15 噂
鷲獅子騎士団の団長の執務室がしばらく使用不能になったことは、騎士達の間で触れてはいけない話題の一つだ。噂では団長と婚約者である双子の妹の痴話喧嘩が原因だとも言われている。
とりあえず窓の修理が済むまで、別の部屋を執務室に使う事になった。
戦いにおいてはいざ知らず、普段は温和で可愛らしい彼女の怒りをかうとは、団長は一体何をしたのか。騎士達がこちらを見ながらひそひそと話しているのを感じつつ、廊下を歩いてロイゼルドは仮の執務室へ向かう。
部屋に着くと副団長のダリスが書類を抱えて待っていた。
「エルディア様と作成した訓練計画書とこちらはグレイ領に配置する予定の武器の一覧と騎士の名簿です」
「古城の修理は?」
「近日中には終わります。内装と、兵士以外を雇用するにあたって信頼に足る者に紹介を依頼しておりましたが、そちらからも返事が来ています」
「わかった」
机に座りながら書類に目を通す。
かたわらで立つダリスが思い出したように口を開いた。
「あ、あと、執務室の窓は一週間程度で修理が完了するそうです」
「…………了解」
ふーっと思わず溜息をつくと、ダリスがふふふと笑う。
「懐かしいです。アーヴァイン様がよくエルディア様で遊ばれていましたので。カエルを箱に入れて渡したり、蜘蛛をティーカップに浮かべてみたり………」
その度にエルディアに破壊される研究所の片付けは自分たちの仕事だった。
遠い目で過去を振りかえり懐かしく思っていると、ロイゼルドが低い声で彼に問う。
「俺がそんな事をすると思うか?」
「とんでもない」
ニコリと笑って見せる。
「で、彼女に何をされたのです?」
「ズバリ聞くなよ。副官なら察しろ」
ダリスはふむ、と言って腕を組んだ。
大体の予想はついている。
「まあ、団長の名誉のために追及はやめておきましょう」
「生温かい目で見るな」
「そういうつもりでは」
彼女の力は本人にも制御しきれぬ。不本意にも暴走してしまったのだろう。二人が仲違いした訳ではないようなので、きっとそういうことだ。
一方、訓練場で片付けをしていたエルディアもまた、いくつもの遠くからの視線を感じていた。居心地が非常に悪い。
普段は魔道具がなくてもそうそう暴走するような事はないのだが、昨日のアレはだめだった。彼には何か魅了の魔力でもあるに違いない。
彼の紫紺の目に見つめられると胸が早鐘を打って苦しくなる。おまけにあの指先で触れられると、背中から腰にかけてゾクゾクして意識が飛びそうになってしまうのだ。
「本当、嫌になっちゃう」
そう呟いた途端、背後からウキウキした声が掛けられた。
「何をやらかした?」
振り返るといつもの二人組だ。
リアムがニヤニヤしているのをカルシードがコラと言って肘で突いている。
「詮索するなよ」
「二人きりで部屋にいたんだろう?わかりきった事だったな」
「何がわかるのさ!」
「婚約者を食べようとしたんだろう?でもその様子ではまだお預けか。団長も気の毒に」
あまりの事にエルディアがリアムを風の渦でキュッと締め上げた。
ぐえっと言ってリアムがしゃがみ込む。呆れたようにカルシードがその背中を蹴飛ばした。
「お前にはデリカシーってものが足りないんだよ」
エルディアが真っ赤になった頬を両手で隠す。
何があったかバレバレで恥ずかしい事この上ない。今回ほどこの自分の体質を呪った事はなかった。
「ルディ!」
遠くから名を呼ばれてそちらを見ると、リゼットが歩いて来た。
「リズ、どうしたの?」
彼女が王宮まで来ることは珍しい。
「お父様がレンブルに戻るので、一緒にご挨拶に来ていたのよ」
そう言いながらエルディアのそばまで来ると、その袖を引っ張って自分に引き寄せた。
「貴女、噂で聞いたのだけど、ロイ様と喧嘩したって本当?」
もう勘弁してほしい。お願いだからそっとしておいてくれないものか。
泣きそうになっていると、カルシードがリゼットの肩をそっと掴んで連れて行ってくれた。
「なあに?シード」
リゼットが不思議そうにしている。カルシードは彼女の両肩に手を置いて、首を横に振って聞いてやるなと暗に伝えた。
そこへヴェーラを連れたロイゼルドがやって来た。
ヴェーラはアーヴァインの所で夜通し話していたらしい。フェンと違って彼女は鳥型の時は人語が話せない。人型のままで戻って来ていたのだが、ヴェーラもロイゼルドも特に気にしていなかった。
ロイゼルドの隣にピッタリくっついて歩いている赤毛の女を見て、騎士達がざわざわしている。
「おう………すっげエロい美女」
ヴェーラを見たリアムが感嘆した。
「なんですの!なんであんな女がロイ様にくっついているんですの?」
しかもわたくしより胸がデカいわ、とわなわなしている。
さてはあの女のせいで喧嘩したのね、とリゼットは二人に向かってずんずんと歩いていく。
「違う、リズ、待って」
止めるエルディアの声が全く聞こえていない。
リゼットは歩く二人の前に立ち塞がり、腰に両手をあててロイゼルドに向かって説教しはじめた。
「ロイ様!浮気は許しませんわよ」
「浮気?」
「その女は何ですの?ルディという婚約者がありながら!」
ポカンとするロイゼルドにガミガミと言いつのる。
「騎士団の訓練にまで連れてくるなんて、その女は何者ですの?」
「かしましいのう。何をきゃんきゃんいうておるのじゃ」
ヴェーラが面倒臭そうにリゼットを見ると、リゼットはこの女!と睨みつけた。
「ロイ様を誘惑するんじゃないですわ!」
「なんじゃ?そなたも主の恋人か?」
艶やかな唇に親指をあてて、まじまじと彼女の顔を覗き込む。
「ふむ、なかなか可愛い赤毛じゃの」
可愛い者は好きじゃ、とにっこり微笑む。
ぞくっとしてリゼットは一歩下がった。
「貴女何者なの?どうしてロイ様の側にいるのよ!」
「わらわは主の下僕じゃ。そばにいるのは当たり前じゃろう?」
「下僕?奴隷なの?ロイ様!どこからこんな娼婦を買ってきたんです!」
これにはロイゼルドも黙っていられない。慌てて否定する。
「違う!リゼット嬢、この女性は……」
「言い訳は聞きませんわ!この女のことでルディと喧嘩しましたのね!」
リゼットはヴェーラの鼻先に指を突きつける。ヴェーラはその指先をじっくり眺めて、それから怒り狂うリゼットに妖艶な笑みを見せた。
「主が違うと言うておる。まあ、話を聞け」
「ずうずうしいですわ!貴女の話なんて聞く耳を持っていませんわ!」
「ああ、うるさいのう。あんまりうるさい口はふさぐぞ?」
あっと思った時には遅かった。
止める間もなくヴェーラがリゼットの顔にかがみ込むと、ムチューッとその唇を塞ぐ。
「!!!」
エルディアは、ひいっと言って飛び上がった。
女に接吻されてショックを受けたリゼットが、後頭部から倒れるのを駆け寄って慌てて抱き止める。
「リ、リズ!?」
気を失ったリゼットを支え、後ろの二人に助けを求めて振り返る。
「ぎゃっ、リアム!」
ぼたぼたと流れる鼻血を手で抑えるリアムと、慌ててハンカチを渡しているカルシードが見えた。
(もう無茶苦茶だな…………)
ロイゼルドは目の前で繰り広げられる修羅場を、唖然と眺めて立ち尽くしていた。後ろからついて来ていたダリスが、身体を折り曲げて声を殺して笑っている。騎士達は何事が起こったのかと右往左往していた。
この程度で気絶するとはつまらぬのう、とヴェーラがペロリと唇を舐める。
後日、執務室の件はロイゼルドの浮気に怒ったエルディアに部屋が破壊されたという事で決着した。