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魔物の住む町  作者: Satoru A. Bachman
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第2章 美船の夏 ―大川桃絵の死(Ⅱ)―

 第2章 美船の夏 ―大川桃絵の死(Ⅱ)―


 最悪な気分で教室に戻る途中、廊下で羽田卓を見かけた。1年B組の結構イケメンな子。だが、その廊下で桃絵の目を引いたのはそこでギターで弾き語りをしていたC組の軽音部の鹿嶋蓮だった。丸眼鏡をかけた長髪の鹿島はジョン・レノンの「愛の不毛」を歌っていた。異国文化が根付いている美船市では英語が分かる人間が多い。だから、桃絵もその英語の歌詞の意味が分かった。


“打ちひしがれているとき、誰も愛してはくれない

有頂天になっていても、誰も振り向いてはくれない”


精神的に不安定なとき、悲しい曲は心に響くものだ。聞き入っていた桃絵に鹿島がウィンクをした。ちょっぴり癒された。


 桃絵はざわめく教室に戻ると、ロッカーから鞄を取り、足早に教室を去った。誰にもバイバイの一声もかけずに。帰っていく桃絵を見て何かを言っているクラスメイトはいなかったが、桃絵には、「大川、なんで帰るの?」、「また早退?」、「病弱なのかな」などとひそひそ言っている声が聞こえてくるような気がした。無断早退常習犯の桃絵は校舎を出て、草木が生い茂る植え込みの前を通り、校門を出た。人っ子一人いない西木大通りを歩いて南側の住宅地に入り、楓川の川岸まで行くと少し気分が落ち着いた。

 芝生と土と潮の匂い。聞こえてくるのはミンミンゼミの鳴き声、チュンチュンと鳴く鳥の声、川のせせらぎ、それから河川敷の広場でゲートボールを楽しんでいる老人たちの話し声くらいだ。そして、

「ヒー、ヒョー」

と何かの甲高い鳴き声がした。きっと町の外の森の中にいる鳥とか動物の鳴き声だろう。桃絵は特に気に留めず歩き続けた。川のそばの美船の森スポーツ公園が見えてきた。平日の昼間は、公園内の陸上競技場も野球場も静まり返っている。土手から河川敷の小道に降りた。


 「ヒー、ヒー、ヒョー」

まただ。桃絵は辺りを見回すが、その鳴き声の主らしきものはどこにも見当たらない。だが、一瞬、彼女は心臓が止まるかと思うほどびくりとして立ち止まった。歩いていた芝生に囲まれた小道の先に自分が立っている。思わず

「うわぁっ」

と声を上げる。あれは私?少なくとも自分と同じ姿をした何か。桃絵は驚いて数歩下がって尻もちをついた。もう一人の桃絵も同じように数歩下がって尻もちをついた。何とか立ち上がり、深呼吸をして、よく見るとそこには大きな鏡が小道を塞ぐように立ちはだかっている。高さも幅も3メートル程の真四角の鏡。それは30センチ程、足の無い幽霊さながら宙に浮いている。鏡の中の桃絵は、顔中に大きな吹き出物ができていてぶつぶつで、吹き出物一つ一つの先端に白い膿が溜まり、目の下には大きな紫のくまが出来ていて、目元はしわくちゃでしょぼしょぼしていて老婆のようだ。銀色の目をした鏡の中の桃絵は、にたりと桃絵に微笑みかける。むき出しになった汚らしい黄色い歯と歯の間から粘ついた唾液が垂れた。

「いやああああっ!」

桃絵は悲鳴を上げ、走って来た道を戻る。振り返ると、その鏡が追いかけてきていた。どこまでも。鏡の中の桃絵は微笑み続けている。

あれが私?醜い。醜すぎる。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。鏡なんか嫌い。大嫌い。

土手に駆け上がり、走り続ける。全力疾走で。先ほど桃絵が通りかかった老人たちがゲートボールをやっている広場にいた1人の爺さんが土手を駆けていく彼女を見かけて、「若いって良いのう、わしも若者みたいに元気よく走りたいものだ、今はこの通り、ほんの数回玉を打つだけで疲れてしまうなぁ」なんて思ったが、それ以上は駆けていく少女のことを特に気に留めなかった。


 桃絵が突っ走っていく先に美船ゲートブリッジが見えてきた。船宿「カエデ」の前を通り過ぎる。砂利道でつまずいて転んだ。擦りむいた足の痛みも無視して、立ち上がってまた走る。美船ゲートブリッジの海側の歩道の錆びた手すりに激突するようにつかまり、はあはあと息を切らしながらしゃがみ込んだ。もう限界だ。もう鏡は追ってきてはいなかった。

「ヒー、ヒョー」

またあの鳴き声。

かさこそと草むらを揺らすような音がした。美船ゲートブリッジから見下ろす位置の河川敷の草むらの中で何かが蠢いているのが見えた。背の高い草の間から真っ黒な獣のようなものの背中が見えた。タヌキのような毛むくじゃらの生き物。辺りに獣臭と糞の臭いが混じった不潔な家畜小屋のような悪臭が桃絵の鼻を突き刺した。思わず顔をしかめる。

その途端に、このあいだ小嶺が言っていた言葉が頭に浮かんだ。何度も。何度も。


なあ、大川は知ってるか?美船は呪われていて、変な生き物が住んでるらしいんだ。なかなかそいつは姿を表さないらしいんだけど、鳥の鳴き声みたいな声をしていて、それが聞こえると、そいつが近くにいるってことらしいんだ。毛むくじゃらなやつだよ。そいつはね、町の外の森のほうから…


なあ、大川は知ってるか?美船は呪われていて、変な生き物が住んでるらしいんだ。なかなかそいつは姿を表さないらしいんだけど、鳥の鳴き声みたいな声をしていて、それが聞こえると、そいつが近くにいるってことらしいんだ。毛むくじゃらなやつだよ。そいつはね、町の外の森のほうから…


なあ、大川は知ってるか?美船は呪われていて、変な生き物が住んでるらしいんだ。なかなかそいつは姿を表さないらしいんだけど、鳥の鳴き声みたいな声をしていて、それが聞こえると、そいつが近くにいるってことらしいんだ。毛むくじゃらなやつだよ。そいつはね、町の外の森のほうから…


バキッ。錆びた金属製の物が折れたような音が響き渡った。桃絵にはその音が何だったのかを考える時間は無かった。つかまって寄り掛かっていた錆びた歩道の手すりが折れ、桃絵は真っ逆さまに川に転落した。一見、緩やかに見える楓川の下流だが、深いところでは流れに巻き込まれたら、プロの水泳選手でも一溜りも無いだろう。桃絵が自分の身に何が起きたのか気づくよりも先に彼女の体は沖に運ばれ、彼女の意識と生命は一瞬にして青い海の彼方に消えた。





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