ドアをノックするのは誰だ?【1】
アーデルハイトが沈んで二度目の薄暮がやってくる。マルクスにとってのタイムリミットは残り24時間をきった。
部隊員には昼間のうちに交替で休息をとらせたが、疲労は抜けきっていない。起きたばかりのモーリッツは目を閉じたままカロリー摂取のためのチョコレートバーをかじっている。ミヒャエルは馬留めの柵前に積み上げた土嚢に寄りかかり、うつらうつらと船を漕いでいる。
指揮官であるマルクスがこれほどの醜態をさらすことは許されないが、二人を叱責するつもりはない。現状は小康状態に入っている。さらに二人を庇う位置に歩哨としてのペーターが立っている。
ブレンは明け方に魔力切れを起こしてぶっ倒れ、天幕へと運ばれている。そろそろ起床の時間だ。本人からも本番前には必ず起こしてくれと頼まれている。もちろんだ、尻を蹴飛ばしてでも働かせると宣言してやれば、嬉しそうに笑いながら気絶した。差し入れのサンドイッチを片手、オスカーが毛布を引っぺがしに行っている。
シュタインから手渡された水筒を、礼を言って受け取る。
飛来する敵に対してはバリスタとコンパウンドクロスボウによる一斉射撃。瘴気の大地より湧いて出てくる随獣はミュラー騎士団による白兵戦によって掃討。
魔道士部隊は盾として扉周りのエリアをキープ。射程距離の長さ、耐久力、機動力をもって、まっすぐこちらを目指してくる獣たちからの被弾を回避、防御、攻勢を流すことに成功している。火力はブレンに集中、魔力を集約させ、炎の大規模攻撃術式を空へ放つこと数回。翼を持つ敵影ごと、爆風が低く重い雲を引き裂き、そのときだけは闇が消えた。
近接戦闘を行う騎士団員にはそれなりの負傷者がでているが、軽傷無傷と気炎を吐く連中だ。天幕に癒し手による治癒を受け、即時の戦線復帰。継戦可能な頭数はさほど減っていない。
無傷の帝国軍より補充できればよいのかもしれないが、中心部の瘴気が濃すぎる。外周部に配置された歩兵大隊の内部では、真夜中、複数の同士討ちが起こっている。
心身にからみつき、五感を狂わせ、疲弊させる黒い炎。それが瘴気だ。
放射性同位元素が放射性崩壊を起こし、別の元素に変化する性質を持っている。
魔力素養の低い人間であれば我が身を守るべき盾も持たず、ノーガードに枢機を直撃、蹂躙される。エメットに言わせれば村人の服、棍棒の装備で魔王の前に立つようなもの。…言いたいことはわかる。そんな装備で大丈夫か? 一番いいのを頼む。そういうことだ。
現時点の帝国人にとって『一番いいもの』が俺たち魔道士部隊だ。もっとも素養だけが高くとも、長時間は耐えられない。魔力には制御もまた必要だ。
戦略級レベルの魔力素養を持つ魔道士ブレンですら、初陣である北方遠征には変調をきたした。後半戦において極大術式の発動に苦戦するようになったのは肉体の疲労、戦場という場所が与えるストレスだけが原因ではない。
祝福とはすべてのバッドステータスに対抗する術式だ。聖句のとおり。
“光は闇のなかに輝いている。そして闇はこれに勝つことができなかった!”
頭上に響く鐘音の祈り。
俺たちは、自身の心と身体の支配を誰にも譲ってはならない。
地図から消えた故郷の村より復讐の舞台に立った未熟な新兵三人組。信号機トリオとも揶揄される彼らは揺らがなかった。雪と氷と瘴気に閉ざされた戦場。
魔獣を殲滅する。たったひとつの目的のために剣をふるい続けた。憎悪は時に人に限界を凌駕させる。死線を曲げる力を与える。
けれど生き残るという最大の目的を果たそうとする生物の本能下、トンネル視野と聴覚抑制が同時進行。本人の意思によるものではない。勇気の有無とは無関係。大脳皮質の知覚が情報の取捨選択を行ってしまう。暗闇と緊張が不安を加速させる。そして強く煽られた不安は恐怖へと。たやすく姿を変える。
粘つく瘴気。
直感として『これがあるからいけない』という結論に辿り着き。扉の破壊を目論んで近づく者も出てくるかもしれない。
マルクスはそれを、許すつもりがない。
同じ所属を示す軍服を着用した者相手であっても。寄らば斬る。アーデルハイトの、彼女の細い喉首に手を伸ばす不届き者の背を蹴飛ばし、打ち倒す行為に躊躇などない。
前面の敵と戦いながら後方の味方を警戒する羽目に陥るぐらいならば、少数だろうが背を預けられる仲間だけで固まっているほうがまだ無毒。余計な思考を抱えなくてよい。
敵は誰か? 俺たち以外のすべてだ。それぐらいに考えていた方が安全だ。迷わずに済む。
南方辺境領、瘴気によって昼間でも暗い黒の森に常駐するミュラー騎士団の装備、魔獣討伐を日常とする精鋭たちだからこそ、ここまで持っている。狂気に狂信をいくら足そうが、かけようが、行き着く先は狂者。彼らは暗闇に戴く星を持っている。確固たる羅針盤のもと。崇め奉る軍神のもと。いくらでも狂い踊ればよい。だからこそ。
ここにいる、俺の存在も大きい。
マーロウ・ミュラーの生き写し。
尊敬し、信仰する領主の分身がすぐそこに居て、隣に剣をふるい勇戦しているのだ。若き次期領主に応え、いいところを見せようとする騎士団員の士気は天元突破もよいところ。ちらちらと寄越される視線に対し、自信ありげな笑みを返してやることはむしろ指揮官としての義務だ。
(うまくやれている)
今のところ、という注釈はつくが。
俺は、うまくやれている。
自分に言い聞かせ、戦況を見渡す。
タリスマンの絶対者であるアーデルハイト隊長不在のもと、これほど長く、単独に部隊の指揮をとったのはこれが初めてだ。少年期を過ごしたミュラーにはマーロウという専制君主がいた。
マルクス・ミュラーは常に最終決定者ではなかった。
(─── 怯むな)
一匹でも撃ちもらせばダメージがでかい。そういう緊張感があるのは事実。
ツキンと頭が痛む。だからどうした。隊長の退路を守る。兵の疲労を最低限に抑える。やるべきことは決まっている。有利に戦える状況を保持する。宣言どおりの持久戦だ。
それが現場指揮官として今のマルクスがすべきことだ。反転攻勢のタイミングや方法について。目指すべき勝利の定義については、会議室の面々が唾を飛ばしあって議論していることだろう。
はぁっと息を吐く。
現状は対処療法。だが維持できれば時間を稼ぐことはできる。
タイムリミットを迎えれば、ドアをこじ開けて向こう側へ飛びこむ。あとのことはフリードリヒに頼んである。
軍人としてのマルクスの理性はそれを無責任だと責める。ああ、まったくもってそのとおり!
で、それが?
暗い水面に沈む姿が脳裏に浮かぶ。繰り返し。撃たれ、孤独に堕ちる彼女を、誰も引き上げようとはしない。無事を祈るだけの怠慢など、なんの意味がある。生き残ったあとのことなぞ、生き残った者たちが考えればよい。
なにより。
予感めいた期待がここにある。
足元から湧きあがる脈動を、デニス准尉は鼓動と表現した。鍋蓋の下に圧力を高めている中身はポップコーンなどではない。
膨らんだ腹から、何かが生まれるような。
アイリスの腹から赤兎馬が生まれた夜のような?
なにかが起こる。
これは不安からの逃避だろうか。
あるいは脳内麻薬の分泌による高揚感か?
(違う、そうじゃない)
たしかな手応えがある。
魔道士以外にはわからない。きっと、魔道士部隊以外にはわからない。
コマンドデータリンクはとっくに途切れた。けれど赤と青の魔石チョーカーは俺たちを繋げている。
他の奴が言ったなら、早く休めと肩を叩いてやる自分を思い浮かべ、マルクスは乾いて笑う。
わずかな星団に照らされた夜空を見上げ。
「こりゃまた…!」
オスカーが呻く。
「団体客のお越しですね」
肩をすくめたシュタインは、クロスボウに新しい矢を張る作業を終える。
「近づかせるなよ。─── 掃射三連用意!」
最後の夜に相応しく。声を張りあげる。武具の鳴る音が続く。
風が吹いた。
背後からだ。
…扉からだ。
音もなく。
全身が鳥肌立つ。タリスマンの全員が振りかえった。
魔力に瘴気が渦を巻き、黒い炎を波打たせる。
漆黒の渦より顔をのぞかせた影が形を為した。
大地より伸びて立ちあがる姿には手足があった。雫のように滴る闇。剣を腰に佩いて…胸元に頭部を抱えていた。メタリックブルーの全身鎧をまとったソイツはオスカーよりも一回りは大きい。すなわち俺たちの誰よりも大きい。
「っ……!」
もっとも近くに配置されていたペーターが動いた。反射的な抜刀。地を蹴った片手突き。伸ばした腕に鎧の隙間を狙い、刀身を寝かせた平突きには十分な体重と魔力、スピードが乗っていた。篭手に弾かれた。剣ですらなかった。仔猫の突撃を払うように。空いた手に、刀身の腹を薙いだ。剣が折れる澄んだ音。利き腕を引いて蹈鞴を踏んだペーターを、金属靴の蹴りが吹飛ばす。追撃に入ろうとしていたオスカーに向かってだ。とっさ剣を捨て、若い尉官を両腕に受けとめたオスカーは完全に無防備となる。
援護のための弓矢、術式を向けた総員が動きをとめる。
こちらの動線上にペーターとオスカー、そして索敵を担っていたデニスとリュデガーがいたからだ。大柄な全身鎧は扉、引き戸の合わせを背にしている。嫌になるほど完璧な位置取り。
空へ向かって放つはずの術式をとりやめ、内側へ向かっての臨戦態勢。
視線のなか、首なしの騎士は悠々、片手に抱えていた頭を首に乗せる。
顎や頬に手をやり、場所を確かめるような動きには芝居俳優めいた滑稽さがあった。ただし足元、フラッシュオーバー。噴きだす瘴気は笑い話にもならない。
「…フリードリヒ小隊長。ブレンたちを率いて空の敵を制圧しろ。シュタイン中尉は借りうける」
「お二人だけでアレを?」
「この瘴気のなかでは術式の威力は落ちる。一度に飛びかかれる人数などたかが知れている。なによりアイツは扉を背にしている」
「いけますか?」
この威圧だ。随獣の格ではない。人型の幻獣種。頭部のない死霊騎士。特定討伐対象としては竜はむろん、狒々よりもランクは下だが…あれは、人類に対する脅威を示している。個体の強さではない。
「コイツがある」
拳に剣柄を叩いてみせる。カラドボルグ。ミュラー辺境伯によって代々受け継がれてきたもの。数多の魔獣を屠り、今代の手のなかでは幻獣種フェンリルの頸を落とした。マーロウ・ミュラーの勇名を欧州大陸に鳴り響かせ、不動のものとした名剣だ。
「だが、あいにく花屋はない」
「……は?」
「アーデルハイト隊長は初陣に有翼獅子を仕留めたぞ。ならば花婿の俺が、彼女への手土産に幻獣騎士の首を持参して何がおかしい? それでこそ釣り合いがとれるってものだろう」
「……首は最初から離れているようですが?」
ハタと気づく。
それもそうだ。
肩をすくめて応えた俺に、フリードリヒは息を吐いて笑った。優しげなそれが変貌、ひらめくのは獰猛な笑みだ。小隊長がやるべきことは決まっている。隊長と副官に代わり、指揮をとる。
では、第四王子フリードリヒ・フォン・フォルクヴァルツがやるべきこととは?
決まっている。
闇にのまれた天使様の帰還をお迎えするのだ。
殉教じみた高揚に、フリードリヒ大尉の目に灯る熱。卑俗にめくられた唇。
(そうだな)
合理と感情が合致するというのはすばらしい事態だ。
「魔道士部隊、遠距離戦闘用意! 目標、飛来する魔獣および随獣! 当初の予定どおり、空からの敵を殲滅する! これより指揮権はフリードリヒ大尉に移る! なお、中央の騎士は俺とシュタイン中尉が対処を行う!」
指示を飛ばし、一歩をまえに出る。ふわりと舞い上がる死の灰。黒い炎。
扉を背に仁王立ちする騎士はまさしく門番だ。
いやなところへ。いやなタイミングに。的確な駒を打たれた。内側へ。
けれどおかしなことに、幻獣の騎士は動かなかった。
前時代、十字軍と呼ばれた軍隊が着用したものとよく似た兜は無骨で、まるでバケツを被ったかのよう。表情は一切窺えないし、中身が入っているのかどうかもわからない。
ただし兜の前面、横一直線にくりぬかれた覗き穴の奥に灯る妖光は青白く、立ちのぼる瘴気と共に、こいつが置物の鎧騎士などではないことを示している。
(強者の余裕か?)
フリードリヒたちの行動を邪魔しようとする様子もない。
(…いや。そもそも指揮を執るものがいないのか)
個々が好き勝手に動いている。
もったいない話しだ。目的のために連携させることもできない。これほどの強者たちがいながら。これほど強大な存在を生み出し、戦争というパワーゲームに玩びながら。とうの人類は衰退し、勝利の定義は亡失。命令系統をなくした兵器だけが現場に取り残された。取扱説明書の所在は不明。そもそも現存しているのかどうかすらも怪しい。
何度目かのリセットボタンが押下された歴史という物語のなか、俺たち子孫が苦労をする羽目になっている。
─── 子孫?
「コシュタ・バワー」
喉をついてでた名前は、とある幻獣種のものだ。軍の歴史編纂室に読んだ特定討伐対象の一覧図、よりもさらに古い幻獣種図鑑に学んだもの。各地の伝承を集め、真否も定かでない、御伽噺とも見做された書籍に描かれていた。
首なし騎士が騎乗する馬。
それが首なしの馬、コシュタ・バワーだ。
小首をかしげる反応があった。
「デュラハン」
死霊騎士に呼びかける。
「貴官の相棒は先に帰ったぞ」
首なしの騎士は首なしの馬に跨る。あらゆる場所を駆け巡り、死を振り撒く。
死神の親類というわけだ。四頭立ての馬車という説もある。共通しているのは、騎士と馬。デュラハンとコシュタ・バワー。彼らが二つで一組の幻獣種であるということ。
赤兎馬の父親、首なしの黒毛を俺たちはデュラハンと名付けた。相棒の名で呼んだ。あいつは、それでいいぞ、と頷いた。首もないのに、了承されたことは何故かわかった。
「貴官もまた、このまま帰営するのであれば、引きとめはしない」
交渉の会話は短いセンテンスに区切り、しっかりした発音で。相手の脳に言葉が届くのを待つ。
応えはぶわっと広がった闇。瘴気は、たぶん笑いだった。声はない。なにしろ頭がない。口も、舌もない。それでもわかる。
(通じたのか)
内心に驚きながら、納得もしていた。
特定討伐対象・紅猿。猿の魔獣。アレもまた、喉の構造さえ改造できれば人語での会話も可能だったと聞かされている。
デュラハン改めコシュタ・バワー。あいつもまた賢い馬だった。こちらが言うことを理解しているフシがあった。
デュラハンは背を向けなかった。扉を開けて「それではさようなら」とは言わなかった。腰から引きぬいた肉厚の長剣を両手に持ち、樋を見せながら垂直に掲げた。
─── 決闘を挑む騎士の作法。
逃げ帰るのであれば見逃してやる。という大上段に構えたこちらの皮肉すらも正しく受け取られたようだ。
(こいつ、楽しんでやがるな?)
「はっ」
笑い返す。犬歯をむいて。せいぜい好戦的に見えればよい。
わかるのだ。なにしろ知っている。
ミュラーの牧草地帯。鬼さんこちら、とばかり。駆けたファンタズマたち。からかうように空を飛び、地団駄を踏む俺たちを見下ろし、機嫌よく尻尾を揺らしていた。緑の匂い。輝く草原を、どこまでも走り続けた。夢や幻のように力強く、美しく。
憎むべき魔獣だ。人類の敵、幻獣種だ。それでも俺は、俺たちは彼らの姿に魅せられた。
「っマルクス」
あなたまさか、という意味合いの滲むシュタインの声が横手からかかる。軽く片手に制して進む。ああもう!とばかり。幼馴染からは俺に向けての補助術式が飛ぶ。頭上、祝福の鐘が鳴った。余計な小言を放つ暇などない。続けて韋駄天。…さすがにわかっている。
由緒正しき一対一の戦闘。つまりはタイマンだ。近代戦においては阿呆のやることだ。
だが進み出た頭同士の決闘が部隊の士気に与える影響は絶大。特に50名以下の少人数戦闘であれば、個人の武勇が戦局を決めることもままある。
ドラゴンの必殺技が咆哮、ドラゴンブレスであるように。
デュラハンの必殺技は死の宣告。絵空事と笑い飛ばすことはできない。現にブルードラゴンはブレスを放った。死霊騎士の発する瘴気は気の弱い者、心臓の弱い者なら対峙するだけで呼吸がとまる可能性がある。おかしな例えだが、物理的な闇がそこにある。
まぁ死の宣告とやら。首なしの男がどうやって発するのかは知らんが。言葉なのかどうかも知らんが。目を見て唱えられた対象者はその場で死ぬ。そう伝えられている。
決闘を挑まれているのならば、むしろ喜ばしいことだ。アーデルハイト隊長は守れと言った。そこには無論、部隊員も含まれる。俺ならば他の誰よりも器用に対処できる。それに。
禍々しく光る漆黒の剣を掲げた死霊騎士は言っている。
さぁ、互いの首を切りあおう。
(…なるほど)
わかるものだな。
どうしてわからないの?
不思議そうなアーデルハイト隊長の言葉とヘイゼルが浮かび、場違いにも優しい気持ちになった。次に会ったら言ってやろう。遅くなってすみません。ようやく俺にもわかりましたよ、と。
カラドボルグの鯉口をきる。
ヒュン。
切っ先に風を切り、縦に構える。了承の合図。
「受けて立つ」
返るものは凶悪な哄笑。の、代わりだろう。暗黒の瘴気が強い風になびく。
この空気を知らない人間であれば不可思議なことだろうが。相手を殺す武器を握って射程範囲に睨みあった者同士。言葉なく通じるものはある。
剣の間合い。踏みこんで二秒後には殺し合いだ。長期戦は愚作。そもそも真剣で五合と斬りあう戦闘の方が珍しい。
下から上への横薙ぎに斬りあげた俺の片手剣と、上段より振りおろされたデュラハンの大剣が火花を散らした。覚悟の上をゆく重さ。しかも速い。歯を食いしばる。全身鎧をまとった巨体でありながら。速度を上げた俺の動きに反応、どころか完全に合わせてきた。ひとの形はしているが、ひとではない。
ギャリリリッ! 剣戟を流し。大剣を引く動きに合わせ、空いた懐へ踏みこむ。ここまでの接近、無謀とも言えるタックルは意外だったに違いない。胸甲すらつけていない、紙装甲の魔道士相手なのだ。
相手のまたぐらに片脚をつっこむ。つるりとした鎧の表面にぶつけた肩を滑らせ、回転。背をデュラハンの腹に押しつける。互いの右手首はほぼ同じ位置。たぐり、突こうとする大剣の柄を甲に弾く。カラドボルグを逆手にまわす。両手に強く握り、魔力をこめる。己の腹横めがけ突く、前に。
足払いをくらった。姿勢が崩れた。舌打ちの暇もない。よろけた身を捩りながら足裏に金属靴を蹴って前方に離脱。間合いをとりなおし、横半身に構え、対峙。
リーチの短い、動きの速い、小兵の戦い方だ。
短く息を吸いなおし。もう一度だ。懐を狙う突撃だ。そう見えただろう。考えたことだろう。両手に大剣をふりかぶる動きに油断はなかったけれども。次に撃ち合うであろう足場を先に奪う。鎧のつま先が迷った。加速する思考が行けと叫ぶ。飛ぶように。世界を早送りするように。
身体強化に韋駄天の重ねがけ。速度超過もよいところ。マトモな戦い方ではない。感覚が暴走する。だからどうした。そのための訓練だ。積み上げてきた時間だ。開始の合図前よりフルスロットル。それでも足りない。ならば躊躇の一瞬を奪うための前哨戦に命とて賭けよう。
デュラハンが足をとめたコンマ数秒の空隙。
「貫け」
魔力をこめた片手剣が伸びる。光りとなって。
ドッ!
届かぬはずの刃がブルーメタリックの鎧を貫く。剣の間合いの範囲外より。人ならば心臓のある場所を。
二度は使えない。確実に仕留める。
「おおおおっ!」
飛びこむ勢い任せ、押しこむ力任せ、肩に向かって刀身を跳ね上げる。たった一度の斬撃。それだけで。マルクスの魔力は根こそぎ持っていかれた。
硬い鎧。中身は空洞。血肉に代わり、溢れたのは瘴気だった。ドロドロと流れるように溢れてこぼれる。ガラン。大剣が転がった。肩鎧の付け根が断ち切られたからだ。
デュラハンが己の右腕へと目をやった。意外そうにも、…まぁしょうがないとでも?
肩で息をする俺に視線を戻し。ゆっくりとした動きに左腕を持ち上げて。まるで自宅のベッドに倒れこむように。大の字、背中から倒れてゆく。夜空を見上げて。
瘴気の揺りかごは幻獣種の騎士を優しく受けとめた。
天から堕ちたブルードラゴンにもそうしたように。
ドブンッ。
最後まで膝をつくことなく。瘴気の大地へと還ってゆく。
見届けた俺へシュタインからの祝福が飛ぶ。
「無茶をするんですから…!」
「ハ、今無茶をやらずにいつやるんだ?」
やるべきことがあって、そのための力がある。
やらない理由など、ポケットのどこを探っても出てこない。
「…使えるじゃないですか」
呟くシュタインの視線は俺が手にした剣にある。
「運がよかった」
腰に佩いた鞘へと戻す。
これもまた本心だ。俺には初見殺しの手持ちがあった。
魔道刃の術式ではない。瘴気の只中だ。むしろ瘴気にむかって術式を突き立てる行為。ただの魔道刃では鈍らと呼んでもまだ誇張である。
銘、カラドボルグ。その名は『硬い稲光』を意味する。御伽噺の昔、敵対する王の首がわり、三つの丘の頂を切り落としたという伝説を持つ。魔力をこめることによって無限にも近く伸びる刃を持つ。ただし大喰らい。
現に体内、魔力回路の歯車が軋んでいる。発動させれば鞘に戻すまで持ち手の魔力を喰らい続ける。並の人間ならば、起動させることができれば御の字。瀉血状態に歯を食いしばって耐えたところで、魔力の枯渇によって意識を失うのがオチだ。揮うどころではない。
具現し、放出する能力こそ弱いが、優れた魔力素養、人類としてずば抜けた運動性能を持つマーロウ・ミュラーとはたいそう相性がよい。万を超える大群となった魔狼の群れを突破し、マーロウをフェンリルの前に無傷で運んだのはミュラー騎士団だが、敵大将をくだしたのはカラドボルグを手にした俺の父親だ。
息を整える。魔力を整える。柄を握る。
…扱いの難しい剣だ。
亡兄マクシミリアンは文官寄りの男だった。母と共にミュラーにいた頃。騎士団のなかでは弟である俺が父の跡目を継ぐべきではないかと囁かれていたことは知っている。だから俺は、けしてカラドボルグに触れなかった。
「試してみるか?」
「使えません」
と、父から差しだされた剣を断ったのだ。
シュタインが言っているのはあのやり取りだろう。
当時の俺としては伯爵家当主の象徴としてマクシミリアンが持っていればいいと思っていただけだ。箔付けにはなるだろうし、名剣一振りを有難がるよりも、軍隊や騎士団は全員の装備を平均向上させるべきだと考えていたからだ。我ながら生意気な子どもである。
興味がなかったと言えば嘘になるが、期待に目を輝かせている大人たちの前で下手に起動させてしまえば面倒なことになる。母から言われるまでもなく、雰囲気に感じ取っていた。俺はわりと昔から俯瞰に富んだ子どもだったのだ。
謎のドヤァ…感に包まれていた青くさいマルクス・ミュラーの鼻っ柱は、可愛く、賢く、恐ろしい、アーデルハイト・アルニム隊長殿の『ぐーぱんち』によって勢いよく叩き潰されたわけだが。
おかげさまで、謙虚な心持ちに日々の鍛錬を欠かすことなくここに立つことができた。
デュラハンがカラドボルグを初見だったことも含め、運がよかった。
瘴気の黒炎が輝く。死霊騎士の帰還、そして。
幻獣種が持つ特性のおさらいとして。淡々とした事実を述べよう。
すべての幻獣種が随獣を伴うわけではない。特定討伐対象としてのデュラハンの順位が低い大きな理由がそれだ。
飛行タイプの幻獣種には、多く、飛行タイプの随獣が付き従う。地から手を伸ばし、太陽に焦がれるように現れる魔獣もむろん湧くけれども。
ブルードラゴンが消えたこの地を目指し、奴らは夜空を飛んでいる。国境線より。あるいはもっと遠くより。焼き尽くされても焼き尽くされてもまっすぐに。王を目指し、出迎えのために。
扉の向こう。門の向こう。今か、今かと出番を待っている存在。
出囃子のノックを待っているのはどいつだろうか。
大阪の出張から帰還しました。更新に間が開いてすみません。読んでくださってありがとう。生きているってやることが多いね。大阪の食べ物はとても美味しかったです。
次回、ぐーぱんちの彼女がやっと帰ってきます。