悪役令嬢は半鐘を鳴らす【3】
階段を降りれば平面。予想通りの鉄格子が立ち並ぶ様子は牢獄とさほど変わらない。狭く、質素だが、ベッドと机、椅子はあった。がたつく椅子に座り、反省文を書いて一日の大半を費やすのが営倉の過ごし方だからだ。
石壁に取り付けられたカンテラ内部の魔石が鈍くオレンジの光を放っている。
回廊の横幅が広がり、一歩を前に出たブルクハルトがマルクスに並んだ。侯爵家の次男坊は眉間にシワを寄せて、難しい顔していた。思わず早足になったらしい。歩幅が広くなり、姿勢も少しばかり前のめりだ。
もう少し踏み込んで、王妃の人となりでも聞き出せればと思っていたがさすがに控える。そんな気分ではないだろう。あえて不興を買う必要はない。
薄暗く、寒い。底冷えするような室外よりはマシだが、最低限に保たれた室温。
お世辞にも空気が澄んでいる、とか、暮らしやすい、とは言えない住環境を侯爵家の次男、涼やかな優等生が経験したことがあるとは思えない。そういえばブレンも営倉行きは初めてだったはず。泣いて俺たちの迎えを待って……いや、ないな。
「あっ、副官ー、副長ー。こっちです、こっち」
あぐらに座り。鉄格子の向こうから伸ばした手を振って自己主張する呑気さときたら。
「…おまえ」
「あれ。兄さんまでどうしたの」
飛び上がるように立ち上がったローブ姿は二人。
「失礼しました!」
「お邪魔しました!」
ブレンの独房前に広がるトランプカードを慌ててかき集め、逃げるように去ってゆく。案内役の騎士までも便乗する。
「でっ、では私も失礼します。お気をつけてお帰りください!」
鍵束を俺の手に押しつけやがった。錠前を開けて、中の人間を引き渡し、出口まで送って報告を終えて、そこでようやく任務完了だろうに。俺たちが身分を詐称するテロリストだったらどうするつもりだ。
(職務怠慢では?)
面通しは済んだのだからもう良いだろう、早くこの場から離れたいという気持ちはわからなくもないが。
「こんなところでゲームかい?」
膝をついて屈み、こぼれて残されたカードの一枚をブルクハルトが拾い上げる。
「やることなくて暇だったから」
「無事でよかったよ。寒かっただろう」
人様の家庭環境に首を突っ込むつもりはない。ないのだが、…甘すぎないか、ブレンの兄ちゃん。弟の横に鎮座した差し入れの温石と食事の跡が目に入っていない訳でもないだろうに。
俺ならまずは怒鳴りつけている。なんなら背中を蹴飛ばして実力行使に頭を下げさせている。無事を喜ぶのはそのあとだ。
口には出さず、顎をしゃくるように見上げたオスカー副長が肩をすくめる。
「なんで兄さんが副官たちといっしょにいるの」
「事情を説明してくると言って別れたおまえが官舎に帰っていないと言うからね…。探していたんだ」
なるほど。ブラートフィッシュ家と親密な、あるいは親密になりたい誰かが注進に走ったのか。
「騎士団に連行されたと聞いて驚いたよ。理由をきいても、釈放を申し入れても埒があかなくてね。今朝、学園で現場検証中の方々から話をうかがっている所へオスカー副長がやってきてね。ご一緒したんだ」
「茶までだされて、ご歓待を受けていたようでしたがね?」
「待ってくれと言われたんだ」
(それは遠まわし、お帰りくださいと言われているんだ)
現場監督官からの懇願を理解していながら、しれっとうそぶく侯爵家の息子は確信犯だ。俗に言うモンペ、あるいは進化系、ヘリコプターペアレントか。
ここに来る前に寄ってきた学園の光景が目に浮かぶ。現場検証と後始末用の臨時天幕が張られていた。倒壊の恐れもある校舎には入れず、凍った噴水前にだ。
「大丈夫。直ぐにだしてやるから」
肩ごし、振り返られたが。
「ブレン・ブラートフィッシュ少尉。放火は理由の如何にかかわらず、死罪だ」
期待、どころか。当然と求めるブルクハルトの視線を無視して一歩を前に出る。牢のなかにいる少尉に話しかける。
「知っているな?」
「はい」
慌てて居住まいを正したブレンがぴしりと背筋を伸ばす。
「なにが、どこが、問題だったと考えている」
「攻撃術式で校舎を延焼させました」
「そうだな。他には」
「……他?」
(そうだろうとも)
首をかしげる十八歳の少尉は、なにが悪かったのか、どこに失敗したのかを理解していないのだ。
「ブレン少尉。貴官の問題行動は三つだ。校舎の火災原因となったこと。危険物である戦闘用一級魔石を学園に持ち込んだこと。そして報告もせず現場を離れようとしたことだ。…氷漬けのグリフォンをその場に置いて帰ろうとしたらしいな」
「生命活動の停止はちゃんと確認しましたよ?」
「そうだな。氷に串刺しだ。噴水の水を使っていたな。見事だった」
「はいっ!」
「阿呆! その場に留まり、騎士団なり、衛兵隊なりの到着を待って、状況説明を行っていれば拘束などされていない! よしんば同行を求められたとしても俺たちに連絡をよこせばよかった。侯爵家の名前を出せば陸軍宛に伝言の一つくらい飛ばせただろうが。親の権力なんぞこういうときに使うためのものだろうが。何故現場保存を行わず、勝手な判断に場を離れようとした」
「お、終わったので、兄さんと一緒に帰ろうと思いました」
「終わっていない。食い散らかしたテーブルを残して帰ろうとするな。子どもじゃないんだ。後片付けまで終えてやっと半人前だ。逃亡防止の口実を与えてどうする。現状、俺たちは宣戦布告を受けていると説明しただろうが。報告連絡相談を徹底しろ」
「は、はいっ!」
くそ。返事はいいんだ。返事はな…。
横手からは強い視線を感じる。当然ながらブラートフィッシュ家の次男坊のものだ。怒りだすか。理解を示すか。どちらの姿勢をとられても、俺がやることは決まっている。
叱責はその場で、すぐさま与えねば効果がうすい。鉄は熱いうちに打てと言う。浮気だって、一番素直に反省するのはバレた直後だ。開き直りや言い訳、思考に理論武装する暇を与えてはいけない。空気の読めないブレンとて、生まれて初めての営倉送り。鍵をかけられ隔離され「なにかおかしいぞ」「やらかしたぞ」と冷や汗の一つもかいているはずだ。自覚が芽生えた今こそ畳みかけるべきなのだ。
デスク仕事であるならば人前に褒めて、叱るのは一人の席が基本だ。
だが今回は内容と状況がそれを許さない。親族の目を気にしている場合ではないし、そもそも兄にも問題がある。彼ら兄弟にとっては、誰かがお膳立てした席について、行儀よくナイフとフォークを使うことが役割なのだ。食事を終えればナプキンに口元を拭いて席を立つだけ。皿を下げ、テーブルクロスを換えるのは彼らの役目ではないのだ。
だが軍人となった以上、そうはいかない。とは言え、ぽかんとこちらを見上げる家族相手に、フォローは必要だろう。
「魔石の所持は魔道士ならば必須だ。研究用とでも言っておけばいい。魔道士塔卒のブランドを上手く使え」
皇都治安維持法など、拘束の大義名分にされただけだ。
俺自身、私物として魔石の装具はいくつか所持している。
叱責に肩を強張らせうつむいていた少尉が、おそるおそると顔を上げ始める。
「戦闘中に火災が発生するのは珍しいことじゃない。むしろそのための火炎術式だ。市街地では相当の注意が求められるが、幻獣を学園の範囲内で仕留めたならば許容範囲の損害だ。有翼種を街中に逃がしていた方が被害が大きい。それに、」
にやっと浮かべる笑みは共犯者のそれだ。さきほと、ブルクハルトにも言いかけたことだ。部下がなすべきことをなしたのならば、守ってやるのは上官の務め。そして、ブレン少尉は少尉なりに考えて術式を選択している。
「おまえ、氷結の術式も使えるようになったじゃないか。ええ? さすが、最高の火炎系魔道士を目指すだけはあるな?」
「ちゃんと場を読みました! 俺、できる魔道士なんで!」
格子を両手につかみ、とたん元気になったブレンが尻尾を振るように吠える。結果を出した者を褒めるのは当然だ。事実ブレンは炎一辺倒の魔導士から脱却を見せた。原子運動において火炎と氷結は表裏一体。成長を正当に評価しているぞ、さらなる活躍を期待していると本人およびその家族に伝えることでモチベーションの向上も見込める。
「貴官の身分は帝国陸軍が保証している。俺たちタリスマンの任務は魔獣の殲滅だ。役目を果たした以上、行動に対する処遇を決定するのは騎士団ではない。…帰るぞ。ブレン少尉」
こくこくとうなずく表情はともかく。緊張感はともかく。言葉遣いだけは仕事用を続ける弟を眺め、ブルクハルトもまた笑った。
「……どうもありがとう」
誰に言うでもなく、小さく礼を呟く。
錠前に鍵をさしこみ、格子戸を開けるけれど、手を差し伸べて弟を連れだそうとはしない。散らばったトランプカードを集め、温石を拾い、空になった紙カップをテーブルに戻したブレンは一人で鉄格子の檻を出た。
俺の後ろから声をかけたのはオスカー副長だ。
「ブレン少尉。さっきの、ここにいたフードのあいつらは魔道士塔の関係者か?」
「あぁはい、塔から騎士団に派遣された魔道士だそうです。俺の反省文を読んで興味がわいたらしく、差し入れを持って様子を見に来たそうです」
「反省文を読んで?」
どういうことだ。
「おまえ、そんな道徳的で感動的な文章が書けたのか?」
「熱運動エネルギーにおける化学結合の変化と酸素原子の結びつきについてまとめました」
「研究論文では?」
それのどこが反省文だ。
「グリフォンを氷漬けにした瞬間に浮かびました。早く形にしたかったので、帰宅を急ぎました」
「おまえ、そういうところだぞ?」
「まぁ、悪くないテーマだけどな」
オスカー、おまえも余計なフォローをいれるな。調子に乗るだろ。
一見人畜無害な研究青年に見せかけ。目の前の少尉は齢八つにして村を一つ、焼き尽くしている。子どもがやったことで押し通すにはあまりにも被害が甚大だった。死人が出なかっただけだ。廃棄される村だったというだけだ。
放火は理由の如何を問わず、帝国法において死罪なのだ。
だが善悪のわからぬ幼子を法の罪に問えるものなのか?
提起した議論に時間を稼ぎ、雇ったロビイストと弁護士団によって、まとまろうとする被害者集団とその支援者を名乗る業突張りどもを分断しながら侯爵家は先祖代々保有する金山を手放した。住人たちへの補償金を用意した。個々人への賠償だけでなく、新たな村へのインフラ設備も惜しみなく行い、息子の無罪を勝ち取ったのだ。
だがブレンが魔道士塔に入学する直前、侯爵領の外れで魔獣の大発生が起こっている。焼きはらったのは三男だろう。侯爵家が抱える魔道士を総動員しても、これほどの炎は起こせない。ブラートフィッシュは研究職としての魔道士のパトロンだった。天を衝く業火は数年前の火災を領民に思い出させるには充分だったはずだ。侯爵家はブレンを魔道士塔へと逃がした。
まったくもって親の、家族の愛とはありがたいもの。
皮肉まじりに思う。
魔道士塔にて50年に一度の天才と呼ばれた称賛を貪りつくしたのち。主席で卒業後は自らタリスマンへの配属を志願した。思う存分炎が使えるという単純明快な理由からだ。
己の適正(適性)と性癖を深く理解した上での職業選択。素晴らしいと称賛する行為に躊躇はない。だが。
「帰ったらまずは営庭30周だ」
「えっ」
「おまえにはその方が堪えるだろ。術式の途中で狙いが荒くなったのは疲れたからだろ。手がぶれて、足がもつれた。違うか?」
「そのとおりです」
「まずは体力をつけろ。筋肉をつけろ。カードゲームなら俺とシュタインが付き合ってやる」
「嫌ですよ。シュタイン中尉はポーカーフェイスの豪運だし、副官、カウンティングのズルしてるじゃないですか」
「才能にあふれた技能だろ? それに、カードカウンティングはイカサマじゃない」
袖の下に隠したカードを出したり入れたりするような、原始的な手法ではない。
排出されたカードを脳内で種類分けしながら、手がそろう確率を計算しているだけだ。勝てる確率があがったところで勝負しているだけだ。合法だろう。ただしこれをやられた胴元が大損してしまう可能性があるため、賭博場では禁止行為とされているだけだ。発覚したところで返金を迫られたり、一方的な暴力をふるわれるような犯罪ではない。
「思考訓練の一環だ。教えただろ?」
特にブラックジャックでは猛威をふるう攻略方法だ。適性の有無はあるにしろ、魔道士部隊では嗜みである。
「8デッキでそれをやれたのはマルクス副官だけですよ…。本物の賭場でも通用するんじゃないですか?」
「ばれれば一生ものの出禁をくらうがな」
「やっぱりズルじゃないですか!」