3 婚姻の価値
「皇妃って、ヴェルワーン皇子、エルを皇妃にするつもりですの?」
リゼットが呆然と呟く。
「ルフィの妹だって知っているはずなのに………だから、なの?」
ヴィンセントがそれを聞き咎めた。
「リズ、お前、イエラザームの新皇帝を知っているのか」
「ええ、お父様。エルのお兄様のルフィが仕えている皇子です。イエラザームに捕まっていた時に、わたくし一度彼にお会いしたわ。皇子とルフィが脱出を手助けしてくださったの」
そう伝えて、くるりとエルディアに振り返る。
「エル、ダメよ。これは政略結婚じゃない。彼には愛はないわ」
「わかっているよ。僕は一度戦っているんだ」
ヴェルワーン皇子とはユグラル砦で出会った、あのおそろしく強かった黒騎士だ。どうして自分を皇妃になどしようと考えたのか、理解に苦しむ。
あの出会いは殺し合いだ。甘い感情など一切ない。国同士の戦いで仕方なかったとはいえ、何を考えているのかわからない。寝首をかかれかねない妃など、求めるものではないと思うのだが。
「一体目的はなんだろう」
ヴィーゼル伯爵の間諜がエルフェルムの元に行っているはず。王の命令は、エルフェルムを連れ帰れ、だ。ヴェルワーン皇子が皇帝になればルフィはエディーサ王国に戻る約束だ。皇帝の位についた彼は、ルフィを手放すことを躊躇っているのかもしれない。彼を返したくなくて、交換条件に自分の名を出したのか?
そう考えればしっくりくる。魔術師のいない国で、兄ほど役に立つ者はいないだろう。しかし、彼の命の恩人であっても約束は守ってもらわなければ。
ロイゼルドは考え込む彼女の様子をチラリと見て、ヴィンセントに確認する。
「今回、エルは侯爵令嬢として向かう、という事ですね?私達は王太子と皇妃候補の令嬢の護衛で付きそう」
「そうだ」
「エルフェルムの交渉は?」
「アストラルド殿下がされる。エルの婚姻については、見極めよ、との仰せだ」
「王都からの護衛は?」
「近衛騎士団から選抜している。だが、エルディア嬢については彼等に詳しく知らされる事はない。お前達で周りを固めておけとの命令だ」
「承知しました」
「侍女はリュシエラ殿下が数名用意してくれている。身の回りの事はしてもらえるぞ、エル」
「嬉しくないです、団長」
また、女装しなければならないのか。窮屈で動きにくい服装は好きではない。出来れば一生ドレスに無縁でいたいくらいだ。
ロイゼルドがふと気がついたようにエルディアに尋ねる。
「おい、大丈夫か?」
「何が?」
「いや、前は裾が捌けなくて転びかけていたが」
即位式には夜会もセットだろう。ダンスも誘われるだろうに。
なんだか憐れむような彼の視線にエルディアはカチンときた。
「魔道具をなくして一度王都に戻っていたときに、ドレスの捌き方も所作もたくさん練習したよ」
「そんな事していたのか」
「リュシエラ殿下に捕まってね。三ヶ月間みっちりしごかれたよ。ダンスもアストラルド殿下に相手してもらって、だいぶん練習したんだから」
「王太子殿下に?気の毒に」
気の毒とは何故に?
エルディアはロイゼルドをジロリと睨む。
「殿下の足は大丈夫だったか?」
「ええ、たくさん踏みましたとも。おかげさまで足を踏まないで踊れるぐらいにはなったから」
なんでこんなに突っかかってくるんだろう。
そう思ったエルディアに、リゼットが困った顔をして袖を引っ張る。そして周りに聞こえないようにコソコソ耳打ちした。
「ロイ様、妬いているのよ」
「はあ?」
エルディアは、なんで?と首を傾げてリゼットを見る。
リゼットは困ったわね、と呟いてエルディアを引っ張って部屋を出た。
「リズ、ちょっと!」
「お父様、もう話は済んだでしょ。エル、こっち来て」
部屋に男四人を置いて、廊下の端まで連れてくる。壁にエルディアを押しつけて、リゼットは深刻な表情で忠告した。
「ヴェルワーン皇子は本気で貴女を皇妃にするつもりよ。ロイ様が苛立つのも当たり前でしょ」
「なんで命のやり取りした相手に求婚するんだよ。リュシエラ殿下ならともかく。馬鹿じゃないの?」
「んもう、自分のことになったら鈍いんだから。貴女が近隣諸国の中で一番価値が高いと判断したに決まってるでしょう。エディーサの王族の一人で、ルフィと同じくらい魔術も使える。手に入れてこの国と同盟を結べば、エディーサの魔術師団の威信も借りられる。国の中枢にいる将軍も、エルと同じ力を持つルフィも、イエラザームの敵に回ることはない。おまけに独身で婚約者もいない。貴女の感情抜きにして、正妃として手に入れようとしてくるわよ」
そこまで聞いて、さーっと血が引くのを感じた。
「やだ、断る、行きたくない」
リゼットはふうっと大きく息を吐いた。
「ロイ様達が守ってくれるわ。でも、くれぐれも気をつけて。あの皇子………もう皇帝ね、すごく面倒な人だと思うの。襲われはしないと思うけど、何考えてるかわからない」
女の姿の時に襲われたりしようものなら、絶対吹っ飛ばしてしまう自信がある。だが、皇帝を傷付けるなど即外交問題だ。
「もう十分『面倒な人』だよ。どうしよう」
エルディアは頭を抱えた。
「上手にあしらいなさいよ。リュシエラ王女に言い寄る男性のさばき方は習わなかったの?」
「そんなの習ってないよ。他の事で精一杯。淑女教育ちゃんと受けてるリズって凄いって思った」
「うふ、ありがと。後で私の本を貸してあげるわ。行く途中それ読んで、断るセリフでも考えたら?」
「え?」
リゼットの愛読書は男性同士の恋物語ではなかったか?
固まったエルディアを見て、リゼットはエルディアが何を思ったか察したらしい。
「違うわよ。最近読んでるのは、ヒロインが幾人もの素敵な男性に恋を囁かれるの。でも一途なヒロインはみんなを断って、ただ一人の真実の相手と結ばれるのよ」
「うわあ、ドロドロしてそうな物語だね」
「どうせエルはまともに読まないでしょ。セリフだけ覚えときなさい」
「ありがとう。さすがよくわかってるね」
「わたくし、悪役令嬢にはなりたくありませんもの」
「?」
その単語には聞き覚えがある。
「前も言ってたけど、その『悪役令嬢』って何?」
「その本に出てくるヒロインのライバルよ。ヒロインと恋人との仲を色々意地悪して邪魔するんですわ」
「邪魔………」
「わたくし、ロイ様が好きだけど、エルの事も大好きなの」
もじもじと赤毛を指に巻きつけて恥じらう様子は、とても可愛らしかった。
「邪魔なわけないじゃない。僕もリズが大好き」
エルディアはぎゅっと親友を抱きしめて、ありがとう、と囁いた。