9 新たな始まり
御前試合から数日が経ち、王都が祭りの余韻から覚めた頃、エルディアの周囲では徐々に新騎士団の方向性が明らかになって来ていた。
普段は金獅子騎士団と共に訓練をし、養成学校の見習い騎士達の訓練もする。時折攻撃魔法や補助魔法を戦闘に使う場合の連携訓練なども行う予定だ。
エルディアは騎士になりたての新人にも関わらず、副団長のダリスと共に魔術を使える騎士と魔術師の指導役に据えられた。ロイゼルドに指示された時に少し戸惑ったが、イエラザームでのリヴァイアサンとの戦いと御前試合を見た者達からは、当然だろうと言われた。
魔力持ちの団員の経歴と能力を書き記した書類を渡されたので、それを元に訓練の構成を考えねばならない。ちょっと責任重大なので、リアムやカルシードに助けてもらったりしている。
その他は交代で王都の周辺の巡察に出かけ、依頼があれば魔獣の討伐にも出る。それに加えて鷲獅子騎士団の魔力保持者は時々、魔術研究所にも出入りして研究を手伝ったりもしていた。
特にエルフェルムは研究所に駆り出されることが多かった。アーヴァインが嬉々として、彼自身を研究材料にしている節もある。
そんな時には元魔術師団副団長のダリスが、はいはいとアーヴァインを押しのけて、エルフェルムを救出して戻って来ていた。
ロイゼルドは王から王都に邸宅を下賜された。基本王都を離れられないので、そこを拠点に自領を統治するという。
領地の管理には、すでにデガント領の経営をしている長兄に協力してもらっているらしい。
グレイ領については、ロイゼルドの指示によって聖地の大神殿の側にあった古城を改築し、騎士団の居留地として使用することになった。
工事が済めば一部の騎士はそちらへ派遣される。巡礼者を狙う盗賊にも、神山ホルクスから降りてくる魔獣にも、どちらにも対処しやすくなるだろう。
一つエルディアが喜んだことがあった。
ヴィンセントと共に王都を訪れていたリゼットが、母と共にしばらく王都にある領館で暮らすという。エルディアは親友がそばにいてくれるのでとても嬉しい。休みの日は二人で王都の美味しいもの巡りをしようと約束していた。
そんなある日、仕事を終えて家に着いたエルディアが扉を開けると、主人の帰宅を待ち侘びていた人物が奥から走って出て来た。
「ルディ、ルディ、見て!」
執事の衣装を着たフェンがエルディアを出迎える。
白のブラウスにグレーのベスト、漆黒のスーツが銀髪によく似合っている。玄関でぴしいっと直立して見せる姿は、かなりの美男子なので鑑賞するにもちょっとしたものだ。
しかしエルディアには、彼は今人型をしているはずなのに、パタパタと白い尻尾の揺れる幻覚が見えた。
「フェン、どうしたの?その格好」
「ゼルが買ってくれたんだよ」
「グレイゼルが?」
非常に有能だが冗談の通じない執事の顔を思い浮かべる。きっと彼は大真面目でこの服を仕立て屋に注文したに違いない。
確か彼にはフェンが神に仕えていた獣で、人に化けているのだときちんと説明したはずなのだが。
「似合う?」
褒めて褒めてと言う様にキラキラした目で迫ってくる彼の鼻先を押さえて、エルディアははいはいとおざなりに返事をする。
「ルディ、冷たい」
プスっと膨れて拗ねるが、正体は狼とはいえ子供でもないのだ。いい歳の男に顔をすりすりされては堪らない。
似合う似合うと頭を撫でて勘弁してもらう。
「フェン、執事になるつもり?」
「だってゼルが、人間の従臣は『執事』って呼ぶんだよって」
「なんか違う気がするけど」
試しにグレイゼルが父の横で戦っている姿を思い浮かべて失笑した。
なんとも似合わない。
「お嬢様、おかえりなさいませ」
そこへ背後から声が掛けられエルディアは飛び上がる。
「あ………ただいま、です」
想像していた光景を悟られる気がして、何故かそらぞらしく目を逸らす。
エルガルフが独身だった頃からこの屋敷に仕えている白髪のベテラン執事は、エルディアもやんちゃな子供時代から世話になっており頭が上がらない。
彼に上着を渡すように促され、手渡しながら尋ねた。
「父様は?」
「旦那様は本日はお帰りになりません。エルフェルム様のご様子はいかがですか?」
「ルフィは魔術研究所でアーヴァイン様の手伝いしてたよ。今日は帰れるんじゃないかな」
「では御夕食の手配をしておきます。先程フェンが頑張ってキッシュを作っておりましたのでお出ししましょう」
「はあ?」
フェンが料理?
しかもキッシュだと?
エルディアが目を剥いていると、寡黙な執事は微笑を浮かべて頷く。
「エルディア様とエルフェルム様に食べてもらうのだと、大層健気に頑張っておりました」
どこの嫁だ。
エルディアはポカンと口を開けた。
フェンにマナー等々仕込んでいるとは聞いていたが、グレイゼルの躾のスキルが高すぎる。
「ルディ、上手に出来たから楽しみにしてね」
「……私、負けそう」
ニコニコして抱きつくフェンを押しのけるのも忘れていると、ペロリペロリと頬を舐められた。
「フェン、お嬢様を舐めてはいけません。犬の地が出てますよ」
「これ僕の愛情表現」
「犬に戻ってからになさい」
「きゅーん」
マーズヴァーン家の執事にかかると、魔獣も忠犬になるのか。
エルディアは実はこの執事が世界で一番強いかも知れないと、こっそり思った。