悪役令嬢は半鐘を鳴らす【2】
学園を経由し、軍令部へ。そこでブレン少尉の釈放手続きを交渉、は俺がするまでもなかった。
できた副長による抗議と根回しによって釈放状はすでに用意されていた。名を名乗っただけで、茶封筒は手渡された。法務官による親指を立てたハンドサインは「言って来い!」と俺の背を押していた。
皇都騎士団の受付窓口には先客がいた。
オスカー副長だ。そして一目で高級とわかる品のよいスーツに身を包んだ紳士が共に。
「何故、弟が身柄を拘束される必要がある。責任者を出してくれ」
机を叩いたり、声を荒げたりはしない。立ち居振る舞いは高位貴族のそれだ。ならば後ろに控えているのは紳士の護衛か。
「あいにく責任者は不在でして…。しばらくお待ちいただく必要があります」
「話にならないな。次席でもかまわない。今、この場で、決定権を持つ者を出してもらおう」
オスカーが顎を引いて、こちらを見た。頷き返すことで互い、帰還の挨拶とする。場所を移動し俺の隣に立ったオスカーが、憤慨を静かな威圧に変えて引き下がらない男を目で指し示す。
「ブレンの兄ちゃんだ」
「…だろうな」
良く似ている。
「二番目の兄貴らしい。心配はわかるがよ、あー…、んな若いのにまくし立ててもなぁ」
「かわいそうにな。受付の責任者は衝立向こうに隠れてやがるだろうに」
ブラートフィッシュ家の次男相手に揉め事を起こしたくないのだろう。矢面には立ちたくない。だから新人の二人に押し付け、抗議をやり過ごそうとしている。
次男坊は次男坊で、目の前の若い騎士を逃がすつもりはないらしく、交渉を一人に絞っている。
隣席の手助けに入ろうとして手も口も出せずにいる中腰の受付前に進み出た。
「失礼。よろしいでしょうか。帝国陸軍所属、魔道士部隊副官、マルクス・ミュラー大尉です。ブレン・ブラートフィッシュ少尉を迎えに参りました。こちら、陸軍からの釈放請求書です」
茶封筒を受け取る若い騎士の手はぶるぶると震えていた。
「確認いたします」
陸軍が作成した釈放請求はかなりキツい文面だ。軍部がこれをやると高圧的どころの話ではない。おうおう、戦争売ってんならうちはいつでも買ってやんぜ?という中指を立てた内容に他ならない。あまり使われはしない。だが皇都という空間に軍、騎士団、衛兵隊と三つの武力集団が密集しているのだ。互いの職権をめぐっての衝突は日常的に起こる。人間の善性を信じるのはけっこうなことだが、最悪の事態に備えるのが治安組織のありようだ。
「しょ、少々お待ち下さい」
マニュアル通りの接客もとうとう限界を超えたのだろう。ガタンと椅子を蹴る勢いに立ち上がった騎士が奥へと引っ込む。
こちらをじっと見つめるブラートフィッシュの次男坊とやらに向き直る。挨拶は身分の低い方からだ。そして当人が不在のもと、部下の家族と出くわしたならば、上司の側から声をかけるのは礼儀というよりも親切だろう。
「はじめまして。マルクス・ミュラーです。ブレン少尉にはいつも頑張っていただいて非常に助かっています」
「ブルクハルト・ブラートフィッシュです。むしろご迷惑をおかけしているでしょう。弟は」
ありきたりで捻りもない、定番の挨拶へ自嘲気味に笑い返してくる。
「昨日も、こんなことになってしまって」
事実と相違したことは言えないけれども。
「治安維持法違反の魔石を隠すために、無辜の市民を見殺しにするようならそれこそ叱責すべきですが…違うでしょう。彼は、学園の生徒たちを救いました。我が身の危険を顧みず、放たれた害悪から市民の生命と財産を守りました。兄として誇り、褒めてやってもよろしいのでは? 手段の不手際については、教育が至らなかった我々タリスマンにも責任があります」
さすがに製造責任までもが問われる謂れはないが、この程度の慰めならば問題ない。魔道士塔からの推薦状があった以上、入隊申請を断るという選択肢はこちらにはなかったが、それは言わなくてもよいことだ。
「……あなた方は、ブレンを迎えに来てくれたんですね」
「部下がなすべきことをなしたのならば、守ってやるのは直属の上官として当然の務めです。それに、」
「っお待たせしました!」
頬を紅潮させた若いのが、年嵩の、腰の引けた騎士を連れて戻ってくる。
「釈放請求書は拝見しました。ですがやはり即時の実行は難しく、私は一存では、なんとも」
「連れて帰ります。案内をお願いします」
「こちらとしましても、上司からの指示で仕方なく、」
「裁判官による拘留が決定されたとでも? 法的な根拠が? 上司とやらは、なんの権限があってうちのを拘束しているんです?」
「上司からの、とは、どこからの命令かな」
侯爵家からの問いに、ぐっと唇を引き結ぶ様子からすれば、こいつも苦しい立場に立っている。
だがそちら様の事情とやらを汲んで、こちらは釈放請求の書面までを整えたのだ。これ以上の妥協を求められても困る。俺自身、疲労に加え、寝不足に気が立っている。午前に書類仕事を片付けたら午後は官舎に戻って休むつもりだったのだ。これ以上、無駄な引き伸ばしはやめていただきたい。
頭部を動かさず、視線だけで辺りをうかがう。配備されている人員が少ないのは騎士団もまた街の警らに借り出されているからか。
受付ごと吹飛ばし、地下の営倉に閉じ込められている部下を解放するのは俺一人でも可能だ。オスカーまでいるのだ。夢想は、暴力がいかに素早く問題を解決するかを知る人間にとって楽園の林檎のように艶めいている。時短への誘惑は媚眼秋波の如し。
とは言え法の庇護を受けたいならば、自らもまた法を守らなければならない。理にかなった正論だろう。森に独りで暮らす世捨て人ではないのだ。その森とて所有者であれば領主に税を納めなければならない。孤高を気取ったところで、世紀末覇者にはなれない。
分業化が進んだ現代だ。美味い飯を食って温かい風呂に入り、清潔なベッドに眠る。明かりをつけて、好きな本を読む。そんな人間らしい生活のために、人は人と支えあって暮らしている。力を持つ軍人に、より強い自制心が求められるのは当然だった。
…もっとも。
(ほどよい暴力をちらつかせることは可能だが?)
最大にして最強のカードは伝家の宝刀。だからこそ。
「お答えできません。私の一存で決めることはできません」
俺たちの両脇を抱えてお引取りを願う警備員は登場しない。ここからは武力行使の時間だと宣言するも同然のトリガーに指をかけることをしない。
察してくれとばかり、眉間にシワを寄せ言い訳を繰り返す騎士に、至極当然とブルクハルト様は要求するわけだ。
「では、決められる人間を出してくれ」
これでは堂々巡りだ。
個人的な交渉─── 貴方もこんな立場に立たされて困っているでしょう、厄介者を手放したいでしょう、どうです、俺たちの強引なやり口を拒否できず鍵を渡してしまったとでも口裏を合わせませんか─── あたりで攻めてみるか。職業意識が無駄に崇高で、意思が固ければ厄介だが、やり取りの声が聞こえていないはずもないのに、経験不足の部下に仕事を丸投げしていた人間だぞ? 重圧と責任の二文字から逃れられるとなればこの程度でも乗ってくる可能性は高い。
そう、声をかける前に。
「お待たせしました」
俺たちの背後から、オスカーが連れて来たのは軽鎧をまとった壮年の騎士だった。二の腕に巻かれた隊章。目の前の受付連中が一斉に安堵を浮かべる。
「お話をうかがいました。もちろんです。皇都を救った英雄殿をお連れください」
失笑がもれそうになる。
(英雄ときたか)
「事実確認に時間がかかりました。お引止めしまして申し訳ありませんでした」
直立不動から深く頭を下げる。
軽く頷き、ブラートフィッシュ家は謝罪を受け取った。俺としては速やかに目的が達成できればよろしい。否やはなく、営倉の鍵を手にした受付の騎士の案内に従う。
…何故かブルクハルト様もいっしょにいらしたのだが…?
オスカーと顔を見合わせる。まぁ、騎士団の連中が止めないのなら構わない。俺たちの邪魔をするでなし。家族が牢に入れられたと聞かされれば酷い目に合っていないか、心配でいてもたってもいられなくなるのが人情だろう。さすがに護衛はロビーに置いてきている。
窓がないせいで昼間にも薄暗い階段を四人で降りながら。
「上からの指示、とは、王妃様からかな?」
世間話のように次男坊様はさらりと爆弾発言を落とす。
真っ先にとかげの尻尾切りされそうな新人がそんなことを知っているわけがないだろう。
思ったが、どうやら質問の先は俺たちのようだ。案内役の騎士は肩をびくつかせたものの、聞こえないフリだ。副長は賢く返答を避けている。俺は答えた。ノーリスクで手に入る成果などたかが知れている。
「存じ上げませんが…そうと疑う根拠がおありですか」
「フランツ殿下は、君たちを逆恨みしそうだから。でも殿下のためだけに騎士団へ圧力をかけられるのは王妃様だけだ。道理がなければ実利もない行為だからだ。なんなら正義と誇りすらもだ。陛下も、兄王子たちもこれでは動かないだろう。フランツ殿下には駒となる手足がない。学園のご学友たちも王妃様が選んだ者ばかりだし、…それも、王太子殿下の取巻きたちに比べればずいぶんと能力に劣っている。ただの太鼓持ちだからね。殿下自身、正確な状況把握ができていないんだと思うよ」
それもどうなんだ。王族だろ? 十八だろ? 怒りのコントロール法ぐらいは学んでおくべきでは?
「ブレンが魔石を持ちこんだのは、フランツ殿下を狙ってのことだったかもしれない」
さすがにオスカーの制止が入る。
「閣下…、そいつは」
全力で俺は聞いていませんアピールを始めた騎士はそっぽを向いて、歩く下肢を置き去りに、上半身だけは逃げ出したいと言わんばかりだった。
「……ああ、君、名前は?」
タリスマン以外の第三者に、今はじめて気づきましたという顔をするのだから侯爵家とは恐ろしい。
「こ、殺さないで下さい」
「もちろん、そんなつもりはないよ。騎士たる者、口はかたいと知っているからね」
こくこくと必死に頷いている新人君が酒場に口を滑らしたとしても、しょせん雲上の話しだ。どうこうできる力などないし、抑え込めると知っているブルクハルトが騎士の名を尋ねたのは形式だけだったようだ。さして興味がある様子もない。おい待て。あるいはこちらに丸投げするつもりか?
「マルクス大尉。オスカー副長。君たち。閣下はいらない。ブルクハルトと。気軽に呼んで欲しい」
弟の交友関係に頭を突っ込んでくる兄ちゃんとは、爵位とは別に面倒なものだ。
「光栄です。ブルクハルト様」
ため息は飲みこんだ。
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