20 女神に続く扉
「女神は三十年以上前からこうなる事を予測していたというのですか?」
エルディアの問いにフェイルは深く頷いた。
「この大陸ではありませんが、魔物が女神の結界を破り侵入した例は幾度か記録があるのです。いずれも人間による魔物の召喚です。ですが、それを引き起こしたのもまた、終焉の神の悪戯なのかもしれません。かの神は人の心を惑わすと言いますから」
予兆はあるのでしょう。
そう言って、フェイルは一つの古びた金属の扉の前で立ち止まった。
「ここがこの大神殿のちょうど中心です。この扉から地下へ降ります。ですが、おそらく女神に会う事は出来ません」
「どういう事だ?」
「女神はこの下に繋がる混沌の間に眠っていると言い伝えられております。この扉は鍵は掛かっておりませんが、これまで降りた者が帰って来たという記録はありません。一説によると、この世ではない世界、光と闇にわけられる前の空間があるとも。帰って来ないのは迷ってしまうのか、おそらくただの人間には存在できない場所なのでしょう」
「行ったら帰って来ないというわけか。とんでもないな」
ロイゼルドが頭を振る。
「扉を開けるだけなら大丈夫ですか?」
エルディアがそう尋ねると、フェイルは軽く頷いた。
「数年に一度は開いて扉を修理したりもしていますので、それは大丈夫です」
「やった」
好奇心満タンの顔つきで扉に手を掛ける。
「こら待て、俺が開ける」
慌てて制止し、ロイゼルドが代わりに扉の取っ手に手を掛けた。
引っ張るとギギギと重い音を立てて扉が動く。思ったよりもスムーズに開き、二人は中を覗き込んだ。暗い石の階段が吸い込まれるように地下へと続いている。
「すご………真っ暗」
暗闇からひんやりと湿った風が吹き上げてくる。確かに異界に続く階段と言われても不思議はない。
「ここを狙って来るんだろうか」
「神官長、これを扉に付けさせてくれ」
ロイゼルドが懐中から石のついた小さな腕輪のようなものを取り出す。
「それは?」
「アーヴァイン殿から預かった。魔物避けだそうだ」
受け取ったフェイルが扉の取っ手にはめ込んだ。
「気休めに過ぎないだろうが、神殿に何かあるとわかるようにもなっているらしい」
「あの子の発明品ですか。相変わらず色々作っているのですね」
『あの子』という言い方にとても優しい響きを感じて、エルディアはフェイルを見つめた。その視線に気付いた彼は、はにかむように微笑む。
「彼はとても賢くて面白い子供だったのです。私は彼が地方の教会で医術を学ぶと言って出て行くまで世話をしていました」
親代わり、そういうものだろうか。エルディアはあのサイコパスな師に、こんな優しげな育ての親がいたのかと意外に思った。
いや、いたからこそ今の彼があるのかもしれない。アーヴァインは性格的にかなりヘンテコな師匠ではあったが、確かに幼かった自分を正しく導いてくれた。
フェイルにもっとゆっくりしていかないかと誘われたが、ロイゼルド達は大神殿を後にする事にした。
目的は達した。女神を確認する事は叶わなかったが、神殿には確かにそういう伝承が残っている。それだけで十分だ。
「ねえ、どこ行くの?」
神殿を出て歩くロイゼルドにエルディアが尋ねる。
「観光」
ロイゼルドはそれだけ言って、エルディアの手を繋いだ。
神殿の前の広場を抜けると、街が広がっている。道の脇には露天の店も並んでおり、ロイゼルドは花屋の前で足を止めた。
白い薔薇を一輪買い、結ったエルディアの髪に刺す。
「お客さん、美人だねえ!こんな綺麗な子見た事ないよ」
代金を受け取った花屋の店主が明るい声を上げる。
「だろう?」
ロイゼルドがにこりと笑って見せると、店主は頬を染めた。
「旦那も男前で羨ましいね。剣を吊っているところを見ると、新しい領主様に雇われた兵士の人かな。どこから来たんだい?」
彼が新しい領主であるとは思いもしないのだろう。
ロイゼルドもあえてとぼけている。
「王都だ。以前はレンブルにいた。それより、聖地はまだよく知らないんだ。大神殿はもう行ったのだが、他にもおすすめの場所はないか?」
「それなら…………」
そう言って花屋の店主は、聖地観光では外せないという場所をいくつか教えてくれた。
建国の王ルーウィンの生家跡や誓いの泉と呼ばれる、彼が銀髪の剣士と友情を交わしたという場所を見て回る。
足が疲れたところで、薦められた食堂に入った。
「なんかデートみたい」
うきうきしているエルディアを呆れた目で見る。
「みたいじゃなくてデートだろう」
「そうなの?」
「他になんだと言うんだ」
「えへ」
おすすめのランチを注文して店内をゆっくり見る。人気店だと言うだけあって、昼は少し過ぎていると言うのにまだ客は多かった。
目立つ姿にあちらこちらから視線を感じる。慣れている二人は特に気にせず、運ばれて来た食事にありついた。川魚のフライとサラダ、それと色とりどりの果物が並ぶ。聖地は桃をはじめ果樹が多く、果物がたくさん採れるようだ。
「美味しいね」
「ああ」
「王都に来てから、こんなにゆっくりした事なかった」
「ん?そうか?」
よくリゼットと王都の街で遊んでいたと聞いていたが。
「ロイとは。いつも忙しそうにしているし」
前は遠駆けに行ったりしてたでしょう?ときかれる。そういえばそうだ。レンブルの森に遠駆けに行って、エルディアの竪琴を聞いた事もあった。
「そうだな。少しこのところ仕事を入れ過ぎていたな」
振り返って反省する。リアムに指摘されても仕方がない。
にまにましているエルディアを見て、フッと笑みがこぼれた。
本来ならば、エルディアはいつもこんなふうに平和に生活を送っていたのだろう。男に混ざって戦場に行くことも、人や魔獣と戦うこともなかったはずだ。友人や恋人と危険のない世界で暮らしていたはず。
本当はずっと、こういう暮らしをさせてやりたいのだが。
戦場を経験した者の中には精神を病む者もいる。死んだ友や自分が殺した敵の幻覚を見る事もあるという。それを考えると、この目の前の少女は強い。自分を戦いに向いていると評するのは、確かにこの心の強さもあるのかもしれない。
それでも、とロイゼルドは思う。
誰もが彼女にそれを望んだとしても、自分だけは覚えておかなければならない。
どんなに強くても、不死の身体であろうとも、人間には変わりないのだ。
守るものを失った時、彼女もまた壊れる。
食べ終えた二人が食堂の扉を押して外へ出た時、どこからか鳥の羽音が聞こえた。
それと、かすかに聞こえるこれは悲鳴だ。
誰かが襲われている。
顔を見合わせて、二人は声の方向へ走り出した。
道の角を曲がった時、それは目に飛び込んで来た。
灰褐色の巨大な鳥が翼を広げて空を舞っている。
その鳥は長い首、鷲のような鋭い爪と嘴を持ち、燃え盛る炎の様なオレンジ色の瞳をしていた。
それが若い男性を襲っている。
「大きい!あいつは何?」
「知らん。見たことがない」
ロイゼルドは走りながらスラリと剣を抜く。
エルディアは滑降する魔鳥を目掛けて風の矢を放った。
ギャッギャッギャ
翼を撃ち抜かれて魔鳥が鳴く。
「こいつ魔獣じゃない」
巨鳥を凝視したまま、エルディアが掠れた声で言う。
「アーヴァイン様が見せてくれた本の中に載っていた」
ヴェーラの話の後でアーヴァインは王宮の禁書庫にしばらく入り、闇の魔族に関する記録を探していた。そして、遠く西方の国から収集した精霊に関する辞典の様な本、その中に闇から創られた魔物と呼ばれる存在についてのページがあった。
これがそうだと言って師に見せられた本には、文章と共にさまざまな異形の動物の絵が描かれていた。
「ロイ………こいつは魔族だよ!」