7 皇帝
「ルディ、ルフィを探しておいで」
近衛騎士を部屋の外で警備に立たせ、部屋の中へ入った途端微笑んでそう言ったアストラルドに、エルディアは一瞬言葉を失った。
「殿下、私がですか?」
「そうだよ。双子だもの。君が魔道具を付ければ一見ルフィに見えるだろう?異国の客人の僕等が探りに行くわけにはいかないからね」
この姿の時に、そう来るとはおもわなかった。
「腕輪は持ってきてるんだろう?」
「はい、一応は」
「ルディのことだから、暗器の類も用意してるだろう。どうせ今も脚にナイフ一本くらいは付けているんじゃないか?」
しっかり見抜かれている事にギクリとする。
「君に敵う者はまずいないだろうけど、危なくなったらすぐに戻っておいで。見られても僕が何とかするから」
「殿下、彼女を一人で行かせるのですか?」
「君等が付いていくと逆に危ないだろう。ルフィなら宮殿内をうろうろしていても特に不思議はないはず。見咎められる時は、彼に何かが起こっているということだ」
エルディアに探らせる。
とうの昔に、そうアストラルドは決めていたようだった。
「イエラザームの軍服は準備してある。奥の部屋で着替えておいで」
「はい」
アストラルドはどこまでも用意周到だ。
彼は何を想定しているのだろうか?自分には見えないものが見えているような気がする。ドレスを脱ぎ、腕輪をつけて銀に変化した髪を紐で一つに束ねながら、エルディアは頭を捻る。
白い軍服に袖を通し、ズボンを履きベルトを締めた。ご丁寧に黒いマントまである。サイズがぴったりなのは何故だろう?怖いからあまり考えないようにする事にした
布で顔を拭って化粧を取った。鏡はないが、ルフィに見えるだろうか。
「いってきます」
そう告げて部屋を出る。
その背中をロイゼルドが心配げな表情で見送っていた。
部屋を出たエルディアは、どちらへ行こうか考える。人にルフィの居所を聞くのは、この姿ではさすがにおかしいだろう。
なるべく身を隠しながら皇宮の中を探る。
以前行ったことがあるのは、謁見の間とリゼットが囚われていた塔だけだ。ほとんどどこに何があるのかわからないので、色々見て回る事にした。
自分達が通された東の宮殿とは、皇宮の正面門からまっすぐ入った右翼側の建物で、どうやら客人用の部屋が並ぶ建物のようだった。
この建物は広間が多く、ダンスホールや客人をもてなすパーティーなどが行われる部屋が多く作られているらしい。
中央の広場を挟んで左翼側の建物は、どうも皇族の部屋や貴族達の執務室が並んでいるようだった。
奥の方には騎士達の兵舎もあるようで、右翼側よりもう少し広い。
左右の建物に挟まれた中央広場の奥が、以前に通された謁見の間のある、皇帝の執務する宮殿だ。皇帝の生活する領域でもあるそれは、外観も美しく煌びやかに鎮座している。
さすがに今、中に入るのは危険だろうか。内部は後で探る事にして、とりあえず裏へ回る事にした。
宮殿の裏には広大な庭園が広がっていた。中央に巨大な池があり、睡蓮の葉が浮いている。
薔薇やその他の花々が、枝葉を綺麗に刈り込まれ美しく植えられている。
その庭園の右奥、高い木々も植えられ森のように作られた一角の更に奥に、かつて脱出した高い塔が見えた。
以前は気付かなかったが、幾つか小さな森のように木々を植えてある。その周辺には小さな家や少し大きめの屋敷が、点々と建てられていた。使用人の家や、離宮のようなものかもしれない。
フェンはもしかしたら、この森のような庭園の中に隠れているのだろうか。
(しかし、広すぎる)
エルディアは一度宮殿のところまで戻る事にした。
敷地が広大すぎて、ルフィの居場所の見当もつかない。やはりいるとしたら皇帝の側が一番可能性がある。
身を翻して庭園を戻る。
薔薇のアーチの横をすり抜けようとして、エルディアはいきなり何者かに腕を掴まれた。
「なっ」
全く気配を感じなかった。研ぎ澄まされた騎士の感覚が、掴めない気配などこれまでにはない。
驚いて手の主を振り返る。黒髪の青年が冷ややかな眼差しで、エルディアを見下ろしていた。
黒地に金糸の刺繍が縫い込まれた上衣に、赤いマントを羽織っている。明らかに身分の高い貴族だ。
「誰?」
紺碧色の瞳が揺らぎ、唇が笑みを形作る。
彫刻の様に整った顔は、貴族の女性達を十分惹きつけるであろう。だが、エルディアはその冷たい氷の様な微笑みに、背筋がヒヤリとするのを感じた。
「たまの休憩にゆっくり考え事でもしようと、誰も来ぬ所へ来たつもりだったが。思いもせぬ相手に遭遇するものだな」
可笑しそうにくつくつと笑う。この声には聞き覚えがある。
いつか、戦場で。また逢おうと聞いた。だが、誰も側に付けず一人でここにいていい人物ではないはずだ。
「皇帝、陛下………」
震えを押し殺して声を絞り出す。
ヴェルワーン皇帝はようやくエルディアの腕を離した。
「久しぶりだな、エルディア嬢。レンブル侯爵令嬢を救いに来た時垣間見たが、直接会うのはユグラル砦の戦い以来だな」
ゆっくりと腕を組んで首を傾げる。
「なぜ、そのような姿でいるのかきいても良いか?それとも聞くだけ無駄か」
ルフィを探しているのだろう?そう尋ねる。
わかり切ったことを聞く。答える必要もなかろうと、エルディアはフイと顔を背けた。その態度に気を悪くした様子もなく、ヴェルワーンはエルディアに話しかける。
「私が何故あのような使者を出したかわかるか?」
エルディアを皇妃に、という申し出を伝えた使者のことだろうか。全く迷惑極まりない。
エルディアは背けていた顔を戻し、ヴェルワーンを睨みつけた。
「おかげさまで陛下の即位式に出席させていただく事になりました」
嫌味を込めてお辞儀する。
ヴェルワーンは堪えた様子もなく、軽くハハハと笑った。
「そうだ。申し出を受けるか受けざるかに関わらず、そなたは此処へ来ざるを得ない。マーズヴァーン侯爵家のエルディアとして」
「私を呼び寄せて何がしたいのです?」
エルディアの問いに、皇帝は低い声で淡々と伝えた。
「話が早くて助かる。そなたを呼んだのは、エルフェルムの奪還の為だ。ルフィがシャーザラーン、この国の第二皇子に囚われている。協力するだろう?そなたの片割れだ」
エルディアは言葉を失った。
奪還?ルフィが囚われた?
魔術師もいないこの国で、そんな事があり得るのだろうか。
しかも彼の側にはフェンがいるはずだ。
「………何が、起こっているのです?」
ルフィが易々と囚われるなどあり得ない。
驚きを隠せないエルディアに、ヴェルワーンは聞こえないくらいの小さな声で、すまない、と呟いた。