ウェルカム・トゥ・ブラック・パレード【4】
アルバン・アルニムは走っていた。目標に向かって。歩幅を合わせ。前転の要領に飛びこむ。
目標物、脳震盪を起こして仰向けに倒れた騎士の足を小脇に抱え、素早く回転。
シュパッ! 小気味の良い音でもしそうな動きだ。
勢いを殺さず、肩に担いだ軽鎧の大男を片手に支えて立ち上がる。教本のようなレンジャーロール。前線、負傷した味方を救助、後送するための体術だ。さらにアルバンは自身へ身体強化も施している。前転からの体重移動。膝を曲げ、踵を上げた前傾姿勢よりダッシュ。
(足をとめるな)
(円の動きだ)
ファイヤーマンズキャリー。元来持ち運びに適していない形状の人間を比較的容易に担げる上、片手は自由に使える。コツを教えてくれたのは自領の騎士団長だ。剣を握ることと同じく、仲間を守ることを教えてくれた男だ。
「若君!」
「後ろへ!」
剣を抜き放ったアルニム騎士団がつくる壁横を駆けぬける。…壁、と呼ぶのはおこがましいのかもしれない。誰一人盾を持っていない。篭手と胸甲はヒビだらけ。無傷の者は誰もいない。馬はとうに失った。合流と脱落を繰り返し、アルニム伯爵邸のある街中まで辿り着いたのは10名と少し。
それでもこれはアルニムの全力だ。
アルニム伯爵家に忠誠を誓った騎士団は死力を尽くした。
薄汚れた衣服に目だけを光らせたアルバン・アルニムを守り、ここまで来た。命令どおりに。通信機を備えた伯爵邸が目視できる距離まで。
領主と、次期領主にしか許されない魔獣大発生の救難信号を発するために。
ガキッ! ガキキンッ!
剣と牙がぶつかり合う。
牛の魔獣の頭部めがけ、騎士団長がふりおろした刃は角に弾かれた。その隙に、取り囲んだ騎士たちが獣の剛毛を貫き剣を突き刺す。
さらに一匹。個人の武勇ではなく、協力して仕留める。連携は地道な反復訓練の賜物だ。だが二振りの剣が折れる。
もとより剣とは消耗品。よほどの銘入りでもない限り、使い捨てと割り切るべきもの。けれど、
(騎士団の制式剣がこうもたやすくか)
装備の劣化をまざまざと見せつけられたアルバンは唇を引き結んだ。抱えていた騎士を、無事な騎士の手に委ねる。
「行きましょう。もう少しです」
騎士団長に促がされる。
「ああ。…すまない」
冷遇されてきた騎士団への申し訳なさに、思わず謝罪の言葉が形になった。
「なんの。部下を助けてくださりありがとうございます」
型遅れの甲冑は動き辛く、疲れた身体にはより重く感じるだろうに。騎士団長の返答はアルバンを励ますものだった。
本来であれば。主だった三つの砦すべてに通信機は備えられているはずだった。一番近い騎士団詰め所、西の砦に駆けこんでわかった。
魔石が、ない。底をついていた。前伯爵夫人、アウレリア・アルニムによって用意された備えの寿命はとっくに過ぎていた。温石ですら、貯蔵した魔力を使いきれば温度を失う。
砦の奥にあったのは埃をかぶったただの箱だ。
防御膜も同様。オートカウンターに発動するはずの安全装置はいつの間にか人間の手を必要とするようになっていた。領地戦に代わり、魔獣の脅威はいっそう身近となっているにも関わらず。襲いくる敵を前に手動起動装置を作動。取っ手を回して展開するのだ。道化芝居も同然。馬鹿げたことに、オチすらもしっかりついていた。
砦の防御膜は魔獣の軍勢に破られたのではない。そもそも起動していなかった。
新しい魔石の申請は優先順位が低いという理由から却下されていた。『無い』ことが当たり前になった状態が数年も続けば、そんなものがあったことすら意識にあがらなくなっていた。スタンピートを経験した古参たちが緊急時の手順に沿って立ち上げようとして判明した
助けを呼んでくると村をあとにしたアルバンは膝をついた。嫌な予感だけがふくらんで、思考が追いつかない。まさか。こんな重要なものまで?
(惜しんだのか)
父は。領地の命綱を。賭博場には湯水のごとくカネをばらまきながら。それが、これが今日まで必要がなかったという理由だけで!?
うつむく顔を震える両手に覆った。歯を食いしばる。
(僕はなにを見ていた)
アルバンは騎士団を伴い、村人たちからの非難に満ちた視線にさらされながら出立した。我々を見捨てるのかと責められた。せめてと数名の騎士、同行した冒険者たちに村を、彼らを守ってくれるように依頼した。気休めだ。この物量相手だ。長くは持たない。
真実スタンピートが起こったならば、もう。
今のアルニムでは抑えきれない。当事者である騎士団員も、気のいい冒険者たちも、それはわかっていただろう。ただ、自分が楽になるためだけの言い訳に過ぎない。
それでも。なるべく早く援軍を連れてくると告げた僕を見送ってくれた、のに。
乾いた笑いがもれた。
…わかっている。
(わかっているよ、アデル)
笑わなくなった妹は、アルバンを見ても眉ひとつ動かさなかった。昔みたいに、お兄様と呼んで駆け寄ってくることはなかった。
王子の婚約者として王宮に召し上げられた二度目の新年会。そこにいた少女はガラス玉のような目をした人形だった。
悔いるのはすべてが終わったあとだ。嘆くのはいつでも、一人でもできる。今しかできないことをしよう。
立ち上がり、騎士団へ命じる。
「アルニムの本邸だ。連れて行ってくれ」
次期当主として最初で最後の命令だ。
伯爵邸へ。領主の執務室へ。そこには通信機がある。
せめて。救えるものを救おう。そして終わらせよう。
「アルバン・アルニムの名をもって救難信号を発する」
覚悟を決めよう。
自分にしかできないことをやるのだ。─── アーデルハイトのように。
屋敷は荒れていた。残った騎士たちに守られて、正門こそまだ破られていないが、時間の問題だった。アルバンと、アルニム騎士団は間に合った。
団長であるバルトルトだけを伴い、まっすぐ領主の執務室へ。記憶のなか、毎日ここに座って仕事をしていたのは母だ。使いやすいように整頓された専門書と、処理を待って雑然とした領地の資料に囲まれ、机上にはアルバンたち兄妹のポートレートが飾られていた。
思い出に残っているのは、お日様と、紙とインクのにおい。妹の手を引き、そうっと扉を開けてのぞきこんだ僕たちを呼び寄せて、一緒に休憩してくれたこともある。
後妻を連れた父が戻ったあと。室内は一新された。重厚なダークオークの本棚には指紋一つない。手に取ったことも、開いたこともないだろう見せかけだけの書籍は綺麗なものだ。背表紙のタイトルだけはたいそう頭が良さそうなものだ。
父はそんな小道具に権威を背負っているつもりになっていた。
ラッツェル子爵家の紹介だという管財人は怪しく…言われるがままサインを行う義理の母は伯爵夫人の肩書きを持ってはいても、アルニムの財政についてなにも知らされていない。
誰も、教えようとはしなかった。
(僕を含めて)
ならばこれは起こるべくして起こった事態だ。
箱組みの引き出しを開ける。手に取った小振りのナイフは無駄に豪奢だった。やたらと飾りが多く…、つまりは父の趣味だ。鞘より引き抜く。
予想通り、執務室の魔石は活きていた。執事の手によって定期的に取り替えられ、いますぐ通信が可能な状態だった。
万が一にも使用されることがあれば。使用されるような事態に陥るというのは。領主の身が直接的な危険に晒されているということだからだ。だから。ここにだけは。マトモなモノが残っていると考えた。あの男ならば。己の身だけは守ろうとするだろうから!
予測が的中したことを喜べばいいのか。落胆すればいいのか。わからない。今は為すべきことを為すだけだ。
刃を滑らせ、親指の腹を切る。ピリッとした痛み。通信機に填めこまれた魔石に血を落とす。次期領主を指名されたときと同じ手順。あらかじめ登録された血液に本人確認、パスコードに照合、魔力に合致を認識。
帝国軍を含む全周囲に救難信号を発信。これは周辺領への警告でもある。
『発:アルニム伯爵領。スタンピートの可能性大なり。被害甚大。対処不能。可及的速やかな援軍を乞う』
緊急事態発生。一領地ではどうにもならないことが起こっている。警戒されたし。備えれらたし。
現状に希望を添えて、最後に自身の名前をサイン。通信を終える。
100年と続いた伯爵家の幕切れはひどくあっけなかった。
けれど帝国軍が天使様の如き翼を持つわけでなし。駆けつけるにしても時間がかかる。どこからか湧いて出る魔獣たちを前に、やるべきことは多い。隣接する領地とて、まずは自らの領地を守るために動くだろう。
アルバンが第一にすべきことは屋敷にいる人間と騎士たちを集めて籠城戦の準備だ。正規軍が到着するまで持ちこたえる。城下に残った領民たちを保護する。戦える人間がどれほどいるのかはわからないが…。騎士団の詰め所から武器を運びこみ、剣を握らせれば即席でも戦闘員だ。
第二に被害状況の把握。帝国軍の到着前に魔獣の侵入経路を掴むことができれば誘導はたやすくなるだろう。
最初にすべきことは赤。次にすべきことは青。急がないけれどもやるべきことは黄色。判断と決断を迫られる領主としての心構えは母が教えてくれた。子どもにもわかりやすい、トリアージの色。
そうやって思考は動いているのに、身体は息を止めたように一歩も動けなかった。
救難信号。伯爵家の命運を摘むもの。スタンピートから領地を救うもの。最後の手段だ。これしかない。もう、これしかないと、わかっているのに。不安で、不安で、…恐ろしい。頭が痺れる。足が竦む。なんて不出来な後継者だ。みんなに申し訳がない。せめて胸を張って『私の選択は間違っていない』と言えればいいのに。これが最善だったのだと、領民たちを安心させてやれればいいのに。
「ご立派でした」
「…うん」
バルトルト・バルツァー騎士団長は母と男女の仲であると噂のあった男だ。幼かった頃のアルバンは「父になって欲しい」なんて、無邪気にも残酷なお願いをしたこともある。
「うん…っ」
子どもに返ったように目が潤んだ。
「ご立派でしたよ」
男にも思うところはあるだろう。伯爵家と共に。アルニム騎士団もまた終わるのだから。
慰めを素直に受け取ることができず、甘えじみた泣き言がこぼれた。
「……アデルなら、なんとかなったかもしれない。持ちこたえることができたかもしれない。あの子が、」
帰ってきてくれていれば?
─── 卑怯者!
拳を握る。涙が目尻を濡らした。その先は、絶対に口にできない。してはいけないことだ。
『個人の良心と義務感、戦闘能力に頼りきった領地経営などリスクが高すぎます』
ほんの数日前。したり顔に己が吐いた台詞が脳裏に流れる。
吐いた唾なら飲むな。父とは違う。僕は、…俺は父のようにアーデルハイトを利用したりしない。
(ああ、)
けれど妹ならば。きっともっと上手く救えた。
魔道士部隊の隊長として。帝国陸軍少佐として。不屈の戦女神として。涙さえ凍る戦場に君臨したあの子ならば!
「若君」
片膝をつき。バルトルトが騎士の礼をとる。
「私の主は貴方です。アルバン様。お戻りを、お帰りを心よりお待ちしておりました」
「………っ」
人はいつだって待っている。待ち望んでいる。
あなたの帰りが遅いと心配してくれる者が欲しい。
アルバンにはギュンターとバルトルトがいた。家督を奪取すると決めたアルバンが真っ先に引きいれようとしたのが騎士団長、バルトルトだった。
「ありがとう。…行こうか、アルニム騎士団長。最後の仕事だ」
「はい。若君」
いくつかの指示を置いて、屋敷の居住区に足を踏み入れたアルバンはすぐに気づいた。
物が少ない。
バリケード設置のために棚や机などが移動。伯爵邸に受け入れた避難民たちのために寝台、椅子、シーツなどが集められていることを除外しても。
壁に飾られていた絵画や、エントランスを飾っていた花瓶が消えた理由にはならない。
災禍から守るために倉へ?
(それはない)
そんな余裕はなかったはずだ。
それにアルニム本邸の家令はかなりの高齢だ。母アウレリアをお嬢様と呼んだような歳だ。アルバンやアーデルハイトからすれば祖父に近い。魔獣の襲撃に対し、即座にすべての門扉を閉ざした。窓という窓に雨戸を下ろし籠城の構え。フットマンを騎士団の本部へと走らせた。家を守るハウス・スチュワードとしてさすがの対応だが、そこで腰をやった。なんのこれしき、と立ちあがろうとしてメイドたちにベッドへと押しこまれている。娘よりも若い女性たちに引きとめられては家令であっても強行突破はできない。己の衰えは自覚している。
あとを継いで屋敷の管理を担うギュンターがアルバンに付き従い、皇都のセカンドハウスからいつまでも帰ってこないため引退もできないと嘆いているほどだったのだ。ハウス・スチュワードである彼が職を辞すれば、ランド・スチュワードである管財人と同様、ラッツェル子爵家の息がかかった者が送りこまれるであろうことは目に見えていた。これ以上、ラッツェル如きにアルニムを食い荒らされてたまるか。人生をかけてアルニムに仕え続けた老家令にはそういう意地があった。意地と誇りだけが彼を支えていた。
手をとって感謝を述べたアルバンに、アルニムの終わりを告げられて肩を落とした。落としながら安堵もしていた。ハウス・スチュワードである老人は変わりゆくアルニムを、綱渡りも同然の現状を憂いていたから。
防衛線の指揮をバルトルトに任せたアルバンは、若いフットマン一人を連れて早足に本邸の奥へと進んだ。護衛の騎士は断った。救難信号を発した以上、領主の血筋は少ない戦力をこちらに割いてもらう理由にはならない。
「あ、あの、若様、」
「なんだい?」
ためらいがち話しかけられた。足は止めずに答える。
「もしかして、アロイス様のところへ向かっていますか?」
「ああ。アロイスと義母に避難を呼びかける。二箇所を防備する余裕はない。この人数が立て篭もるなら西館だと騎士団長も言っている」
断るならば好きにしろと言いたいが、声もかけないのは違うだろう。怯えてベッドに震えているのかもしれないのだし。ただ領主の家族が住むプライバシー重視の個室は防御には向かない。人員も足りない。まだ屋敷の内部には侵入されていないが、このまま夜を迎え、スタンピートの物量が増せばそれも時間の問題でしかない。
ドアをノック。義母であるソフィーアの部屋だ。
「アルバンです」
なんと呼びかければよいのかを迷い、名乗りに留める。伯爵夫人の名を呼んだことはない。父の後妻を母と呼んだことも、一度もない。
「魔獣が近づいています。夫人、避難の準備を」
返事はない。
「開けますよ」
ノブをまわす。
誰もいない。部屋に明かりはついていなかった。
(アロイスのところか?)
踵を引いてドアを閉めかけ。妙にすっきりとした室内に目をやった。物が、少ない。
机上など、ペン立ての一つもない。代わり、絵の一枚があった。そう大きくはない。
気にかかった。フットマンにはドア前で待機してもらい、伯爵夫人の部屋へと足を踏み入れる。
(額縁を外そうとしたのか?)
右側の爪だけが外れていた。うつ伏せのそれを裏返す。
…見覚えがあった。
アーデルハイトが描いたものだ。両手に広げ、アルバンにも見せてくれた。
あたらしいおかあさまと、おとうと。
お世辞にも上手いとは言えない。子どもの落書きにはたくさんの明るい色が使われていて、二人は笑顔だった。足元にはピンク色の花が咲いていた。
感想に困ったアルバンは、これはチューリップかな、なんて花のところを指差して誤魔化していた。
─── どうしてこれが?
今、ここにあるのだろう。
ドッ。胸に冷たい針が打ちこまれたような気分。
アルバンの、この手の予感が外れたことはなかった。
足元にはペン壷が落ちていた。真っ黒いインクが飛び散っていた。急いでいたのだろう。絵の一枚を取りだすことが間に合わないほどに。
額縁に入った絵を置いて駆けだす。腹違いの弟、アロイスの部屋だ。
ノックの間隔は短く、荒くなった。ドアを開ける。誰もいない。想像通り。いや、想像以上に。何もない。本棚の中身も。カーテンすらもが。すっからかんになった寒々しい部屋。
彼らは逃げたのだ。金目のものを奪い。スタンピートが迫るアルニムより逃げた。
夫人が、アロイスが、アルニムのために指揮をとって立ち上がるとまで期待していたわけではない。だが。
(っだが…)
がんっ。拳の底に壁を殴りつけた。フットマンが怯えている。控えなければならない。常に冷静であれ。言い聞かせる。けれど怒りが消えない。
今の今まで世話になっておきながら。すべての責任を投げだして。自分たちだけのために逃げた。
許せるものではなかった。
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