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そうだ。僕は彼女を受け入れると言った。彼女を出来るだけ幸せにしたいとも言った。これくらいのことは別にやってやってもいいはずだ。僕が別に普通であったとしても、この行動自体に嫌悪感があったとしても、僕は同じ行動をしていたんだと思う。


ただ、僕の行動は明らかに衝動に駆られたものでそんなことは全く考えていなかった。


バツをソファーに寝かせ、馬乗りになり、両手に力を込める。流石にこの状況でもストッパーは効いているので全力ではないが、彼女を苦しめるには十分な力。

かっ はっ

擦り切れるような声になってない音をバツが出す。目には涙が浮かんでいる。

しかしそれらとは裏腹に満足そうな笑顔を僕に向けている。あぁ、もっとしてください。と言っているようだった。


この顔を歪ませたい。

嗜虐心を煽る、煽る。元々消えかけ、燻っていた火種に“甦れ”と風が送られてくる。


これのルーツなんて知らない。僕は暴力はおろか、喧嘩すらしたことがない。人を傷つけたこともなければ、積極的に苦しめようと思ったこともない。そもそも人と関わろうとしたことがほとんどない。マルという熱にあてられただけで元々の僕は独りでしかなかった。

こんな欲求に気が付くはずなんてなかった。


バツ、君にさえ出会わなければ。君の狂気さえ見なければ。僕はこうならなかったはずなのに。あの時感じていた、心の蠢きは恐怖なんかではなく僕の欲求でしかなかった。

僕は僕自身が感じてる興奮を最大限にするため欲求に従って動く。清々しい気分だ。

生まれて初めて牢から出されたような、初めて体いっぱいに太陽の光を浴びたような。


バツの顔が少しずつ、歪んでいく。歪んで、歪んで、僕の好きなように。青くなった君も素敵だよ。あ、駄目だそれは。


僕は慌てて手を放す。バツは何回かせき込んだあと、浅い呼吸を繰り返す。


最後の最後に理性が戻ってきた。これ以上やったら死んでしまうのではないかと。

僕は我に返った。


そのあといままで感じたことの無いような自己嫌悪に吐きそうになる。

今のが、僕なのか?

バツを傷つけて、喜んで、楽しんでいるような、下劣な欲求を持ったあれが僕なのか。


目が合ったバツは嬉しそうにこちらを見つめ続ける。


「ありがとう、ございます」


浅い呼吸を続けながら彼女は言った。僕は恐怖から、罪悪感から、彼女から離れる。そんな僕を見て彼女は続ける。


「優しいですね、あんな演技までしてくれるなんて。」

「えん、ぎ…?」

「罰して欲しい私のために、してくれたんですよね?演技。」


とぼけた顔で、バツはそう言った。

演技ではないことを僕自身は知っている。しかし、僕の心がそれを正直に言うことを許してくれず、僕は静かに頷いて、下を向いた。バツの顔を見ていられなかったんだ。


少し時間を置いて、その間は特に話すこともなく最後に感謝を述べて、バツは首輪をつけた。




目を覚ましたマルは無言で僕を見つめる。僕は彼の顔を直視できずただ下を向いて、こちらも何も言わずにいた。

重苦しい空気が僕の背中にのしかかって、正直言えば逃げ出してしまいたかった。


「楽しかったか?女の首絞めて。」


最初に口を開いたのはマルだった。軽蔑や失望したことを言いたいのだろうと、その口調を聞いてなんとなく思った。


「言ったろ。演技だよ。」

「あの顔が演技?笑わせんなよ。お前おかしいよ。絶対おかしくなってる。」


マルは静かにそういうとこちらに近づいてくる。

「顔上げろよ。」と声が聞こえて僕はゆっくりと顔を上げる。

少し驚いた。もっと軽蔑にまみれた表情で僕を見ているものだと思っていた。しかし実際はそうではなく、泣きそうな表情をマルはしていた。それがどういった意味を持っているのか僕にはわからなかった。


「お前は悪くないよ。悪いのは全部バツだ。」


そう言い切るとマルは続ける。


「やめようよ。もうバツを出すの。あいつのせいでお前がおかしくなってるんだよ。

お金入れなくてもいいって言ったろ。今まで以上に家事頑張るからさ。だからさ、やめよう。」


その提案に僕は、首を縦にふることができない。そもそも誰が悪い悪くないという話ではないし、それが彼女を閉じ込める理由にはならない。

色々といいたいことがあったけど、僕は端的に


「バツは悪くない。そんなことはできない」


と答える。マルはそれを聞くと口をぽかん、と開けてこちらを見つめる。数秒後、押し潰されたみたいな声で「あいつが悪いに決まってるだろ」という声が聞こえて僕はまた目を逸らす。


「お前は優しいからさ。そんな風に思ってるんだよ。俺は全部見てたぞ。あいつがお前に首絞めさせて、お前が今まで見たことないような顔して、お前が冷静になって後悔しているのも全部見たんだぜ。

お前におかしいところができたとして、それは全部あいつがそそのかしたせいだよ。そのせいでお前は冷静になる度に後悔して、苦しんで。これからも俺にそれを見続けろってのか。」


あぁ。マルは僕のことを心配していたのか。僕は彼に心配させてしまっていたのか。

軽蔑されてると勝手に勘違いして、自分で勝手に公開して心配をかけさせてしまったのか。


それに気づいて、また一つ後悔が増える。マルを助けて、バツを幸せにするどころか、心配をかけさせている。言ったことも守ることのできない最低な人間になりかけている。


「僕は後悔なんてしていない。苦しくもない。だからバツは、今まで通り出してあげて欲しい。」


それでも僕は人間を、バツを一生閉じ込めておくべきことはできない。最低になったとしても僕は選べない。そんな選択は。前言ったみたいにバツを消すなんて選択肢は僕から消え去っていたんだ。大切なものの一つになっていたんだ。


頭を地面につけてマルに頼む。

マルは僕の肩を掴んで無理やり上体を起こしてきた。そして僕の服を掴んで、消え入りそうな声で


「なんで、なんでだよ。そんなにあいつが大事なのかよ。」


そう言った。ぽとぽとと涙が落ちている。

「ごめん。心配かけて、ごめん。」

僕はそう言うしかない。


「心配だけだと思ってんのか?」


急に服を掴む手に力が入ったかと思うと、僕は押し倒されて馬乗りにされる。ちょうどさっきの僕とバツが反転したみたいに、こんどは僕の上にマルが乗っている。

顔をどう逸らしてもどうしてもマルが視界に入る。諦めてマルの苦しそうな、泣きじゃくる表情を見続ける。


「俺にはお前しかいないんだよ。お前しかいないのに」


上から降ってくる涙が直接僕の顔に当たる。


「今回チャンスだと思ったよ。お前も戸惑ってて、これを口実に、お前まで奪おうとするあいつを後腐れなく封印できると思ったよ。俺が心配してる素振りを見せればお前も従ってくれる。俺は大地の味方で、大地は俺の味方だから。

けどあいつはちゃんとお前のツボ押さえてて、俺が知らないお前まで引き出して、完全に味方だったお前があっち側になっちゃった。俺もう必要ないじゃん。」


マルは両手で自らの顔を隠して、それでもその間からは涙が零れてきて、マルの涙は止まらなかった。僕は何も言えずただマルを見つめ続けるだけだった。

それが随分と長い時間に思えて、その時間がしばらく続いて、実際は一分も経っていないと思うんだけど、唐突になんの前触れもなく終わった。マルはピタッと動きを止めて、両手を剥がした。まだ涙は出てるんだけど、口と涙のせいで腫れた目は確かに笑っていた。

バツと顔は同じだから、全く同じ表情をすればそうなるんだろうけどさっき見た艶っぽい色づいた笑顔に、少し自棄になった印象がある。そんな表情だ。


「それとも私がバツをやろうか?バツより好みの女にもなるよ?もちろん首絞めてもいいしそれ以上のことだってしていいよ?可愛くなれるように努力するし、言われたらエッチな服でも着るよ。」


そう言う途中、その表情はどんどん崩れていって、元の泣いている表情に戻っていくんだ。

多分、マルの感情は一言で形容できないほどに複雑にぐちゃぐちゃに絡み合っている。僕が今、彼を歪ませてしまっている。

マルはそのまま僕に抱き着く。そして耳元で囁く。


「飼って。飼ってください。私には大地しかいないの。大地だけなの。大地だけでいいの。

だから私を選んで。マルじゃなくてもいいから。大地の好きな私になるから。私を選んで。」


僕の中で答えは決まっている。一瞬それを口に出すかどうか迷ったけど、僕は言った。


「お前はマルだよ。マルはマルであって欲しいよ。そしてマルもバツも選べない。二人とも僕が後悔しないために必要なんだ。」


僕を抱く力が一気に強くなる。僕の顔の真横からすすり泣くような声が聞こえる。

ごめん。ごめん。

絶対に伝わらないように何度も僕は謝り続けた。自分の発言には責任を持ちたいから。





正直。正直に言うと、僕は嬉しかった。

最初は雲の上の存在だと思ってたやつが、僕に弱さを全て曝け出して、僕を頼って、僕に縋っている。尊敬している友人をまるで支配出来ているような状況に、興奮し、胸が高鳴り、心は躍る。

この時の僕はそれを全て押し込んでいて、無視し続けていて、無意識的に自覚しないように鍵をかけていた。

僕の理性は、この先ずっとそれの見張りを続けていくんだ。それが表に出ないように。怪物を押さえ続ける。





マルは何時間も泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。色々と疲れてしまったので僕も眠ってしまった。どっちかっていうと疲れたからというよりは、現実逃避的な意味で眠っていたかった。


目を覚ますと、首を回して時計の方を見ると九時前だった。どうせ今日仕事はないからいいんだけど、結構長い時間眠っていたみたいだ。

逆方向に首を回す。マルが眠っている。泣いた痕が目に残っていて、僕の中の罪悪感が自己主張をし始める。あれでよかったのかと言われると正直最善の選択だとは思えないし、もっと言い方もあったかもしれない。けど僕の中ではああ言うことが決まっていた。今更そうすることもできないんだ。


なにより僕がしなければいけないのは後悔よりマルへの贖罪だ。僕は彼を裏切っているんだ。彼の絶対的味方にはなれなかった。だからこそマルのために出来ることを僕はしなければいけない。


「なぁ。」


いつの間にかマルが起きていた。目がばっちりと合って、マルは気まずそうに続ける。


「起きてたの?」

「そんなじっと見るのやめてくれよ。恥ずかしいから。」

「僕を離してくれたらこんな風に密着する必要はないんだけどさ。」

「…ごめん。」


マルは僕から腕を離し、立ち上がる。


「くっついといて悪いんだけどさ、お前少し臭かったぞ」

「風呂入る時間なかったからね。」


“確かにそうか”と言ってマルは笑った。一晩中泣いてすっきりしたのか、いつもの笑顔だった。


「あのさ。昨日の事なんだけど。うだうだごねて、俺らしくなかったよな。」


下を向きながらマルは言う。気まずそうにぎこちない感じで。


「マルが必死になるのは当たり前だよ。僕がバツに体を貸してほしいなんて言ってるのがほんとはおかしいことなんだし。」

「俺と違ってバツと大地は直接やり取りしてるんだから情くらい湧くだろ。俺が勝手に嫉妬したんだ。それにあいつに働かして金出そうとしてる俺が都合いいことだけ言うのもおかしいだろ。」


多分、マルは僕が昨日言ったことを気にして、僕のことを肯定してくれているんだろうな。僕が気遣わないようにそうやっているんだ。

僕が選択した結果がこれだ。そしてここで僕が過度に慰めたり、昨日自分が言ったことを否定したりしても嫌味にしかならない。


「それより、腹減ったろ。飯作るから待ってな。」


マルはキッチンのほうに歩いていく。意図的に話を切り上げたんだろう。多分僕からなにもできないことをマルもわかっている。だから長引かせてもお互いに不幸にしかならないんだ。

僕はそう自分に言い聞かせて、これ以上それに触れようとはしなかった。代わりにその場でキッチンにいるマルに話しかける。


「今日さ、バイト無い日だよね。」

「そーだな。お前も休みだしお互いダラダラしようぜー」

「どこか遊びに行かない?」


ピタ、と動きを止めて、道具やらなにやらを少し片づけてからマルがこっちに戻ってくる。


「いや、行きたいのはやまやまなんだけどさ。首輪が…」

「寒くなってくる頃だしマフラーとかつければ隠せるよ。」


「確かに」とマルが驚いた顔で言った。僕は少し誇らしげに胸を張ると、マルは気づくのが遅いと言わんばかりに僕の張った胸を何度か叩いた。

ふぅ、とため息をつくとマルがキッチンに戻ろうとする。僕はそれを呼び止めて、マルの目をしっかり見て言った。


「前みたいにさ。遊んで馬鹿みたいに笑って今日は楽しもう。僕がそんな風に一緒に遊べるのはマルだけなんだからさ。」


マルはすぐ顔をキッチンのほうに向けて


「臭いのは体だけにしとけよ。」


とだけ言い料理を再開した。心なしか少しその動きが軽快になったように思えたが、多分僕の気のせいだと思う。


こいつ刺されても文句言えないだろ。

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