10 強い心
緑茂る夏がゆったりと過ぎ、涼しい風が吹き始める頃、エディーサの王宮はにわかに騒がしくなった。重臣達は連日会議室に引きこもり、各地から呼び戻された騎士団の団長達もそれに列席している。
隊長クラスの騎士達は、資材の確認や兵達の調整に走り回っていた。
王都だけでなく各地の城の武器庫に貯められていた剣や甲冑が、一つ一つ点検され並べられてゆく。
そして近隣の村々からは、城に向けて続々と馬や食糧が届けられていた。
イエラザーム皇国が侵攻してくる。そして東のトルポント王国にも同様の動きが見える。
彼の国々に送り込んでいた間諜がそう告げてきたのは少し前のことだ。
「いよいよか」
「そうらしいな」
国内にそんな声がかわされるようになった。
誰もが不穏な空気に眉をひそめるなか、エディーサ国王ギルバートは苦しい溜息をついた。
徴兵することが躊躇われる。まもなく収穫期。冬に向けて忙しくなる時期なのである。
夏や冬なら良いのだが、と考えて、はたと気づいて苦笑した。
大抵戦が起きるのは春か夏。特にトルポントが相手だと冬はない。ヴァンダル山脈は真冬に越えられるほど甘くはないから。
秋に仕掛けてきたのは、職業軍人の数で劣るこの国の背景を見越してであろう。
イエラザーム皇国は大陸の西半分を統べる。かつては五つの国であったが、百年程前に今の皇族が統一した。その広大な国土には、大軍を支えるだけの財力も人材も多い。
敵にしたくはない強国である。
「エルガルフ、どうしても無理か?」
背後に立つ誰よりも信頼する臣下に問う。彼は王の心情を理解していたが、ゆっくりと首を横に振った。
「両国は西と東、双方から攻めて来ます。我が軍は二つに裂かれることに。特にイエラザーム皇国の軍は我が国の三倍はあります。騎士団だけでは全く数が足りません。傭兵を雇ったとしても、まだ」
国内の被害を少なくするには国境の砦で止めないといけない。もちろん王都への侵攻は絶対に許してはならない。
武具、糧食の準備は整えた。
問題は兵の数なのだ。
城攻めは困難とはいえ、敵がどんな手段で来るかわからない。数が全てではないが、それで劣っていては戦は困難になる。
「志願兵はどのくらい集まったのだ?」
知らせが来てすぐに国中から兵士を募った。
「約二万というところですか。時期が時期だけに多くはありません」
やはり徴兵のふれを出すのはまぬがれないようだ。
「仕方がない。わかった」
ギルバート王はもう何度目かともわからぬ溜息をついた。コツンと机に肘を立てる。
「なあ、エルガルフ、私は謀が下手なのかな。父や祖父はトルポントの侵攻をやめさせることは出来なかったが、イエラザームはきっちり抑えていた。なんだか自信を無くしたよ」
いつもとは違う気弱な台詞は、決して他の臣下には聞かせないものだ。
王がこのように心中を語るのはエルガルフの前だけである。王と臣下としてではなく、友としての返事を求めているのだ。
エルガルフは苦笑した。
「イエラザームが現皇帝を掲げ、トルポントの王女を娶った時から、今日の懸念はされていました。ギル様のせいではありません」
「だがなあ、有能な外交官がいればなんとか防げたのではないかな。直接は無理でも、どうにかして両国を仲違いさせることが出来たのではないだろうか。私にはそんな芸当は出来ないが」
「では良い人材を探すとしましょうか」
簡単に言い切るエルガルフに、王は拍子抜けしたようにポカンと口を開けた。
「あっさりいうな」
「後ろ向きになっていても仕方ないですから。陛下は自分の仕事をなされた。次は私がやるべきことを成すだけです」
剣を捧げたその時以来、国と王を護ると誓った。王の力の及ばぬことを補うのが彼の役目だ。
王は信頼を込めて彼を見る。
「お前がいてくれて良かった」
エルガルフは首を傾げる。
「どうなされたのです?突然に」
「私は自分が有能な王であるとは思わない。だから近臣には才能ある者を置いておきたい。私の無能さを補う為に」
「そんなにご自分を卑下しないでください」
「他の者の前ではいつでも自信たっぷりでいなくてはならないのだ。二人だけの時くらいは本音を語らせてくれ。私は皆に助けられてこその王だ。特にお前には感謝してもしきれぬ」
「王は私を買いかぶっておられる」
「私は有能な王ではないが、人を見る目だけは自信があるのだぞ」
王である自分と、自分を取り囲む有能な人材の数々。その彼等をしても此度の戦を止める事はできなかった。
ならば自分達で護らねばならない。この国と、この民達を。
「どうか、頼む」
「はい」
王の言葉にエルガルフは深く頭を下げた。
*****
一日を終えて部屋に戻っていたエルディアは、隣の部屋の扉が開く音を聞いて部屋を出た。ロイゼルドが戻って来ている。
再び王都に呼ばれていたヴィンセントが帰城し、ロイゼルドや他の隊長達に向けて、王都での話について報告をしていたらしい。
ロイゼルドの部屋のドアをコンコンと叩くと、すぐに中から返事があった。
キイ、と扉を開く。
複雑げな表情でロイゼルドが迎えてくれた。
「ロイ、戦が近いんだね」
「………ああ」
中へ入るよう手招きする。
滑り込むように中へ入り、後ろ手に扉を閉めた。
「やっぱりイエラザーム?それともトルポント?」
「両方だ」
返答は重い。
「避けられないんだね」
「残念だがな」
戦うことを放棄すれば国が滅ぶ。けれども、戦争は民を疲弊させ国の繁栄を妨げる。どうにかして避けたい。
皆、そう思っていた。
「徴兵される人達はきっと怖いと思う。僕達のように戦うことが当たり前の生活をしていないんだから。僕でも、ときどき、怖い」
エルディアは瞳を伏せる。
「ロイはいつもどう思っているの?怖いと思ったことはないの?」
ロイゼルドは薄く微笑んだ。
「あるさ。何度も駄目かと思った事もある」
どうしてイエラザームは、そしてトルポントは決断したのか。自国の兵の命も失われることになるのに。
勝って豊かな土地を手に入れる。それでいっときは潤うかもしれない。しかし、それが永遠に続くわけはない。
他に方法はなかったのか。
「ロイ、騎士は国を守る為に戦う。でも、その度に、味方も敵も………」
たくさんの血が流れる。必要ないはずの血が。そして命が消えてゆく。
それを担う一人は自分だ。
戦っている最中は余計なことを考えないからいい。殺さなければ、自分が死ぬのだから。むしろ、快いまでの高揚感に支配される。
でも、戦が終わり生き残ったことを実感した時、戦場を振り返って愕然とする。
敵も味方もない。
そこにはただの『人』の死体が転がっている。血と泥にまみれた、かつて人であったモノが大地を埋め尽くす。
これが結果なのだ。
誇りを持って戦う、その結果はあまりにも無惨だ。
自分が何をしていたのかがわからなくなる。
こんなことで守られる国とはなんだ?
ロイゼルドは俯くエルディアに歩み寄ると、その肩を抱いた。
「王はとるべき手段を全て尽くした。それでも無理だった。ならば俺たちに出来ることは、出来るだけ早く戦を終わらせることだ。残念だがそれは敵兵をいかに効率よく撃退するかにかかっている。敵味方どちらの人間も救うとことは無理だ。出来るのは互いの被害が少ないうちに無理だと諦めさせることだけだ」
「…………わかっているよ」
戦いになる前に、王はすでに戦っていた。
「俺は一人でも多くの兵を戦場から生きて帰そうと思っている。戦が避けられないなら、せめてエディーサの者が悲しむことは減らしたい」
ロイゼルドはいつも激しい戦いの前線にいる。しかし彼の隊は死者が少ない。
彼の指揮が的確だからだ。彼らの命に責任のある者として。
生きて帰す。
それが彼の信念だ。
エルディアはそんな彼を尊敬している。
「僕も、強くなるよ」
ロイゼルドのような指揮はまだとても出来ない。でも、皆を守る役には立てる。
「お前はもう十分強いと思うが」
ロイゼルドが戸惑ったように言う。きっと魔力のことを言っているのだろう。
エルディアは違うよ、と笑った。
もっと強い心が欲しい。
自分を見失わないように。