11 開戦
それはある朝突然に始まった。
国境の砦からの伝令が次々に王都に到着する。
「国境に敵軍の姿あり」
知らせを受けた王宮は、直ちに出兵を決めた。
すでに準備は整っている。
トルポント王国に対抗する為、王都から東のレンブル領へ向かう軍の指揮官は金獅子騎士団団長である将軍エルガルフ・マーズヴァーン。
その下に金獅子騎士団副団長のアリドザイル、同騎士団隊長レインスレンドがつく。
魔術師団団長アーヴァインも、今回は初めからレンブル領に入る。
魔獣の被害のまだ残る黒竜騎士団を補う為、主力を東に付けた形だ。
それに対してイエラザーム皇国の侵攻を止めるべく西の守りを担うのは、ダルク領を本拠地とする白狼騎士団。指揮官はその団長ザラフェムと同副団長オリヴェーラ。既に南の赤鷲騎士団団長ハイゼレーヴ麾下の軍も合流している。
金獅子騎士団隊長べレザーディは王都の守りを任され、同隊長イーリュアルが残りの騎士と魔術師達を連れてダルク領へ向かう予定である。
レンブル城のヴィンセントの執務室に王都から到着したエルガルフとアリドザイル、そしてアーヴァインが迎え入れられた。
ヴィンセントとロイゼルドが先に国境地帯の地図を広げて準備している。作戦会議を行う為だ。
そして特別にエルディアも会議に同席を許されていた。
入りたいと願う彼女にエルガルフとアーヴァインが許可したのだ。
「トルポントの情勢はどうだ?」
エルガルフの質問に、ヴィンセントが報告する。
「一昨年の侵攻に比べ、かなり大規模な軍勢になっています。数万の兵に加え、大型の投石機も数機見えると報告があります」
「ヴァンダル山脈を越えては持ち込めまい。こちらで組み立てたか」
「川を登って部品を運び込んだのではないかと」
川を?エルガルフが思案する。
国土の大部分が内陸であるトルポント王国に水軍はない。
「イエラザーム皇国の協力がうかがわれます。トルポント軍の一画に、イエラザームの軍旗が見えるようです」
軍旗を掲げて来ているとは、本格的に同盟を結んでいる。
一昨年の侵攻で大敗を喫した、その反省を汲んでの大軍なのだろう。
騎馬での白兵戦よりも、遠隔からの攻撃を主体としたものになりそうだ。
もしかしたら、魔物のような少年を警戒した部分もあるのかもしれないが。
「森の木を切り出している様子も見えるようです」
攻城塔を組み立てるつもりか。
砦を落とす兵器を揃えて来ている。
「補給も川を使うだろう。早期に輸送を断つ」
「はい」
ヴィンセントがロイゼルドに隊の編成を指示する。
「兵の数が厳しいな」
エルガルフが唸る。
指揮官の主力はレンブル領に集めたが、大国イエラザームに対抗する為、兵力自体は水軍を持つシュバルツ領の赤鷲騎士団をはじめ西のダルク領に多く割いている。
「僕の魔力を使うことは出来ないでしょうか?」
エルディアの風の刃は、フェンリルと同じく周囲の敵を広範囲に切り裂くことが出来る。
おそらく、乱戦になる前に使えばかなりの効果が出るだろう。
一気に大量の敵兵を無力化する事も不可能ではない。
「風の結界を使えば、矢も防げます」
軍全体は無理だが、数百メートル四方程度なら範囲を広げて守れる、そう伝える。
移動する対象を広範囲に包む結界を張るなどかつてどんな魔術師でも、歴代最高の魔術師と呼ばれるアーヴァインですらなしえたことはない。副団長アリドザイルは初めて聞く内容に驚きを覚えた。
しかし、エルガルフが首を横に振った。
「その刻印の力は人が相手の戦いでは使ってはいけない。お前の身を守るときだけにしておくべきだ」
大量の殺戮が離れていても可能な魔力。
それは強力な兵器に等しく、エルディア自身を人でなくする可能性をも示していた。
「魔獣との契約で魔力が得られるなど知られては、この先どのように利用されるかわからない」
未来の為に、ここでその秘密を掴まれることは得策ではない。
「それでも、使わねばならぬ事態になるやもしれんが………」
溜息と共に吐き出された言葉の後に、飄々とした声が聞こえて来た。
「エルの力を使うまでもない。私の研究の成果を試す実験をする」
「実験?」
戦場で実験とはいかに?
アーヴァインがニヤリと笑う。
エルディアは自信ありげに腕を組んでいる師を見つめた。
「アーヴァイン様、何か手があるのですか?」
「お前のおかげで最強の魔石が手に入ったのだ」
「もしかして、フェンリルの魔石ですか?」
「すでに数度の実験は成功している。実際に戦場で使えるか、出力規模を検証したいと思っていたところだ。うまくいけば、ユグラル砦はいかなる敵にも不落の砦となろう」
エルガルフがアーヴァインに確認する。
「どうすれば良い?」
「砦の守りを固める為に魔術師団をなるべく早く中へ入れたい。敵軍の囲みを割く必要があるなら援護を頼みます」
アーヴァインはダークグレーの瞳に、暗い愉悦の色を浮かべて宣言する。
「大陸で唯一魔術師団を抱えるエディーサ王国に手を出すとどういうことになるか、思い知らせてやろうではないか」
*****
会議の後、エルディアは黒竜騎士団の軍服の上に白銀の鎧をつけ、白いマントをかけた姿で馬の準備をしていた。
丁寧にくしけずられた葦毛の馬二頭を引き出し、鞍をつけ、その横に矢筒をくくりつける。
ロイゼルドと自分の馬だ。
馬達は周囲の空気を敏感に察して、どことなくソワソワしている。落ち着かなさそうに彼女の肩に鼻をすり寄せる、その顔を軽く撫で、エルディアは黙々と作業を続けた。
隊の編成を決定し出立を指示してきたロイゼルドが、エルディアのもとへやってきた。
栗茶の髪が風に吹かれて顔を隠す。
「ロイ、準備は整っているよ」
「ああ」
ありがとう、と少し掠れた声で答える。
「どうしたの?ロイ」
やけに表情がくもっている。
出陣前だから緊張している?この副団長が?
それはありえない。
首を傾げるエルディアに歩み寄ったロイゼルドは、彼女の頬に触れて苦しげに内心を吐露した。
「本当は、戦になど連れていきたくはない。どれだけお前の力が強くても」
強力な魔力、不死に近い身体、しかし、それでもこの従騎士は一人の少女に他ならない。心を殺して人を殺し、国を守ろうとする、そうさせているのは自分だ。
エルディアはロイゼルドの思いを察したのか、彼の手を取り願った。
「僕はロイと一緒に戦いたい」
ただ、帰りを待つより近くにいたい。
そばにいれば守れるかもしれないから。
「ならば、行こう」
エルディアの手を握り返し、そのエメラルドの瞳を強く見返した。
「そのかわり、ひとつだけ俺の願いを叶えてくれるか?」
「なに?」
ロイゼルドが自分に願い事など珍しい。
エルディアはなんだろう、と不思議に思いつつ頷いた。
「戦場に向かう前のまじないだ」
「まじない?」
「ああ」
そう言って、ロイゼルドはエルディアの両手を取る。
紫紺の瞳がエルディアを真っ直ぐに見つめた。
そして額におしいただき、うやうやしく頭をたれる。
「我が愛しき女神よ、我等の上に勝利とその加護を………」
そして、戸惑う彼女の上に身をかがめた。
恋人達の神聖なる儀式。
その接吻は優しく、やわらかで、かすかに緑の薫りがした。
彼の唇が離れても、エルディアはしばらく茫然としたまま動けなかった。