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女は戸惑いながらもこちらを、マルを見つめる。現実を飲み込むことができず口に含んだまま、しかしその目には何か確信めいたものが見え隠れしている。


何か既視感があると思った。


少し考えて一か月前の自分も似たような感じだったのではないかと思った。まぁ、それだと僕は僕を見ていないわけだから既視感とはまた違ったものなのかもしれない。

しかし目に映る現実が自分の直感とは相反するあの感じを多分目の前の女は今体感しているんだと思う。


唐突に女が“え”と短い声をあげる。それと同時に女は僕の後方に走り出す。

女の方に気を取られていて気づかなかったが、後ろを向くとマルはいなくなっていて女の走り出した先に遠くにいる少し小さくなったマルが見えた。


「ちょっと待ってよ」


女の叫び声が響く。それを見て周りもざわつき、周囲の視線は二人に注がれている。

呆気に取られて数秒間動けなかった僕は、ハッとしてマルが持っていた、多分服が入っているだろう紙袋を持って二人を追いかけた。



僕が女に追いついた時には、もう既にマルの姿がなく見失った後だった。

女が荒い呼吸で周りをキョロキョロと見渡している。

鬼気迫る表情だったので少し抵抗はありつつも、僕は恐る恐る彼女に近づいて話しかける。


彼女はこちらを向いて眉間に皺を寄せたあと、


「あ、さっき一緒にいた人?」


と訊いてくる。


「まぁ、はい。そうです。その、あなたは?あいつのなんなんですか?」

「彼女です。いや、そもそも、なんか女装してましたけどあの人元々男で?いや、身長も縮んでた?なんか私もよくわかんなくて。

…というかあなたこそ誰ですか?今マルはどうなってるんです?」


彼女も混乱しているようでそんな要領を得ない返答が返ってくる。

そういえば彼女と別れて音信不通になったとマルが最初に言っていたの思い出した。マルから連絡を絶ったので正しくは音信不通にしたと言うべきなのかもしれないが。改めて見ると確かに大学で見たことのある顔のような気もする。

一方的に別れられていきなり連絡が途絶えたのだから彼女としてもマルに対し色々思うところがあったのだろう。怒りを覚えたのかもしれないし、相当心配したのかもしれない。それが彼女の必死さに表れている。


しかし、だからこそ僕は悩む。勝手にマルのことを彼女に話していいものかと。

彼女にその話をした時、彼女が何を思って何を行動するのか付き合いのない僕にはわからない。なにより彼女を巻き込まないことをマル自身が最初に選んだ。

ここで勝手に僕が話していいものではないように思える。


「僕は…友達だよ。」


迷った結果、僕はそれしか言えなかった。というか何を言えばいいかわからずになんとか絞り出した言葉がそれだった。

少し間を空けて彼女は僕のことを見続ける。そして少し笑ったかと思うと


「あの娘がマルってことは否定しないんだね。」


と言った。思わず僕は声をあげる。その反応もまた彼女に確信を与えてしまいそうで、僕は内心しまったと叫んだ。

確かに彼女的にはマルが本当にあの姿であるという根拠が直感以外になくて、半信半疑みたいになっているところはあったんだろう。そこでカマをかけたんだ。


いや、勝手に墓穴を掘っただけだが。


「もしかして君大学一緒だった?見たことある顔…というかマルと一緒にいたとこ見たことある気がする。」


猛烈な勢いで彼女は色々と思い出し始めている。これは良くない。すこぶる危険。

もしかしたら隠し通すことが出来ないかもしれない。


「私の彼氏を可愛くしちゃったのも君?」


懐疑的な視線が向けられる。そんなわけないだろうと否定したいが何を言っても信じてもらえなさそうな気がする。

視線が勝手にあっちこっちに向く。彼女を直視しないように、彼女の疑いの目線から逃れるように。


「黙ってちゃわかんないんだけど」

「いや、断じて違う。僕じゃない。」

「じゃあなんであんなことになってんの?」

「それは言えない。」

「怪しすぎるよ君。」


完全に彼女のペースで会話が進む。このままでは話すまで帰してくれなさそうな勢いだ。一度深呼吸をする。自分の心を落ち着かせる。


「正直、勝手に話していいか迷ってるんだ。話せないからマルもあなたから逃げた。それを僕が勝手に話すと言うのは違うと僕は思う。あなたが必死だからこそ僕も揺らいでいるけどね。」


驚いたような顔で彼女はこちらを見る。


「…そうだね。確かにそうかもしれない。けど、ここで何も聞けなかったらマルとまた会えなくなるってことでしょ。話も聞けずに。だから話してくださいよ。

どうかお願いします。」


彼女は頭を下げる。周りの目線が集まる。

ここで断ったとして要望が通るまで彼女が頭を下げ続けるのは容易に想像できる。それが羞恥心と合わさって話してしまいたくなる。


しかし僕はそれに抗って口を開く。


「僕の連絡先を渡します。あいつと話してから後から連絡を送ります。

それで今日は勘弁してください。」

「なんで」

「僕から話せることはないです。マルのためにも今日は帰ってください。」


冷たく言い放ち僕の強い決意を態度で示す。彼女が断っても無駄だろうというぐらいの必死さを見せるなら僕も同じことをするだけだ。そこに後で連絡するという妥協案をいれる。

彼女としてはもうそれに縋るしかないはずだ。


彼女はその後少し渋ったものの、最終的に連絡先を交換して帰った。


「絶対に連絡して。何もなかったら恨むから。」


彼女は最後にそう言うとどこかへ歩き去っていく。僕は無言でその背中を見つめ続けた。

彼女の背中が完全に見えなくなったころに僕のスマホが鳴る。画面にはマルから送られた“先に帰る”という短いメッセージが表示されていた。




流石に跡をついてくるようなことはしないだろうが、何かと後ろを警戒しながら僕は家まで帰った。

ドアを開けてただいまと言ってみてもなにも言葉は返ってこない。

先に帰ってるというメッセージからもう家に着いてるもんだと思ったがいないのだろうか。

いや、耳を澄ますと何か聞こえる。ゆっくりと一歩を進むたびにその声は少しずつ近くなっていく。


居間は電気も点いておらず、閉まり切ったカーテンから暗くなり始めた外の光が多少入ってくる程度だった。ソファの上にはうつ伏せにになって肩を震わすマルの姿があり、クッションに押し付けている彼の顔からは玄関から聞こえていたすすり泣くような声が聞こえる。


今、声をかけるのは違うと思った。正確にはどう言葉をかけても上手くフォローが出来ないように思えて。僕はゆっくりその場に座った。何もせずマルが立ち直るのを待つことにした。


「あのさ」


と、完全に座り切る前にマルが声を出す。


「なんで何もしないで座るんだよ」

「気づいてたんだ。」

「ただいまって言ってたろ」

「確かに。」


論破された。というか、思ったより余裕がありそうだ。

マルは口をとんがらせてこっちを向く。ウソ泣きだったのかとも思ったが目はしっかりと腫れていた。


「ほっといて欲しいのかなって。あと普通にテレビつけたり家事するのもデリカシーないかなって」

「お前ならなんか言ってくれると思ったんだよ」

「メンヘラみたい」

「三年の付き合いなんだからとっくに気付いとけよ」


そう言ってマルは笑った。

さっきまで泣いていたのは自分の気持ちや過去の行動を内省していて今はもう清算しきったのかもしれない。そう推測できるぐらいにはいつも通りで、むしろいつもよりおちゃらけた態度だった。傷ついてる時ほど大丈夫だなんだとごまかして気丈に振る舞うからそれもあるかもしれないけど、スッキリとしたというような印象を僕は強く感じたんだ。


「俺さ。愛に会うよ。会って全部話す。」


しばらく笑ったあと、もう決意が固まったのかなんの淀みもなくマルはそう言い切った。

メッセージアプリや発言から察するに愛というのはマルの彼女のことだろう。彼女に会って全て話すということをマルが決めたんだ。なにも悪いことはない。

悪いことはないはずなのに。何故だろう。その発言に何かもやっとしたものを感じる。喉に魚の小骨が刺さって取れなくなったような感じで、何かがつっかえている。


「大地?」


マルがこちらを覗き込む。邪魔なものを理性で抑え込み表情を直す。


「あぁ、いや。さっき逃げちゃったのに大丈夫かなって。」

「んー。びっくりして思わず逃げちゃったけど、俺がケジメをつけなきゃいけない問題には変わりないし黙ってて悪かったなとも思った。けど少し嬉しい部分もあったんだ。俺って気づいてくれて。」


そういうマルの表情は本当に嬉しそうでこの言葉に嘘偽りなどなにもないことがわかる。


「もちろん俺がしたことって最低だし許してもらえるとももらおうとも思ってない。けど本当に嬉しかった。だから全部俺が思ってることを伝えて、謝って、せめて愛が納得できる形で終わらせなきゃいけないんだ。」


使命感にあふれた爽やかな、憑き物が落ちたような顔をしている。マルにとって彼女は大事な人間なのだろう。だから傷つくことを恐れ逃げまわった。しかし、その恐怖を乗り越え今彼は希望持っている。

僕以外にわかってもらえた、気づいてもらえたという希望を。僕以外の人間で感じている。人間として抱えていた呪縛を、弱さを克服しようとしている。というのに、なぜ僕は心の底から喜べないのか。


「けどどうやって連絡しよう。ブロックしちゃったし。」


そんな僕をよそにマルは呑気にそんなことを言う。自己嫌悪しながらも僕はそれをまた表情に出さないようにして話した。


「僕が連絡先交換したから。」

「…お前愛が好みだったりする?」

「は?綺麗だとは思うけどお前のためだよ。寝取り趣味なんかないって。」

「…あ、そ。助かる。」


助かると思ってるならその顔どうにかしなよ、と言いたくなるくらい一気に顔が険しくなる。そのままマルはそっぽを向いて続ける。


「もしもだけど。多分ないと思うけど、ヨリを戻せたら大地はどう思う?」


マルが彼女と再び付き合いだしたら?それは、マルにとって僕より信用できる人ができるということではないだろうか?マルが弱さをさらけ出せる、全てを預けられるという唯一性が僕から消え去ってしまうのか?


さっきまでもやがかかっていたものがハッキリと見える。リアルにそれが想像できてしまってハッキリ見えるようになった。そして辟易する。僕は何を考えているんだ。


マルが幸せなら、決めたことならそれでいいじゃないか。こんな歪みを、友達にぶつけていいわけがないんだ。


「別に何も。良いことじゃん。」


僕はそう言えて少し安心する。あんなものが口から出てこなくて心底安心した。

そう。僕はそれでいいんだ。


「…そうか。だよな。バツもいるしな。俺が愛とイチャイチャしてもいいよな。今更後悔しても遅いからな。お前の前でイチャイチャしてやる。今までされてたことやり返すだけだから」

「しょうもな」

「それより愛怒ってた?」

「怒ってるは怒ってるんじゃない。心配もしてたと思う。だからヨリ戻せるかどうかはともかくしっかり謝りなよ。さっき自分で言ったでしょ?

許してもらえないと思うけど納得できる形で終わりたいって」

「確かにそうだな」


そう言ってマルはまた笑った。男だった時から度々見せる屈託のない眩しい笑顔。それが裏表のないように見えて、僕がマルを尊敬できる一番の理由。彼がこの笑顔を保てるなら、それがいいんだ。


「ありがとな。大地がいてくれて本当に良かったよ。」


ただ、さっきみたいなことを考えてる僕にはそれが少し眩しすぎる気がした。




連絡をとりあい、お互いの日程を擦り合わせて一週間後に僕ら二人は愛と再会した。

正直僕は着いて行かない方がいいんじゃないかと思ったがマルが付き添いでついてきて欲しいというので僕も行くことになった。

近くの喫茶店に集合ということで、先に着いた僕らは時間つぶしに飲み物を頼んだ。


僕はコーヒー。こういう時に豆がどうとか騒ぎ出すわけもなかったが、マルが好きなコーヒーを頼まないのは意外だった。

緊張して喉が渇いているのか冷たいお茶を大きいサイズで頼んでいる。

口数も少なく、窓の外を見ながらストローでそれを少しずつ飲んでいた。

そうして待っていると予定の時刻ちょうどくらいに愛がやってきて、


「デート前とかいつも私より先に来るの変わってないね」


とマルに言いながら座った。マルはこくりと頷く。なんというか借りてきた猫みたいだななんて思ってしまう。


「この前は逃げられて悲しかったよ?」

「ごめん」

「今日は話してくれるんだよね?」

「話すよ。全部話す。そっちこそ信じてくれるか?」

「その姿をマルって信じれてるんだからなんでも信じるよ。」


愛のその言葉を聞いて、マルは話しだした。

突然女になったこと。この姿で気づいてくれたのが愛と僕だけだったこと。愛に気づかれないのが怖くて会えず連絡を途絶えさせてしまったこと。全てを話した。

それを僕はもちろん、彼女も黙って聞いていた。どこかで茶々を入れたり、疑ったりもせず黙って何度も彼女は頷いた。


「今思えば、俺は愛にかっこ悪い姿を見せたくなかったんだ。けど大事な人に隠さずに伝えることも必要って知って、愛には悪いことをしたって思う気持ちが大きくなってって、余計に会えなかった。全部、恐怖に勝てなかった俺の身勝手な理由だ。本当にごめん」


マルは深く頭を下げる。

愛はそれを数秒眺めたあと、顔を上げるように言った。


「私もこんな風になってるって思わなかったししょうがなくない?マルは悪くないよ。」


そう、あっさりと愛はマルを許したのだった。


「けど俺は、」

「くよくよしないの。私が許すって言ってるんだから。まあ相談もなく消えたのはムカつくけどさ。それともマルは私のことが信じられないくらい嫌いになっちゃった?」

「それは…そんなことないけど」

「でしょ?じゃ、いいじゃん。また前みたいに付き合おうよ。」


これもまたあっさりと言う。もしも、と話したことが現実に近づいてきているのを感じた。


「俺、今は体が、」


マルは戸惑ったようにそう言う。実際ヨリを戻せたらとは言ったがこんなにトントン拍子で進むとは思ってなかっただろうからこうなるのも当然と言える。


「やることは変わんないじゃん。二人で会ってデートするだけ。男も女も関係ないよ。それに私はマルと離れたくないよ。ここで別れたら本当に許さないから。」


そう言って愛はマルをじーっと見つめる。そしてマルは、一瞬。一瞬だけどこっちを向いた。向いてしまった。それが僕の目線とピッタリ合って、何か音がした。


カチっ


という音だ。気づけば僕は白いチョーカーを手に持っていて、気づけばマルは背もたれにもたれかかって全身から力が抜けてしまったように見える。


衝動が理性を上回った。その結果がこれだ。何か慌てている彼女なんて目に入ることもなく僕は唖然として手に持ったチョーカーを見つめ続けた。


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