キャッチミー・イフ・ユー・キャン【6】
テラス席は明るかったが、頬を撫でる風は冷たい。ふれたコーヒーカップはすでに熱を失っていた。
口をつける前に気づき、手をとめる。思わずぼやいてしまう。
「優しいの定義について、おまえたちの部隊はどんな解釈をしているんだ」
「フリードリヒ小隊長は親切で礼儀正しければ充分だって言うよ。この二つを心がけていれば、周りは勝手に優しい人だって思ってくれるってさ。うっかりやらかしても、まさかあのひとが…とか、そんなひとには見えなかった、が評価の枕詞に添えられますよ、だって」
「笑顔に毒を吐かないでくれ」
第四王子の立ち位置、立場における闇の一端が見える。しかし彼は新任魔道士に何を吹き込んでいるんだ。そして何を育てようとしているんだ?
「魔獣もチビのうちはけっこうかわいいんだよ。目がクリッとしててさ、仔犬とか仔猫みたいな生き物だし。だからってためらうなよ?って親ごと突き刺して、手首を回して抉って、足で蹴って抜き放ちながらそれが優しさだってマルクス大尉は言ってた」
「苦しませないために一撃で命を刈り取る…あるいは親のいない仔を生み出さないためには根切りにすればいい超理論での慈悲かな。……うん、ちょっと落ち着こうか」
戦争狂育成への思考誘導が着実に進んでいるという事実に手が震えた。そっと、右手の甲に左手のひらを重ねて隠す。
「ミヒャエルたちの村はさー、魔獣に襲われて壊滅したんだって。朝早く、三人で魚釣りに出かけて夕方帰ってきたらみんな食われてたらしくて。あいつらは先輩方に指導されるまでもなく、わかってたよ? 優しさは守ること。守るっていうのは敵を殺すことだって、最初から」
殺意の天元突破。だがそこに至った道筋はブルクハルトにも見える。親きょうだい、親類、安心して眠れる場所。すべてを一日に失った平民の孤児が魔道士を志し、魔獣の駆逐を目指す。駆け上るのは復讐に血塗られた道だ。
「だから安心してよ。兄さん。俺は魔道士部隊でなら誰よりも優しくなれるから」
幼かった頃を思いださせる弟の笑み。一縷の望みにかけ、ブルクハルトは微笑みかえした。
「……アルニム伯爵令嬢はなんと?」
「見敵必殺」
ゾクリとするほど天晴れだ。簡潔にして明瞭な命令であり、隅々まで行き届いた目的意識の浸潤。素晴らしい。両手を上げて白旗を掲げたいほどに。
「あ、でも、俺たちには命は大事にって言ってくれるよ」
「……やさしい方が隊長で、俺も安心できるよ」
諧謔が半分。安堵も半分。アルニム令嬢が自己犠牲の精神を尊ぶ軍人ではなかったことに。利用されるばかりの哀れな少女ではなかったことに。
それに、今の時代、欧州大陸の国家が抱える軍隊はすべて国防軍だ。建前上とはいえ、他国への武力侵攻を容認していない。彼らの苛烈な矛先がヒトに向いていないのはせめてもの僥倖だった。
「あのさ、兄さん。今日のこれって俺のお見合いじゃなかったんだよね?」
片手に頬杖という行儀の悪さを咎めることはせず、頷くことで弟の問いを肯定する。
ブルクハルトはそんな、邪神に生贄を捧げるような真似はしない。思慮深くないという理由だけでうら若き令嬢が支払うにはあまりにも大きな犠牲だからだ。
「侯爵家が今回の騒動を不満に思っているというパフォーマンスだな」
「俺の任務なんだけど?」
「許せ。当事者のおまえが動いているところを見せつけたかった」
「フランツ殿下に?」
「周囲にだ。これほど明確に殴られて、声もあげられないのでは我々が屠殺される豚にも劣ると自ら証明するも同然だ。許容できるものではない。フランツ殿下は陛下より自宅謹慎を賜っている。祝賀会の翌日から、学園に登校されていない。ベッカー男爵令嬢も同様だ」
「へぇー。それって、いつまで?」
「……知ってどうする」
「べつに? 学園のベストカップル様がどんな顔して登校してくるのかなぁって好奇心」
「そうか。昨年は、あの二人か」
秋に行われる学園祭。学生たちの投票によって校内のベストカップルが選ばれる恒例の行事だ。後半のダンス前、毎年のように盛りあがる祭典の見せ場である。だが第五王子フランツ・フォン・フォルクヴァルツとピーア・ベッカー男爵令嬢が受賞したのかと知れば苦い気持ちになった。
(学園の風紀はどうなっているんだ)
催し自体はブルクハルトの在学中にもあった。自薦・他薦は問わない。学園祭用に用意されたメインステージの掲示板に張り出された恋人たちのエントリーナンバーを書いて箱に入れるだけのお遊びだ。なんなら兄の代にもあって、兄とその婚約者がベストカップルに選ばれている。
ブルクハルトの記憶にある限り、婚約者のいる者が、それ以外の者と受賞したという話は聞いたことがない。
学生時代の思い出作り、余興の一環だとしても。あまりにも不見識だ。為政者の立場に、つま先なりとも引っ掛ける身ならばなおのこと。王家と伯爵家の婚姻ならば政治的な要素も絡んでくる。そうでなくともこれから一生を共にするパートナーを蔑ろにする行為だと、何故気づけない?
「フランツ殿下は推薦を受けた時点で断るべきだったな」
「悪役令嬢はさぁ、運命の二人を邪魔せず、身を引くべきなんだってさ」
「狭い箱庭の評価など、社会にでれば通用しない。本気でベッカー男爵令嬢を迎えたいと乞うなら、殿下は手順を踏むべきだった」
「隊長は男を立てることもできない、自身の強さばかりをひけらかす、でしゃばり令嬢らしいけどね?」
「ブラートフィッシュ家からは王家に対し、公式の抗議文を提出している。圧力もかけている。ベッカー男爵家に対しては相応の報復を約束しよう。ブレン。早まってくれるなよ」
「フランツ殿下には?」
唇の片側だけを持ち上げ、ブルクハルトが皮肉に笑う。
「どこまでやれば満足だ」
「やれるところまで」
「……廃嫡まで持っていくつもりか?」
「さぁ? 知らない。マルクス副官にきいてよ。やれ、って命令されれば俺は撃つし。やるな、って隊長に言われるまでは燃やしつづけるよ」
ガラス玉みたいな眼をして、さもくだらないことを聞くなぁと首を傾げる弟は、落としどころなど考えもしないのだろう。
「隊長がいいよ、って言ってくれてたら、俺、あの場の敵全員焼いてたし?」
「ひとは焼くものではないよ」
七日前。祝賀パーティの夜。マルクス副官が、そしてアーデルハイト隊長が制止しなければ。彼らに迫るアルニム伯爵に向かって火炎を放っていただろう。
平和で清潔な皇都に安穏と生きている無防備な人間を。宣言どおり。骨まで燃やし尽くしていただろう。
両親から皇都へと呼び寄せられ、その様子を聞いたブルクハルトは弟の本質が変わっていないことを知った。婚約者を逃がしてやれたのは運がよかった。優しく、可憐で、優秀な彼女ならばもしかして、と。諦めきれない両親が引きとめたばかりに長く縛ってしまったことは申し訳なかったけれども。
塔に入っても。軍人となっても。国を救った英雄の一員と賛美されても。
弟は、心から炎を愛し、火傷を省みず抱擁する熱狂者のままだった。
「そうかな」
「そうだ」
だが。
それでも。
『待て』
『ブレン少尉。とまれ』
彼ら二人の制止を聞き入れた。人間の言葉を。聞き入れたのだ。この、弟が。
それだけでも、ブラートフィッシュ侯爵家がタリスマンを支持する理由には十分だった。
叱る? 拳骨? 言っては駄目なことを教える。わきあがった失笑はブルクハルト自身に向けられたものだ。
家族の誰もが恐れ、怯え、できなかったことを彼らはやってくれた。
ブルクハルトは願っている。弟の幸せを。どうか、笑っていて欲しい。どうか、わたしたちから離れたところで。どうか、どうか。あなたの炎がわたしたちに届かない場所で。
黙し、自嘲じみた笑みを浮かべた兄を前にして、ブレンは動きをとめた。
「燃えるにおいがする」
慮ったわけではない。それ以上に心にかけるべきことが起こった。
「……ブレン?」
燃焼の臭いではない。魔力のにおいだ。立ち上がると同時。
ガシャアアァァン!
割れる音がして、悲鳴が続いた。
「ブレン!?」
後ろも見ずに走りだしていた。
正門から続く校庭側、奥まった校舎の窓は内側から割れていた。重力と空気抵抗に従順なガラスの破片は最も鋭利な面を真下に向けて降り注いでいた。休み時間となっていたのか。逃げ惑う生徒たちの姿があった。
危険な煌めきを仰ぐブレンの前で、再度の破裂音が響く。三階だ。壁ごと吹き飛ぶ。低く、重い咆哮。風圧が渦巻く。両腕に頭を庇いながら、素早く目を走らせる。睨んだ先には翼をはためかせるグリフォンがいた。
「─── は、ははっ」
幻獣種。
「あはははっ!」
(本物だ)
胸に隠した魔石を全力起動。王族が通う学園とても、ブラートフィッシュ家の息子に身体検査などありえない。ネックレスの形をしたそれは普段の戦闘用チョーカーに比べれば心もとないが、なにしろ金だけはかかっている。民間としては最高峰の出来栄えだ。
ボッ!
酸素が燃える。無数の流星が矢となって獣へと集束する。並の魔道士ならば片手の数を超えて現出できれば上等。炎の矢はシャワーの如く降り注ぐ。
バサリ。
翼の一振りに振り払い、有翼の獅子が後退、上昇する。硬い剛毛に覆われた顎を持ち上げ、天を振り仰ぐ。
逃がすわけにはいかない。ここは皇都のどまんなかだ。学校、病院、教会。あとは、…なんだったか。とにかく狙ってはいけないものが集まっている。
ぽ、ぽ、ポ。
タクトの如くふるう指先から小さな炎をいくつも放つ。増やし、伸ばし。ぼぼぼぼっ。大きく広げる。炎同士をぶつける。ビリヤードでの白玉が先玉を弾くように加速させた軌道はグリフォンを追う。繊細なコントロールは魔道士としての腕の見せ所。むろん、スピード優先の炎では仕留めるには至らない。幻獣種からのプレッシャーに押し潰されることなく集中し、技術に習熟するブレンの火炎であっても、この距離。鋼鉄の体毛を燃やすまでには至らない。だが続ける。しつこく。何度も。こちらにヘイトを集めるためだ。捨て置いていてもよいと見做された卑小な人間に注意をむけるためだ。
グリフォンの唸り声が変わった。
翼が風を切る音が変わった。
「あっは。そうだよ。こっちだ」
喜色の滲む声に語りかける。
ダンスにひらめくドレスのように炎をまとい、舞わせながら。花壇と噴水に開けた場所へと誘う。
鋭い鷲爪、とがった嘴。そして強く美しい黄金の毛並み。これらが燃え上がる様を想像するブレンの胸はどうしようもなく高鳴る。
遠慮も手加減もいらない。より強く、より大きく、より青白い炎を求める。
マッチをこすると火が点く。なぜ? どうして?
ゆらめく炎に魅せられたブレン・ブラートフィッシュの魔道士としての人生はそこから始まった。
軍籍に身を置き、魔獣と対峙する以上。それが正義だと背を押すものには不自由しない。火を熾し、炎を操る。心が躍った。
ブレン・ブラートフィッシュは侯爵家の息子である。そして炎を愛する放火魔だった。
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