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黒銀の狼と男装の騎士【改稿版】   作者: 藤夜
第二章 生き別れの兄と白い狼
28/126

4 変化

 森の中に静かな旋律が流れる。

 風に乗り、空に広がり小川のせせらぎに調和して、命の輝きを歌う。それは大地の讃歌。


 美しく懐かしい、繰り返される昼と夜の思い出。高く低く、竪琴はその弦をふるわせて、透き通った声を響かせる。

 鳥や獣達も、その響きに耳を傾け、大人しく聞き入っている。


 不意に、曲調がガラリと変わった。

 不安定な半音を交えた、宇宙を想わせる神秘的な音色は太陽と月の組曲。

 激しく、そして緩やかに、曲は様々なうねりを生み出してゆく。


 その目まぐるしい変調は舞曲に相応しい。

 麗しき太陽と月の姉弟の舞。

 艶やかな、そして厳かな曲。

 湧き上がる神々への賛美と畏怖。

 十二弦の竪琴はその複雑な旋律を滑らかに弾き出してゆく。


 あたかも錦を織り上げるが如く、鮮烈な輝く音の洪水を一つの物語に仕立て上げていく。そこに繰り広げられるのは、遥か遠き神世の幻。

 古の、今はもう神話の中にしか残されていない出来事。


 華麗な響きを生み出しながら曲は幾つもの映像を浮かび上がらせ、そして次第に激しさを増してフィナーレに近づいてゆく。

 最後に透明な光の乱舞を映し出して、すーっと潮が引くように終わった。



 辺りには静かな余韻が漂っている。まだ音の破片がここそこに、仄かに見えるような気がした。

 奏者は大きく息を吸う。

 その時、背後からパチパチと拍手が聞こえた。



「すごいな、エル」



 エルディアは竪琴を傍に置いて、照れたように微笑んだ。



「ありがとう。あんまり弾いてないから指が滑らかに動いてくれないんだ」


「そんなふうには聞こえなかったけど」



 ロイゼルドは立ち上がってエルディアの脇へ来ると竪琴を取り上げた。

 弦の調子を調べてみる。人差し指で軽く弾くと、ポロンと澄んだ音がした。

 二、三度爪弾いてエルディアに返す。



「本当になんでもできるな、お前。どこで習ったんだ?」


「王宮にいた時に楽団の人にね。母様が竪琴を好きだったから弾けるようになりたくて」



 嬉しそうな笑顔を向けられて、ロイゼルドは眩しさに目を細めた。



 仕事の合間の休暇の一日、二人は馬に乗り街外れの丘に来ていた。


 あれ以来、本物のエルフェルムが姿をあらわすことはなく、次第にエルディアも積極的に探すことはなくなった。生きているのがわかっただけでもいい。そう思うようになってきている。

 それでもなんとなく元気のないエルディアを心配したリゼットに、『ロイ様、エルに仕事ばっかりさせていないで気晴らしにどこか連れて行ってあげて!』と叱責されたのだ。


 気の利いた遊びなど思いつかない自分が連れて来たのは、北の森を抜けた所にある眺めの良いこの丘で、エルディアも気兼ねなく弾けるからと喜んで竪琴を持って来た。

 武器だけでなくそんなものも持っていたのかと驚いたが、忙しい王女の慰めにと王宮ではよく弾いていたのだという。

 彼女について知らなかったことがまだあったことに少しだけ悔しさを覚えた。



 彼が自分の従騎士と出会ってから、もう二年が過ぎようとしている。

 エルディアははや十六歳になり、来春には見習いを卒業するだろう。

 正騎士となるのもそう遠くはない。



 本当に騎士であり続けるのであれば、であるが。


 過ぎる年月は彼女を少しずつ変えている。

 姿変えの魔法がかかっているとはいえ、もともとは女性である。中性的な少年の姿は相変わらず細く優美さを増し、男性のごつごつした逞しさはかけらも感じさせない。

 肩につかぬ程度に切り揃えられた銀色の髪は艶も深く、滑らかな白い陶器のような肌、どこか怜悧さを感じさせる秀麗な顔立ち。そこには瑞々しい若い生気の輝きが溢れていて、目を惹かれずにはいられないほどに麗しい。



 いつか、男として騎士団に居続けることは難しくなるのではないだろうか、そうロイゼルドは思う。


 どんなに彼女が希望したとしても、どうしても姿は女性のそれへと近づいていく。変化の魔法でも隠し切れないほどに。


 そして、自分もまた、どうしようもなく彼女に惹かれていくのだ。



 子供だと思っていた。

 庇護すべき幼くも勇敢な少年だと。

 少女とわかってからも、常に守り導くべき弟子であった。

 人とは思えぬ力と美しさを持つ少女を心配こそすれ、自分が心を奪われてしまうとは思いもしなかった。


 初めて会った時には他人を寄せ付けない人形のようだった少年が、徐々に心を開き仲間と交わり笑顔を見せるようになった。そしてレンブルに来てリゼットと出会い、コロコロと表情を変えよく笑う少女となった。

 彼女を育てる師として、微笑ましく見守っているつもりだったのに。



 ………いつからだろう。

 彼女の過酷な運命を退け、自分の腕の中に留めておきたいと思うようになったのは。女性の姿でも男性の姿でも、その想いは変わらず膨らみ続けている。


 顔も声も、ちょっとした仕草も、彼女だからこそ愛おしい。

 あの魂が宿るからこそ、全てが、髪の一筋までもが輝いて見えるのだ。

 


 しかし、彼女はまだ幼い。

 きっとこの気持ちを伝えても、いたずらに彼女を戸惑わせるだけだろう。

 目覚めの鳥はまだ鳴かない。蕾は(うてな)に抱かれ、まだ固く結ばれている。焦がれる気持ちを押し殺して、自分はただ待っている。

 目覚め、花開く時を。その時が熟すまで。




「ロイ、どうしたの」



 エルディアの心配気な調子の声にふと我に帰る。



「何ぼーっとしてたの?」



 無垢な瞳が覗き込んでいた。



「なんでもないよ」


「へんなの」



 不服気にそう言って、ちょっと首を傾げる。そんな様子はまだあどけなく可愛い。

 頭をぽんぽんと叩くと彼女は安心したように微笑んだ。


 自分の手の中で花開いていく彼女が何より愛おしい。我が娘のように、妹のように、そして恋人のように。




 不意に、エルディアが微笑みを消してロイゼルドを覗き込む。



「ねえ、ロイ、あの話は本当なの?イエラザームの………」



 今、エディーサ国内は密かに戦争の準備に取り掛かっていた。王都ブルグワーナのみならず、国中で着々と進められている。穀物の備蓄、戦具の補給、その他、各地の砦に駐留兵士の交代と称して数隊が送られた。

 これまで不戦協定を守り沈黙を続けていたイエラザーム皇国に、エディーサ王国へ攻め込んでくる懸念が上がったためである。



「本当らしい。イエラザームの皇帝が先日、トルポントの王妹である皇妃の息子を皇太子にした。おそらくトルポント王国側に参戦する意思を示したのだろうと思う」


「そう…………」



 イエラザーム皇国は現皇帝になってからトルポント王国と同盟を結んでいる。

 これまでは古くから友好関係であったエディーサ王国に手を出すことは避けていたが、とうとう………



「いつごろになるだろう?近いうち?」


「わからない。けれど、その時は厳しくなるだろうな」



 山脈を挟むトルポントに比べ、イエラザームとの国境は海と内海との海峡である。

 海峡は狭く、少し大きな河くらいで橋も掛かっている。遥かに攻め込みやすい。

 また、両国が連携した場合、エディーサ王国軍は必然的に総力を西と東に二分されることになる。



「嫌だな………」



 気のせいか、一瞬吹いた西風は濁った空気を運んできた。

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