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悪役令嬢は半鐘を鳴らす【4】


 ズルじゃない、違う、違わないと益もないやり取りを繰り返しながら、ブレンが一昼夜を過ごした営倉前を離れる。動きに問題はなさそうだが、念のため尋ねておく。

「怪我は?」

「ないです」

「グリフォン相手に無傷か。よくやった」

「遠距離のうちに仕留められたので。近接戦闘になってたら、たぶん負けてます」

「そうだな」

 たぶんではなく確実に致命傷を受けている。

 魔獣ですら猫科は犬科よりも戦闘能力が高い。爪や牙の届く距離に詰められれば紙装甲の魔道士など一撃に食い破られてしまう。ブレンは重いから、邪魔だからと剣や弓の装備に文句を垂れる魔道士らしい魔道士だ。自身の間合いで戦うのが最適解だ。

 敵がこちらよりも長い手を持っていたなら? 長距離攻撃手段を持っていたなら?

 個人で戦おうとするのは勇気以上のなにかが必要だ。蛮勇ではない。それは軍隊としての、総合戦闘力で立ち向かうべき脅威だ。

「営倉の感想は?」

「ベッドが硬いです」

 貧民街の違法建築物とは違い、床や屋根は傾いてはいないし、雨漏りの様子もない。古くはあったがそこそこの清潔さ。食事を狙い、真昼間にも係わらず図太くも登場するネズミ相手に箒を振り回して戦う必要がないというのは最悪ではないのだ。

「塹壕よりはマシだろう」

「ベッドどころか壁も屋根もない野外と比較してもしょうがないと思います」

 なんなら狼の遠吠えというオプション付きの事故物件が塹壕だ。硬い。冷たい。雨ざらし。誰も得をしない素敵な三点セットである。

「まぁ、災難だったな」

 マルクスとて皇都騎士団の地下に足を踏み入れたのは初めてだった。自身が放り込まれるようなヘマをしたことはない。

 仲間を、部下をお迎えに憲兵隊の営倉へ訪れたことは何度かあった。三日を過ごしたモーリッツは「いいところじゃん?」と語り、硬い黒パンを平気にモグムシャしていたし、なんならまったくの善意に半分を、迎えに帯同したペーターに礼を言いつつ分け与えていた。


 幼少期の生育環境は重要だ。

 雀は百まで踊りを忘れない。


「なにか付けられたか? 聞かれたか?」

「いえ? なにも」

 肩ごしに振り返ったブレンはのほほんと首をかしげている。オスカーは苦笑ぎみだ。

「副官はな、おまえがここの連中に殴られたりしてないかを心配してんだ」

「えっ」

「…ブレン?」

 弟を気遣うブルクハルトの声は優しげだったが、とうの弟からの自己申告があれば皇都騎士団首脳部の全員がなんらかの処罰を免れ得ないだろう地位と権力から発せられたものだ。

「あ、ないです。あの、ありがとうございます」

「念のためだ」

 格子戸向こうからも観察したが、魔力を封じる装具も神具も見当たらない。ならば魔道士相手、無茶な尋問はすまい。

 年若い士官が大人しく牢内に留まっているとはいえ、その気になれば幻獣も燃やせる相手だ。凍らせることもできると、つい昨日に証明している。有翼獅子を単独に仕留めるような英雄殿に拍手を贈ることはあっても、嬲って日頃の憂さをはらそうなんて勇者はそうそう現れない。しかも侯爵家の嫡出だ。

 あくまでも営倉送りの一環であったという後々の言い訳対策も考えてのことだろう。規則どおりの反省文を書かせた。室内と本人の様子を見る限り、無体な扱いは受けていない。拘束を続けている以上、指示している“上”とやらへの面目も立つ。

 とはいえ度を越えた阿呆はどこの組織にもいる。


(陰湿な野郎は見えない服の下を狙ってリンチを加えるからな)

 

「ブレン少尉。自身が妬まれる存在であることは自覚しておいた方がいい」

「はぁ…」

 よくわかっていなさそうな様子はいつものことだ。

 俺にもわからないのは、アーデルハイト隊長を羨む人間すらいることだ。魔道士部隊を率いる最年少の少佐という華やかな肩書き、軍功にのみ目を奪われているのだろうが…じゃあおまえがやってみろと言われて喜べるか? 全力で回避すべき、謹んで辞退申し上げる案件だろうに。

 最後尾のオスカーから声がかかる。

「魔道士の二人は他になにか言っていたか?」

「そういえば、隊長の婚約破棄について、魔道士塔からの反発が予想以上に強いです」

「なんだ。敵の敵は味方理論か?」

 くつりと唇が歪む。先頭を歩いている俺の表情は誰からも見えていない。

「上層部はそうかもしれませんが、一般の魔道士からですよ。学園の生徒は真実の愛がどうの、ベストカップルの邪魔をするなとか脳みそが茹ったことを言ってましたけど」

「あー…公認の仲だったらしいな」

 オスカーが後ろ頭をかきつつ補足する。

「学園の連中に公認されたところで意味ないですよね。それ浮気じゃんて言っても、フランツ殿下が可哀想の一点張りですよ。わけわかんなくて焼いてやろうかと思いました」 

「そうだな。そういう危険があるから戦闘用の魔石は持ち歩くなと法規に定められているんだろうな。カッとなったときは6秒待て。深呼吸しろ。それで怒りのピークは去る。戦場ならまず撃て。相手が動かなくなってからゆっくり怒ればいい。考えたときにはたいてい行動を終えている」

「はい」

「それもどうかな…」

 侯爵家の次男坊が遠慮がちに口をはさむ。さすが社畜エリートというおかしな単語が聞こえた気もしたが、気のせいかもしれない。

 振り返ったブルクハルト様は「うん、なにかな」というお顔をなさっていたからだ。

 説明を求められていると解釈する。

「魔道士塔所属の魔道士たちから見れば、俺たちは成功した同業者です。大多数の人間からすれば、魔道士とは、薄暗い穴倉にこもって怪しげな実験を行うよくわからない職業程度の認識でした。存在に脚光があたった意義は大きいでしょう。軍属という選択肢もできました。魔道士として働き、食っていけます。なんなら栄誉と栄光をつかむことも可能であると知ったのです。あとに続こうと勢いこんだ者たちから見れば、我々魔道士部隊タリスマンという先駆者を貶める言動は自らの希望と期待を潰す行動だと受け取ったのではないでしょうか」

 社会規範からの逸脱に対し憤っているわけではないだろう。ほとんどの魔道士はゴシップから縁遠い人種だ。遠い世界の誰が誰を好きになろうが、結婚しようが離婚しようが心底どうでもいい。個人的な事情についての、興味本位の噂話など右から左に抜けてしまう。彼らの目と耳は興味のある世界にしか向けられていない。

 魔道士が社会不適合者と呼ばれる残念な原因だし、筆頭とも言える魔塔ではその傾向が強い。学力と能力によってのみ選び抜かれたエリートたちだ。総じて高慢と卑屈の割合が非常に高い。シュタインのようにお洒落カフェで茶を飲んで過ごしたり、お洒落スーツを買う店のベルを気軽に鳴らせる豪の者は極々稀だ。


(少々清潔感があって、挨拶の一つもしていれば違うんだがな)

 

 街中へ出てきたとしても、フードを目深にかぶり、目と目を合わせようとせず、買い物にも必要最低限しか話さない。これでは怪しまれても文句は言えまい。

 魔導士塔のローブを自らまとったそんな彼らが隊長の婚約破棄に反発していると言うのなら。静かな反抗心を持ったと言うのなら。

 それは隊長への同情などではない。同業種への連帯感はあるにしろ。王家の所業を、出る杭を打とうとする身近な裏切りとして受け取ったからに他ならない。


 …喜ばしい報告だ。末端にまで情報共有がなされているならば。煽り、焚きつける必要すらないかもしれん。


 腹に嗤う俺の背にかけられたのは、静かな問いだった。

「マルクス大尉はどこまでの報復を考えているのかな?」

「ブルクハルト様は我々にどこまでが可能とお考えでしょうか」


 誰に。とは尋ね返さない。口にするまでもない共通認識。純真無垢な素振りも、過ぎれば苛立つ。

 階段への踏み出しかけていた足を止める。振り返る。

「弟を思う兄の懸念と笑いとばしてくれてもいいのだが、」

 合わせ、同じく歩を止めたブルクハルトが苦笑のように微笑む。

 ブラートフィッシュ侯爵家は王太子の支持基盤のなかでもかなり大きな勢力のはず。同母を持つ第五王子に対し、どこまでを許容できるのか。

 尋ねてみたつもりだ。あくまでも魔道士部隊として対処すると宣言した俺たちの実力をどこまで買っているのかを世間話として尋ね返しただけだ。忖度どころか留意の必要性も見出せはしないけれども。

「大尉の行動は個人的な恨みもあるように見える」

「お言葉を賜ったのは先日の祝賀会の会場がはじめてですよ。部隊にかけられた汚名を返上し、名誉を挽回したいと動くことがそれほど奇異に映りますか?」

「君がとても用心深い男であることは、言葉を交わしたばかりの私にもわかるよ」


 薄暗い回廊。底冷えする空気が静寂と仲良く手を繋いで座り込み。後ろ暗い男たちの密談を見守っている。


「ありがとうございます。我々は帝国法を遵守し、納税と勤労の義務を果たす真面目な軍人であることを今後も続けていきたいと考えております」

 ブルクハルトが口元へと手をやったのは、表情を隠すつもりか。あるいは笑いをこらえるためか。気配は凪いでいる。

「ブレンには廃嫡まで持ちこむつもりかと尋ねてみたんだ。…なんと答えたと思う?」

「当ててみましょう。『副官に聞け』」

「…すごいな。そのとおりだ」

 本心から感心したと目を見開いたブルクハルトが称賛の視線をよこす。

 こちらはあまり楽しくないし、嬉しくもない。教育が行き届いているにも程があった。まったくもってこういう時だけと思わなくはないが。

 仕方がない。部下の管理も仕事の一環だ。

「フランツ殿下の動向を気にしながら魔石を学園に持ちこんだ弟だからね。私の心配にも理解が欲しいな」

(…なるほど)

 ブルクハルト様はうちの弟を鉄砲玉にするつもりかと懸念し、心配なさっているわけだ。

「第五王子には、我々に対する侮辱を後悔していただきたいだけですよ。それも、できるだけ長く」

 あんたの弟を生贄にするつもりはないと明言する。命を奪うなら、責任をとる者が必要になる。

 心からの反省、謝罪とやらもいらない。そんなものに価値などない。ああまぁ、アーデルハイト隊長が欲しいと言うなら話は別だが。

「えっ、殺さなくてもいいんですか」

「……ブレン」

 ブルクハルトが弟の名を呼んだ。咎め、嗜める声音は、一線を超えた少尉の耳には届かない。兄ではなく、俺を見ている。

 後ろのオスカー副長は苦虫を噛み潰したような表情に沈黙を保っている。

「ブレン・ブラートフィッシュ。おまえ、人間でいたいか」

「はぁ」

「炎に溺れて獣に落ちれば俺たちがおまえを狩るぞ」

「あっは。炎の獣ってなんだかかっこいいですね!」

 息を呑んだのはブルクハルトだけだ。

 オスカーが腕を組んだのは、手を出すことを自制したからだ。


「違うだろ? ブレン少尉。おまえがなると誓ったのは? 隊長の前で啖呵をきったのは?」


 うたうように。煽るように。嗤ってやる。


「最高で最強の火炎魔道士だろ?」


 50年前。最高で最強の氷結魔道士と呼ばれた男がいた。人の身でありながら原子が完全に動きをとめる絶対温度の下限、絶対零度の領域を両手のひらに作りだした。欧州大陸の魔法史に燦然と輝く名を遺した。

 50年後。再来と呼ばれる天才が今、マルクスの前にいる年若い少尉だ。狩るには惜しい。


 あ、ぁ、う。

 言葉にならない呻きをあげて、ブレンが上着の前身頃をわしづかんだ。

「人間でいたいなら、隊長の言うことは聞いておけ」

 上から叩きつけるように言葉を続ける。

「今回氷を使ったのは褒めてやる。おまえの炎はおまえと同じ人間を焼いて、町を燃やす。断言してもいいが、そうして最後は自分を焼き尽くす。おまえにとって、それはそれで本望かもしれんがな。これから先も人間でいたいなら、自分自身に誓え。あれは敵だと、隊長が指し示したものだけを焼くと」

 化け物を見るような目で見られることはマルクスだって慣れていた。バケモノを見るような目で見られたものは、バケモノのように振舞うしかない。

 ブルクハルトの頬を強張らせるかすかな恐怖は馴染んだものだ。もはや取り繕う必要性も見当たらない。

「ブレン。おまえ、隊長に忠誠を誓えるな?」

 我ながら、ぞっとするほど濡れた声になった。

 弟を、家族を奪っていく悪魔の取引に目を見開きながら、ブルクハルトは動けない。


 愛している。けれど恐ろしい。

 幸せになってほしい。どうか、遠くで。


「はい」

 頬をバラ色に染めて。ブレンは帝国でも軍部でもなく、アーデルハイトに忠誠を誓った。ひどくあっさりと。気負いもなく。

 白い炎を拳に握り、新任の准尉を救うべく馬を駆った彼女に膝を折る。


 肩から力を抜いたブレンはけろり、兄へと向き直る。末っ子特有の甘えを見せる。

「兄さんごめん。だって、あいつら、隊長のこと悪役令嬢ってさぁ、ひどいこと言うからさぁ。あんなに戦った俺たちが売国奴ならおまえらは何だってカッとなっちゃって。あ、でもどうするかは殿下の顔を見てから決めようと思ってたよ。目と目があった五秒で発火はしなかったと思うよ?」

「そうか。できればそれは一生心に秘めておいて欲しかったかな…」

「副官、副長もすみませんでした!」

 音がしそうなほど勢いよく頭を下げられた。

「なにを謝るんだ? ハ、まさか俺が、俺たちがおまえごときに打ち倒されるとでも?」

「すみませんでした。今は悪いと思っています。お迎え、ありがとうございます。あ、でも、副官ではなく隊長に従えなんですね」

「俺は駄目だぞ。おまえと同類だからな」

 部隊のためなら。…隊長のためなら。

「必要ならば、おまえを使い潰せる」

 名誉の欠片、尊厳の片鱗すらもない血肉と暗闇の泥濘ぬかるみに蹴り落とせる。

 部下をたしなめれる言葉を紡いではいるが、アーデルハイトが「やれ」と命じていれば、マルクス自身は祝賀会の場で暴力を行使することもやぶさかではなかった。と言うか、あの唇からタリスマンへの戦闘態勢移行の命が下されれば即座に従っていた。

(こちとら戦場上がりの部隊だぞ?)

 首の軍用チョーカーに嵌めこまれた魔石には、未だオーバーヒートの熱が燻っていた。

 称賛されるためにのこのこと赴いたパーティ会場に剣と弓矢を突きつけられ、今のブレンのように拘束された可能性もあった。

 殴られたから殴り返す。生物としては当然の行動だろう。

 なんなら殴られる前兆に先手必勝をかける。襲われてからでは遅い。致命傷を負ってからでは動けなくなる。そう考えることの、対処することの、何がおかしいのかわからない。


 先制攻撃を受けた極東のサムライは宣言したと言う。“その言葉、宣戦布告と判断する。当方に迎撃の用意あり”だ。

 第五王子が。泥棒猫が。彼らが。どうして殴り返されないと信じたのかがマルクスにはわからない。


 文明社会から離れ、獣を相手として野山に、荒野に戦い続ければどんなに心優しく理性的な人間すらも獣へと近づいていく。

 さぁ人間の時間だ、切り替えろと告げられても、即時対応はなかなかに難しい。

 俺たちには手綱を握る人間が必要だ。それが指揮官だ。隊長であるアーデルハイトそのひとだった。


「ですよねー」

 あはははーと笑いとばすブレンがさぁ帰ろうと膝を持ち上げたところで。

「隊長のアルニム伯爵令嬢は王宮だよ。王妃様が婚約破棄の撤回に動いている」


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