イヌと呼ばれた男、あるいは悪役令嬢の猟剣【2】
翌朝にはミュラー伯爵領一族の家門会議は開催された。
領内とはいえ突然の招集に、遠方の者たちはまだ夜も開け切らぬうちから出発した者も多い。皇都から見て南に位置するミュラー領は比較的温暖な気候をしているが、冬は冬だ。日照時間は短い。彼らは朝食を本家の屋敷ですませ、この場に参加している。昨日のうちに打ち合わせた父親からは根回しも進んでいるはずだ。
むろん緊張感はある。
マルクスの次代指名に意義を申し立てる可能性があるのは分家筋のいくつかだ。そちらには本家へ養子に入ってもおかしくないほどの血の濃さを持った息子たちがいた。現在彼らの父親と共に領内の実務を担い、義兄を盛りたてていくはずだったひとたちだ。
分家筋は本家近くに屋敷を与えられており、余裕をもち、身嗜みを調えた状態で家門会議に参加していた。
ただし父と並んで上座に座った俺と表立って対立するつもりはないらしい。準備、談合、団結の間は与えなかった。さすがに和顔施とはいかないが、急襲に当主の座を奪いに戻った俺を睨みつける視線はない。
値踏みするような、一顰一笑の目付きはちらほらと。そして並んだ俺と父のあまりの相似ぶりに驚いているのだろう表情ならいくつか。
舞台効果を狙い、俺がまとっているのは父のお下がりだ。
服を貸してくださいと申し出た俺に、共犯者の笑みをうかべた父がよこした。視察用の仕事着とはいえ、伯爵家当主の一張羅だ。タイには小振りとはいえブルーダイヤが光り、カフスはセット品だ。デザインがいくぶん若いため、父も最近は着用していなかったと言うが…側仕えの者たちならば目にしたことがあるはずだ。
これは見せつけるための武器だ。現当主であるマーロウ・ミュラーの心が決まったことを示している。表立って反対することは、ミュラー伯爵領の絶対者であるマーロウの意思決定に手を上げて異議を唱えるのと同じだった。
とはいえフルオーダーメイドの一品であるはずなのに、袖、裾の丈、肩幅、腰の位置までぴったりなのは俺も怖い。わたし、脱いでもスゴイんですと言わんばかり、衰えを知らぬ辺境最強伯の筋肉が怖い。
(俺もかなり鍛えたつもりだったが…)
右肩まわりには少々の遊びすらある。
違和感にもならないような違和感は、父が剣をふるう生粋の戦士であることを示している。
「まずは次期ミュラー伯爵の決定にお慶び申し上げます」
領地運営において文官トップの肩書きを持った銀縁眼鏡が俺に向かって祝辞を述べる。初老に片脚を突っこんだシュルツ執政官に従い、重厚な長方形テーブルの右手半分は続いて頭を下げた。
彼は隣領クラウゼの一人娘だった義母が連れて来た男だ。やがては義母が産んだ義兄を支え、ミュラー領に骨をうずめる。そういう覚悟をもってやってきた政治的官吏だ。義母が、そして義兄が亡くなったあともこの地に留まり、内政の手腕を遺憾なく発揮し続けている。現在のミュラー伯爵領はシュルツ執政官にとっても半生を注ぎこんだ作品と言ってもいいだろう。
ならば気持ちはわからんでもない。
跡を継ぐはずだった兄が亡くなって2年。父は後継者を定めようとしなかった。突出した功績を持つ者はいなかった。同程度の力を持った分家筋に後継者争いを行い、魔獣ではなく人と人との共食いに領内の力を削ぐぐらいなら、もう一人の息子である俺を受け入れようとしているのではないかと見て取るのは甘いか? まだ内心はわからないが、今日の態度だけでもシュルツ執政官には好感が持てる。こちらこそ、できれば味方に引きこみたい。
残りの左半分はやたらとニコニコしているのが怖い。顔見知りばかりだ。
特に先頭の三人。伝説のドワーフみたいなナリをしたじーさんは俺に剣の稽古をつけてくれた師匠、ヘアマンだ。とうに隠居済みだと聞いていたが、息子も孫もさしおいて朝駆けをかましたのか。情景が目に浮かぶ。誰の制止も聞き入れなかったに違いない。
(頑固爺め)
くすりと笑う。
その後ろにいるローブ姿のじっちゃんは辺境では珍しい魔道士だった。こそっとやっているつもりだろうが、俺に手を振っているのはバレバレだった。さらに後方。髭面のおっさんがじっちゃんが手を振るのをやめさせようと頑張っていた。俺と目が合うと、下手くそなウィンクをしてくれた。大丈夫だ、任せろ? 親指を立てたハンドサイン付きだった。子どもだった俺はイーヴォおじさんに何度も指摘しているのだが、両目を閉じるのはウィンクではない。
……こんな場なのに緊張が緩んだ。
不義の子だった俺にも居場所をくれた優しいひとたち─── ミュラー騎士団が誇る脳筋集団だ。
彼らの様子はいつものことなのか、誰も何も動じず、父である伯爵は平然と話しはじめる。
「ああ。二番目の息子は、マルクスは、いろいろあって領地を離れていた。今は帝国陸軍の魔道士部隊に所属し、副官として活躍している。軍馬と魔道士の組み合わせによる雷撃戦の戦闘教義にはみな目を通したな?」
隊長が提唱し、俺が手直しを担当したため、連名での戦術論となったものだ。
テーブルに着いた左半分が深くうなずく。右半分は軽く顎を引いたのみだ。
「新進気鋭の魔道士部隊、タリスマンは魔獣討伐において一定以上の結果を出している。魔道士の兵士化は長く課題だった。戦闘の手入らずたちを血生臭いダンスにお誘いしようとする気の長い試みだ。手探りでの難儀な取り組みに、副官として、結果を求められる立場として6年もの間たずさわり続けている根性と調整能力がある」
両手を広げ、胸を張ったマーロウ伯爵が小首をかしげ、片目をつぶる。スプーンひとさじの諧謔に、笑みの欠片がふりまかれる。
「俺のあとを継いでミュラー騎士団を掌握する能力があると判断した。また、亡くなったマクシミリアンとマルクスが共に推進していた軍馬と魔獣の交配事業についても改革の前進が期待できる。現時点、責任のある職務に就いているため、息子が今すぐに居住地や生活の場を移すわけではないが…顔見せは早い方がいいと思ってな。みな、朝早くから集まってくれたことに感謝する」
前口上を終えた父からの視線に促がされ、立ち上がる。
「ご紹介にあがりましたマルクス・ミュラーです。若輩者ですが、一日も早く実務を把握し、領地に貢献していきたいと考えております」
短くあっさりとした挨拶にも不満顔は見当たらなかった。
本番はこれからだった。しかし。
「マルクス坊ちゃんが帰ってきてくれたならウチも安泰だな!」
「きいたぞマルクス! 伯爵家の令嬢を嫁とりにいくんだってな!」
「それでこそミュラーの男だ! 思う存分にやれ!」
歓声を浴びることは予定になかった。ある日突然魔道士になると言って家を飛び出した放蕩息子に対し、あまりにも友好的な態度に戸惑いつつ、声が上がった一帯にニコリとした笑みを向ける。
「ありがとうございます。心強いです」
天使が羽ばたく沈黙は一瞬だった。顔を見合わせた脳筋集団がドッと笑い声を上げた。
「あっはっはっは。こりゃあたまげた! 本当に侯爵様そっくりに成長なすった!」
「血は争えませんなぁ! よっ、人誑し!」
「おいおい、つまりは粉屋の息子ってこったろ!」
「そうだ! 小麦を狙う外敵と戦って、粉挽きの水車を守って戦って、輸送路の盗賊どもを踏み潰して戦って、俺たちはここまで続いた一族だ!」
ワーっと盛りあがる彼らが素面なのが怖い。今にも乾杯と酒樽を掲げそうだ。うん? 酒は入ってないよな?
父は共に笑うばかりだったため、文官席側の真面目そうな連中に回答を求める。
思いのほか真剣な答えが返ってきた。銀縁眼鏡のシュルツ執政官が眼鏡の弦を押しあげながらだ。
「早急に慣れてください」
(…そうか…)
酒もクスリもキめずにこれなのか…。
指を組んで肩を落とす俺に、仲間を見つけた気分なのか、今度は文官サイドからの「そうですよね」「わかります」アピールがすごい。
いくら職務に違いがあるとはいえ、同じ領内で、同じ伯爵に仕えてどうしてこんなにもリトマス試験紙の赤と青のような激しい反応が出るのかと言えば発端はマルクスが生まれた頃に遡る。
剣を抱いて眠る祖父が当主だった時代に原因はあった。
ミュラー伯爵領は温暖な気候と帝国有数の穀倉地帯を抱える辺境領だ。領地は南北と西を深い森に囲まれ、永世中立を謳う連邦をはじめとして、天使真教の聖地であり本山を有する共和国とも接触している。
各国が魔獣撲滅を掲げて駆逐を行った結果、互いに手の出しづらい国境の山林地帯に逃げこんで繁殖した獣の数は多く、大型であり、強い。領主はそんな奴らの討伐責任を負う。
当然至極の結論として。
脳筋集団が豪語するように、戦って戦って戦い抜いたミュラー騎士団は帝国最強を誇っていた。
だがある年、豊かだったミュラー領を寒波が襲った。収穫を控えた秋だった。折り悪く、その年は夏の豪雨被害も大きかった。小麦の収穫量は例年の四割に満たなかった。伯爵家と城、砦の備蓄すべてを吐きだして消費にまわしたが、領民すべての口を糊するには至らず、身体の弱い赤ん坊や年寄りから死んでいった。
自然災害の影響を受けていたのは獣も、魔獣も同じことだった。そして魔獣は森からでて、里へとおりて、牛や豚を襲った。一度家畜の味を知った魔獣は群れの数を増やし、何度も人が住む場所を襲った。
領民に、住居を捨てて逃げるという選択肢はなかった。どこの村にも町にも余剰の食料などなかった。王国との戦争を終えたばかりの帝国では、ただでさえ物価が安定していなかった。誰かが誰かを救うために手を差しのべるような余裕はなかった。
奪われて死ぬか。戦って死ぬか。
鍬や鋤を手に、彼らは後者を選んだ。そして食われた。魔獣は人間の味を知り、凶暴化した。徒党を為し、町へと迫っていた。
飢えは騎士団をも襲っていた。精強を謳われた彼らもまた崩れていた。例年のようには動けなかった。人と馬を動かせば動かすほどに多量の糧秣が必要となったからだ。軍隊とは消費する集団であって、生産性は皆無と言っていい。帝国最強を下支えしていたのはミュラー領の豊かな物資だった。痩せた馬に跨り、空腹に耐えて刃をふるっても、精神論だけではどうにもならない限界の奈落は騎士たちのすぐ隣で死神の鎌を研いでいた。
隣領であるクラウゼ伯爵家当主から、ミュラー伯爵であった祖父に対し援助の申し入れがあったのはその頃だ。
クラウゼもまた寒波に苦しめられていたが、あちらは商業で発展した伯爵領であった。小さいながらも海港を持ち、ミュラー領以外からの輸入窓口があった。飢えの深刻さが違った。
小麦をはじめとした食料および生活用品、また騎士団を維持するために必要な武器、魔石の供給。
破格と言っていい援助の条件は、伯爵の一人娘とミュラー伯爵長男マーロウとの結婚だった。
このままミュラー領が崩壊すれば魔獣の群れは東進し、やがてはクラウゼを襲うかもしれない。クラウゼ伯爵には危機感があった。
だが人は危険が我が身に差し迫るまで認識できない者が大半だ。
多分、きっと、大丈夫だろう。今までのように。
だから俺たちがそこまでしてやる必要はないと声高に主張する商業組合を黙らせるために。クラウゼ伯爵は婚姻による血縁関係の構築を当時のミュラー伯爵、マルクスの祖父マローリーに提案した。ならば助け合うのは当然だ、家族なのだから。
武功のミュラー、商業のクラウゼ。
隣り合う二者の伯爵領の結びつきはいっそう強くなり、互いに助け合うことで発展してゆけるだろう。ある意味領主よりも大きな力を持つクラウゼ商業組合に提示された前提は建前ではあっても嘘ではなかった。
クラウゼ伯爵には三人の子どもがいた。支援は一人娘であるクラウディアたっての願いでもあった。マルクスの父、マーロウが首都に騎士団の制服をまとっていた姿を一目見たその日から。才女と呼ばれたクラウゼ伯爵の愛娘はなにも手につかず、ため息をつくばかりの恋に身を焦がすようになっていた。
やがては娘の産んだ子がミュラーの家を継ぐ。クラウゼ伯にはそういう打算や目論みもむろんあった。困窮する隣人への援助の提案は、天使のような善意からという所以ではなかった。
だが単なる権力欲だけでもなく、クラウゼ伯爵は娘の願いを叶えてやりたかった。涙を、ため息を止めてやりたかった。それも本心だ。
娘が選んだ男が絶世だったのは美貌だけではなく、剣の技量もそうだった。十八で王立学園を卒業し、皇都騎士団に入団、すぐさま出征。瞬く間に手柄を立てて頭角を現した。英名果敢、若くして部隊を任され、率いる勇猛さ。教本どころか御伽噺に登場しそうな指揮官先頭の率先垂範。突撃は先頭で、撤退は最後尾。負傷者に肩を貸して励ましながら、部隊には次々と指示を飛ばす頼もしさときたら!
繊細な容貌とは裏腹の胆力。糧秣納品のために訪れた北部では、クラウゼ伯とても一人の男として目を奪われた。王国の偵察軽騎兵隊に補給部隊ごと襲われたのだ。横転した馬車の横で死を覚悟したクラウゼを救ったのは一本の矢から始まったマーロウ率いる騎馬隊の奇襲だた。指揮官のくせに、貴族のくせに、青二才のくせに! 先陣をきって刃をふるった挙句、同数以上の敵を圧倒する様をまざまざと見せられたのだ。
戦闘が終わったあとのマーロウは懐っこい笑みを浮かべて、クラウゼ商業組合の面子を労ってくれた。護衛をつけて、本隊へと合流させてくれた。名前を聞けたのは彼らの部隊と別れたあとだったが、娘の執心ぶりも納得だった。マーロウ・ミュラーがこのまま首都に留まり騎士団内部に出世しようが、領地に戻り伯爵家と騎士団を継ごうが、娘の結婚相手としては申し分がないと考えた。
けれどマーロウには結婚を誓い合った婚約者がいた。金銭の補償でカタがつくような、政略結婚であればまだよかった。二人は深く想いあっていた。マーロウの卒業を待って結婚するはずだった。勃発した王国との戦争に先延ばしとなり、用意されていた花嫁衣裳は祝福を浴びる機会を失った。─── 永遠に。
祖父はマルクスの父と母を引き裂き、意に沿わぬ婚姻を押しつけたことを死ぬまで後悔していた。
ミュラー伯爵家のために。ミュラー騎士団のために。畢竟、ミュラー領地民のために。マーロウはクラウディアを愛そうとした。そして失敗した。
クラウディアが悪かったのではない。弱みにつけこんだ援助で、カネで買った婚姻だと賢い彼女は理解していた。だからミュラーの一族に認められるよう努力していた。そして報われなかった。
夫を愛するが故に少しずつ追い詰められた女は、ある日突然現れたマルクスの姿に心を壊した。
(何故なら俺は、あまりにも父にそっくりだったから)
(あの日、俺がこの男に見つからなければ)
何度も噛みしめた後悔の味に拳を握る。
マーロウとクラウディア結婚の翌年。生まれた兄は、マクシミリアンは負い目を持っていた。誰に、と訊くならマルクス母子に。なんに、と問うなら生まれてきた世界に対して。
領地を豊かにするため、クラウゼ商業組合への借金を返すため。がむしゃらな領地改革に取り組み、軍馬と馬型魔獣の交配による品種改良に活路を見出した。
小麦はむろん大事だ。ミュラーを支える基幹産業だ。だがそれ一本に頼りきりになってしまえばかつてのような悲劇が再び起こる。ひとは自然に対し、あまりにも無力だ。
そう主張し、産業の柱を増やそうとした。最初は私費から。そして少しずつ共感する仲間たちを増やしていった。馬はどこの領にも必需品だ。より強く。より大きく。より早く走れる軍馬を。ミュラー領の草原を埋め尽くす天馬の群れを夢みた。
武功一辺倒に偏りがちだったミュラー領内の運営はシュルツ執政官の手腕も加わり、そうして変わっていった。内政に頭角を現した者たちが騎士団と並んで地歩を築けるようになった。
マルクスもまた、兄が語る夢を共有した一人だ。魔道士の端くれとして新事業に参加し、協力した。
別館に暮らす母が義母によって殺され、家を飛びだすまでは。
狂った義母が己の喉を父の剣で裂いて死んだという連絡を受け取ったのは魔道士塔の研究室だった。
二つ年上の兄が、夢の道半ばにして落馬事故に死んだことを知ったのは遠征先の戦場だった。
……異母兄は、どちらかと言えば文官寄りの男だった。父のように勇敢な騎士に憧れていた。いつも柔らかな笑みを浮かべていて、なにも彼自身が剣を持つ必要もないのに一人で悩んで。父に似ていない自分に責任を感じて。ミュラー伯爵家に起こった悲劇のなにもかもを抱えこもうとしていた。
マクシミリアンは容貌も、その心根すら義母にとてもよく似ていた。
亡くなったのは今のマルクスの年だ。彼の時計は、この先二度と進むことがない。
マルクスはもう二度と帰るつもりはなかった。
こんな恐ろしい場所に居たくはなかった。誰も自分を知らない広いところへ行って、深呼吸がしたかった。
ひっそりと隠れるように行われた母の葬儀を終え、のぞきこんだ鏡のなかの自分はひどいツラをしていた。この顔、この髪で。ミュラーにいる限りは逃れられない。
(きっと、一生)
ぞっとして、追い立てれるように引っつかんだ鞄一つ分の荷と、祖父母から譲り受けた金子を手に皇都を目指した。15の年だ。確たる理由などない。ただ人が多そうだったから。この家から離れたかった。世間が尊いとうそぶくノブレスオブリージュに叩き潰されて沈められて、みじめな溺死などしたくはなかった。
魔道士塔の存在を思いだしたのは乗り合い馬車のなかだ。魔道士として身を立てると宣言して飛びだしてはいたものの、目的はなかったから、何処へでも行けた。試験の合格は俺とって難しくなかった。追ってきたシュタインと共に学び舎であり、研究機関でもある塔の門をくぐった。望んだテーマの研究に一生を捧げ、静かに生きるならば塔にいればよかった。無味乾燥だが、一つのことに集中して没頭する、そんな日々は悪くなかった。だが満たされなかった。結果を出し、認められても。どんなに求められても、すぐに冷めた。いつしか俺は、無我夢中になってみたいと願うようになっていた。
兵科としての魔道士の道を志した。
塔に配布された、愛国心を煽るプロパガンダの兵士募集ビラに心を惹かれたわけではない。国が運営する機関である以上、政治的中立を掲げる魔塔とても、少なくとも何人かはお抱えの研究者を差し出さなければならなかった。シュタインと共に自薦の手を上げた俺はむしろ彼らに感謝されてローブを脱いだ。代わり、シワ一つない軍服をまとい、艶々と光る軍靴を鳴らし。申し訳ないという顔に見送られながら3年を過ごした研究室を引き払った。
感謝も謝罪も必要なかった。
向こう見ずで、世間に対し斜にかまえていた小僧の俺は、新しい、未開の地を切り開く試みに自身の能力を試してみたくなっただけだ。
そんな俺が呼吸がとまってもいいと思えたのはアーデルハイトを知ったからだ。
ノブレス・オブリージュをノンブレス・オブリージュと嘲笑った彼女が逃げなかったからだ。
高嶺の花のように独り咲いていた彼女を救うためなら、なんでも差しだしてやりたかった。手に入れるためには、一度は逃げた過去すら利用するつもりだった。
「次代様の婚姻につきましては、直接説明があるとうかがっておりますが?」
「ええ。これより資料をお配りします。ただ、申し訳ありません。想定以上に多くの方が参加くださったため、数が足りません。後方の方々は二人一組にてご覧ください」
活版印刷の間はなかった。資料は屋敷で字で書ける者を総動員して写しを作らせた。それでも足りなかったのは、マーロウが招いた倍近くの臣下たちが集まったからだ。
機会はつかんだ。あとは活かすだけだ。
年齢を、社会的な地位を考えれば驚くほど幼稚な王子の姿を思い浮かべる。あなたが世界の王だと称賛されるにも等しい宝を自ら捨てた愚かな男。
(吐いた唾なら呑むんじゃないぞ?)
資料をめくる手をとめず、皮肉に唇を歪める。
心の声はどうやら隣に座った父親にだけ聞こえたようだ。察したようだ。さすがは親子だ。おそろしい、血の呪い。
たった一つの恋を手放せず、愛し、愛をくれた幾人をも地獄におくった美貌の伯爵は苦く笑った。肘をついて、殺意に尖った気配を撒き散らすこちらを見やった。そんな表情すらも魅力的だった。
魔性と呼ばれた父と、けれど同じになるつもりは俺にはない。
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