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ワールズエンド・ダンスホール【2】

「殿下。私が受けているのは刑事訴訟でしょうか」

 代わって口を開いたのは当事者であるアーデルハイトだった。

(……それもどうか)

 内心に首をひねったのは俺だ。


 戦争犯罪は帝国法によって裁かれるべきものだ。軍法会議でなければ刑事裁判という隊長の認識はそこまで的外れでもない。ただし根本的なところで何かが間違っている。

「言い訳は見苦しいぞ。貴様との婚約を破棄し、俺は清廉潔白なピーア・ベッカーを王子妃とする!」

 婚約をすっ飛ばして結婚を宣言した王子が相手なので、隊長の言動が目立たないだけだ。

「民事訴訟でのお話しでしょうか。我々の婚約についての合議であるならば、このような場ではなく」

 地声であるソプラノをあえて低く、平坦に、会話を続けようとした彼女の努力は断ち切られる。

「アーデルハイト!」

 遮ったのは細身の男だった。両開きの扉を突き飛ばす勢いに駆けこんできた。豪奢な刺繍が施された群青燕尾の礼服だ。つまり軍人ではない。面識はない。だが隊長をファーストネームに呼び捨てた。マルクスが貴族図鑑を頭のなかでめくる間に、男はずかずかと中央に進みでる。こちらへ。


 立ち塞がるべく動いた部下たちの二の腕をまずはフリードリヒ小隊長がつかむ。

「アルニム伯爵です」


 続いて割り入ったオスカー副長が手のひらを見せつつ苦々しく制する。

「隊長の父親だ」


 もっとも間近、反射的に術式を起動させようとしていたのは若い少尉だった。第一小隊に所属し…この冬季戦線が初陣で…そこで隊長に命を救われ…炎をあつかうのが得意で…つまり。


 とても危険だ。


 瞳孔が縦に引き絞られている。弓も剣も持たずとも、身一つであろうがそれなり以上の戦闘力を持つのが魔道士だ。パチリと一つ、火花が散った。

 タリスマンの総勢12名が揃っている。単純明快な暴力を持ってしてならば、この場を制圧するに十分な勢力だ。迂闊な真似をさせるわけにはいかない。

「っ待て」

「ブレン少尉。とまれ」

 マルクスが腕を伸ばし、アーデルハイトが命令を下す。制止の声に、ハッとなった少尉が踏みとどまる。

 俺たち二人の意識が部下へと向いた隙に、アルニム伯爵は娘の肩を乱暴に引いていた。忌々しそうな目付きを隠そうともしていない。見下ろし、グイと背中を押して王子へと向き直る。

「フランツ殿下。申し訳ありません。生意気を申しました。なにぶん、甘やかした娘でして…。アーデルハイト。頭を下げなさい」

 婚約者ではない女と腕を組んだ王子に対しては卑屈な、おもねる笑いを浮かべた。

 冷笑を浮かべたのはフリードリヒだった。口角を上げたオスカーはアルニム伯爵の発言に揶揄の口笛を吹くのを我慢しているようだった。

 マルクスとて同感だ。

 よわい十二の小娘に死ね、殺せと武器を握らせ。獣の咆哮を、爪を、牙を幼い身体に受けることを強要していながら?

(あれを甘やかしたと言うのか)

 泥と汗と油に固まった黒髪は、軍帽を脱げばぱらぱらと砂が落ちていた。風呂など数週間はいれないこともザラだ。そもそも真水が貴重なのだから。

 行け、戦えと背中を押していながら、本営からの補給線はあまりにも貧弱だった。吹雪のなかに破れた手袋、濡れた靴下を穿き続けた。寒さに震えながら、部下の目は泣き言をこぼすことを許さない。温かな食事や清潔な寝床など何処にもなく、土を盛りあげただけの塹壕にこもり、携帯食をかじる。


 伯爵家の子育ては今夜食うものにも困る貧民街の子どもたちと同じレベルだと主張したいのか?


(恐れ入る)


 屈強な男どもですら寒さと衛生状態の悪化によって次々と体調を崩しているのだ。特に冬季戦線では戦闘行動による戦死者ではなく戦病死者の方がより多かった。

 同じ隊列に並んで同じ体験をした者としては本気どころか正気を疑う発言だ。身内に対する謙遜としてもあまりにひどい。それを真に受ける王子も王子だ。当然と胸を張りやがった。 

「さぁ、」

 苛立ちを取り繕い促がす父親の言葉に、社会人としての対応を見せたのはアーデルハイトだった。

「せっかくの戦勝パーティを私事にお騒がせしましたこと、皆さまにお詫び申し上げます」

 父親に働きかけられたから。と言うよりも、停滞した騒ぎに終止符を打つためだろう。ホールを見渡す視線は彼女が戦況を確認するときと同じ、静かなものだった。笑ってはいないが、泣いてもいない。ドレスではないのだから当然かもしれないが、カーテシーではなく胸に手をあて頭を下げた。

 謝罪しろと迫る父親の言葉を逆手にとっている。


(まぁ、たしかに)

 第五王子に頭を下げろとは言ってないな?

 フランツ殿下との会話中に命じられただけだしな?


 命令は明確に、最後まで言い切らねばならない。そうでなければ下の者は動けない。あるいはこのような返り討ちに合う。

 騒がせたと言うなら同罪のマルクスもまた、部下としての体裁をとりながら再び頭を下げる。腹に笑いながら。真面目くさった顔で、だ。


 いつまでもこんな茶番に付き合ってられるか。そんな本音を押し隠し。敬礼の呼吸を合わせるように、隊長が頭を上げるタイミングに合わせマルクスもまた目線を上げる。そして。

「殿下。婚約破棄のご命令、承知しました」

 背筋を伸ばし、はっきりしたアーデルハイトの復唱に黙って息をのんだ。素早く走らせた視界内、ぎょっと目を見開いてわかりやすく肩を揺らしたのはアルニム伯爵だけだ。

 呆れたことに、王子も、王子横の泥棒猫もたいへん満足げな顔で頷いている。眉をしかめた周りの視線など意識の外だ。

 軽く顎を引いたアーデルハイトは軍靴の踵を鳴らし、飾り紐先の金タッセルを翻した。出口へと真っ直ぐに歩き出す。誰のエスコートも必要としない背中だ。行進訓練を受けている彼女の歩は大股で、まっすぐ早足、迷いがない。三歩、四歩と歩いて…けれど不意に立ち止まった。肩ごしに振り返る。

「……マルクス?」

 どうして付いて来ないの?

 そう言わんばかりに俺を見て、隣のブレン少尉を見た。心底不思議そうに。

 ぱぁっと明るく笑った少尉が嬉しそうに彼女の背へと駆け寄る。苦笑じみた気分に俺もまた歩きだす。

 タリスマン11名が続き…全員が退出した、そのあと。深いため息をついた軍務尚書殿の苦労など知ったことではない。





 街灯に照らされた街道は整然としていて、帰ってきたのだなぁという感慨をマルクスに与えた。皇都に、と言うよりも文明社会にだ。不自然な明るさや喧噪から解放されてはじめて実感するのもおかしな話だが。

 白い息を吐いていても、北部のように底冷えする気温ではない。一般的には摂氏が15度を切ったら厚手のコートが必要だ。今日のために新調された外套は二重の魔道被膜が施された特一級品だ。軽く、暖かく、上品な光沢があった。そろいの手袋も同様だ。あとにしてきたダンスホールの受付ではさほどの混乱も抵抗も遅滞すらもなく、預けたものを受け取れたのは僥倖だった。今宵の主役、勇名鳴り響く魔道士部隊タリスマンの前に立ち塞がる人間はおらず、警護の兵士たちからは加えての敬礼を受け取った。

 燦然たる名誉に輝く不愉快な場所から離れるまでは全員が黙々と歩いた。雪中行軍のときと同じだ。

 12名が雑然と集まっているようで、先頭を歩くのは隊長だ。この時間帯だ。人通りは少ない。広がっていても誰の邪魔にもならないだろうに、俺の後方が二列に並んで進んでしまうのはもはや習い性と言っていいだろう。追っ手を警戒することも、待ち伏せを哨戒することも、俺たちは止められない。

 いつものように、斜め後ろの位置から隊長に声をかける。

「大変でしたね」

 いつものように、を装って口火をきる。なにしろ背中からの圧がすごい。


 なんとかしろ。なんとか言え。

 おまえ副官だろ?


 そういうプレッシャーだ。ちくちくと刺さるようだ。

「そうだな」

 存外芯の入った声で返されて安堵する。

「これからどうされるんです」

「仕事をする」

 なにをあたりまえのことを? そんな口調だった。

「私生活の方です」

「なにか変わることでも?」

「…………いえ、」

 面食らった。

 立ち止まりかけてしまう。すぐ後ろを歩いていたオスカーに肩を叩かれ、はっとなる。

「あー…。我々は北部での討伐が終われば隊長はあの王子サマとご結婚なさるとばかり思っていたんで」

 間延びした口調とはいえ、オスカーが説明を加えたのはさすが年の功というところか。部隊唯一の妻帯者でもある。

「そうだな。私も、そう聞いていた」

「………は?」

「どうやら情報の伝達に齟齬があったようだ」

 暗闇向こうに見えた官舎の姿にアーデルハイトが足を止めた。仰ぎながら、ハ、と白い息を一つ。広くなった交差点で身体ごと振り返り、ニヤリと笑った。月明かりに黒髪と白い顔のコントラストが映える。

「安心しろ。再編の辞令は二週間後だ。それまでは休暇を楽しめ。総員、解散」

「はっ」

 敬礼に返礼。

 踵を返そうとするアーデルハイトはこのまま官舎へと戻るつもりだろう。戦場と官舎を往復する生活は、今までとなんら変わることなく。


「隊長」


 マルクスが呼びとめれば、外套の裾がふわりと広がった。

 夜の妖精。そんな茹であがった感想を述べた隊員もいた。外見のせいだ。十代前半、出会った頃からほとんど変わっていない容姿を美少女と呼ぶのはマルクスの美的感覚をもってしても正常だとわかる。なんなら天才という賞賛を捧げる行為すらやぶさかではない。公爵デューク侯爵マークイス家のご令嬢方を差し置いて帝国の王子妃として選出された伯爵令嬢だ。幼くして容姿、頭脳、魔力のすべてに秀でていた。

 市井では早々お目にかかれない高貴が少女の形をしているのだ。しかも生と死の境界線近く。おまけに泥臭く血にまみれながら矛先を並べてくれるのだ。目の当たりにした帝国の鋭鋒たち、つまりは矢面に立つような末端の野郎どもが環境にトチ狂い、慣れない詩人の真似事を始めてしまうのは仕方のないことだ。


 いたいけでありながら凛々しいアーモンドアイは知性に輝く。優しさや愛らしさと勘違いさせてしまうほどに、アーデルハイトの品のよい立ち居振る舞いは洗練されていた。痩躯からすらりと伸びる長い四肢にはどこかアンバランスな魅力があった。頭部は小さく、自分たちのような無骨な男が両手でつかめば指があまるに違いないと思わせる。頚部など片手で折ることができるのではないかと心配になるほどだ。が。

 いらぬ心配だ。そこまで接近できる男などほぼいない。女だろうが獣だろうが同じことだ。肉弾戦を開始した彼女の動きは猫科の肉食獣に近い。急所をつかまれる前につかみかかった男の頭が吹き飛ばされる。隊長自身によって。そしてマルクスの手によって。あるいは魔道士隊の誰かの手によって鉄槌がくだる。


 二週間もタリスマンの指揮下に入れば彼女が『死を運ぶ』とても危険な妖精さんだと誰もが理解する。

 二ヶ月も共に従軍すれば冷血の悪魔、鉄血の魔女だと心より喝采するのだから。


「明日はなにかご予定がありますか」

「さきほど消えました」

 敬語に戻るのは仕事を終えたからだ。隊長は、いつだって俺たちの部隊長を降りることができた。

 休暇が終わる二週間後には目の前から居なくなると思っていた。

 物語の妖精のように、役目を終えた彼女はマルクスの手の届かない場所へ行ってしまうものだと覚悟していた。


 目を眇める。

「では、アーデルハイト嬢。明日は午後から出かけませんか」

「どこへですか?」

「どこへでもかまいません」

「なんのために?」

「デートがしたいからです」

「……念のために聞いておく。誰と?」

「俺とです。デートですから、もちろん、二人きりで」


 いつ。どこで。だれが。なにを。どのように。


 確認作業後、謎はすべて解けたがさらなる謎が深まった。そんな表情だ。わずか、眉間にシワが寄っている。ならば六何ろっかの原則において彼女が最後に尋ねるのはWHYなぜ


 犯行の動機である。


「……ああ。気を遣わせたか。すまない。副官。らしくもないな?」

 理由をきかれなかったことに落胆半分、安堵半分の気分を噛みしめながら踵をそろえる。

「アーデルハイト嬢」

 左肘を直角に曲げて、胸のまえ軽く拳を握る。片脚を引いてのお辞儀は、ダンスホールにて令嬢にダンスを申しこむ礼法だ。

「あなたのお時間を俺にいただけませんか?」

 手の甲を下に、指をそろえた右手を差しだす。

 頭を横に傾けるようにアーデルハイトが頷き、手袋の手を重ねてくれた。了承を返す際、にこりと微笑むのは淑女のマナーだ。

 デートの申込みが嬉しいわけではない、誤解するなよ?と自分自身に言い聞かせる。上半身を起こして手を引いた。本当にダンスの申込みであればもう少し密着できたものを。

「ドレスコードはありますか?」

「軍服でかまいませんよ」

「助かります」

「行きたい所はありますか?」

「ダンジョン企画展がヴェーバー博物館で開催されているそうです。見てみたいです」

「わかりました。手配します」

「待ち合わせの午後とは何時でしょうか」

「14時マルマルではいかがですか?」

「了解しました」

 互いの疑問点を投げかけ、必要事項を確認する会話を交わす。


「…情緒の欠片もねぇよなぁ…」

「ええ…花束を抱えて、とまでは申しませんが…」


 背後、これみよがしに囁かれる皮肉など無視だ、無視。紅茶色の瞳をのぞきこんで宣言する。

「迎えに参ります」

「女性寮ですよ?」

「まぁ一階の応接室までですが」

 官舎の寮監は元軍人の再雇用者が多い。規則と規律を愛する者が多い。訓練と調練による強制的な愛にしろ、身に染み付いてしまえば不変の習性である。男子禁制の大原則を覆すためには訪問が必要不可欠である理由と、記入要項の多い申請書、伴って各方面の承認印が必要だった。

 男性官舎の寮監はだからこその融通もきくが…夜中、こそこそと引っ張りこんだ女が見つかればトイレ掃除三ヶ月程度の労務は最低限覚悟しなければならない。周りからのやっかみも恐ろしい。下っ端がコレをやらかせば、顎をしゃくった「おう。おまえちょっと訓練場裏な?」が待っている。それでも男はまだマシだ。後腐れのない商売女ならともかく、つきあっている彼女だとか婚約者との逢瀬だった場合、よりひどい醜聞となるのは女性の側なのだ。


 誠実さを示したいのならば入り口の受付窓口にて礼儀正しく己の氏名を名乗り、階級という敬称をつけ加えた相手の名前を告げて呼び出しを頼む。どんなに気安い間柄であろうとも呼び捨てにしてはいけない。横柄な態度をとってはいけない。そして案内される応接室にて端然と座り待つ。

 正攻法こそが最善の事例だ。索敵、発見からの進入速度のように知恵をしぼった時間短縮を求めてはいけないのである。

 むろん、待ち合わせであるならばこのような面倒な手順は不要だ。それこそ博物館前で現地集合すればいいだけだ。それでも。

「俺が迎えに行きたいんです」

「楽しみにしています」

 今度の微笑は礼儀以上のものが含まれていたと期待したい。

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