かくれんぼ
序
「もういいかい。」
「まあだだよ。」
はじまり
2021年。夏。蝉の声が頭上で騒がしい。長かった梅雨も明けて、今は夏真っ盛りである。某地方新聞社の都内支社に勤める葉山速は、ひとつの事件を追っていた。
「文芸賞も受賞した作家のIが失踪した。」
今から半年ほど前のことであった。作家、井内鋼が自宅から失踪した。井内は妻の栄那と暮らしていた。子どもはいなかった。
「警察の話だと、井内鋼は知人の女性と不倫関係にあったらしい。」
局長の草壁が言っていた。
「その女性は今、どこに?」
「都内の自宅だよ。」
女性の名は初戸遥。某雑誌社の女性編集者だった。
「井内鋼は雑誌の取材で彼女と出会ったらしい。」
その後、井内鋼は小説の取材旅行と称して遥と会っていたという。
「今回の失踪は彼女を連れてではないんですね。」
「そうだなあ。」
つながり
葉山は、初戸遥の自宅と思しきマンションを尋ねた。
「彼女はもう居ません。行き先も知りません。」
管理人はそう答えた。葉山が管理人室を出たあとも週刊誌の記者らしき人物が管理人室を尋ねていた。遥が勤めていた雑誌社にも寄ってみたが、同じ答えが返ってきた。
「(井内鋼と待ち合わせたか。)」
記者たちはこぞって彼女の行方を追った。
「(他を当たってみようか。)」
遥探しは困難を極めると思われた。葉山は井内鋼の自宅を尋ねた。都内某所の一戸建て住宅である。今は、井内鋼の妻、井内栄那が一人で住んでいる。警察へ捜索届けを提出したのも彼女だった。アポを取ると、彼女は会ってくれることになった。翌日、井内家を訪ねると室内は閑散としていた。
「どうぞお掛けになって下さい。」
栄那は薄手のブラウスにレースのカーディガンを羽織っていた。客室内はエアコンが強めに設定してあるようだった。栄那がアイスティーを入れてきてくれた。
「夫の不倫のことは週刊誌で報道されるまで知りませんでした。」
栄那はそういうとアイスティーを口にした。穏やかな口調だった。室内も綺麗に整理されている。情緒不安というわけでもなさそうであった。
「不倫相手の女性の方の行方も分からないようです。」
「そうですか。」
栄那は時折、遠くを見つめていた。彼女の後ろには、九十九里の海岸であろうか。そんな景色を収めた写真が飾られていた。
「警察にも散々お話しされたかと思いますが、失踪直前の鋼さんに何か変わったことはありませでしたか?」
栄那はふっと窓の方を眺めた。庭には青葉が燦々と太陽に照らされている。
「夫は小説を書いてましたね。いつものように。」
瞬間、栄那の口調が冷たく、暗くなるように感じた。
「タイトルは『隠れ鬼』でしたか?」
「ええ。」
鋼のノートパソコンは失踪時になくなっていた。自宅のパソコンにはバックアップデータが保存されていた。
「小説は未完成だったようですが。」
「夫は今もどこかで続きを書いているのかもしれませんね。」
続き
それから1ヶ月が経ったが井内鋼の所在は不明だった。
「『隠れ鬼』はかくれんぼのことですよ。」
葉山の同僚の小坂進が言った。
「井内鋼とともにノートパソコンは消えた。彼は今もどこかで執筆作業をしてるのかな。」
「何でわざわざ失踪したんですかね。」
「不倫が奥さんにばれたんじゃないのかな。」
「でも、奥さんは知らなかったんですよね。」
確かに、井内栄那は週刊誌で報道されるまで、井内鋼の不倫のことは知らなかったという。
「うすうすは勘づいていたのかもしれないな。」
「そういえば、葉山さん。これ知ってます?最近、話題のウェブ作家。」
小坂はパソコンを向けた。
「『prospecter.』?」
「小説投稿サイトに投稿してるアマチュア作家なんですけど表現力が、はんぱないみたいですよ。」
「ふーん。」
『prospecter.』の書いた小説を読んでみると、確かに見事な出来だった。人物設定や構成の仕方。アマチュアとも思えなかった。なにより、それらの作品を支える表現力が巧みだった。どこか見覚えがあるタッチだった。投稿サイトに連絡を取ってみたが、投稿者の個人情報は教えられないとのことだった。
「(この『prospecter.』の作品。海が舞台のものが多いな。)」
井内の自宅にあった。九十九里海岸の写真を思い出した。
終わり
週末、千葉県九十九里海岸へやって来た。サーファーの姿が散見された。タクシーを停めて、海岸近くの宿やホテルを回った。半年前から長期滞在している人物がいないかを聞いた。何軒か回って諦めかけたとき、ホテル『Exactly』から出てくる一人の男に気づいた。サングラスと帽子、マスクで顔を隠しているが、井内鋼だった。
「井内鋼さんですね。」
彼の泊まっている部屋に案内された。
「刑事さんではないんですね。」
井内鋼は開口一番言った。そして、ここにいることはもうしばらく黙っていてほしいと。
「どうして、失踪なんかされたのですか。」
「小説が行き詰まってしまってね。」
「『かくれんぼ』ですか。」
「まあ、そんなところかな。僕は若い頃はここでサーファーをしていたんですよ。」
大学在学中は、ほとんど毎日のように波に乗りに来ていたという。
「文芸賞を受賞してからはそんな暇もなくてね。」
「それで、一体、いつまでここにいるつもりですか。」
「もうそろそろですよ。」
「栄那さんには伝えてないんですよね。」
「ああ。週刊誌のこともあったからね。」
不倫報道のことはまったくの予想外だったそうだ。
「彼女とはそんな関係ではないのですが…。迷惑かけてしまったな…。」
井内鋼はタバコに火を点けた。
「それならお二人には早く説明した方が良いと思いますよ。」
とりあえず、あと1ヶ月間は報道しないという約束でその場をあとにした。
「しかし、あなたも『かくれんぼ』とはうまいことを言いますね。」
「ええ。」
「でも『かくれんぼ』って不思議じゃあないですか。あれは、隠れはするけど、心のどこかで誰かが見つけてくれることを期待している。その期待なしにはかくれんぼは成立しない。」
部屋を出るとき、井内鋼はそんなことを言っていた。
やりなおし
結局、葉山速が井内鋼のことを報道することはなかった。葉山が井内鋼を尋ねた翌週、彼はホテルの部屋で遺体となって発見された。自死だった。葉山はすぐに警察に井内鋼と会ったことを伝えた。葉山も聴取を受けた。
「失踪の理由は執筆中の小説が行き詰まっていたことと初戸遥との不倫関係にあるらしい。」
部内会議の場で草壁が報告していた。
「ホテルの部屋のノートパソコンに井内鋼の遺書らしき文章が打ち込まれていたらしい。」
デスクでは小坂が報道発表用の資料の確認をしていた。
「結局、小説は未完のままか。」
「あ。葉山さん。『隠れ鬼』は完結したみたいですよ。井内鋼のノートパソコンに続きが残されていたらしいです。」
「そうなのか。」
缶コーヒーを飲んだ。パソコンから小説投稿サイトを開いて『prospecter.』のページにアクセスしようとしたが作者によってアカウントが削除されたらしくアクセスできなかった。
「『prospecter.』アカウント削除しちゃったみたいですね。水曜の昼までは見られたのに。」
「水曜の昼?」
警察の発表だと、井内鋼の遺体が発見されたのが、火曜日の午後。死亡推定時刻は、月曜日の午後から火曜日の深夜とされていた。水曜日は葉山も警察で事情聴取を受けていた。
「『prospecter』って、どういう意味だ?」
「ちょっと待って下さい。ええと。『prospecter』って造語ですね。似た単語で『prospector(試掘者)』があるけど、スペルが違うから。」
小坂はパソコンとにらめっこしている。
「『prospect』が『予想、展望、見通し、期待』という意味ですから、『prospecter』は『期待する人』とかじゃないですかね。」
「『期待する人』か。」
まあだだよ
ウェブ作家『prospecter.』は井内鋼ではなかったのだろうか。それでは、葉山が九十九里で井内鋼を見つけたのも、井内鋼の遺体が発見された翌日に、アカウントが削除されたのも偶然なのだろうか。
「(なにか引っかかるな…。)」
今までの葉山の体験で何かおかしなところがあっただろうか。自宅のベッドで寝転がりながら考えていたら眠ってしまった。
「どうして、失踪なんかされたのですか。」
「小説が行き詰まってしまってね。」
「『かくれんぼ』ですか。」
「まあ、そんなところかな。僕は若い頃はここでサーファーをしていたんですよ。」
葉山は夢から覚めた。
「『かくれんぼ』?『隠れ鬼』じゃなくて。」
そういえば、ホテルでの井内鋼との会話の中で妙に何か噛み合わない感覚がした。
「(あのとき、俺は行き詰まっている小説のタイトルで『かくれんぼ』と言ったつもりだったけど、井内鋼は本当の『かくれんぼ』の意味で取っていたのか…?)」
「でも『かくれんぼ』って不思議じゃあないですか。あれは、隠れはするけど、心のどこかで誰かが見つけてくれることを期待している。その期待なしにはかくれんぼは成立しない。」
「(誰かが見つけてくれることを期待している。そして『prospecter(期待する者)』。)」
見いつけた
ピンポーン。インターホンが鳴った。ドアを開けると女性が立っていた。
「見つけてくれてありがとう。」
井内栄那だった。