3話 雪と美少女
昼はお弁当を食べ、午後からの授業が始まる。
今日は一年生全員で行う合同授業だった。
集合場所は校庭。
今までは、体育以外は座学しかやっていなかったから、こんなふうに教室以外で授業をやるなんて初めてだ。
そわそわと落ち着かないクラスメイトや、他クラスの生徒を見ていた。
そして、彼女が現れた。
ざわめきだす生徒たちに紛れて、私も彼女に見惚れていた。
私には「あの子可愛い」「魔法人形みたい!」なんて言いあえる友人など皆無なので、一人ほぅっとため息を吐いていた。ちなみに前にいた少女たちの会話だ。
柔らかそうなこもれび色の髪に、赤ちゃんのように無垢な熟れた苺色の目。
お人形さんみたいだと思った。
小さくてふわふわしていて、抱きしめたくなるような、守ってあげたくなる女の子。
もう何も怖がらなくていいんだよって、たくさん泣いていいんだよって、甘やかしたくなる。
……初対面の人になにを考えているのだろう。
ああ、きっと、そのぱっちりした目が妹のそれと重なったのだ。
あの日まだ小学生だった彩は、今はもう中学生になっているのだろうか。
誕生日も入学式もお祝いしてあげられなかった。
淳は大丈夫かな。
あの子、彩にはお兄ちゃん扱いしろって言うくせに、本当はそういうの苦手な寂しがり屋だから、昔はよく彩と喧嘩して泣かされていたっけ。
お父さんはちゃんと休んでるのかな。無理してないかな。
みんな、元気でやっていけているか、心配だ。
うわぁ……久しぶりのホームシック……。
泣きそうになるのを、別のことを思い浮かべて気を逸らす。
そう、半年前にリコが謎の三角関係に巻き込まれていたときの話、とか。
ここでの思い出を思い出すほど気が遠くなって、いつの間にか寂しさや恋しさよりも疲れがどっと溢れてきた。
リコは結構、巻き込まれ体質なのだ。
「おねえ、さま……?」
前を通り過ぎようとしていた美少女が不意に足を止めた。
そして、くるんとこっちを振り返る。
突然振り返った少女に、こちら側で壁になっていた生徒たちは期待していたのだろう。
少女がまぁるい目をさらに丸くして「お姉様」なんて言うものだから。
もしかしたら私が、とか思ったのかもしれない。
きっとあっちの世界でなら、私もその中の一人だった。
でも、ここで美少女と知り合ったところで何になるんだと、思っていた。
彼女と目が合うまでは。
吸い込まれそうだった。
美しいのはもちろんだけど、そうじゃなくて。
そうじゃない何かが赤い瞳の奥に渦巻いていて、私はそれが何なのかよく知っている気がして。
目を背けてしまいたいのに、背けるどころか呼吸さえできているのか怪しくて、苦しかった。
恐ろしい、苦しい、懐かしい、苦しい、美しい……狂おしい。
いつの間にか視界はゆらゆらしていて、自分が泣いていること気づいた。
脳が正常に戻ったことに安堵しながら、ぽろぽろとこぼれる涙をハンカチで拭う。
まあ、すぐに拭うものすらなくなってしまったのだけど。
バッシャーンという音と、頭頂部にかかった重さ。
気づけば私は全身びしょ濡れで、茫然としていた。
そうしてあの言葉を言われたのだ。
「あんたなんて死ねばいいのに!!」
―――と。
もう何が何だかよくわからない。
周りは濡れた私に視線を向けたり、怒り狂っている美少女に視線を向けたりして、困惑しているのがわかる。
死ねばいいのに、なんて、生まれてこの方十五年と数か月。言われたことは一度もなかった。
だから、怒ればいいのか、諭せばいいのか、わからない。
混乱しているからかもしれない。いや、確実にそうだ。
家族にそんなこと言われたら、たくさん怒って、たくさん泣くだろう。
冗談ではなく、美少女みたいに言われたら、本当に死んでしまうかもしれない。
想像しただけで辛くなる。
「なんでこんなブスなの!自己管理もできてなさそうな、女として死んでるブスに!」
ブスブスと連呼しないでほしい。
別に不清潔でも太ってるわけでもないのだ。
美少女みたいな女の子と比べたら、あっちの世界のクラスで一番可愛かった女の子だってブスになってしまう。
だいたい、美少女に普通の子の気持ちなんてわからないだろうに。
人を傷つける言葉を言い連ねる少女に、眉を寄せた。
「認めないわ!」
「絶対絶対認めないから!」と、子供の癇癪のように少女は言う。
キッと睨みつけてくる少女の目には、殺意にすら見える怒りがあって、私の体は竦んでしまった。
よくわからない罵倒混じりの言葉を叫ばれたところで、私には何もわからないのに。
どうしようもないじゃないか。
そう思う反面、彼女が私の理解など望んでいないことは容易に理解できてしまって。
きっと、私の存在自体が気に食わないのだろう。
私は彼女の親でも殺したのか。
そう思ってしまうくらいには彼女の目は私を殺したがっていた。
「―――プラシーミ・リピフィトー」
ブワァっと嫌な寒さが体を包み込む。
呪文を唱えたのだ、と頭が理解するその前に、私は両手を前に出した。
次に来るだろう痛みに、反射的にぎゅっと目を瞑った。
キィー……ン、と耳鳴りがする。
ドッ、ドッ、と心臓が痛いくらいに鳴るだけで、体のどこにも痛みは無い。
目を開けると、ポカンと口を開けて呆ける美少女が見えた。
その間には、キラキラと粉のような光を降らしながら、光の壁が聳え立っていた。
そしてその壁には、瑞々しい葉っぱが何十枚も刺さっている。
ヒッと小さく悲鳴が出た。
この葉っぱは、害意が形になったものだ。
彼女が私を傷つけようと、……或いは、殺そうとした、その証。
恐怖か疲労か、息が荒い。
濡れた服に土がつくという最悪を気にする余裕も無く、地面に座った。
きっと効果音は、ペタンとかいう可愛い音ではなく、ドサッだと思う。重い荷物が落ちたような。
……何故私は、今、こんな自虐をしているのだろう。
激しく鳴る心臓も、荒い息も、全部無視して大きく息を吐く。
すると、フッと光の壁は消えて、葉っぱもすべて地面に落ちた。
「そこ!何をしている!」
突然響いた大声に、再び小さな悲鳴がこぼれた。
美少女はその声でやっと我に返ったのか、ハッとして前髪を整えた。
……あ。
ドシドシと地響きのような足音が聞こえてきそうな男の人がこっちに向かってきている。
私、何も悪いことしてないのになぁ……。