6 傾国
王都からの旅は馬車に乗ることになった。
王太子を連れた旅は護衛の数も精鋭ばかり四、五十人はいる。エルディアに付く侍女も三人だ。甲斐甲斐しく世話してくれる為、さすがの彼女も大人しくするしかない。
エルディアの乗る馬車の周りは、ロイゼルド達三人が常に固めている。
前日にエルフェルムとしてのエルディアを見知っている人物は、ロイゼルドが確認して護衛からはずしている。だが念を入れて、騎士達がエルディアに接する機会は極力減らすようにしていた。
王太子に同行する正体不明の美しい令嬢を、騎士達があれは誰かと囁き合っている。
目を奪うほどの美貌は、遠くからでも際立っていることがわかる。
数日前まで騎士団で仕事をしていたとは誰も思うまい。
訓練されたベテランの騎士ですら、しばし見惚れて立ち尽くす様子を何度か見て、カルシードはエルディアも罪な奴だと思った。
黒竜騎士団に配属されて以来、自分も何度も惑わされた。
エルとエルディアは同一人物。
そう認識してから、どうも男の姿のエルディアにも、ふとした瞬間にドキリとする。自分は騎士団のエルが好きなのだろうか?それとも令嬢であるエルディアが?
今ではよくわからない。
確かに一目惚れともいうべき忘れられない相手は、いうことなく女性の姿のエルディアだ。エルは信頼出来る騎士団の友、そうであったはず。
だが、エルディアはエルだった。正装したエルディアを直に見ると、カルシードは動揺してしまう。中身はエルとわかっていても、かつて庭で座る少女を見た時のようにその手を取って振り向かせたくなる。
(エルには副団長がいるのに)
ヴィンセントに呼ばれて以来、面白いくらいロイゼルドの機嫌が悪い。
彼は日頃から面倒見の良い性格で、エルディアにとっても非常に過保護な師であるが、今回の様子を見るにアレはただの弟子に対する感情ではないだろう。大事に守っていた掌中の珠を、身分高い者に横から掻っ攫われそうになっているのだ。とてもピリピリしている。
エルディアは男心がよくわかっていないようで、話しかけにくそうにしていて可哀想だ。リアムは痴話喧嘩に首を突っ込むなと言う。
痴話喧嘩………そう、戸惑う彼女の様子を見る限り、エルディアもロイゼルドの事を想っているのは明らかだ。自分が割り込む余地はない。
このまま忘れられるだろうか、この感情を。
リアムは中身がエルなら同じ、と言い切る。
なるほど、同じ、とは思う。びっくりするくらい天然で、リアムの下ネタにもけろりと返す。剣は強いが酒には弱く、仲間思いの少年。今でもエルは同じ戦場を潜り抜けた盟友だ。
だが、しかし、ずっと想って来た相手がエルだったのだ。男と思って、別人だと思って作り上げた関係が、今は自分の中で崩れかけている。
ただ、彼女が嫌がる皇帝の妃にはしてはならない。誘拐事件で危険を冒して協力してくれたエルフェルムも、何か起こっているのであれば助けたい。
カルシードは誰にも気付かれないように、ふうっと溜め息を吐いた。
つくづく彼女は罪作りだ。遥か遠き国の『傾国』という単語がふと頭をよぎる。確かに彼女の姿も能力も、国一つ二つ傾けかねない。
表舞台に出すべき姫君ではないのかも知れない。存在を秘めて男の姿にしておいたのは必要なことだったのだ。
カルシードは少し前を進む馬車を、小さな胸の痛みと共に眺めた。
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貴族の屋敷やダルク城を経て何泊かした後、王太子一行はイエラザーム皇国へ入った。国境を越えるとあちらの案内人が加わり、穏やかな旅は皇都レオフォードに着いて終わった。以前来た時と同様、高い城壁をくぐり中央通りを街の人々に見送られながら皇宮へと向かう。
皇帝の交代は血に染まったものだったと言うが、街の様子は普段と変わりなく落ち着いていた。何事もなかったかのような、それ以上に新皇帝の即位を祝うムードにあふれ、あちらこちらに花が飾られ街の店々も活気に満ちている。
ちらほら警備の兵士の姿が見えるが、それは他国の貴人がたくさん訪れている為だろう。
広場の方では遠い国から来たらしい旅芸人が、街の人々を楽しませているのが見えた。
以前も思ったが、街自体はとても治安が良く栄えている。貧しいものには国の支援がきちんと行われているようだ。
イエラザームの国自体は、決して政治が悪いわけではない。街の人々ものびのびしているのでよくわかる。
皇帝が入れ替わって間もない。それなのにここまで安定している様子を見る限り、ヴェルワーンの手腕も確かなようだ。
皇宮の門の前まで来た時、門の両脇を守る警護の兵士が見覚えのある男達だったので、リアムとカルシードはちょっと顔を逸らした。まだ門番をしているんだな、と思いつつ、問答無用で蹴り飛ばした身としては少し気まずい。幸い気付かれる事なく、二人は中へ入ることができた。
入ってすぐの下車場で王太子とエルディアは馬車を降りた。
「ご案内致します」
案内人が先頭に立ち、宮殿内へ誘う。
王太子には近衛騎士四名が、エルディアにはロイゼルド達三名と侍女一名が護衛に付き添う。
美しい王太子とその隣に陶器人形のような美少女が歩く。
周囲を固める騎士達も見目麗しい。
綺羅綺羅しい一行に、すれ違うイエラザームの者達が驚きの表情で立ち止まる。
案内人が少し苦笑して、王太子に謝った。
「不躾で申し訳ありません。エディーサ王国には美男美女が多いとは聞いておりますが、これほどとは思いませんでした。皆、殿下方に目を奪われてしまっております」
アストラルドはふふ、と軽く笑い、問題ないと軽くかわす。
「せっかくの祝事だ。華を添えられて嬉しいよ。ところで、他にはどこが招待されているんだい?」
「我がイエラザーム皇国の五人の大公と、レヴィナ公国、スリム王国、ブルセナ王国、西の大島ワルファラーンからイスターラヤーナ王国他三国、他にも多々招待しております」
「トルポント王国はさすがにいないみたいだね」
「そうです」
間諜は前皇妃と皇太子の行方を掴めていない。彼等がどうなったのか、それも気になる。すでに亡き者になっているならば、この先トルポントとイエラザームは争うことになるだろう。エディーサが巻き込まれるのはごめんだ。
「皆様には東の宮殿に貴賓室をご用意しております。旅の疲れもございましょう。本日はゆっくりお休みください」
「ああ、ありがとう」
アストラルドがにっこり笑って返した。
戴冠式は三日後だ。
「ゆっくりさせてもらうよ」
(ゆっくり………ね。殿下はどう探るおつもりなんだろう)
微笑を浮かべたアストラルドの横顔を眺めながら、エルディアは間諜が行方を掴めないと言ったエルフェルムを思い浮かべた。この皇宮のどこかに彼がいる。皇帝は彼をどこに隠したのか。
なんとなくザワザワと嫌な予感がするのを抑えながら、エルディアは差し伸べられたアストラルドの手を取り歩き始めた。