていく。マーロウ・ミュラーから何一つ受け取らないことが俺の義務であり、礼儀だと考えていた。安いプライドだった。シュミット家から商人の手を経て贈られた栗毛の馬を、俺は受け取っていた。贈り主が誰かなんて、本当はわかっていたのに。

 広告塔にでもすればいい。俺は利用するから、おまえたちも俺を利用すればいい。

 そんなふうに斜に構えていた俺は、義母兄の葬式にすら帰らなかった。戦場にいたことを言い訳にして、戻ろうともしなかった。

 両親たちの間に何があったのか、詳しいことな知らない。どんな葛藤があったのかも俺は知らない。

 だが母は父が好きだった。見ていればわかった。憎むことができたとしても、嫌いにはなれなかった。最期まで。

 

 俺はアーデルハイト・アルニムに出会っていた。出会ったときから彼女はこの国の王子の婚約者だった。むしろ、だからこそ少女は戦場にいた。

 諦めるしかないと思っていた。数年をかけて諦めることを諦めた。どうやっても開かない重く錆びたドアにはノブがなかった。座りこんで、時折、思い出したように引っかいた。縋るように爪をすり減らして、同じように心をすり減らした。奈落に沈むように、砂時計の中身は減っていった。落ち切ってしまえば、手の届く所から姿が消えてしまえば、諦められたかもしれない。数十年の時間があれば、あるいは丸く穏やかな思い出になったかもしれない。

 けれど最後の砂粒が落ちきる夜。あれほど硬く厳重だった錠前が突然開いた。ダンスホールの床に滑り落ちて、甲高い音に砕け散った。シャンデリアに光を反射した。信じられなくて呆然と見つめた。


 悪役令嬢と断罪され、婚約破棄された彼女を。


(諦めなくてもいい)

 降ってわいた奇跡が信じられなかった。

 じわじわとわき上がった歓喜が胸を満たしたときには行動を始めていた。

 掴み取れる。勝ち取れる。─── 奪える。隊長を。アーデルハイト・アルニム。彼女を。ならばドアを開く恐れなど。足を踏み出す危険など。俺はねじ伏せる。


 あの場の誰もが侮った一兵卒に何ができるかを見せてやろう。


 親の七光り。すねかじりがどうしたと? 言いたいならば言えばいい。

 手札に引き入れるべき最強の騎士団と辺境伯であることは自明の理。スタート地点に立ったのなら、練習不足を嘆くよりも、今やれることに集中すべきだ。

「虎の威を借りながらの戦争です。素晴らしいでしょう。戦わずに勝てるなら、それに越したことはないのですから」

「そうだね。実際に剣をぶつけ合うよりも、謀略に落とすほうがよほど安上がりだ。なにより人が死なない。遺恨も少なくてすむ」

「他に、我々が知っておくべきことはありますか?」

 さすがに時間が経ちすぎている。そろそろ騎士団の連中が様子を見に来てもおかしくはない。そして俺は、アーデルハイト隊長の迎えに行かなくてはならない。

 

「王妃様は子ども好きだ。王妃ではなく、保母の道を選択していたなら、もっと平和に暮らせたと思う」


 ……いや、どうでもいい。

 あまりの方向転換振りにぱちぱちと目を瞬く。階段へと向かった顔を、もう一度背後へと向ける。

 第五王子の姿を思い浮かべる。

「子育てに成功した、とは、言いがたいのでは?」

「そうだね。きっと、叱るのが得意ではないんだろうね。でも子どもの自己肯定感を高めるのはお上手だった。王妃様は王国から嫁いでこられた方だからね。王太子殿下がお生まれになった頃はまだ色々あったらしくてね、周りに取り上げられて、……フリュヒテゴット様の成長に係わることができなかった。それを嘆いておられたそうだよ」

「結果的には良かったのでは?」

 取り繕う理由はなかった。本心から答えた。

「たしかにね。戦闘魔道士の指揮官なんてアンタッチャブルな危険物に絡んだ挙句、一方的な名誉毀損を行うなんてフランツ殿下は軽率だなぁって思うよ。そんな手間ひまをかけずとも、天井に吊るした紐の輪に首を突っ込めば一瞬だからね」


 ……おい。

 こいつ、ぶっちゃけた途端、俺たちよりも過激なことを言い出しだぞ? 

 おまえの兄ちゃんだろ?


 俺とオスカーがそろって同じ視線を向けた先に、ブレンは心得たように頷いた。

「どうやって事故死に見せかければいいですかね?」

「どうしてそうなる」

 夕飯の献立を決めるような気軽さで殺人教唆を求めるんじゃない。目を輝かせるんじゃない。駄目だこの兄弟、早くなんとかしないと。

「待て待て、やめろ」

 頭をかいて制止をかけたオスカーに加勢する。

「そんな必要はない」

「そうだね。あとは自滅を待つだけで事足りる。陛下はアルニム伯爵令嬢への慰謝料目録の作成に入っているし、肝心のフランツ殿下はベッカー男爵令嬢に夢中だ。歩み寄りの余地はないよ。王妃様が一人で意気込んでいるだけさ。…ああ、男爵家への報復ぐらいはこちらに任せて欲しいな」

 上品に口角を持ち上げた笑顔で持ちかけられた取引に、同じく笑顔で、小首をかしげて応える。

「それは侯爵家の総意と受け取ってもよろしいのでしょうか」

「勝ち馬が嫌いだなんて偏屈者が多数を占める世界はきっと、すごく窮屈だろうね」

 ブレンを押さえている以上、敵には回るまいと踏んではいたが。想定以上に能動的で積極的な協力の提示だった。悪くはない。

 それに。

「アルニム伯爵令嬢への慰謝料の内訳には土地と爵位も含まれている。王家の直轄地だ。8年間のお詫びなんだろうね。アルニム家の借金返済に使われてしまうのは残念でならないね。もっとも、内情を知らない令息たちからすれば垂涎だろう」

 皇都の、貴族たちの情勢に詳しいのは、悪くないどころではない。かゆいところに手が届くように、打てば響く回答。

「そりゃあ婚活市場に突如舞い降りた超優良物件だしな。貴族じゃあ早婚が多いからな。ろくな稼ぎもないのに、親元、世帯収入を頼りにおままごとみてぇな結婚生活を始めちまうからな…。二十代の後半なんざもう敗者復活戦みたいなもんだろ。土地と爵位持ち、十八歳の隊長が奪い合いになんのは目に見えてる」

 オスカーはこちらを気遣うが、配偶者として内定済みの俺としてはむしろ目録の土地と、爵位が気になる。資産価値としてではない。俺なら彼女が身一つで嫁いでくれてもなんら問題がない。

「よほど彼女を国外に出したくないと見えますね」

「だろうね。フェルディナント殿下からは私と彼女の再婚を勧められたぐらいだ」

「……なんと?」

 一段と冷えた空気をものともせず、ブレンは兄へと向き直った。

「ダメだよ兄さん。隊長はマルクス副官と結婚するから」

「そうなのかい? 断ってよかったよ」

 しかし拒絶しようが了承しようが複雑なのは男親の心情である。オスカーが顎を持ち上げた。

「隊長のなにがご不満で?」

 そうじゃないだろ。

 オスカー、おまえまでなんだ。

「彼女が問題なんじゃないよ。私はもう、よほどのことがない限り、結婚はしない」

 赤子だった息子を遺し、ブルクハルトの妻は魔獣に引き裂かれていた。その魔獣を、炎の奔流によって焼きはらったのはブレンだった。ブルクハルトが弟を庇うのは家族の情からだけではない。恩もあった。静かな後悔が降り積もる心に炎が燃えることはなく、ブルクハルトは三人の孤児のようながむしゃらな復讐者にはなれなかった。

「戻るぞ。急ぐ」


 沈黙に包まれかけた回廊に踵を返す。二段飛ばしに駆け上がりたいのを堪え、一歩ずつ。

 きみ、と背後に声をかけられた。

「やっぱり、個人的な恨みがあるじゃないか」

 笑われたのかと思った。目をやったブルクハルトは存外真面目な、観察するような表情をしていた。

「殺したいほどに憎んでいるだろう」

「殺したいほどに感謝していますよ。彼女を手放してくれましたから」

 早口に答え。あとはもうまっすぐ前を。上を見つめた。



半鐘とは。火災、洪水などな天災や盗賊などを知らせるために鳴らす小型の釣鐘。火の見櫓に吊るし、合戦時には陣営の合図にも使われた。警鐘とも呼ぶ。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


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