女と本、そして文化。
ここで述べることは個人的なお気持ちに過ぎないから、他の方のように深い思索や知的探究の果実でないことを、予め述べておかなければならない。そして、ここで僕の一人称は敢えて普段使う私ではなく僕にするのは、僕が男であることを示す事によって、男から見た女と本に対する視線であることを明確にする意図がある。
本来的には、僕は両性が普遍的に使う私と言う一人称が好きだし、勿論俺と比べると僕と言う人称に少なからず男性性の少なさを感じる世間的な反応も理解しているが、僕には、少なくとも僕の人称がふさわしい程度に『男性的な』美徳が少ない事から、やや中性的な僕という人称を選ぶことが相応しいように思う。
さて、このような前提はそれほど重要でないので、本題に移りたい。お題は、『女と本、そして文化』だ。古代から、文化的乃至は科学的な明晰性を持つ女性達にとって、本の執筆は一つの拘束へ対する逃げ道であったように思う。実際上の性別に関わらず、本の上では、彼女達は男性を騙ることで、自分の思想を表明することができた。勿論、そもそも女性であるから語れなかった事実について思うところがないわけではないけれど、少なくとも、自分を男性名で騙る事によって女性達はなんとか、この窮屈な社会においてその明晰さを表明することができた。
そうでない社会の話から始めよう。地中海世界において、女性たちが果たした科学的役割は大きかった。ヒュパティアの壮絶な人生を辿ることによって、男性同士の教育を是としてきたローマ文化と、科学・医学の発展に女性の地位を貶めなかったギリシャ、エジプトの文化との対立が見られる。そして、アレキサンドリアの貴重な至宝達--それは女性達を含めた碩学の集成であった--は、キリスト教的な世界観に飲み込まれていった。
一方で、これらの貴重な至宝達はイスラーム世界で大切に保管され研究された。女性を保護する為に露出を禁止するこの敬虔な人々の類稀なる探究心と寛容さによって、首の皮一枚で繋がれた科学の輪は、やがて十字軍戦争を通してヨーロッパに再び衝撃を与える。
中世は、ヨーロッパの女性達にとっては、むしろ古代よりは知的好奇心を満たせたに違いない。女子修道院を通して、彼女達は研究に打ち込むことができた。男性達と並び、医学の分野ではもしかしたらそれ以上に、彼女達は社会に貢献した。
しかし、ルネサンス時代に入ると、再び社会は女性の知的な探究心を制限しようとする。女子修道院から修道院への編入と、大学を中心とした研究によって、イタリアなどの例外を除いて、社会は再び女性に門を閉ざすようになっていった。
中世末期、ルネサンスの萌芽が徐々にもたらされる頃、クリスティーヌ・ド・ピザンという女性が文壇に上がると、彼女はその明晰さを自らの望む言葉を発する為に用い始めた。
三子を養う為に、彼女はその筆を走らせる。シャルル5世の伝記を記した他、女性による優れた統治を謳った『女の都市』、『薔薇物語』後編の女性に対する侮辱に対抗した『薔薇の言葉』、そして、彼女の晩年、男社会の戦場を駆け抜けたジャンヌ・ダルクを謳った『ジャンヌ・ダルク賛歌』、が、彼女の代表作である。
彼女は傾きつつある女性のあり方について、その筆を用いて書籍を残した。男社会の中で女性が文壇に上がり訴えるという、男女に開かれた本の世界がそこにはあった。
そして、中世の才女といえば、女性初の教会博士ピンゲンのヒルデガルドも見逃すことができない。彼女は医学、特に薬草学に秀で、教会音楽の作曲まで行った。
この時代の女性は特にエネルギッシュで、その際たるはアリエノール・ダキテーヌだろう。フランス最大の女領主であったアキテーヌ公女は、イングランドとフランスの王とそれぞれ結婚をし、自らの野心を奔放に披露した。そして、彼女の周りにもまた、吟遊詩人達の歌と書籍があった。
やがて科学探究の舞台がイギリスへ移ると、女性のための科学書籍が現れていく。これは男女で分かたれていたという点で平等ではなかったが、ルネサンス時代の女性へ対する学術研究の閉鎖性から一定は開放されたことを示す。そしてこの頃、女性達の中で、今に続く一つの流れが生まれてくるのである。
フェミニズムと言われるこの流れは、社会の中で、女性が自分を表現しようとする試みとして始まった。論文や書籍を通して、研究によって自己表現を始めた彼女達は、以前よりはいくらか奔放に、学問に打ち込むことができた。
勿論、その中でも、教養を持つ女性を奇異の目で見る人は少なくなかった。これらの人々の痛烈な女性学者批判は、再びその門を閉ざす為に用いられた。
そして、フェミニズムに一つの強烈な流れを作ったのが、フランス革命である。この革命において、パンを求めた女性たちは大いに貢献したが、自由と平等と博愛は、「人間」、つまりは男性たちによって歌われることとなった。この特筆すべき事実は、この当時もまだ、男女間に平等の思想はなかった、と言うことを如実に示すものだ。
そして、文壇において女性が声を上げ始めたのは言うまでもないことだ。女性作家オランプ・ド・グーシュはその中の代表者であり、最終的には王党派の嫌疑がかけられ(王党派というよりは穏健派な思想の方のようです)、処刑された。
その後、第一次大戦以降女性の権利が見直されていく事になる。働く女性の登場が、彼女たちとの関係改善に役立った。
翻って、日本の場合を見ていこう。僕は、特別に「男尊女卑」があるから、劣った文化だと言い切ることはしない。理由としては色々あるが、第一に、歴史の中にある「男尊女卑」は、必ずしも劣った文化圏で行われてきたものではないからである。
差別は簡単になくせない以上は、あくまで文化の「負の側面」としてのみ、捉えるべきだと思う。この負の側面を是正していく作業は困難だが正当であって、これを批判することもまた相応しくない。
日本の文化がこの点をもって遅れていると言うことはできる。このガラパゴスな文化--これは、良くも悪くもである--は閉鎖的で、非常に独特であるため、世界的に見てやはり特殊ではある。世界に合わせていく部分と、独自性を維持していく部分を測る必要がある。その意味で、鍵となるものが、開かれた「本」の可能性であろう。
僕は男であり、例えば出産の苦しみを知ることはできない(仮にできたとしても、男性は痛みに耐えられず死ぬらしい)。その上で、語られなかった声を、文字として読み、認識すること、即ち、声を上げづらい中で、届いた声に耳を傾けること、それらは、世界が積み上げてきた書籍の中で、あるいはこれから積み上げられていく「本」の中で、実現されていくだろう。
新たな文化の産声に対して、非難はつきものだ。今、日本はこの渡過期にある。それは意味のあることで、世代交代が完全に終了した時に、その成果が明らかになるだろう。今は、注意深くこれらを見届けること、注目していくことが、僕の、新たな文化に対する立場だ。
良い結果を期待していきたい。