手を切って足を買う
「おい、大変だ大変だ」
ある田舎の村。樰丘田という男が川で釣りをしていると、軽薄そうな男、徒漂が走りより話しかけてきた。冷や汗を流していて、なにやら言葉通りの危機が迫っているようだ。
「そんな慌てんな。一体なにが大変なんだい徒漂よ」
「新しい皇帝が大変なことをしようとしているんだ」
樰丘田は鬱陶しそうに徒漂を横目で見る。釣竿を引き上げる。どうせ戯言であろうが、大事な友の話だ。捨て置くこともあるまい。改めて徒漂に向き直り、しかし座ったまま耳を傾ける。
「大変とだけ言われても解らんよ全く。落ち着いて話してくれ」
徒漂は一旦深呼吸を挟む。
「それがよ、その皇帝様は足を食いたいそうだ」
「足ねぇ。豚か? 牛か?」
「それが、人間の足だとよ」
これには樰丘田も目を丸くした。人肉は珍味とは聞く。だが足とは。太ももかふくらはぎを食べるのだろうか。そんな話が徒漂を慌てさせる理由になるのだろうか。疑問が口内で回る。
「人の足を食いたいとねぇ。新皇帝は舌が肥えているようだ」
「そんな呑気にしていられるか。皇帝は足を俺達から徴収する気だ」
「ははははは! する気だって? 根拠として薄いね。どうせ眉唾ものなんだろう」
「おいおい信じてくれよぉ。役人様が実際に言っていたことなんだ」
「わかったわかった。俺も役人様に聞いてくるよ」
樰丘田は釣り道具を片付け徒漂の脇を通る。徒漂は物事を大げさに捉える節があることを、長年の友としての経験が教えてくれる。彼の言葉は鵜呑みにせず、しっかりと裏を確認しよう。
一度家に帰り釣り道具を片付ける。そしてこの村を監督している役人に話をつける為村を行く。畠が広がり、川は澄んでいて、魚は立派に泳いでいる。樰丘田は今の暮らしに満足していた。これも前皇帝の徳あってこそだと、一人納得していた。新しい皇帝は変わり者だそうだが、まさかあの前皇帝の継承者が徒漂の言ったような馬鹿馬鹿しいことをするとは思えない。
樰丘田はあの話を楽観視しつつ、役人の家に到着した。この村の家々と変わらぬ、質素な佇まいの家。あの役人は、贅沢をせず村人の悩みなどもしっかり聞き入れるので人々から尊敬されている。樰丘田も、彼のことは好んでいた。
「失礼します、役人様。樰丘田です」
家に上がると、立派な髭の役人がほおらかな笑顔で迎えいれてくれた。それだけで彼の徳が感じ取れる。
「おお、釣り人の樰丘田か。成果はどうだ?」
「ぼちぼちといったところです」
社交辞令を済ませ、役人の了解を得てから対面に座る。役人は忙しいだろうから、早速要件に入ることにした。
「ここに来たのは他でもありません。友人の徒漂が、なにやら新しい皇帝が足を、人の足を徴収するなんてことを言っていたので、その確認に来た次第です。これは本当ですか?」
役人の顔から笑みが消え、苦虫を何匹も潰したような顔が現れる。樰丘田はこれだけでだいたいは察しがついたが、しかし心中全てが信じきったワケではないので、僅かな希望を込めて返答を待つ。
しばしの逡巡のあと、ため息をこぼしながら役人は言った。
「あぁ、本当らしい。皇帝は人の足を集めようとしているそうだ」
「そ、そんな。そんなに集めてどうするのです」
「人の足で作った料理を用いて宴を開くと聞く」
開いた口が塞がらない。もし、いや実際にそうなのだろう。ならば自分の足も切られるということか。なんという悪事! 現皇帝への憎悪と、なにより恐怖が身を貫く。
この状況になにか有効策はないかと頭を錆びるまで使うが、所詮は教養もない庶民。逃げることしか思い付かない。しかし長年住み、先祖代々続いた土地を捨てるなぞ、そんな不孝を行うことは考えられない。樰丘田は、すがる思いで役人に助けを求める。
「それなら、俺達はどうすればいいのでしょう。足を失ったら、歩くこともできませんし、それにほら、百姓達はどうするんです。彼らがいなければ皆飢えてしまいます」
役人はううむと唸る。樰丘田は役人が我々のことを真摯に考えてくれるのを見て、いささか安堵する。なにか、希望に満ちた答えをいただけないだろうか。
「これはおそらくの話なんだが」役人が重い口を開く。「おそらく、庶民全員の足は集めないだろう。この国は広いし、都に住まぬ民草はごまんといる。どこか少数の村の人の足を集めるに終わるのではないかね」
「では、もしかしたら俺達の村は安全かもしれないということですか」
「うむ、おそらくは」
樰丘田は、安心したような、不安になったような、どっち付かずの心持ちになる。希望的観測で語るならば、この村で足の徴収は行われず、どこか他の村が犠牲になるだけで済む。少なくとも自分達は安全になる。だが、もしかしたらこの村がその徴収の対象になるかもしれない。
なにか、対抗策はないだろうか。絶対の安心を求めて考えは続く。
「もし、俺達の足が徴収されることになったら、どうすればいいんですか?」
「それは、もう、祈るしかない。すまぬ」
我らが役人様をもってしても、この状況を覆す策はないようだ。樰丘田は俯き暗い顔を床に向ける。役人様が祈れと言っているのだ。ご先祖様に霊的な助けを求める他ない。
樰丘田は役人に礼を言い、その場から立ち去った。少しの絶望感を空気に漂わせながら。
数日が経つと、村中に足の徴収についての噂が広まった。一種の混乱状態に陥り、村人達は日夜足を守る為の議論に尽くした。樰丘田や徒漂も例外なくその話に参加した。樰丘田はすっかりこの話を信じ、話を疑ったことを徒漂に謝った。二人はより結束が高まり対策の議論も白熱した。しかし、村の誰一人として、打開策を生み出すことはできなかった。
そんなある日、一人の行商人が村を訪れた。まるでネズミのような男で、態度までネズミのよう。誰もが怪しいと思う風貌で、布で覆った荷車を自分で引きながらやってきた。
「さぁ皆さん足ですよぉ。今買うべきは足ですよぉ。皇帝に千切られないうちに、足を買わないといけませんよぉ」
村の中央に行くと、行商人を村人達が囲んでいた。この村に来客が来ること事態も珍しいが、売っているものも珍妙だ。足を買えと? この男は何を言っているのか。
村の者達はガヤガヤと小声で話し合っているだけでネズミ男に声をかけようともしない。そこで樰丘田は好奇心と勇気を奮い、男に声をかける。
「さっきから、聞けば足を売っているそうじゃないか。いったいどういうことなんだい」
「これはこれはお客さん。噂を聞かなかったんですかい? 皇帝が足を集めるそうじゃありませんか。そう、この村でね」
瞬間、人以外の声だけが残った。この村で足が徴収される? そろそろ、この村では足を千切られないという希望に心を傾けようとしたこの時に、なんと暗い話をしてくれるのか。樰丘田も村人も、ネズミの巣穴からトラが出てきたかのような衝撃に打ちのめされた。
「そんな話聞いていないぞ」樰丘田は抗議した。
「そりゃあ、そうでしょう。事前にそんな物騒な話したら皆さん逃げちゃうでしょう。そこで、あっしは皆さんの為になることをしようと思ってるんでさぁ」
「為になる?」
「そう! そんで紹介したい品がこれでさぁ」
ネズミ男は威勢よく言いきり、荷車の布を外した。村人達は悲鳴をあげるか、驚きのあまり腰を抜かした。荷車に積まれていたのは人の足だった。ふくらはぎから下の、人の足。
樰丘田も人生で一番に驚愕していた。皇帝がご所望なのは太ももでふくらはぎでもなかったのか。なんて場違いな考えさえ浮かぶほど、その光景に現実味がなかった。
しばらくの間、誰一人として言葉を語る者はいなかった。唯一ネズミ男だけがヘラヘラと笑っていた。
ようやく思考を取り戻した樰丘田は呆然としながら喋る。
「その足を、どうするんだ」もはや呟きだった。
「これをですねぇ、足を切られたら、はい、切られた部分にちょいとつけるんですよ。へへ」
「つける? 足を?」
「へい、まぁ見ていてくだせぇ」
行商人は足を上げると、スポッと足先を抜いてしまった。血は垂れることなく、ふくらはぎから先がないのが当然のようにしていた。
またも言葉を失う人々。なにかの妖術か幻術かと勘ぐるが、その表情を見て行商人は足先を元に戻す。
「はい、この通り。足を切られても、あっしの特性の足があれば、今後とも不自由なく暮らせるわけでさぁ。さぁさ皆さん買ってくだせぇ」
あまりにも突拍子もないことだった。だけどもこれさえあれば足を失くしても大丈夫だ。村人達は安心を買いたくなる。樰丘田も集団の考えに引っ張られる。
「そ、それでいくらするんだ」
思わず樰丘田は尋ねた。しかし、返答された値段は、その金だけで都の家が二、三軒買えてしまうほどの法外な値段だった。
皆の目から生気が消えた。もはや足を失う未来しか見えない。不安が的中するというのは、どんな宵闇よりも暗い感情を抱かせるのだと学のない者達は思い知った。
樰丘田はもう、逃亡の計画を必死に巡らした。ご先祖様には申し訳ないが、しかし命あっての物種だ。たとえ足を切られて生き残っても生活はままならず、釣りはできず、餓死してしまう。もう終わりだ。
「まぁまぁ、そうお暗い顔をしないでくだせぇな。こちらとしても、こんな金払えねぇことはわかってますわ。そこでですねぇ」
目を薄く開き、聴衆達の衆目を集める。ネズミ男は声を小さくし、身を屈め、話はこれから、というふうに喋り出す。
「実は、うちの娘が病気でして、薬が必要なんですよ。そして、その薬の材料は人の手なんでさぁ。もう話が見えてきやしたね?」
村人達の顔が発見で満ちる。洞窟で外の明かりを見つけたかのような安心が湧き出る。
「皆さんの手をいただければ、この足をお金なしで差し上げようかと思いましてねぇ」
村人達の小声が辺りに広がりちょっとした喧騒になる。金を払わなくてもいい。その代わり手を切らねばならない。そういうことだ。これは代価として正当だろうか。計算が頭脳を走る。
樰丘田はむしろ更に不安が増大した。手を切るか足を切るか。二者択一。どちらかを選らばなければならない。
「もし、手をいただけないなら、もうあっしは他へ寄るしかありませんねぇ。いやぁあっしも娘の病気を治す為に金がどうしても、ねぇ」
「ま、待ってくれ、待ってくれ」
樰丘田はついつい呼び止めた。不安で身が捻れそうだ。たとえ両手が無くなっても口で釣竿を掴めば日々の仕事はできるじゃないか。そうだ、足を失くすよりかは幾分かマシだ。足が無くなれば川にさえ行けない。そうに決まっているんだ。
「買う、手を切って買う、だから待ってくれ」
「へぇ、片手ですかい? 両手ですかい? 両手なら両足揃えられまっせ」
「両手、両手だ」
「へい、まいどあり」
樰丘田は行商人が持ってきた台の上に手を置く。剣を持ってきた男は台に置かれた手を目掛けて上段に構える。やけに真に迫っているというか、手慣れてそうな手付きだった。
いざ振り下ろさんとするとき、徒漂が人々を掻き分け叫んだ。
「な、何をやっている! やめろ! やめるんだ!」
「やめるものか」樰丘田は震え声で呟く。
「皇帝が足を集めるって話は嘘らしい! 本当だ! 皆やめろ!」
「らしい、だって? 根拠がない。役人様は言ってた。皇帝が足を欲しがっているって。それはずっと話してきたろう?」
「村の入り口に町の役人が来てる。その役人が言ってたんだ」
「よそ者なんて信頼できるか! さぁ速く切れ」
徒漂が何かを言う前に剣は振り下ろされた。鮮血が飛び、樰丘田の顔に生暖かい液体が付着する。絶叫を全力に押さえつけ、痛みに耐える。
すぐに腕を炎に浴びせ、血を止める。台は赤色の川が流れている。
失神しそうなのを堪えながら消え入りそうな声で樰丘田は行商人に喋る。
「さぁ、早く足を寄越せ。これで安心だ」
行商人はニヤニヤと笑いながら足を渡した。丁度樰丘田の足とぴったりだ。意識をふらふらと揺らしながら、貰った足を腕に抱え、とぼとぼと歩き去っていく。
「さぁ、他に足が欲しい人はいませんかね?」
徒漂が絶望を口にしてる最中、鮮血が再び舞った。
結局、皇帝が足を集めるという話は嘘だった。樰丘田は用無しの足を二つ手に入れてしまい、それを一生悔いた。徒漂は彼を止められなかった罪悪感から、ただひたすらに樰丘田を手助けした。友情は確固たるものとなったが、もう手は戻らない。
皆さん手を切らないようにしましょう