4話 雪と教師と精霊、それから少年
散々。
今日一日はその一言で表せる。
まじないには、やっぱり運気上昇の効果はなかったみたいだ。
気絶したいなぁなんて考える私の前には、難しい顔をしたイルヤ先生。胸部に大きな二つの果実をお持ちの先生だ。
ちなみに、あの美少女はアールグリィス一説教が長いコーダ先生に連れていかれた。
私がガレーシア先生に制服を預けることになった理由の先生だ。
今、私はイルヤ先生とともに校庭の端っこにいる。服は魔法で乾かしてもらった。
理由は簡単、立てないからだ。
腰が抜ける、なんて初めての体験で驚く私をイルヤ先生が抱っこして運んでくれた。
初めてのお姫様抱っこは、驚きやら恐怖やらで気づけば終わっていた。もともとそんなに距離は無かったことも理由の一つ。
「……にしてもなんであの子はあんなことしたんだ」
事情、というほどのことでもないけど、何があったのか説明したら、首をかしげてしまった。
当事者でさえほとんど何も理解できていないのだから、当然だろう。
あの少女についてはコーダ先生が話を聞いてくれているけど、なんとなく、何もわからないのだろうなと思った。
下を向いたまま、ため息を吐く。
蟻のような形の、知らない名前の虫が列を組んで歩いている。
「お。始まったな」
蟻擬きの行列から視線をあげると、緑色の光の柱が立っていた。
生徒はばらけて集まっている。あれは何を基準にした集まりなのだろう。
しばらくすると、緑の光の柱のほかに、赤や黄、青など、様々な色の光の柱が各所で立ち上がった。
……綺麗だなぁ。
そういえば、今、生徒たちは何をしているんだろうか。
なにか響いていたけど、心を落ち着かせることやお姫様抱っこの衝撃で聞いていなかった。
ちらりとイリヤ先生の横顔をうかがう。
じっと生徒たちを見つめる先生の黒い目が、今はいろいろな色に染められていた。
「あり?もう始まってんの?」
「っ……!?」
びっくりした。……びっくりした。
落ち着いたはずの動悸が、再び激しくなる。
後ろから聞こえてきた声の主を見ると、男の子が窓から顔を覗かせていた。
「ヴァル・ダーグマー。貴様、よく顔を出せたな」
「俺、契約精霊いるし、サボってもよくない?」
「良いわけあるか。さっさと出てこい」
「―――こいつは受けなくていいのかよ」
金色の目が私を映した。
吊り上がった眦の、気の強そうな目は、何かを訴えてくる。
きらきら、きらきら。
瞳が輝く。
まるで見逃すなと言われているみたいに、その瞳は一秒ごとに輝きを変えた。
「そうだな……ユキ・クルシェット」
「え、はい」
ビクっと肩を揺らした。
先生の声は落ち着いたものだったけど、金色に気を取られていたから。
「立てそうか?立てるなら説明してやるから道具を借りてこい」
「はい」
「じゃあ、俺補佐な」
「だったら降りてこい」
二人の話を聞き流しながら、いつもよりもゆっくりと立ち上がる。
……良かった。なおったみたい。
道具、といっても話を半分も聞いていなかった私には何を持ってくればいいのかわからない。
道具を貸してくださいといえば、向こうで何とかなるのかな。
でも、わからないって言われてしまったらそれまでだし、今聞くのは……
「お前はそれなりに魔力があるんだ。もう一匹くらい余裕だろう」
「できっけどだりぃじゃん。魔法陣描くのも精霊養うのも」
「常に顕現させているからだ。リア・リーディアで待機するよう言えばいいだろうに」
「あいつらこっちで暮らしたがるんだよ。飯目当てにさ」
荒々しい野性的な雰囲気をまとった彼は、たぶん、口調や先生への態度からして似たような性格なのだろう。
私が苦手とする、典型的な悪ガキやガキ大将によく似ている。
結論、無理。
会話の邪魔はできないし、割って入る度胸も無い。
諦めて運に任せよう。
人口密度の高い方に歩き始める。
ちなみに、リア・リーディアとは精霊たちが暮らす世界のこと。
世界と言っても、異世界ではなく、あくまでイルティナの理の中にある、この世界という言葉の一部だ。
大きな袋がイルティナの理だとして、その中に入っている赤い球がリア・リーディア。白い球が人間たちが生きているニーディール。私の世界は、おそらくイルティナの理の外なので、袋の中には入っていない。
マンションの三階の305号室、みたいな。
そんな感じでこの世界は構成されているらしい。
「あ、クルシェットさん。もう落ち着いた?」
「はい。もう大丈夫です」
「それはなによりです」
あまり表情が変わらないゾシュラン先生は、ちょっと怖い。
時々目が死んでいることもあるし、唐突にテンションが上がったり下がったりする。
声のトーンはわかりやすいから、初めて先生の授業を受けたときほどは怖くないけど。
「はい。やり方はイリヤ先生に聞いてください」
そう言いながら手渡されたのは両手いっぱいの魔石。
磨かれる前の原石みたいな石のほかに、何かの植物の枝も渡された。
植物が持つ魔力は感じるものの、それだけだ。
つまり、何の変哲もないただの枝、ということになる。
意図が掴めず、周りを見ると、なるほど。地面に魔方陣を描くのに使うらしい。
確かに足で描いたらガタガタになってしまうし、靴も汚れる。
私の困惑も納得も筒抜けだったようでゾシュラン先生は「ご理解いただけたならなによりです」と言った。
「ありがとうございまっ……!?」
「ウギャアァ」
言い終える直前、何かが頭の上にのしかかった。
しかも、結構重いし、赤ちゃんの泣き声に似た音を発している。
びっくりした。怖くはないけど、心臓に悪い。
「ウギャァ、ウギャアァァァ」
「サーガーラ、ですね」
「サーガーラ?」
「正確には子どものサーガーラの精霊ですね。……失礼」
先生は私の頭の上の生物をひょい、と抱き上げた。……虎?
「ああ、やっぱり。誰かと契約済みだ」
虎擬きを抱え直して、その前足の裏を私に見せてくれた。
高そうな黒いソファみたいな肉球の上には、淡く光る赤い紋様が刻まれている。
「契約早々に契約者から離れるなんてあるんですか?」
「まったくないわけじゃない。が、精霊というものは、自分が気に入った魔力の持ち主と契約する。だから他人にはあまり懐かないし、主人と一緒にいたがる。クルシェットさんがこのサーガーラの精霊の主人の魔力に似ているか、それより好みの魔力なんでしょうね」
「それは、なんというか……」
人によっては、結構な面倒ごとに発展しそうな気がする。
もし、ありえないけど、この虎擬きがさっきの少女の契約精霊だったとしたら。
……今度こそ殺されてしまう。
彼女じゃなくても、もめごとに発展する可能性は大いにある。
無言で一歩下がった私に先生は乾いた笑いをこぼして、
「まあ、頑張ってください」
応援してくれた。死んだ目で。
さっきまで普通に話していたはずなのに、何故。
こういうところが怖いのだ。
「私が返しておくので……」
そう言うと虎擬きの精霊が暴れだした。
先生が虎擬きを見て、私を見る。
「押し付けませんよ、こんな爆発物」
精霊を爆発物扱いした先生は、虎擬きが嚙みつく手でしっしっと私を追い払う。
嚙みつかれ……というか、ほとんど食べれているけど本当にいいのかな。
もだもだする私は、先生の眉間に皺が寄ったのを合図に頷いた。
先生はそれを確認すると、私に背を向けた。
「ありがとうございます」
さっき途中だったお礼に、いくつか含むものを増やして感謝する。
私も先生に背を向けて歩き出した。