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黒銀の狼と男装の騎士【改稿版】   作者: 藤夜
第一章 魔獣の刻印
22/126

22 刻印

 黒い毛並みがゆっくりと上下している。

 心臓を貫かれ力尽きた魔獣が、エルディアの足下で荒い呼吸を繰り返していた。

 

 まだ、まだだ。

 この獣の生命力は油断してはならない。エルディアは獣の心臓に、再びグサリと剣を深く突き刺す。

 きっとこの獣は自分と同じく、頸を切り落とさねば絶命しない。


 フェンリルの残った左目がエルディアをじっと見据える。

 構わずエルディアは獣の腹部に突き立った剣を引き抜き振り上げた。


 もう、これで最後だ。

 


「お前は僕の母と兄を殺した。数多の人々を殺めて来たお前は覚えていないだろうが、僕は忘れていない」

 


 そう言って頸部に剣を突き立てようとした時、魔獣が口を震わせた。 

 


『そなたに止めをささなかったのは我の不覚だった』


「!!」

 


 喋った?

 思わず手が止まる。


 フェンリルはエルディアの驚いた様子にその目を少し細め、それから低くうめいた。

 


『その姿を覚えている。双子を連れた女。あの時の子供か』

 


 エルディアは動揺していた。

 こんなに高度な知能をこの獣は持っていたのか。


 少女の思いを表情から読み取った狼は、フッと笑うような素振りを見せる。

 


『驚くな。これでもかつては神に仕えていたのだ』

 


 長く忘れていたがな、とフェンリルは深く息を吐いた。


 高位の神獣は人語を解する。


 神話で読んだ一節を思い出し、エルディアは狼の首に剣を突き付けたまま問う。



「どうして殺さなかった」


『………そなたの母は我が主の姿を写したように見えた』

 


 太陽の女神………創世の神よりつくられし至高の存在。

 黄金の髪、エメラルドの瞳、大地に住むすべての存在を愛しむ慈愛の女神。


 一瞬意識が戻った時、自らの弑した遺骸を見下ろして愕然とした。

 黄金の主の斃れた姿に見えて、興が削がれてそのまま立ち去った。



『言い訳に過ぎぬが、魔に堕ちた我等に自らを制御するすべはないのだ』



 魔獣に堕ち自我を失い、残されたのはどうしようもない怒りのみ。衝動のままに人間達を襲い続けた。


 七年前のあの日も。



『これは報いなのであろうな』



 フェンリルはひどく悲しんでいるように見えた。ようやく自我を取り戻した、そんな様子の魔獣の姿に、エルディアは胸に渦巻いていた怒りを保てなくなるのを感じた。


 振り上げていた剣を地面に刺し、ボロ布の様になっていた服の袖を肩から破り取る。

 左肩に刻まれた赤い魔術紋様が露わになった。

 


「答えろ。この呪いはどうやって解く?」

 


 お前を殺せば良いのか?

 その問いに黒銀の狼は微かに首を横に振る。

 


『それが我のものであれば』



 エルディアの目が疑念の色を浮かべる。

 


『その刻印は我のものではない』

 


 フェンリルの刻印ではない?

 声無き問いに、狼は頷いた。

 


『それは白い異端の獣の祝福』

 


 白い獣?フェンのことか?異端とはどういうことだ?

 驚くエルディアに、黒い狼は静かに告げる。

 


『その刻印は守護の印。魔力を分け与え、離れていてもその身を守る。獣に名を与え、血の契約を行った者の印だ。そなたはあの獣の血を浴びたのであろう』

 


 そう、フェンがこの魔獣に引き裂かれた血は、エルディアに掛かった。

 血の契約とはそのことか?

 あの時、フェンは咄嗟にこの刻印を刻んだというのか。自分を守るために。


 左肩に触れると、微かにあの白い子狼の温もりを感じる気がした。

 


『その刻印があるということは、かの獣もまだ生きておろう』

 


 フェンが生きている。


 ならば、フェンを抱いていたルフィもまた、生きているかも知れない。


 なんということだ。

 


『我等から主を奪った人間共よ』

 


 フェンリルは疲れたように目を閉じた。

 


『さあ、我を神の下へ送ってくれ』

 


 ………再び狂うことのないように。

 それは神の獣の懇願だった。



「わかった」



 エルディアは地面に突き刺した剣をとった。

 そして、黒銀の神の下僕の頸をめがけ、一気に剣を振り下ろす。


 微かに開いた瞼から見える赤い瞳が光を失い、暗く沈んだ色に変わった。



(終わった)

 



 立ち尽くす彼女の背後で呻く騎士達を、後から駆けつけた魔術師達が必死で治療している。

 エルディアは狼に背を向け振り返った。


 あちこちで魔石の弾ける音と、癒しの魔法が輝くのが見える。

 大丈夫、まだ死んでない。きっとみんな助けてくれる。



 両頬に涙が流れた。


 色々な感情が胸に渦巻いている。


 守りきれた喜びと、犠牲への哀しみ。苦しみから解放された安堵と、可能性への希望。

 そして、足下に横わるものへの憐憫と。

 


「エル、よくやったな」


 

 傷だらけのロイゼルドがエルディアを抱きしめる。優しい腕の感触が、限界まで張り詰めていた精神(こころ)(ほど)いていく。


 エルディアはロイゼルドの胸に縋り付くと、声がかれるまで泣き続けた。

 

 

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