エピローグ
チョーカーを着けて外出できるようになってから、俺も少しは働くことにした。バツばかりに働かせるのはバツが悪かったというのもあるんだが、いやシャレではないんだけどさ。
単純にずっとあそこにいるのが怖かったからというのもある。あそこから出られないままでいるとあとは一直線に落ちていくだけみたいで、少しでも抵抗したかった。
大地は意外にも何も言わなかった。バツがやっていた仕事ということもあって心配はないだろうということだ。
許可を貰えたと安堵してしまった自分やわざわざ許可を貰いに行った自分に少し嫌悪感すら覚えた。
そんな嫌悪感を我慢して、俺は自立するために働く。俺が自立できれば全部元通りになるはずだから。
元通りになるはずだったのに。
「稲城さん。休憩入るから代わりにちょっとレジ入ってくれる?」
商品を棚に出していると、いつのまに後ろにいた保科さんがそう声をかけてきた。ふっくらした体形で人当たりが良い人だから皆に好かれているが、その分この人に嫌われると仕事場でのデメリットも多い。以前追い出された人間もいるとかいないとか。
「はい。」
腕時計を見たら五時手前でどう考えても休憩の時間ではなかったが俺は素直に返事をした。サボりですか?なんて聞いたらその噂が本当かどうか身をもって体験することになるんだろうな。別にレジ業務が嫌いというわけではないがそれとは別にこういう人間にはイラつく。
この時間帯は主婦や帰り際の学生が来るので客が増え始める時間帯だ。そんな時間帯で勝手にサボり始めるこの人はどういう神経をしているんだろうか。
レジの方に行くと案の定、客が溜まっていたので急ぎ足でレジを開ける。列に並んでる客に声をかけてこっちに来てもらう。俺がレジに入ったのを見たんだから自分から来てほしいものだけど。
疲れと不条理のコンボで精神が乱れているのだろうか。何も悪くない客を心の中で急かしてしまう。
これはよくない。こういう時によくミスが出る。
レジ以外の業務だったら頬を自分で叩いて気持ちを入れなおしたり出来るんだが、客の前でそんなことをしたら奇行もいいところだ。
バイトといっても仕事だ。そこそこキツイ。人間関係も面倒くさいし、失敗したら怒られる。
帰りたいな。
家に帰って夕飯作って、大地が来るのを待って。あいつが帰ってきたら二人で飯食って話して。いつの間にか当たり前になった日常がそこにあるんだ。今日は何をされるんだろうな。
いや違う。ブンブンと首を振る。
驚いてこっちを見た客と目が合った。主婦だろうか。あまり着飾らない地味な服装で子供を連れている。火照った顔を隠すように俺は頭を下げて謝る。苦笑した客は商品の入ったカゴを持って行ってしまったが、それでも火照りは収まらなかった。
フーっと大きく息を吐いてから次の客のカゴを受け取る。流れ作業のように待たせたことへの謝罪を口に出してみるが、それが意味のある言葉には自分自身でさえ思えなかった。
「あ。」
不意に何かを見つけたような声が正面から聞こえる。客がいるはずの位置には愛が立っていて気づけば俺も同じように“あ”と彼女に答えるように言っていた。顔をほとんど見ずに接客していたから気付けなかったと少し後悔する。気づいたところでどうにか出来たわけでもないというのに。
気まずい気持ちはあったけど俺は黙って業務を続けた。今更俺からする弁解もない。かける言葉もない。
「無視とは結構な態度だね。」
いたずらっぽい笑顔で愛がそう言う。その笑顔がチクチクと俺の胸のあたりを刺してくるようだった。
「ここで働いてるなんて知らなかった。いつ終わるの?」
「六時半ぐらい…です。」
「お客さんに敬語使えて偉いね~。じゃ、待ってるから」
そう言い残して愛は行ってしまった。この時の俺の脳内にあったのはどうやって彼女から逃げるかという至極最低な思考だけだ。
「あのさぁ。普通に傷つくんだけど」
ちょうど裏口から出ようとした際、何故か愛がそこにいて俺は捕まった。
セーターの裾を掴まれてて振り払おうとしたら振り払えるかもしれないが、そこまでして逃げるのもな、と抵抗はせず止まった。
すぐ横に立って改めて実感したが、俺は愛より小さくなっていた。前は顔一つ分くらい俺の方が高かったのに今は若干愛の身長の方が高い。若干だが。
「身長抜かれちゃったか。」
「そんな気にすること?」
「男は気にすんだよ。」
「彼氏いるくせに男面するんだ。」
「彼氏じゃねえし。」
「じゃあ、マルにとってあの人はなんなの?」
そう訊かれてドキッとする。言い淀んで上手く言葉が出てこない俺を愛は少し困惑したように見続ける。
実際、一言で言い表せる関係じゃないんだと思う。
思い浮かんだ言葉はあれど、それを言ってしまったら俺のアイデンティティが崩壊するような気がする。大地に対して白旗を上げてしまっているようなものだと思った。
「まあ。どうでもいいけどさ。」
いつまで経っても何も言わない俺にしびれを切らしたのかため息をついてから愛はそう言った。
「マル。あの時のあれは本心で言ったの?本心であんなことをしたの?」
真剣な表情で愛は俺に問う。苦い記憶が甦る。俺ではなくバツが言ったことだったが、冷静に考えて俺では愛を幸せにできないというのは正しいと思う。愛はああ言ってくれたが今の俺では無理なんだ。
そしてここで未練がないわけではないことを言ってしまうと彼女に希望を残してしまう。誰も幸せにならない希望を。だから俺は首を一度縦に振って答える。
「本当だ。」
「ダウト。嘘つき。」
愛がこっちに指を差す。また心臓がドキッと音を立てた。
「嘘じゃねえよ。」
「じゃあ質問変えよっかな。私の事嫌いになっちゃった?」
一瞬、条件反射的に口が動いたのを無理やり止めた。感情を押し込めて俺は答える。
「嫌いだよ」
愛は目を一度くしゃっとするように閉じると、笑顔で言った。
「誰でもわかるような嘘つかないでよ」
俺はそれを肯定も否定もせず、下を向いた。下の方に見る物なんてないけどそこに存在するコンクリートは俺の心から色が飛び出てしまったのかと思うほど濁って見えていた。
前方に少しだけ見える愛の革靴が後ろを向いたのがわかった。それでも俺は顔を上げず俺はただジッと動かないように努めた。
「そこまで強情なら何も言わないけどね。じゃあお幸せに。」
最後に今までありがとう、と付け加えるとすぐにその革靴が見えなくなって、それからしばらく俺はその場から動けなかった。
気づけばコンクリートに水玉模様が出来ていた。濁った灰色とそれを濃くしたような色の2色で構成された水玉模様。
それが少し恥ずかしくて、早く乾いてくれないかななんて思った。
家に戻るとちょうど玄関のカギを開ける大地と鉢合わせた。
「おかえり」
と声をかけると
「今日はどっちかっていうと僕がそれを言うべきなんじゃないか。先に帰ってきたんだし。」
という風に少し考えてから答える。そこ気にするところだろうか。
俺は思わず苦笑してそれを見た大地は困ったように苦笑いした。変に抜けているところはいつまでも変わらないし、なんだかんだ大地には安定感がある。
これから先どう歪んでいったってそこだけは変わって欲しくないな、とも思ったが。
「大人しくただいまって言っとけよ。待っとけ。すぐ飯作るから。」
「ありがと。けど急がなくていいよ。疲れてるだろうし。」
実際、普段の大地に変わった様子なんてないんだ。本当に良くも悪くもいつも通り。動物園でぼーっとしてるパンダみたいなやつだ。
僕、人畜無害だよ。
と態度が主張してくる。なにかとこっちのことを気遣ってくれるし優しい。多分どこ行ってもこうなんだろうな。必要以上に人と関わることが少ないやつだから他の人間にはわかりにくいところがあるかもしれないけど。
まぁ俺だけが知ってるって考えたら悪くないのかもしれない。記憶を共有してるやつが一名?いることを除けば悪くない。
もしかしたら優しくしとけば俺も許してくれる。と思っているところがあるのだろうか。
少し、野菜を切る手を止めて考える。
それはないな。そこまでいい加減な男ではない。
その場凌ぎで臭くて甘い言葉を多用するクズみたいな一面もあるがその言葉を自分でもうだうだと気にし続けるようなやつだ。多分俺が許す許さないではなくあいつの心には一生それが残り続けるんだ。
あれ以降俺にも隠さなくなったのは、もう色々と引っ込みがつかなくなってしまったのだと思う。全てが振り切れてしまって自分にそう言う人間だと言い聞かせるしかないんだろう。実際そういう言動がたまにあるんだ。
だから出来れば、俺の独善的な願望でしかないんだけどそういったしがらみから解放してやりたい。だがそれには色々と問題があるのが現状だった。
ローテーブルに皿を出すと「ありがとう」という声が正面から聞こえる。なんとなく俺はそれで小っ恥ずかしい気持ちになって自然と口が開いた。
「残りものと安くなった総菜だけど。手抜きって言うなよ」
「この短時間で出来立ての暖かいみそ汁が出てて来るわけだから文句なんてないよぉ?」
「なんで最後若干伸ばしたんだ?おい。」
「手抜きって言って欲しいのか慰めて欲しいのか。迷ったんだよね。」
「そういうのは白状しなくていいんだよ。」
大体二十分ぐらいで夕食を食べ終わり、俺は食器を洗って、大地はその間に風呂に入る。
で、大地が上がったら今度は俺が風呂に入って歯磨きとかも済ませて、となると十時前になっている。
部屋の中央のローテーブルをどかして敷布団を二枚並べているわけだが、大体この時間は二人でテレビ見たりゲームしたりで時間を潰すんだけど。今日は見たい映画がやっているとのことだったので、たまたまテレビの方だった。
ストーリーに関してはあまり出来の良いものではなかったが、アクションはいうことなしで迫力があって総合的にはそこそこ面白いような感じだった。それこそテレビでやってたら見るかもという感じ。
十一時手前、エンディングロールが流れ出した時に大地が口を開く。
「僕より帰るの遅いのって珍しいよね。何かあった?」
俺を抱き込むようにしてソファに座っているから表情が見えない。そして低いトーンでそんな言葉が発されたので体の奥がぞわぞわとするような感覚に襲われる。
俺の脳裏に愛との会話が流れる。それを赤裸々に語れるほど俺の中では消化できていない。
少し突き放すような感じで
「別にお前には関係ないだろ」
と俺は言った。言ってしまったという感覚だった。
またやってしまった。体が持ち上げられたかと思うと、ゆっくり布団の上に降ろされる。
形として抵抗してみるものの何かが変わるわけではなかった。
「それは何かあったって認めてるのと同じだろ。」
「何もねえって。そもそもあったとしてなんでお前なんかに言わなきゃいけないんだ。」
はあ、とため息が聞こえる。ため息なんだろうか。耐えられなくなった興奮を吐き出したのかもしれない。
少なくともため息をするような憂鬱な表情をしているようには見えなかった。
「欲しがりだな。」
今日は奇しくも首だった。一番最初と同じ。
「クソ。大嫌いだお前なんか。一生許さねえからな。」
それが自然なことであるかのように口からそんなセリフがすっと出てきた。
許さないというのは半分本当だ。正直思い出す度に殴りたくなる。嫌いというなら親友をこんなふうにしたあげく、その歪みをさらに大きくしてしまいそうな自分が一番嫌いだ。
元に戻って欲しいといいつつ、もうポーズでしかそういう姿勢を取れなくなってしまっている。
大地は小さく笑う。俺はお前の期待通りに出来ているんだろうか。出来てたらいいな。
首筋に置かれた手に少しずつ力が入っていく。酸素の通り道が少しずつ狭くなって呼吸が困難になっていく。
首を掴まれて顔の向きが固定されてるので大地の顔しか見えない。狂喜に満ちた顔。
最初にバツの首を絞めた時と同じ顔だ。あの時、羨ましかったんだ。大地を満足させられるバツが
けど今はその役割を俺がしている。今、大地の欲を俺が埋めている。それがたまらなく俺は嬉しくて、快感が忘れらない。今の俺はどんな顔をしているんだろうか。それが表情に滲み出ていないか心配になる。
首から手が離れ、本能的に求めていた酸素を吸い込む。自然と呼吸は荒いものとなっていく。
「ごめんなさいは?」
俺は必死に息を吸い込んだ後ごめんなさいと、大地に言った。何度も何度も
大地に、愛に、もう全部が申し訳なくて。ごめんなさいと言う度に目の辺りが熱くなった。
「よくできました」
耳元で囁かれて、体の奥がまたぞわぞわとする。正直これは嫌いだ。自分が情けなくなる。
そして酸素を求めて大きく開いた口を無理矢理大地に塞がれた。舌が入ってきて頭がボーッとしてくる。幸せな気分になれるのでこっちは好きだ。
俺たちは多分この流れにあとは身を任せるだけで、あとはもっと大きく歪んでいくだけなのだろう。既に大きくなりすぎたこの歪みが元に戻ることはないんだろうな、となんとなく俺はもう覚ってしまっていた。
インコです。ここまで読んで頂いてありがとうございます。これにて本作は終了となります。まあ一応おまけはありますが個人的には蛇足かななんて思ってたりもします。
ここからは後書きというか書いてて思っていたことや皆様への感謝をただ書いていくだけなので興味無い方は読み飛ばしてください。
後悔していることが1つあります。ジャンルについてですね。ジャンル付け間違ったかなとかちょっとジャンル詐欺に近い形になってしまったかなとか思っていました。最初はホラージャンルとして投稿してたんですが1話を投稿したあとに、これでホラーは無理があるなと感じたのでコメディに直したんですけど、イマイチしっくりこないまま終わってしまいました。
あとは感想についてですね。返信をほとんど出来ず申し訳ありませんでした。感想を頂いてテンション爆上がりした結果ネタバレとか展開の匂わせをしてしまいそうなのと、あと単純に私自身の人格が難ありで読者の皆様を不快にしてしまいそうで返信を自粛していました。感想には全て目を通してましたし大変励みになっていました。本当にありがとうございます。
誤字脱字報告についてもですね。今作誤字脱字非常に多かったです。本当に申し訳ない。
誤字脱字報告非常に助かっていました。
他にもお気に入りやブクマの追加、評価、いいねなどなどつけて頂いてありがとうございました。皆様の支えのおかげで本作を無事終わらせられました。
最後に改めて支えてくださった読者の皆様に感謝を伝えて後書きを終えようと思います。短い間でしたがご愛読ありがとうございました。