運命は望む者を導き、欲しない者をひきずる【1】
音のない声が叫んだ。唇の動きに拾う。
あいたい。
づドンッ!
破れた扉の奥から閃光がほとばしった。夜に光りが生まれる。
左肩に白い炎をまとわせたアーデルハイトは落ちてきた。水平であるはずの扉から。青空を背にして。剣を捨て、杭を越えて駆け寄った俺の腕のなかへ。
毒のことなど頭の隅にも残っていなかった。
二人、もつれあって地面に転がる。背中と後頭部を強打。下になって受けとめた衝撃に息が詰まる。
「マルクス。会いたかった」
これだけは言っておかねばという使命感に満ちた声だった。
ただいま、よりも。
おかえり、よりも先に。
覆いかぶさった上半身を肘に起こしたアーデルハイトが告げる。
……ああ、ちくしょうめ。
(リッター)
おまえの薫陶か。
おまえの主は、おまえの意思を受けとったぞ。
助けてとは求めない。ただ、会いたい。真心を叫ぶ。
霞む目と逆光に表情がよく見えない。声が出ない。腕を伸ばした。抱きしめる。息を吸いこむ。痛む胸部にむりやり酸素を取りいれる。
「俺も、あなたに会いたかった」
ここにいる。
アーデルハイトがここに居る。
真っ黒い夜空へ、魔力が広がった。アーデルハイトの背から羽ばたくように。かつて世界を死の灰から救ったという天使様の片翼のように。
祝福の鐘が響いた。さらにその上。
ぱち、ぱち、ぱちり。
小さな光りが瞬く。燐粉にぶつかって輝く。白く眩い魔力が毒を焼き尽くし、祝福のように降って来る。
まるで星のようだ。仰向けに転がったまま、アーデルハイトを腕に抱きしめたままぼんやりと見上げる。
ひどく静かで、幻想的な光景だった。
(…そうか)
天使はほんとうに居たのか。
十字の記号や、翼の象徴ではなく。それは、眺めているだけの、観客でもなかったのか。
胸に湧き上がった感慨は深く、穏やかだった。
「…あなたが無事でよかった…」
「…マルクス?」
涙声に気づいたアーデルハイトが肩を起こし、俺の顔をのぞきこもうとする。黒髪の後頭部に手をまわして抱きしめた。もぞもぞと動いていた彼女は、しばらくして大人しくなった。体重をかけないように、痛みのないように、俺を気遣いながら胸におさまっている。居心地のいい、暖かな場所を見つけた猫みたいに。
言いたいことはたくさんあったはずなのに、アーデルハイトの体温に脳がぼやける。
彼女が消えてからの戦局、現在の状況など、伝えなければならないことは山積みだ。
けれどアーデルハイトを抱きしめ、息遣いを聞いて、全身を包むのは途方もない安堵だった。
鼻の奥がツンとするのに力が抜ける。緊張からの弛緩。身体の芯にたまった疲労が存在を主張しはじめる。このまま目を閉じてしまいたいとすら思った。せめて、今だけでも。
なにしろ幸福な時間は長く続かない。檻の焼失した空間に向けて、残った随獣たちが群がる。そして一斉に駆逐される。魔道士部隊の隊員たちより放たれた攻撃術式によってだ。
「空気を読んでください」
シュタインの一言がすべてを物語っている。
ちらりと目をやった扉はすでに消えていた。
歩兵部隊からはようやく次の星弾が上がる。
…立ち上がらなければならない。指揮をとらなくてはならない。
帝国陸軍魔道大尉マルクス・ミュラーがやるべきことは明白だ。周囲を安心させるためにも、自信ありげな笑みを浮かべ、迷いのない足取りに行動を始めるべきだ。
ゲートの瘴気は吹き払われた。幻獣種たちによる伝説の大盤振る舞いも、今宵はこれまでということだろう。一生に一度出会えるかどうかのファイナルファンタジーが乱舞したタイムセールは終わった。
夜の暗闇はまだ残っているが、山場は越えた。黒く燃え盛り、荒れ狂う海のようだった瘴気は消えた。耳元に吹き荒れた轟音が消えた。じりじりと思考を炙りつづけた不安と焦燥が消えた。底の抜けたバケツのように大地の穴へと吸いこまれた。扉向こうから飛び出してきたアーデルハイトの背後に広がった青空、白い光りのように。心地のよい爽快感が胸を満たした。
あとは残敵を一掃するだけだ。なのに名残惜しさが喉に燻る。
だってアーデルハイトが抵抗しない。マルクス大尉、手を離せと厳しい叱責の声が飛んでこない。指通りのいい黒髪を撫でて絡めても、俺の胸に寄りかかったまま、立ち上がろうとしない。くたりと全身が伸びて……、のび?
待て。
「隊長、…お怪我は…?」
「ああ…、治った」
そんなわけがあるか。
くぐもった声による答えに、今すぐ飛び起きたいところを堪える。
(何故すぐ思い至らなかった)
撃たれた。撃たれていた。俺の、目の前で!
ぞわっと鳥肌が立った。そんな俺を宥めるように、アーデルハイト隊長は穏やかな声で仰る。
「心配するな。かすっただけだ」
「堂々と嘘をつかないでください」
中心部の急所こそ回避していたが。弾丸は間違いなく腹部を貫通していた。飛び散った血の色まで鮮明に焼きついている。
「俺があなたを見間違うわけがないでしょう」
性急に動くことも恐ろしく、肩と二の腕の輪郭にそっと手を添える。意を汲みとり、ゆっくりと上半身を起こしたアーデルハイトは俺の手に手を添え、脇腹の、破れた軍服部分へと導く。
「たしかめてみるか?」
俺に跨りながらだ。これで誘っていないのだから驚きだ。カーテンの閉じられた部屋で、二人きりのときに言って欲しい。まぁそんな場合ではない。さすがに俺とて弁えている。ここは野外であって寝室ではないし、重傷待ったなしの怪我を負っていた上官相手だ。
(冷静になれ)
手袋と軍服袖からのぞく手首の絶対領域よりもさらに背徳的な脇腹の隙間へと指先がふれる。
「っっ救護班!!」
無理だった。
クール? クレバー? 知らないヤツだな。アポをとってから再訪してくれ。
振り返って叫ぶ。熱い。温かいどころではなかった。あきらかな発熱症状。密着しておきながら、俺自身、カラドボルグを揮った余熱に気づかなかった。
これは駄目だ。星弾によって浮かんだヘイゼルが甘く潤んでいる。けれど瞳孔は縦に引き絞られたまま。獣の様相。おそらく体内に魔力回路が暴走している。アーデルハイト隊長が俺に身を預けていたのは色っぽい理由からではなかった。
「こっちだ! 急げ!」
担架を手に駆け寄ってきた騎士服の二人に目をやったアーデルハイトは佐官らしく泰然としたものだ。俺の二の腕へ手をやり、制止をかける。キリッとした表情と声音。
「マルクス大尉。落ち着け。本当に、大丈夫だ。外傷はない。他に治療を必要としている者はいないのか?」
「あなたが一番の重傷者です!」
上官として、隊長としての彼女の責任感はたいそう立派だが、今は熱病者の世迷言である。振りかえり、騎士への命令。
「アルニム少佐をミュラー騎士団の天幕へ! ドクター・ビッテンフェルトを呼べ!」
「おとなしく運ばれてやってください」
「シュミット中尉」
拾いあげたカラドボルグを右手、幼馴染が近づく。担架を地面に置いた騎士たちの反対側からだ。
「部隊の皆は無事です。…まぁ当然ですよね。あなたの部下ですので。命令どおり、最良を尽くして守ります。そんなわけですから、おとなしく担架に運ばれてください。なるべく重傷のふりをしてくださると助かります」
「どんなわけだろうか」
片膝をついたシュミットは少しばかり声をおとした。
「隊長が瘴気の大地に落ちて60時間近くが経過しています。撃たれたところは外部の騎士たちにも目撃されています。司祭クラスの癒し手でも同行していたならばともかく。この状況で傷が完治した理由や、扉をくぐっての帰還を問い詰められると少々不都合があります。今後のことを考えた場合、まずは口裏を合わせたいのが正直なところです。そのための時間稼ぎがしたいです。また現在、魔道士部隊はミュラー騎士団と合同作戦中です。こちらも色々ありました。この場での指揮官変更は混乱が予想されます。幸い、完遂間近です。マルクスとオスカー副長たちで後片付けを行います。隊長には僕が同行しますので、このままミュラー騎士団に確保されてください。領主様が宿泊していたホテルを買収済みです。天幕にて主治医の診断後、移動していただきます。…質問はありますか?」
「納得した」
素直に首肯するアーデルハイトは、理解も早いが決断も早い。
納得を見届け、救護班の二人に指示をだす。
「魔力暴走だ。体温調整機能以外にも異常がでている可能性がある。極力揺らさず運べ。─── 隊長。抱き上げます」
小柄なアーデルハイトの背と膝下に両腕をいれる。…くっそ、熱い。平気そうな表情を取り繕ってはいるが、かなりキツいはずだ。同じようにオーバーヒートしたブレンなど気絶して運ばれている。
礼を言って俺の首に手を回したアーデルハイトが動きをとめる。星弾と祝福の光りのした、じっとこちらの顔を見上げた。なにか伝えたいことがあるのか。顎を引く。至近距離、視線を合わせる。
ほんのわずか、彼女の口角が持ちあがった。俺の目尻に指を沿わせる。
「堅守任務、ご苦労様でした」
……グッときた。
胸を衝いて喉を詰まらせたそれは誇らしさが半分。残りはもっと複雑だった。
「結果をだすのは当然のことです」
彼女の部下として。悪女の猟犬として当然のこと。
ただそうであった頃ならば、素直に胸を張れただろうに。
「遅くなってごめんなさい」
「っいえ、」
「待っていてくれて、ありがとう。また、あとで話そう」
「はい。…はい、アーデルハイト。すぐに追いかけます」
俺もまた囁きかえした。
軍言葉と令嬢言葉が入り混じっているところを鑑みるに、彼女が疲労困憊であることは間違いないだろう。
古傷だらけの小さな手のひらは温かかった。
「隊長!」
「ご無事で!」
「おかえりなさい!」
口々に叫びながら、担架で運ばれるアーデルハイトの退路を開く魔道士部隊の隊員たち。
ミュラー伯爵家の家宝とも言うべき剣を俺に手渡しながら、シュタインがため息をつく。
「戦場でする表情じゃないですよ」
「どんな顔をしている?」
剣帯に鞘をひっかけながら眉をしかめる。
「鏡でも見ればいいんじゃないですか?」
それこそ戦場にそんなものがあるわけがないと知っていて言っているからタチが悪い。
「俺がただの部下だった頃なら、安堵と誇らしさに満面の笑みを浮かべていただろうな」
「ヘルハウンドが言う台詞じゃないと思いますよ。だいたい、あなたが彼女の『ただの部下』でいた時期なんてそれほどあった気がしませんけど」
「アァ? 初対面の隊長は十二だぞ」
さすがにそれはないだろう。当時の俺は魔塔も童貞も卒業した十九だった。
「薄気味悪いガキ。珍しい研究対象。そんな程度でしたねぇ。……数日間くらいは」
アーデルハイト・アルニムという『隊長』を知るには一度の遠征で十分だった。
「僕だから言いますけど、それは正常な反応ですから。良くも悪くも規格外、理解不能の存在を目の前にして口にも態度にも出さなかったあなたやオスカー副長の反応は、社会人として素晴らしく理知的な行動でした。おかげさまで、僕たちも醜態をさらさずにすみました」
華奢な十二歳の少女に率いられる大の男ども。自分よりも古参の上司たちがそろって「そういうものだ」と態度に示しているのだ。新規加入していく隊員たちが「そういうものか」と受け入れるのは軍隊という組織の特異性を考えればもっともだ。
たしかにコレが俺の上官かと冷めた目で少女を見ていたのはほんの数日だったように思う。
馬を駆り、剣をふるい、術式を放つ最前線での戦いぶり。初年兵はいいところを見せようと無駄に動きまわり、部下を動かせ、疲弊させてしまうものだが。迷いのない部隊指揮。例をあげるなら索敵に関し、アーデルハイト隊長は斥候を必要最低限に留める。戦慣れしていない士官はより多くの情報を求めて何度でも偵察兵を送りだそうとするが、戦場の霧の中、数学の答えのように確実なものはない。なのに答え合わせを求めてしまうのだ。偵察兵をだしたところで、有用な報告が必ず持ち帰れるわけではない。そもそも斥候が帰還できる保証もない。実戦では兵士の数が足りなくなることがほとんどだ。ここに、少数であっても別働隊を配備できればと。そう思うことも多い。けれど兵が畑でとれるわけもなし。味方の消耗を防ぐためにはどこかで思い切りも必要だ。
デニスとリュデガーが加入して以降、アーデルハイトの決断にはさらに迷いがなくなっている。彼女は彼らの索敵能力を信じている。
そのうえで。判断の責任をとるのが自分だとわりきっているのだ。
帰陣すれば指揮官には残務処理が待っている。大量の書類を前に文句を言うでもなし。血に汚れた軍服のまま椅子に座り、黙々とペンを動かす。そして夕食を兼ねた親睦会での締めくくりまで。ローティーンの少女は恐ろしく豪胆で冷淡だった。他人の歓心を得ようとしていなかった。一から十まで、古参兵である曹長に指示を受けながらでなくば動けないような新品の部隊長ではなかった。
悪くない、どころか。逸材だ。いわゆるシゴデキ。間違いなく。俺はアタリを引いた。尊敬できる上司。自身の運の良さに気づいた俺の興味の方向性は変わった。
声をかけられると嬉しいと感じるようになった。オスカーのように頼られたいと願うようになった。
ローレンツのような上官に嫌われていても隊長は平然としていた。露骨な嫌がらせを受けても背筋を伸ばし、うつむくことはなかった。
彼女に認められたい。なんなら褒められたい。そうして支えになりたい。
副官の役職が急に大事なものになった。どうしても手放したくない腕章になった。
魔女の犬? ヘルハウンド? 望むところだが?
つまりこの六年間、下心のない期間の方が短かったのではないか?
……よくよく思い返してみれば、俺はわりと初期の頃から彼女を意識していたような気もするな?
第五王子の婚約者だということは、紹介される前から知っていた。しかもローティーンの少女相手だ。それは異性としての意識ではなかったけれども。
(なるほど)
俺も、俺たちも、ずいぶん遠くまできたものだ。
感傷じみた感慨は飲みこむ。代わり言葉にしたのは軽口の類いだった。
「キュートアグレッシブとかいう概念を発見した奴は天才だな」
「新しい発見ができてよかったですね」
「ああ。隊長には小悪魔としての才能もある」
「そうですね。たった数言、わずかな会話で男のヤル気をこれほど爆上げできるんですからね」
「俺自身、単純すぎて驚いている」
「…まぁ、あなたがいいならそれでいいんですが…」
追加のため息を幼馴染がこぼす。美しい花が咲き誇っていたはずの中庭、そこから続く惨状と夜明けを迎えてからを遠い目に想像しながらだ。
「毒の無効化はどうやって誤魔化しましょうねぇ…」
「天使様の翼のご加護とでも言っておけ」
「ええ、嘘は言っていないところが問題なんですよね」
「だったら日頃の行いだな。とっとと終わらせて、俺も合流する」
端的な答えに、シュタインは無理はするなとは言わなかった。代わり。
「消化によい食事の用意をしておきます」
しれっと口にしたそれが、誰と食べるためのものか。
聞くまでもない。
一度でも早く、けれど食事のテーブルに自分の手足で座れるよう、怪我はしてくれるなよと遠まわしな激励だ。無論だ。今の俺ならば、どんな死亡フラグが立ってもねじ伏せる自信がある。
「頼んだ」
場を辞する敬礼を残し、駆け足にアーデルハイトを追ってゆくシュタインの背を見送る。思考を切り替える。私人から、この場を収束させる軍人としてのものへ。
ドクター・ビッテンフェルト立会いのもと、アーデルハイトが天幕からホテルへと移動される姿は朝陽のなかに目送した。夜の闇、混乱する市内を避けた。
涙の跡に気づかれたんじゃないかと気づいたのは残務処理を終えてからだ。手を洗って、顔を洗って、うがいを終えてから。鏡を見る余裕が生まれてからだ。中庭の現場に留まった俺たちは残敵の掃討から始め、ゲート撤去の目算までの道順をつけてきた。団長不在の近衛騎士団との折衝を現場指揮官として完遂した。
アーデルハイトの指先がふれたのと同じ目尻に、今はもう涙など跡形もない。疲労は見える。だがそこにいたのは満足げな表情を浮かべた俺自身だった。
追加補給された清潔なタオルに顔を拭ったのは夕陽が沈もうとしている時間帯になっていた。
三日間の経緯報告を終え、今後の展開についての見解を述べ、急場の幕僚部をあとにした俺とオスカーを追ってきたのは若い神父だった。小走りになった神父の後ろには軍服の姿も見えた。
「マルクス・ミュラー大尉ですか?」
本人確認。肯けば、続けて自己紹介を述べる。俺たちが警戒したのはゆっくりと近づいてくる軍服の兵士が情報部所属の徽章をつけていたからだ。星が一つ。我らが隊長と同じ少佐の階級。
これからアーデルハイトのもとへ行こうとしていた俺たちには厄介ごとの気配しか感じない。
敬礼を交わした少佐殿が口をひらくよりも先に、神父が割りこんだ。
「どうかご助力ください。フィッシャー司祭はミュラー大尉とであれば話をすると言っています」
(…司祭だと?)
目を見開くような驚きは表にださない。善良な、あるいは善良さを装った宗教関係者相手だ。
交渉事に慣れたオスカー曹長もよく耐えている。まるで俺の護衛のような位置に立っている。
「ご指名ですか」
アルカイックスマイル、要点を復唱してやるこちらを見て、情報部の少佐は片足を引いた。素早く音の認識阻害術式を展開。立ち話を許容する。
「司祭は帝国軍に拘束されています。これは許されざる行為です」
「ファウスト・フィッシャー伍長には外患誘致罪の嫌疑がかかっています。我々としては逃亡中であったとの認識です。非常事態です。ご理解ください」
事情の説明は神父と俺、双方に対してのものなのだろう。
罪を犯したと疑うに足りる真っ当な理由なのだが、木で鼻をくくったような回答に憤慨する神父には別の意見があるようだ。
「いいえ! いいえ! フィッシャー司祭はご父君の跡を継ぐため、帰国の途についていました! 軍人としての職は辞していたはずです。彼はこちらのミュラー騎士団の手によって不当に引き戻されました! 我々天使真理教の司祭を拘束する権利など、帝国軍にはありません!」
どうやら父はファウスト・フィッシャーの捕獲に成功したようだ。引き戻されたと言うからには皇都への移送も終えている。さすがに牢や営倉に放りこんでいるとは思わないが、教団と揉めることになっても易々と解放するわけにはいかないのだろう。
ミュラーならば拘置所一択である。
戦闘民族が住まう辺境領にもむろん教会はある。そこに派遣される神父たち、司祭、助祭はあらゆる意味での殉教者である。『頭のイカレた腕っこきども』というのがヘアマンたち騎士団古参からの評価である。相互評価ではないかというのがシュタインの意見である。俺も同感だ。
極めて冷静に告げる。
「帝国における統治機構の破壊、国家転覆を目的とした外患誘致罪は重罪です。国内犯はもちろん、国外犯にも適用されます」
「ですから…っ、そのような企みなどフィッシャー司祭は持っておりません!」
─── 司祭。司祭か…。
司祭服をまとった人間を拘束し、尋問を行うためには確固たる根拠が必要だ。
自発的に口を開いてくれると言うのであれば、諜報関係部署は乗ってくるだろう。
「大尉はフィッシャー伍長と親しかったのですか?」
(おいおい)
眼鏡を光らせる情報部に目をつけられるとはどんな不運だ。
「軍食堂の飯時に顔を会わせれば同席し、他愛のない世間話をするぐらいの仲ですね」
だった、と言うべきか。すでに過去形だ。
「知人です」
名前は知っている。所属と階級も。同僚であることも事実。顔見知り以上、友人未満あたりだが、これ以上の関係に踏みこむつもりはどちらにもなかった。
眉をしかめた神父は縋るような目を向けてくるが…頼む相手を間違っている。
おまえがすべき最善は最寄の教会に駆けこんで、共和国の天使真理教団本部に助けを求めることだ。
言うまでもなく。
(その程度、とっくにやっているだろう)
まぁこの混乱だ。避難所となった教会には皇都に住まう多くの帝国人が身を寄せている。魔石を使用しての通信も飛び交っている。情報の処理には時間がかかっているに違いない。
それでもそう長くは拘束できまい。
「私でお役に立てることであるならばお会いしましょう」
笑みを浮かべた模範的解答。
俺にも聞きたいことはある。
生きてます…。