20 再生
どれくらいの血が流れ出てしまったのだろうか。
痛いより寒くて寒くて振えが止まらない。
骨が見える程に大きくえぐれた太腿の傷からは、弱々しく脈打つ度に赤い液体が流れてゆく。
もう身体は指一本も動かせない。
左腕は骨が折れてあらぬ向きに捩れている。
肋骨も背骨も折れたかヒビが入ったのだろう、呼吸をする度に激痛が走った。
大地にただ転がって、死を待つのみ。
いつまでこの痛みは続くのだろう。
いっそ誰か殺してくれないだろうか。
そう考えて、ふと紫紺の瞳の青年の姿が脳裏に浮かんだ。
ロイゼルドは無事だろうか。
自分をかばおうとしてフェンリルに弾き飛ばされた後、彼の声を聞いたのは覚えている。
怪我はしなかったのだろうか。
魔術師は彼を助けてくれただろうか。
彼の声が聞きたい。
もう一度彼に逢いたい。
あの瞳に自分の姿を映してほしい。
『エル』と、あの低い声で呼んで欲しい。
ああ、自分はもうずっと前から彼に囚われていたのだ。
こんなになって………初めて気付いた。
目に映る空は倒れた自分を嘲笑うかの様に青く輝いていて、こぼれた涙が一筋、耳の後ろへ流れていった。
自分が居ないとフェンリルは再び攻撃魔法を使って来るだろう。
同行している魔術師では防ぎきれない。
黒竜騎士団はフェンリルの前に壊滅するかも知れない。
自分はまた、大切な人を死なせてしまうのだろうか。
(………まだだ)
自分はまだ、力を尽くしきってはいない。
護りたい、ずっとそう思ってきた。
母を殺された辛さ、兄を失った悲しみ、護衛のみんなを死なせた苦しさ。
もう二度と許してはいけないと誓ったはず。
耳を澄ませると、遠くで狼の吼える声がする。
ロイゼルドはまだ戦っている。
ヴィンセントもライネルも。
まだ、戦っている人達がいる。
まだ、守ろうとしている人達がいる。
エルディアはグッと拳に力を入れた。
ゆるゆると右手を上げる。
鉛のように重い。
だが、まだ動く。動かせる。
この呪われた身体に感謝せねばならない。
危険な魔獣と自ら戦う理由を与えてくれた。
これ以上の犠牲を出さないようにと騎士になる事を父が許してくれたのは、人ならざる者にこの身を作り変えた忌まわしい刻印のせいだ。
エルディアの右手が、折れた左腕に触れる。
「痛うっ」
激痛を堪えて、二の腕を掴む。
手のひらに、硬い金属の感触を感じる。
服の上から、それをゆっくりと下へずらしてゆく。
悲鳴をあげそうになるのを歯を食いしばって堪え、少しずつ少しずつ下へ。
折れた箇所を通す時、あまりの激痛に気を失いかけて唇を噛み切った。
深く息を吐きながら腕輪を丁寧に滑らせて、手首まで下ろす。
ようやく左手の指先に滑らかな手触りがした。
しゅーっと唇から吐息が漏れ出る。
息、では無い。
白い靄のようなそれは、封印していた魔力。
身体の中心部から噴き出してくる熱い奔流が、みるみる全身を包み込む。
傷口が血を残して閉じてゆく。
消えかかっていた拍動が、再び力強く全身へ力を送りはじめる。
折れていた骨がキシキシと音をたてて再生してゆく。
上半身を地面から起こすと、金に染まった髪がふわりと背中を覆った。
痛みは消えていた。
血にまみれて見えないが、傷跡すら残ってはいないだろう。
口の中に残っていた鉄臭く赤い唾液を吐き出して、ゆっくりと立ち上がる。
身体の周囲に抑えきれない魔力と共に風が舞う。
戦える。
どれだけ傷付けられようとも、何度血を流し痛みに苦しもうと、命が潰えぬ限り瞬く間に肉体は再生し傷は無くなる。
魔獣そのものの様なこの忌まわしい身体から解放されたいと何度も思った。
だが、今はこれほどに役に立つ武器はない。
魔獣フェンリルを倒す。
この身体はその為にあるのだから。