21 解放
エルディアを失った騎士団は苦戦を強いられていた。
離れていても、魔獣が吠えるたびに風の刃が襲ってくる。
近づこうとしてもフェンリルの身体の周囲には風が吹き荒れており、弾き飛ばされた騎士が地面に叩きつけられた。
魔術師達が急いで駆け寄り、治癒魔法でその命を繋ぎ止める。
黒銀に光る獣のその巨体が宙を舞うたびに、切り裂かれた数名の騎士達が木々の向こうの森の奥へと風に飛ばされ姿を消した。
「目を狙え!」
ロイゼルドの指示に数名が左右に展開して弓矢で同時に狙う。
だが、放たれた矢は途中で風に巻き取られて地面に落ちた。
突かれても斬られても再生する獣の身体は、まだなお美しい毛並みを保ち、矮小な人間達を嘲笑うかのように風の衣を纏う。
「クソッ」
どうすれば良いのか。
今から撤退するか?
ヴィンセントは焦る頭で考えた。
いや、この知能の高い魔獣は追いかけてきて街まで来るだろう。
そうすれば街ごとレンブルは消滅する。
いや、レンブルだけでは無い。エディーサ王国そのものも危ない。
なんという災厄。
魔獣の中でも神の従臣だった獣とは、ここまで恐ろしいものなのか。
神の子フェンリル。
最強とも言うべきこの魔獣の王に、たかが人間が抗うことなど出来ようもない。
(神よ!)
ヴィンセントが初めて神に祈った時、天空から一本の剣が魔獣の頭を目掛けて飛んで来た。
刺さろうとする寸前、魔獣が首を振るってそれを跳ね飛ばす。
その瞬間、剣に括り付けられていた皮袋が弾け、中から何かの粉末が飛散し辺りに漂った。
人には大して害はない、しかし敏感な獣の鼻には非常に刺激が強い香辛料の袋。
ギロリと赤い目が剣の飛んで来た方向を睨め付ける。
人間の姿はない。
鼻が効かなくなっている。
クルリと回した獣の耳にヒュッと何かの飛ぶ音がして、すかさず風の咆哮で吹き飛ばした、はずだった。
ギャン!
魔獣の右目に深々とダガーがその柄の際まで突き刺さっていた。
咆哮で吹き飛ばされたのは大きなただの石。
石を風魔法でわざと音を立てて魔獣の方向へ飛ばすと同時に、ダガーを今度は魔法で音を消して別の方向から撃ち込んだのだ。
それを確認して、獣は自らの敵の姿を残された左目で追う。
金色の緩やかに波打つ髪が風に舞い上がる。
魔獣と同じくその身に風を纏う少女の姿がそこにあった。
封印されていた魔力は解放され、少女の怒りとともに全身にぐるぐると風となって吹き荒れている。
フェンリルの風の攻撃が止んだ。
ロイゼルドはダガーの持ち主を振り返り、息をのんだ。
「エルディア………」
騎士団の軍服はそれとわからぬほどに全身あちらこちらが裂け、布地が黒い故に分かり難いが、隙間から赤黒く変色した血のこびりついた肌が見える。
特に左の太腿は魔獣の咬み痕の形に大きく破られている。
なのに、彼女はまるで何もなかったかの様に平然とたたずんでいた。
両手いっぱいにかき集めた犠牲者達の剣に魔力を乗せて、次々と空中へ放り投げてゆく。
それは風の魔法に操られ狙い澄ましたように、この戦場一面に突き立っていった。
「剣を突き刺して!抜かなければ治らないから!」
斬りつけても再生するなら剣を突き刺したままでよい。
引き抜くまでは再生出来ない。
「怯むな!攻撃だ!」
「剣を突き立てろ!抜くな!別の剣を取るんだ!」
ヴィンセントとロイゼルドの指示に、騎士達は一斉に飛びかかる。
獣の周囲に渦巻いていた風は凪いでいた。
エルディアの放ったダガーが魔石の輝きと共に、フェンリルから魔力を吸い上げている。
「死角を狙え!」
右目の見えないフェンリルは、動揺したように動きを荒くした。
ロイゼルドが左後方から脇腹を狙い攻撃を仕掛ける。
心臓を狙うその剣に、フェンリルは身を翻す。
だが、それは陽動だ。
右に集まる騎士達の前に、その伸び上がった腹が無防備に開かれた。
その隙に幾本もの剣がその腹部に突き立つ。
ギャンッ
赤い瞳が怒りに燃える。
しかし、剣を抜くことなく散じた敵は、四方八方から更に獣を翻弄した。
再生を止められた身体が徐々に弱り始めた。
口を開き、涎を垂らし息を荒げている。
エルディアは剣を握りしめた。
全ての始まりが目の前にいる。
限界までに強化した身体をしならせて、フェンリルに飛びかかる。
そして、その心臓に狙いを定めると、渾身の力と魔力を込めて剣を突き通した。
黒銀の身体がドンと重い音を立てて大地に倒れた。